3.運命
それから、礼部侍郎の雪蘭と粗方のことを話し合い、瑞英と宇春は後宮に戻ることになった。
外に出れば、空はすっかり橙色に染まっている。思った以上に長くなってしまった会議に、瑞英は申し訳なくなった。
(鈴玉が用意しておいてくれた氷菓子と冷茶、無駄にしちゃったな……)
帰ったら謝ろうと決め、瑞英は宇春を見る。そして、ゆっくりと歩きながら彼女に話しかけた。
「それにしても、もう大方のことが決まっていて良かったですね」
「はい。本来ならば、妃と礼部が揃って決めることですが、今回は初めてだということ、そして先日の視察もあり、すべて決めてくれたみたいで。これから先この仕事をするのかと思うと、なんだかドキドキします」
「わたしもです。こういう行事は、鼠族ではあまりしないので……」
「そうなのですか? 兎族では、年に一度必ず豊穣を讃えるお祭りを開きますが……」
「うーん……」
瑞英は、どう説明したものかとうなりながら口を開いた。
「鼠族領がどこにあるのかは、知っていますよね?」
「はい。地下ですね」
「はい、そうなんです。一応地上にも領地はありますが、その大半は畑です。なので、こう、騒ぐほどの広さがないといいますか……」
瑞英は、自領の様子を思い浮かべた。
鼠族領は、鼠族が自ら掘った地下に存在する。それは鼠族なりの知恵だ。外敵が多い外よりも、地下のほうが安全なのである。
しかし掘らなければならないため、それ相応の労働能力が必要になるのだ。
外交問題もあるので、一部の通路はとても高く掘られているが、鼠族だけしか通らない場所はかなり小さく作られている。瑞英が匍匐前進しながら通るような通路もあるくらいだ。
中は広い場所もあるが、小さな部屋がいくつも繋がっている場所のほうが多い。生活していくには、それくらいで十分だからだ。
その結果鼠族では、あまり祭りはしない。そんなに食べ物もない、というのもある。
それを聞いた宇春は、目を瞬かせた。
「そんな感じで、精神的負担がかからないのですか?」
「うーん。みんなだいたい、本を読めば満足するような感じの獣族なので……そんなにかかりませんね。新しいことを知れなくなったのであれば、みんな死んだような顔をし出しますが」
「瑞英様が竜族領に来た理由も、書庫を読み漁ってしまったからなのですよ。それはもう、干からびたトカゲのようで。国王陛下と王妃様が心配して、送り出してくれるはずです」
「……藍藍。無駄なことは言わなくて良いんだよ?」
瑞英は、呆れたような口調でそう言ってくる藍藍をじっとりと睨んだ。藍藍は肩をすくめたが、唇は楽しそうに緩んでいる。どうやら反省する気はないらしい。
それを聞いた美雨は、ふふふと笑った。
「運命を感じさせるご縁ですね」
「……そう? そうでもないと思うけど」
瑞英は、美雨の言葉に首をかしげた。
(まぁ確かに、わたしが「竜族領に行きたい! 行かなきゃ死んじゃう!」って叫んで、それをお母様が許してくれなかったら、雅文様と会うこともなかっただろうけど……ただの偶然じゃないかな)
しかし宇春も、それに頷いていた。可愛らしい顔を赤くし、拳を強く握り締める。
「きっと運命です! ああ、わたしに筆力があれば、おふたりの素敵な恋物語を物語として綴ることができるのに……!」
「やめてくださいね!?」
「いえ! いつか必ず書きます! 書かせていただきます! それはわたしに課せられた使命ですから!」
「宇春様!?」
おかしい。兎族は、無駄だと思うことをしない獣族だった気がするのだが。
しかし残念なことに、瑞英の声は聞こえていないようだ。むしろ美雨や他の侍女たちとともに、白熱している。
瑞英はなんだか疎外感を感じながら、自室に戻る羽目になった。
(運命、運命かあ……)
運命の赤い糸というやつが本当にあるのだとすれば、興味深い話だ。しかしそれが、まるで違う種族である鼠族の姫に繋がっているとなると、かなりの確率になる。別の要素でもあれば、さらに上がりそうなものなのだが。
(というより、わたしが番だったことで何か利点はあったのかな。むしろ迷惑しかかけてない気がするんだけど……)
そんなことを考えていると、宇春がふとつぶやいた。
「それに、瑞英様が陛下の番だと分かったからこそ、わたしはこうして陛下の妃になれているのです」
その言葉には、今の瑞英の心を確かに貫いた。そして確かな重みを感じさせる台詞でもある。
