5.練習
礼部宮での話し合いを終えた次の日から、鼠妃・瑞英と兎妃・宇春は踊りを教わることになった。
しかも、雅文からもらった練習用衣装を着て、だ。
(雅文様、いつ用意してたんだろう……)
瑞英は鼠族なので、身長が低い。竜族からしてみたら、相当小さい部類に入るだろう。なので、そんな瑞英の体に合うということは、ちゃんと採寸を取って作られたものなのだ。しかも、色は緑である。瑞英の好きな色だ。
そう考えると、なんだか頬が赤くなる。
(こういうところが、ほんとダメなんだよなぁ……)
さりげない気配りだ。こういうのを当たり前のようにやってくるから、瑞英も恩返しができるように頑張りたいなと思ってしまう。つらいときがあっても竜宮にいたいと思えるのは間違いなく、雅文のおかげだった。
というより、瑞英も雅文と同じ光景を見たいのだ。あの竜王と同じ位置に立って、世界が見てみたい。
彼女の性格が、好奇心旺盛だということもある。だがそれ以上に、世界が広いということを教えてくれた彼の孤独を埋められたらと。そう思ってしまうのだ。
(……惚れちゃってるのかなぁ……)
色恋沙汰に疎い瑞英としては、この感情がなんなのかいまいち分からない。
でも、それでいいのだとも思うのだ。
(うん、お母様も言ってたし。『いただいた恩は返しなさい。誰かのために生きたいと思ったときは、気の赴くままに行動しなさい』って)
思えば、過保護な母が言う言葉にしては、なかなか矛盾の多いものだった気がする。外に出ないようにしろと言っておきながら、気の赴くままに行動しろとは、いったいどういうことなのだろう。
(……もしかしたらお母様は、王妃としての役目と母としての気持ちの間で、揺れていたのかな)
ちぐはぐなのはそのせいかもしれない。
そのときふと、瑞英は刑部尚書である蛇族の美紫を思い出した。
(そういえば美紫様も、二つの感情を抱えていたなぁ)
瑞英も、歳を取れば分かるだろうか。
そんなことを思いながら、瑞英は礼部宮に向かったのである。今日付いてきたのは、美雨だけだ。
今回やることは、炎武祭の進行に関する話し合いと、演舞の練習である。礼部侍郎・雪蘭の提案により、演舞の練習から始めることになった。
雪蘭は、今日も今日とて穏やかな態度で佇んでいた。真っ白い姿は、周りの空間とあいまって溶けてしまいそうだ。
瑞英と宇春が着ている竜族の衣装を着ているのを見て、雪蘭はほわわんとした笑みを浮かべた。
「あらあら……可愛らしいですね〜。これでやぁっと、お祭りが華やかになります!」
「そこ、そんなにも大事なのですか……?」
「大事ですとも! 精霊さんたちは、華やかな催事のほうが好きですから〜。昔は士気を高めるためにおこなわれていたものですけど、今は精霊さんたちを喜ばせる意味もあるのです。ですから、華やかさは必要なんですよ〜」
「そうだったんですね」
「はい。……殿方は何かと忘れている気がしますけど」
(……なんだろう。雪蘭様がなんだか、怒っているような気がする……)
どうやら、その予感は正しかったらしい。雪蘭は腰に手を当て頬を膨らまし、「まったくもう」と言っていた。随分と可愛らしい怒り方である。
しかし、続いて発せられた言葉に、瑞英は固まってしまった。
「昨日だってうちのヒト、猫妃様と口論したらしいですし」
「……え?」
「どうやら、猫妃様に『炎武祭で戦う方々が同じでつまらない』と言われたそうです。それでうちのヒト、怒ってしまって。それがあったからかどうやら、猫妃様と狗妃様が参加することになったようですよ。わたしからしてみたら、正論なんですけどね〜」
ほんと、融通が利かないのですよねーうちのヒト。
そう雪蘭は言っていたが、瑞英からしてみたらそれどころではない。
(夢花様、たった一日で何してるのーーー!?)
いつも通り、暴走しすぎだろう。我慢という単語を知らないのだろうか。いや、夢花なので知らないな、と瑞英はがっくり肩を落とす。
宇春も「何をしているのでしょうか……」とつぶやき、呆れ顔を浮かべていた。まったくもってその通りである。
だが雪蘭は、どことなく嬉しそうな顔をしていた。
「うちのヒト堅物なので、催事に関しては本当に融通が利かないのです。わたしが言っても、譲らないところは断じて譲らないんですよー? ですけど今回、口論の末の結末だったとしても、うちのヒトが前提を覆しましたし。ですから、今回猫妃様がいてくれて良かったと思っています〜。意外と、相性が良かったりしますかね?」
「いや、それはないかと……」
「あら、あら……これからも、頑張っていただきたいのに……それなら、せめてわたしだけでも、仲良くしたいですね」
(夢花様を活用する気満々だ、雪蘭様)
言い方が柔らかいので騙されがちだが、内容を端的に切り抜くと「礼部尚書の結論を変えることができる妃がいるなんて、嬉しい。何かあったときはまたお願いしたい」である。強かすぎる。
そんな衝撃的すぎる話を聞いた後、瑞英と宇春は踊りを習うことになった。
「では、まず基本の動きから始めますね〜」
雪蘭はそう言うと、手本を見せてくれる。
それを見た瑞英は、目を数回瞬かせた。
(……んん?)
