番外編2 三妃は自領の物語を語らう
それは、鼠姫・瑞英と兎姫・宇春が後宮に戻り、しばしの暇を与えられていたときの話である。
三妃はいつも通り、後宮で茶会を開いていたのだ。
そのとき瑞英と宇春は、猫姫・夢花にせがまれどのようにして事件を解決したのかということを説明した。夢花自身も、自分が何をしていたのかを話す。つまり、報告会のようなものだった。
その際に話題となったのは、例の『竜王花奇譚』である。
夢花はその物語のあらすじを教えられた後、うっとりした表情を浮かべた。
「あらいやですわ。兎族も意外と、乙女ですのね。夢物語の中にそんな謎を組ませるだなんて」
「乙女というより……狡猾でずる賢いのだと思います。兎族の女たちに読まれるようにしたのも、わざとでしょうし」
「何を仰いますの、宇春様。だからこそ、ですわ」
夢花はそういうと、バサッと扇を開く。それをぱたぱたとはためかせながら、彼女はうふふ、と笑った。
「兎族の女たちの好みを把握した上で、物語の中に分かる者にしか分からない謎を忍び込ませ、一冊にまとめ上げるなど、並大抵のことではありませんわ。つまり翠王の妃……純様は、そうまでして竜族の方を救いたかったのです。きっと、いえ絶対に! 翠王様のことを愛していらしたのですわ!!」
「えーっと、それは……」
瑞英は唐突に話が飛び、ぽりぽりと頬を掻いた。
(なぜ最後、そっちに帰結したんだろう……)
恋愛脳すぎるのも考えものだと、瑞英は困った顔をする。しかし何と言っても怒られそうなので、黙ったまま茶をすすることにした。
本日の茶菓子は、生地を細くしそれをねじって形作ったものを油で揚げ砂糖をまぶしたもので、口に入れて歯で噛めばぽりぽりとした食感が楽しい。それと合わせて飲む青茶はまた格別だ。菓子と砂糖でべったりした口内を、さらっと流してくれる。
瑞英はほっと息を吐いた。翠綾州にいたときは、食べる機会がなかったのである。糖分が体に満ちていく気がした。
宇春も黙々と、茶菓子をつまんでいる。
止める者もいないため、夢花の話はさらに白熱していた。
「そう! 愛ですわ! 猫族の女たちの間でも、とても浪漫のある夢物語がありましたもの!」
「……猫族にもあるんですね」
「ええ、そうですの。わたくしそれを見て育ちましたから、昔は憧れておりましたわ」
夢花はそう前置き、猫族の領地に伝わる物語を話してくれた。
昔々あるところに、とても美しいお姫様がいたのだという。しかしお姫様はその美しさのせいで数多の男たちに言い寄られ、困ってしまった。
そのときに出した返答は「この中で一番腕の立つ方と結婚します」というものだったという。
結果、武闘会を開き勝敗を決めることになったのだ。
形式は勝ち抜き戦である。
そこから百人以上いた候補者は半分に減り、半分がまた半分に減り……という経緯を経て、最終的にふたりに減った。
いざ、最終決戦である。
残ったのは、虎と呼ばれる猫族と、獅子と呼ばれる猫族だったらしい。
ふたりは血みどろになりながらも戦い――そして結果、獅子のほうが勝利した。
姫を娶った獅子は王となり、仲睦まじく暮らしましたとさ。
そんな話を聞き、瑞英はなんとも言えない笑みを浮かべた。
「さすが猫族……戦いで伴侶を奪い合うんですね」
「ほんと、すごいです……兎族ではあり得ない思考です……」
「……なんですの。なんだか馬鹿にされているような感じがするのですけど」
「あはは」
瑞英は笑ってごまかした。
いや、別に馬鹿にしているわけではないのだが、価値観が違うなとそう思ったからである。強い者と結婚し子を成したいという考えは、本能的に刷り込まれているなのだから。
瑞英がなんとも言い難い気持ちになったのは、それを恍惚とした瞳で語る夢花に対してである。
(さすが夢花……竜宮でも暴れていただけある)
先ほど聞いた話を思い出し、瑞英は遠い目をした。兵部宮で初日からどんぱちやったと聞いたときは、昔と何も変わらないなと思ったものだ。
そう。夢花は昔からそうだった。鼠族領に遊びにきても、外で駆け回り遊びたいと思っているような、そんなお転婆姫だったのである。
ただ瑞英が外に出てはいけないことを母親である葉青から教えられてからは、瑞英とともに本を読むようになったが。
他の者もいたのにどうしてそんなことをしたのか、当時はよく分かっていなかった。ただあれはおそらく、夢花なりの気遣いだったのであろう。今ならそう思えた。
瑞英は懐かしくなり、ふっと表情を緩める。
同時に自身が母の口からよく聞いていた話を思い出し、あ、と声をあげた。
「そういえば、鼠族領にもありました。ネズミを主人公にした、おとぎ話のようなお話」
「あら。ありましたのね!」
「はい。ただ別に、皆に知られていたわけではないんですけど」
そう言うと、宇春は不思議そうな顔をする。
「皆に知られていたわけではないのに、瑞英様はどこでそれを知ったのですか?」
「母が教えてくれました。というより、小さい頃は寝る前に必ずそれを語っていたので……いやでも覚えますよね」
