26.報告
兎耳の医官は、いつも通りの笑みを浮かべている。その一方で、翡翠色の武官は困ったように眉を八の字にしていた。
馴染み深い顔のふたりが卓の前まで歩いてくるのを見つめつつ、雅文は口を開く。
「此度はご苦労だった。……国良。約束を違えることはなかったな」
「労いの言葉、ありがとうございます。陛下。もちろんですよ」
「永福も、護衛ご苦労であった」
「もったいのうお言葉、ありがとうございます」
そんな常套句から会話が始まったが、本題はそこではない。雅文はそう思っていたが、どうやらそれは向こうも同じであったらしい。
静々と頭を垂れると、国良が口を開いた。
「此度の件が粗方まとまりましたので、報告に参りました」
「何か収穫はあったか?」
「はい」
国良は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「あの村に、何か別の存在がいました。おそらくですが、病の蔓延状態を確認するために、あそこにいたのではないでしょうか」
「それが何かは分かったか?」
「いえ。一定距離を保っていましたので、なんとも言い難いですね。ただ今回の件と間者の件。敵は、一致している可能性が高いです」
「……その間者が、病を撒き散らした、と?」
国良は肩をすくめた。
「ここからは推測になりますが。病の元となる薬物を撒き散らしたのは、鳥族かと思います。再拐の役を起こすと同時に、次の伏線を張っておいたのでしょう」
「根拠は」
「あの病が蔓延し始めた時期と、鳥族が来た時期が一致しているからです」
「……向こうの方が上手ということか」
「はい。今のところは」
自信たっぷりに頷く国良に、雅文は片眉を吊り上げた。そして「ほう」とつぶやく。
「今のところは、ということは、何か考えがあるのだな? 国良」
「応。間者をあぶり出し、ついでに過激派も沈静化させることのできる案があります」
大見得を切ったものだと、雅文は思った。しかしその瞳に嘘や恐れなどは感じられない。本当にやるという闘志が、メラメラとたぎっていた。
こういう目をした国良は、言ったことは必ず守る。長年の経験からそれを悟った雅文は、ため息を吐きつつも頷いた。
「そこまで言うのであれば、そなたを信じようではないか。して、その案はなんだ」
「それはまた後日お伝えします」
「……そなたにしては珍しく遅いな?」
雅文は首をかしげた。
国良はその性格上、確かなことしか言わない。そのため後日伝えるということは、確証がないゆえに持ち越したいということに他ならない。しかしこうして報告してきている段階で、そんなことを言うのはとても珍しかった。
すると国良は笑みを深める。
「時間さえあれば、確証を得ることができるのです。お待ちいただけませんか?」
「……そこまで言うのであれば、待とう。ただし、早急に報告を寄越せ。良いな?」
「仰せのままに」
国良が頭を下げてから一歩下がると、今度は永福が口を開いた。
「そして、肝心の間者なのですが。獣族の中でも、特殊な力を持つ者が関与している可能性が高いです」
「……それはまた面倒臭いな」
獣族の中には、特殊な力を持つ者がいる。
竜族のように竜化できる力も、その中に含まれていた。他に有名どころを挙げるのだとすれば、嘘を見抜く目を持ち、嘘つきを石化させる力を持つ蛇族。そして、神通力を繰る狐族である。
そういう者たちは、力を使う際に残滓のようなものが残るのだ。強ければ強いほど、それは強く現れる。竜族が竜化した際、周囲に粒子が現れるのはそのためだ。
雅文はしばし考えた。そして目を細める。
「その者は、狐族のような者か?」
「近いですが、少し違うかと。あの獣族ほどの力はないようです。少なくとも、力の残滓は弱いです」
「左様か」
雅文は目をつむった。
どちらにしても、力の残滓があるということは由々しき問題だ。力を持つ者がいるということは、その獣族の中でもかなり権力のある場合が多い。竜族がその最もたる獣族であろう。
権力者が関わっているのだとすれば、事態はさらに悪化する。
雅文はふたりを見据えた。
「力を持つ者ということは、一族の中でも権力を持つ者が関わっている可能性が高い。慎重にことを運んでくれ」
『御意に』
「わたしは、そなたらを信じている。早急に解決させてくれ。しかし普段の職務のほうを疎かにするなよ?」
「それはもちろん」
「心得ておりますよ、陛下」
国良と永福は、間髪入れずに頷いた。雅文はそれを聞き、安堵する。このふたりがいれば、幾分心境が楽になるのだ。問題は山積みだが、ひとつひとつ崩していかなければ逆に危うくなる。今は根気良く待つときだ、と雅文は自分に言い聞かせた。
「報告ご苦労であった。今日はもう下がっていい」
「はい。陛下もお休みに?」
「ああ。そなたたちを待っていただけなのでな」
「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
