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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第二部 兎は月に花を隠す
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25.変化

 謎の病の後始末が、粗方終わった頃。

 雅文ヤーウェンは、執務室にいた。その傍らにはやはり、幸倪シンニーがいる。彼はせっせと、処理の終わった書類を片付けていた。


 空はすっかり暗くなり、藍墨のような色に染まっている。その上に星屑がいっぱいに広がり、梅雨の明けた竜族領を見下ろしている。


 仕事がひと段落終わったところで、雅文は外を見た。

 視力が良く夜目の効く彼には、外の景色が暗がりであろうとよく見えている。その瞳には、すっかり色濃くなった葉に注がれていた。


「初夏ももう終わるな」


 そうつぶやけば、下を向いて作業をしていた幸倪が顔を上げる。そしてああ、と頷いた。


「そうですね。梅雨も明けましたし。これから暑くなるのではないでしょうか?」

「そうか……」


 その言葉を聞き、雅文はひとり思案した。

 昔の彼ならば、そのようなこと歯牙にもかけなかった。しかし今それを意識しているのには、わけがある。


 瑞英ルェイインは、大丈夫だろうか。


 そう。自身が愛する鼠姫のことを考えていたのだ。

 彼女は以前、なんの対策もとらず外に出て肌を赤くしていた。それはひとえに、肌が弱いからである。聞けば、鼠族領は地下にあるため、一定の気温を保っているらしい。そのため一年中涼しいのだと、そう言っていた。


 そんな彼女に、竜族の夏が耐えられるのか。

 おそらく、無理であろう。竜族の夏はとても暑い。精霊たちと力により過ごしやすくなっているし、それと同時に毎回なんらかの対策を取っているが、それでも官吏の中で倒れる者がいるのである。

 そんな環境で、鼠姫が耐えきれるはずがない。

 それはすなわち、後宮に住まう妃たちも同様だということだ。


「幸倪。妃が後宮にいる際の、夏場の対策をまとめた書類はあるか? 暑さが本格化する前にまとめて、対策を取らせておきたいのだが」

「資料ですか。分かりました。朝までに用意します」

「よろしく頼む」


 そんな会話を終えた後、外に向けていた顔を戻せば、そこにはなんとも言えない顔をした幸倪がいた。

 嬉しそうな、それと同時に愉快そうな。そんな顔である。

 なぜそのような顔をされるのか分からない雅文は、真顔のまま固まった。


「……その気持ちが悪い笑みはやめろ、幸倪。言いたいことがあるのならば言うと良い」

「これはこれは失礼しました。そんなに気持ちの悪い顔になっていましたか。ついつい」

「どういうことだ……」

「いえ。ただ単に、嬉しかったのですよ。あなた様の口から、後宮に関する話題が出るとは思ってもみなかったので」


 そう言われ、雅文は眉をひそめた。そして口を半ばまで開き、「どういう意味だ」と言おうとする。しかしその間に、彼はある考えに辿り着いた。思考が止まる。


 つまり幸倪は、瑞英について考えていた雅文を、嬉しく思ったらしい。

 普段から他者のことばかり気にかける雅文だが、今回は「自分の伴侶に対する配慮」であった。幸倪的には、その変化を好ましく思ったのだ。

 雅文は胡乱げな眼差しを向ける。


「大きなお世話だ。わたしと瑞英は、上手くやっている」

「はい、知っていますよ。ただ他の妃方も、しっかりと視野に入れてください。でないと、その不満が瑞英様に向きかねませんので」

「それくらい分かっている」


 雅文は、口をへの字に曲げた。口うるさい側近である。彼がそのようなことを望まないからこそ、そんなことを言うのであろう。されど同時に、その言葉にハッとさせられる面があったのも事実であった。


 そうか。わたしの行動で、瑞英に危害が及ぶ面もあるのか。


 それは何度も体験してきたことだ。そのどれもが外的要因からの危害であったが、仲間内からのことも考えなければならないらしい。

 ままならないものだ、と雅文ははじめて不満を抱いた。彼自身も気づかないうちに、それは顔に出る。むすぅ、と子どものような表情を浮かべる主君に、幸倪は唇を引き結び肩を震わせていた。


