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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第三部 狗姫は主人に忠誠を誓う
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1.説明

 生温い風が吹いていた。

 それは夜になっても冷えず、全身を重たく包む。

 そんな鬱陶しい気候のせいか。はたまた自身の気持ちの問題か。書き損じは増えるばかり。


 何度も書き直しては丸め、それを床に放り投げる。それを繰り返し続け、狗族の女は息を荒げた。


 一体自分は、何がしたくてこんなことをしているのだろう。そんなことを思ってしまう。


 女は、長く伸びた黒髪を鬱陶しげに払った。できることなら短くしたかったが、姫という立場もあり切れなかったのだ。

 汗のせいでまとわりつく髪は、今の女の気持ちを表しているようでもあった。


 何をするために、竜宮にいるのか。


 その答えは、ひとつだったはずだ。

 父から言われたように、竜王に忠誠を誓い、その助けになる。そのために、女はここにいる。


 にもかかわらず女は今、迷っている。心に決めて領地から出たはずなのに、迷ってしまっているのだ。それもすべて、あの最弱姫のせいだ。


 最弱のくせに、最強の隣りに座ることを許された姫。

 最弱のくせに、きちんと結果を出した姫。


 どちらが優っているかなど、一目瞭然だ。

 しかし女は、それを認められずにいる。

 認めたら、女の中の何かが音を立てて砕け散ってしまいそうだったからだ。


「……わたしは、何をするためにここにきたのだ」


 そうかすれた声でつぶやき。

 狗族の妃は、卓の上に置いてある紙を握りつぶした。
















 十三支国じゅうさんしこくの中でも最大領土を誇る竜族領ではようやく、雨季が明けた。

 されどその代わりと言わんばかりに突き刺さるのは、太陽の光だ。肌を直接刺すかのごとき日光に、体からは自然と汗が湧き出てくる。


 この天候の下佇んでいれば、数日とせず干からびてしまうだろう。

 しかし雨季とは違いからりとした空気は清々しく、鼠姫・瑞英ルェイインは「雨季のときよりはいいかもしれない」と思っていた。


 されど、この暑さである。体調不良を訴える者が続出し、今医官たちはてんてこ舞いだという話をちらりと耳にした。

 瑞英はそれを聞き、密かににんまりする。


(あの性悪兎が倒れる姿は想像できないけど、忙しそうにわたわたしてる姿を想像すると、心踊るのはなんでだろう)


 性悪医官たる国良グオリャンが苦しんでいるのを思い浮かべると、なんだか楽しくなるのだ。性格がだいぶ歪んできたなと自分でも思うが、残念なことにやめられそうにない。


 そんなことを思いながら、瑞英はいつものふたりとまた茶を飲ん――出るわけではなく。

 またまた呼び出しを喰らい、竜宮の中にある一室へと足を運んでいた。


 おそらくまた、仕事の話だろう。

 瑞英と宇春ユーチェンからしてみたら「つい先日まで視察に出ていたのだから」と思うが、なんだかんだ言ってあれから十日は経っているのである。その間報告書を書いたり茶会で事後報告をしたりと忙しかったから休んだ気がしないが、仕方のないことだろう。


 そしてその予想違わず。

 部屋には四妃全員が集められた。


 未だに良好な関係性が築けていない佩芳ベイファンも、椅子に腰掛けている。しかし他の妃とは一切目を合わせようとしない。


(ほんと、これからどうなるんだろう……)


 そんな心配をしつつ待機していると、部屋の扉が開いた。

 入ってきたのはなんと、竜王の側近である幸倪シンニーである。


(あれ。意外な獣人ひとがきたな……)


 瑞英は少なからず驚いた。なんせ幸倪は、竜王・雅文ヤーウェンの側近だからだ。立場だけを見れば、尚書よりも高い位置にいる。瑞英は接触する機会が多すぎるため、実感はかなり湧きにくいが。


 幸倪はそんな視線を感じ取ったのか、一瞬苦笑を浮かべる。

 しかし直ぐに真面目な顔に戻すと、向かい側の椅子に腰掛けた。


「妃の皆さん、初めまして。わたしは竜王陛下の側近であり軍事面の最高権力職である太尉という役職を与えられています、幸倪と言います」


 幸倪がそう自己紹介をすると、瑞英を除いた三人の妃も驚きをあらわにしていた。

 そんな様子を見つつ、幸倪は再度口を開く。


「今回わたしがこの場に来た理由は、陛下からのお言葉を、皆さんに正確に伝えるためです。よろしくお願いしますね」


 瑞英は幸倪の言葉を聞き、「なるほど」と思った。


(そっか。前回のときみたいに、曲解した話になったら困るから、一番信頼できる幸倪様にお願いしてくれたんだ。雅文様が)