(そう。そうだ。宇春様がこのまま領地に戻されたのなら、きっと……)
きっと宇春は、人形のような終わりを迎えていただろう。
そしてそれは、夢花もだ。猫族領で虐げられ続け、嫌な思いをしていたはず。
少なくともその点だけは、良かったのだろう。
瑞英は、ふと笑ってしまった。
「……ありがとうございます」
そう礼を言えば、宇春は笑う。どうやら、何もかもお見通しなようだ。
優しい友人の言葉をしっかりと抱えたまま、瑞英は自室に戻った。
すると、部屋の中に雅文がいるではないか。
瑞英は、呆気に取られてしまった。
「……雅文様?」
「おかえり、瑞英。雪蘭との話はどうだったのだ?」
雅文はなんてことはない顔をして、そう問うてくる。
瑞英は「ただいま戻りました」と蚊の鳴くような声でつぶやいた後、きょろきょろと周囲を見回してしまった。
すると端のほうで縮こまる鈴玉の姿が見える。
どうやら、竜王がいるということで外に出られず、かと言って近づけないため困っていたようだ。しかしちゃんと茶を用意してもてなしていたというのだから、彼女も侍女なのだなと思う。
瑞英は鈴玉が無事なことを確認すると、はあ、とため息を漏らした。
そしてとぼとぼと歩き、雅文の隣りに腰掛ける。何があったのか言おうと口を開いたが、驚きのあまり頭が真っ白になってしまった。
「えーっとですね……色々と勉強になったと言いますか……」
「そうであろう。雪蘭は、あんな口調と見た目をしているがかなりしっかりした性格の官吏だからな。瑞英との相性も良いだろうと思っていたのだ」
「あ、そうだったのですね。ご配慮ありがとうございます」
どうやら、今回の件は雅文が率先して決めてくれたらしい。過保護だなぁ、と思う。
唐突の訪問にもかかわらず、せっせとふたり分の夕餉の支度を始める侍女たちを見て、瑞英はから笑いをした。いや、もしかしたら、美雨は知っていたのかもしれないが。
そこでふと、瑞英はあることを思い出す。
「……わたしが演舞を踊るってことになったのですが、あれは雅文様が決めたことですか?」
「ん? そうだが?」
「……何か意図でも?」
「瑞英が美しい衣を着て、踊る姿が見たかっただけだが」
さらっと本音を言われ、瑞英は固まった。
雅文はそんな瑞英の頭を撫でながら、ふふふと笑う。
「それに、そなたに衣装と髪飾りを贈る口実にもなる」
「それは……今言って良いことなんですか?」
「隠すようなことでもなかろう。いずれ分かる」
「はあ……なるほど」
瑞英を驚かせようという気はないらしい。
しかし雅文は、それ以上のことをさらりと告げた。
「それにわたしとしては、瑞英がわたしが見立てた衣を着て、公衆の面前で踊るということのほうが重要だ。そなたは、頭の先から足の先までわたしのものなのだと。他の官吏たちに見せつけることができる」
瑞英は、一瞬何を言われているのか分からなくなった。
(……えっと……それは、つま、り……?)
頭が言葉の意味を理解するにつれて、ぶわわっと熱がのぼってくる。
それは――圧倒的な独占欲だった。
独占欲であり、支配欲とでもいうべきだろうか。
にもかかわらず、眼差しはとろけそうなほど甘いのだからたちが悪い。
雅文はきっと、瑞英が嫌だと言えば寂しそうな顔をしてやめてくれるのだろう。無理強いはしない竜人なのだから。
だからこそ、雅文は瑞英が自ら飛び込んでくるのを手を広げて待っている。
無理矢理繋ぎとめようとするよりも、よっぽど悪質だった。
しかし、もうだいぶ雅文を好きになり始めている瑞英は、何も言えないままぷるぷると震える。
(おかしい、絶対におかしい……! この破壊力は一体なんなの……!!)
そう、心の底から叫びたくなった。そんなことを言われたら、衣装を見るたびに、着るたびに意識してしまうではないか。
そこまで計算尽くなら天晴れだが、雅文はそんなことはしないだろう。つまり彼はこれを、無意識のうちにやっているのだ。
「……こんな貧相な姫に惚れる輩は雅文様くらいなので、大丈夫ですよ」
そう絞り出すのだけで精いっぱいだ。叫ばなくなっただけ成長したと、自分で自分を褒めてやりたいくらいである。
(一体いつになれば、この竜人を負かせることができるのやら)
瑞英はそんなことを思いながら、並べられた夕餉に口をつける。
熱に浮かされたせいか。
その日の食事は、まったく味がしないものになってしまった。