腕が円を描くように回り、時折キレのある突きのようなものが打ち出される。
交互にそれを繰り返した雪蘭は、にこりと微笑んだ。
「はい。これが腕のみに絞った基本動作です」
「……つかぬことお聞きしますが……これ、武術の動きですよね……?」
瑞英に馴染みはないが、動きだけ見ればなんとなく分かるのだ。武術にしては一動作が柔らかくゆっくりしているが、間違いない。系統はどうであれ、武術の動きである。
すると、雪蘭はあっけからんと言った。
「そうですよ? 竜族の古典舞踊は、武術の動きをもとにしています。ですのでまずは、武術の基本動作を学んでいただくのがいいかな〜と思いまして!」
「あ、はい……」
「分かり、ました。……これは確かに……わたしの知識は、まったく役に立たないかもしれません……」
宇春は、そう不安そうに言う。心なしか、耳が一段と落ちているように見えた。
瑞英も不安である。未知の世界だ。
そんな二人を見た雪蘭は、にこりと微笑む。
「問題ありませんよ、本当に触りだけですから。ただ、腕の動きも足の使い方も、弧を描くように動くのだということだけは、覚えておいていただけると嬉しいです〜」
「はい」
「合言葉は、優美と大胆! さあお二人共、復唱お願いします!」
『ゆ、優美と大胆!』
「声が小さいですよ! さあもう一度!!」
『優美と大胆!!』
意外と情熱的だな、と瑞英はそのやり取りをおこなって思った。やるときはやるヒトなのかもしれない。
真面目に復唱する二人を見て、雪蘭は満足げに頷いた。
「はい、よろしいです! ではわたしに合わせて、基本の型を真似して見てください」
雪蘭は、先ほどよりもゆっくりと動いてくれた。見よう見まねで、瑞英は同じ動きをしてみる。
音で表すならば、くるっ、トン。くるっ、トン。という感じだった。よくよく観察してみると、雪蘭は体全体をしなやかに使い動いている。
それを真似ていると、足も動いてくるから不思議なものだ。
二人がぎこちないながらもできているのを見たからか、雪蘭は足の動きも付け足してくる。
「お二人とも、その調子ですよ! 足もやってみましょう〜! できなければ、上半身だけで構いませんからね。まずは挑戦してみることが大切です」
「は、はい!」
「頑張ります……!」
瑞英に続いて、宇春も声をあげる。
黙々と動く二人を見て、雪蘭はくるりと振り返った。トントンッ、トントンッと拍子を叩いてくれる。
「お二人とも、上手ですねー! はい、いっちに、いっちに! あ、美雨も一緒にやりましょ〜?」
「……なぜわたくしにそれを言うのです」
端で練習を見守っていた美雨は、雪蘭に話を振られ嫌そうな顔をした。しかし雪蘭は、ふんわりとした口調で続ける。
「美雨も知っている踊りですし、わたし一人が見て教えるより、効率的だと思うんです」
「……それは確かにそうですが……」
「時間もありませんから、お願いします! 美雨だけが、頼りなんです〜!」
「……仕方ありませんね」
(……美雨がまた丸め込まれてる)
一瞬そう思った瑞英だったが、それがいけなかったのか。瑞英は動きが分からなくなり、混乱してしまった。
どうにかして戻そうとするが、そう思えば思うほどずれがひどくなってしまう。
「え、あれ……あ、れ……?」
「……瑞英様。一度止まってくださいまし。止まってから、再度やり直しましょう」
「うう……ごめんなさい」
「いえ、初めてですから。はじめのうちは、しっかりと基礎を学ぶことが大切です。ゆっくりゆっくり、やっていきましょう」
「……ありがとう」
美雨も雪蘭も優しく教えてくれるからか、瑞英もあまり萎縮することなく基礎の動きをおこなうことができた。
緊張が解けたためか、だんだん動きが滑らかになる。それが楽しくて、瑞英の心は弾んでいった。
すると、雪蘭は基礎的な動きに別の動きを加えたものをやってくれる。そちらは、先ほどよりも優雅だった。くるりと一回転をすると、裳のひだが広がり綺麗だ。
真似してやってみると、裳が花開くように広がり楽しい。裾が翻り足が見えたり、汗もかいたりしたが、楽しかったので気にならなかった。
宇春のほうも、なんだか楽しそうだ。かすかだが笑みも浮かんでいる。
それを見た雪蘭は、ぱちぱちと拍手した。
「お二人とも、いいですよー! 演舞には確かに技術も必要ですが、一番必要なのは、楽しむ心なのです。楽しめば楽しむほど、精霊さんたちは喜んでくれるのですよ〜」
「……雪蘭は少し跳ねすぎかと思いますが」
「ええーいいじゃないですか〜。お可愛らしいお妃様方が、一生懸命踊っているのを見ていると、とっても楽しいんですもの〜」
「か、かわ……?」
「……真面目にやっているお二方に失礼ですよ、まったく」
美雨は呆れていたが、宇春はぽつりとつぶやく。
「ですが……踊りとは、楽しいものなのですね」
「……え?」
「億劫でつまらないものだと、ずっと思っていました。ですので……すごく、新鮮です」
宇春が裾をつまみくるりと回ると、髪や耳も揺れる。感情をあまり出さない彼女がそんなふうにしているのを見れて、瑞英はほっとした。
(うん……これなら、なんとかなりそう、かな?)
始めた頃の不安など、さっぱり消えてしまった。
その日の練習は、そんなふうに楽しい気持ちのまま終わり。
瑞英は、弾む気持ちのまま、炎武祭の進行に関する話を聞けたのである。