 そう。前回仕事の説明をしに来た国良は、正規の情報をかなり歪めた形で瑞英をあおる言葉を言った。しかも故意的にだ。

 今回このような措置を取ったのは、そう言った認知のずれをなくすためだろう。ちゃんと考えてくれているんだな、と瑞英は不覚にも嬉しくなった。


 そんな前置きを付け加えつつ、幸倪はようやく本題に入る。


「今回皆さんをお呼び立てしたのは、竜族領における夏の一大行事『炎武祭えんぶさい』がおこなわれるからです」

「……炎武祭、ですか」


 瑞英はそうつぶやき、頷いた。

 竜族領の慣例行事を勉強した際に、その名を聞いたことがあったからだ。


(炎武祭は確か、武闘場で武官たちが戦う行事だったはず)


 そう。炎武祭は、武官たちがしのぎを削る行事だ。

 各部隊の中からひとり代表を決め、勝ち残り戦形式で戦い合う。最後に残った者が、竜王と戦う権利を得られるのだ。


 元はと言えば戦争中、一番気の緩みやすい夏の時期に、武官たちの士気を高めるために始めた行事だったらしい。ただこのときは、竜王と戦う権利といったものはなかった。うっかり勝ってしまったら、むしろ士気が下がるどころか内乱にまで発展しかねないからである。


 今では主に、獣族の性質上血が高ぶりやすい時期に、どれだけ精神的負荷を発散させるかというのを目的としておこなわれているようだ。武闘場にも観客席が設けられているあたり、見せ物としての側面のほうが強いのかもしれない。


 これも、多種多様の獣族が多く集まるようになったがゆえの産物だろう。


 全員の反応を見て「行事の内容を説明する必要はなさそうだな」と思ったのか、幸倪はその先のことを口にする。


「こう言った慣例行事は、礼部が主体となっておこなうものです。それと同時に、妃の方々が主催側に回る行事でもあります。妃の方々がおこなわなければいけない、一番大きな仕事と言っても過言ではないでしょう」

「つまりそれは、これからもこう言ったことは何度も起こると。そういうことですの?」

「ええ、そういうことになりますね」


 猫妃・夢花モンファからの言葉に、幸倪は頷きながら肯定する。

 瑞英はそれを聞き、ふむふむと頷いた。


(となると、礼部の方々とはこれから何度も、連携していくわけだ)


 つまり、今回の炎武祭は妃たちにとってかなり重要なものになると言うことだ。

 第一印象と言うのはかなり大事で、一番はじめに受ける印象が後々かなり影響すると言われている。


 幸倪はおそらく、それを忠告するために説明役を買って出てくれたというのもあるのだろう。雅文と幸倪の優しさに、瑞英は胸を弾ませた。ここまでお膳立てしてもらっているのだから、期待に応えないわけにはいかない。

 幸倪はそんな鼠姫を見て、くすりと微笑んだ。


「今回も二手に分かれていただきます。鼠妃様と兎妃様、猫妃様と狗妃様、という形です。前回と同じ形で悪いとは思いますが、各々の能力と今回の行事的にこれが一番良い組み合わせだと思い、このような形にさせていただきました」

「……構いませんわ。炎武祭ならば、ある意味当たり前の組み合わせですもの」


 夢花がそういうのを見て、瑞英は「あれ?」と首をかしげる。てっきり文句でもいうのかと思ったのだが。意外だ。

 そんなふうに考えている瑞英をよそに、夢花はさらに続ける。


「それにわたくしたちはまだ、前回の仕事が終わっておりませんもの。炎武祭ですから、武官たちとの交流もまだありますのでしょう?」

「ええ、そうですね。猫妃様と狗妃様には、礼部尚書と兵部尚書、兵部侍郎とともに武官たちのことに関してやっていただきたいのです。構いませんか?」

「構いませんわ」

「……陛下が仰られたことならば、従うまでだ」


 無口な佩芳も頷く。どうやら、丸くおさまったらしい。

 それに幸倪は笑みを浮かべた。どうやら、上手くことが運んでホッとしているようだ。

 すると今度は、瑞英と宇春に向かって説明を始める。


「鼠妃様と兎妃様には、礼部侍郎とともにむさ苦しい武闘場に花を添えていただきたいと思っています」

「……花、ですか?」

「はい。具体的に言うならば、開会式の際におこなう演舞の練習、会場の飾り付けをどのようにするのか、会食時に出す食べ物の選定などですね」


 瑞英と宇春は、顔を見合わせた。


(え、演舞? 開会式のときに演舞を踊るの? 嘘でしょうっ?)


 だが、残念なことに現実であるようだ。

 しかも視線からして「陛下も楽しみにしていらっしゃいますよ」と語りかけられているような気がする。


(勘弁してほしい……生まれてこの方、踊ったことなんてないよ!?)


 されど、そうは叫べないのが最弱姫のさがだ。むしろこの状況で「やれません、無理です」と言える者など、そういないだろう。

 宇春とて同じだ。

 ゆえにふたりは多大なる不安を抱えたまま、苦笑とも言えない笑みを浮かべる。


「分かりました」

「……誠心誠意、努めさせていただきます」


 こうして瑞英は、今まで経験したことがない新たな段階へと足を進めたのである。

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