永福が頭を低くして謝るのを、雅文は首を横に振って受け止める。彼はいささか、雅文に対して他人行儀なところがあった。他人行儀というか、萎縮しているというか。
それを気にしつつも、雅文はふたりが外に出るのを見送る。
そして自身も立ち上がり、灯りを消してから部屋を出た。廊下は真っ暗である。時間も時間だ。仕方ない。
これからどうしようかと考えながらも、雅文は後宮に続く廊下を進んだ。
***
雅文と別れ。
国良は、永福とともに廊下を歩いていた。
靴音が妙に響き、生ぬるい風が通り抜けていく。夏の風だと、国良は思っていた。
そしてちらりと、隣りを歩く竜族を見上げる。
彼は国良の視線に気づくと、にっこりと微笑んだ。
「何か用ですか? 国良」
国良はそれを見て、なぜだか舌打ちをしたくなった。
そんな感情などおくびも出さず、国良は口角を持ち上げる。
「いえ。今回も僕にばかり説明をさせるな、と。そう思いまして」
「君に話してもらったほうが楽なのですよ。わたしよりも話すのは上手いですし、たくさんのことを考えている。違いますか?」
「はいはい、そうですとも」
国良は雑な返事をした。なんだか小賢しいと言われたような気がしたのである。
しかし永福は、これでも一応上官だ。面倒臭い話だと内心思う。
報告はすべて紙に書きなぐり、渡しておけばいいだろう。そう考えながら、国良は肌に張り付くようなぬるい風を浴びていた。
すると永福は、肩をすくめる。
「鼠妃様の件はどうなのです? あれだけ期待していましたが」
「彼女ですか? 何をおっしゃるのです。素晴らしい結果を残してくれたではありませんか。実に優秀だと思いますよ。これからも、もっともっと経験を積み、陛下の役に立ってもらわなくては」
「……なんでもいいですが、ほどほどにしておいてくださいね。彼女は陛下の番です。陛下を怒らせても、良いことはないのですよ」
「分かっていますよ〜。だから、間者をあぶり出す件で、彼女に手伝ってもらう計画を取りやめたのではありませんか。陛下に言えなかったのはそのためですし」
「……いつか首を飛ばされそうですね」
永福の言葉に、国良は笑った。雅文に首を飛ばされるならば本望だと。そう思ったのである。
そんなことよりも厄介なのは、永福だと国良は思っていた。
まぁ厄介じゃなければ、僕の上官なんてやれないでしょうけど。
人畜無害な顔をしているが、相当な食わせ者だ。国良のいる部署に優秀な者が集まるのも、この男の力である。
しかも、本人はさして仕事をしていない。かといって仕事ができないわけではなく、やるときはきっちりやるのだ。腹立たしい話である。
国良はやさぐれた。この世で一番嫌いな、父親と同じような匂いがしたからである。
「僕のことよりも気にしなくてはならないのは、間者の件ではないんですか? 僕らが一任されているわけですし」
「そうですね。早々に見つけなければ、敵の思う壺ですし。そのための用意などはすべて、国良に任せても良いですか?」
「……分かりました。やりましょう」
不貞腐れている国良に気づいたのであろう。永福はくすくすと笑った。翡翠色の髪が緩くなびいている。
「面倒なことはすべてわたしがやりますから。あとは好きにやってください。上官として許しましょう」
「それはありがたい話ですね。僕、どうにも官吏とそりが合わなくて」
「その口の悪さが災いしているのだと思いますよ」
「それは治りそうにありませんねえ」
「まああなたは、それで良いのだと思いますよ。だからこそ、陛下から頼りにされているわけですし」
羨ましいですね、という永福に、国良は首をかしげた。十分信頼されているのに、どういう意味だろうかと思ったのだ。
すると永福は言う。
「わたしは別に、あの方にとって必要な存在ではありませんので」
あの方のために働き、そしてあの方に悟られることなくひっそり死ぬ。それが理想の生き方なのですよ――
そう言い笑う永福の恍惚とした目を見て、国良は理解する。
この男はどこまでも、僕と同じなんですねぇ。
永福だけではない。永福が集めた人種すべてが、そういう生き物たちなのだ。
心の底から、あの強く美しい存在を尊敬し、崇高し、心の拠り所としている。心酔。その言葉が一番相応しいであろう。
それが、御史台なのだから。
強者に溺れる集団の一員に属している自覚を持ちながら、国良は口癖となってきた言葉をつぶやく。
「すべては我らの、陛下のために」
「ええ。すべては我らの陛下のために」
いらないものはすべて、根絶やしにしてしまいましょう。
笑顔でそんなことを言ってのけた永福の瞳は、妖しく輝いていた。
狂気じみた笑みを浮かべながら。
ふたりの官吏は、夜の闇に吸い込まれていった。
これにて、第二部本編は終了です。番外編を数話挟み、第三部に移ります。
番外編更新中に、指摘されていた箇所や修正箇所を直させていただきます。読者様にはさして影響はないかと思いますが、更新が遅れるという点はご理解いただけると幸いです。