他にも幼児用の物語はたくさんあったであろうし、瑞英も読んだことがある。流行のものなら、必ずと言っていいほど伝わってくるのだ。なんせ、家族が多いのだから。
記憶力が良くない者でも、あんなに話されれば嫌でも覚えるはずだ。瑞英は一度聞いただけでも覚えられるのに、それを刷り込まれるかのごとく語られたから尚更。
しかし思い出すと不思議と懐かしくなるから、記憶とは面白いものである。
ふたりの期待に満ち溢れた視線に触発され、瑞英はそれをゆっくりと語り始めた。
その物語は、『トカゲの恩返し』と呼ばれていた。
昔々あるところに、鼠族の娘がいたそうだ。別段目立ったところはないが、緑色の瞳が特徴的な娘である。
彼女の家は貧しく、食べるものにさえ困る始末。それゆえに彼女はいつも、森へ行き食べ物を探していたのだという。
その日も腹を空かせながら森を彷徨っていたとき、彼女は大きなトカゲに出会う。娘を丸呑みしてしまいそうなほどの大きさをしたトカゲだ。
トカゲは怪我をしており、今にも死にそうだった。
それを見た娘はトカゲの手当てをし、なけなしの食料を分け与え、何日もかけて通い看病した。娘の努力の甲斐あり、トカゲはすっかり元気になる。
するとそのトカゲは言ったのだ。
『このご恩、必ずやお返しします』
と。
その次の日娘がトカゲのもとへ行くと、トカゲはどこかへ行ってしまった後だった。
愛着が湧いていた娘は悲しくなったが、同時に元気になってくれて良かったと心の底から思う。
そして娘がまたいつも通り、貧しいながらも家族との生活を送ることになる。しかしそんなある日のこと、家の前に様々な食材が置かれるようになったのだ。
それは野菜や肉、小麦と言った食材で。はじめのうちは不審がっていた家族も、だんだん何がくるのか楽しみになってきた。
そんな日々が半年ほど続き、家族はすっかり元気になった。元気になれば仕事もできるようになり、彼らは持ち前の賢さを生かし豊かな生活を送れるようになる。その間にも贈り物は欠かすことなく贈られ、彼らはそれをありがたく受け取っていた。
しかしある日を境に、それがぱったり来なくなったのである。
最後に置かれていたのは、娘が抱えられるほど大きな卵と。小さな小さな翡翠の首飾りだった。
母親に真似た口調でそう締めくくると、宇春と夢花は目をまたたかせていた。
その反応を見て、瑞英は苦笑いする。
(反応に困るよね)
別に、恋物語でもなんでもないし、むしろ気持ち悪いとさえ言われてしまいそうな内容だ。しかし物心つく頃から聞かされてきたそれが、瑞英は意外と好きだったのである。
すると宇春は、ぽつりと呟いた。
「そのトカゲさん……まるで、竜族の方が与えてくださる加護のようですね」
「……加護?」
「はい。わたしは何度もそのお恵みに触れる機会がありましたが、本当にそのような感じでした。いつの間にか置いてあるような、そんなものなのです」
「あー……そういえば確かに、そんな感じもしますね」
どうやら、宇春が注目していたのは別のところだったようだ。気持ち悪がられなかったことに少しばかり驚きつつも、瑞英はホッと胸を撫で下ろした。
その一方で夢花は、ぷるぷると体を震わせる。
そして勢い良く拳を握り締めた。
「トカゲさん、健気過ぎますわ……! しかも最後の最後に贈ったものが、翡翠の首飾りと卵だなんて! 翡翠の髪飾りが、鼠族の娘の瞳を模した贈り物なのは分かりましたけど、卵ってなんですの! もしやトカゲさんの生んだお子さん!?」
「……え。この話を聞いただけで、そこまで考えてくれたんですか」
「もちろんですわ! どんな物語にも、それを作った作者の思いが詰まっているもの。そういう裏の裏まで考えて読み込むのが楽しいのですわ」
「わー……わたしそういうふうな読み方、したことなかったです」
「いやですわ瑞英様。もったいない」
そう言われ、瑞英は肩をすくめた。物語を読むよりも歴史書や資料などを読む機会のほうが、断然多かったのである。それゆえの読み方だろう。
しかし宇春と夢花の話を聞き、瑞英はふむふむとひとり納得する。
(そっか……この物語にも、宇春様が貸してくださった『竜王花奇譚』のような背景があるのかもしれないのか……)
思ってもみなかった。
ただ、それを紐解いていくのも悪くないと。そう思う。今回の件でよく分かったが、瑞英は謎解きが好きだ。隠されている部分を探して当てはめるという作業が、意外と性に合っていたようだ。
(もしかしなくてもお母様は、わたしにこの話の裏側を悟って欲しくて、読み聞かせていたのかもなあ)
まあ残念なことに、当時の瑞英が求めたのは知識だけだったのだが。
そのことに恥じつつも、瑞英は夢花のかしましい語りを聞きながら菓子を頬張る。
(あー幸せだな……)
こうやって語らいながら美味しいものを食べられるのは、本当に幸福なことなのだと改めて気づかされた。特に今のような竜族領では、大変貴重な時間である。
楽しい日々が長く続けばいいと、そう思いながら。
瑞英は茶をすすった。