 そんなときだ。扉が叩かれたのは。

 幸倪はひとつ咳払いをし、心を落ち着かせる。そして口を開いた。


「誰でしょうか」

美雨メイユイです。少し話をしてもよろしいでしょうか?』


 幸倪は、雅文を見つめた。それに対し雅文は、頷きを返す。それがすべてだ。

 幸倪は、自身の妻であり瑞英の侍女である竜族を、部屋に招き入れた。


 美雨は簡潔に挨拶を済ませると、雅文に向かって口を開く。


「夜分にもかかわらず、申し訳ございません。しかし、瑞英様のことで、言っておかなければならないと思いまして」

「ほう。瑞英がどうかしたのか?」

「その……」


 美雨は珍しく、まごついた。はきはきと報告をしてくる彼女にしては珍しい態度である。そのことから、雅文は彼女自身も戸惑っていることを感じ取った。


 瑞英の身に、何か起きている。ただそれは急を要するものではない。一連の流れからそれを悟った雅文は、首をかしげた。


「何か気になることでもあったのか?」

「はい。しかしわたくしとしましても、どうしたら良いのかと思いまして……陛下に、このような不明瞭なことを言っても良いのかと。そう思い心もあるのです」

「言うてみよ。わたしは別に怒らぬ」

「はい……」


 美雨はしばし逡巡した後、ようやく言葉を紡いだ。


「病の際に、瑞英様と共に森に入った、ということはご報告差し上げたかと思います。その際、瑞英様の目に精霊の姿が映ったようなのです」

「……何? どういう意味だ、それは」


 雅文の怪訝な声に、美雨は困った顔をした。そして「これはあくまで推測ですが」と前置く。


「雅文様は以前、瑞英様に逆鱗を飲ませました。それが影響しているのではないかと思うのです」

「……その可能性は、考えねばなりませんね」


 幸倪は感慨深そうに頷いた。

 なんせ、逆鱗を飲ませるということは早々ないのである。同族同士ですら滅多にないのだから、前例がない。それは、他種族の獣族に飲ませたことがないということにも繋がる。ゆえに、何が起こるのか皆目見当がつかないのだ。


 雅文は手を組み、目を細める。


 瑞英の身に、変化が起きている。

 その変化が良いものだけならば、まだいいのだろう。しかしそればかりとは限らない。物事には必ず、長所と短所があるのだから。


 雅文はそっと、うなじに触れた。なくなってしまった感触を確かめつつ、拳を握り締め腕を下ろす。

 そして、美雨を見つめた。


「引き続き、瑞英の身の変化を注視してくれ。何かあれば必ず、わたしに報告するように」

「承りました、雅文様」

「それと……」


 そこまで口に出し、雅文はきつく目をつむった。詰めていた息を吐き、心を無理矢理落ち着かせる。


「何かあったときは、わたしが瑞英に説明をする。いいな?」


 決意した声に、美雨はハッと息を呑んだ。雅文が、瑞英に嫌われることを覚悟していることに気づいたのだ。その言葉に、美雨が取れる行動はひとつだ。


「かしこまりました」


 主君の言葉を、ただ受け止めるだけ。

 雅文はそれに、安堵する。


「瑞英の違いを見、そしてよく知らせてくれた。前例がないだけに、何が起こるか分からないことだったからな。おかげで、わたしも覚悟ができる」

「もったいのうお言葉にございます」


 萎縮した様子で一礼する美雨に、雅文は苦笑した。そして美雨と幸倪に視線を向ける。


「その褒美だ。今日はふたりとも、下がっていいぞ」

「……え」


 瞬間、ふたりが顔を見合わせた。そして、雅文の言いたいことを理解する。

 美雨は、頬をじわりと赤らめた。


「ヤ、雅文様! 別にわたくしたちは……!」

「なんだ、美雨。そなたたちは番なのだから、ふたりで過ごす時間があったほうがいいのではないか?」

「そ、それは確かにそうですが……」

「褒美なのだから、素直に受け取れ。美雨。……それに、幸倪はその気みたいだぞ?」

「え!?」


 そう。慌てた様子の美雨とは打って変わり、幸倪は乗り気だった。その証拠に、彼は晴れやかな笑顔を浮かべている。


「美雨。せっかくですから、雅文様のお言葉に甘えましょう」

「なっ!?」

「それとも、美雨は雅文様のお気遣いを無下むげにするのですか?」


 意地の悪い顔でそう言われ、美雨は押し黙った。珍しく負けている。その様が新鮮で、雅文は自身の幼馴染をしげしげと眺めた。

 主君であり夫である、幼馴染ふたりからの視線に、美雨はため息を吐き出した。そして深々と頭を下げる。


「お気遣い、痛み入ります」

「そうか。ならば良かった」

「雅文様はいかがなされますか?」


 幸倪から問われ、雅文は数度瞬いた。そして頬杖をつく。


「しばし残る。やることがあるのでな」


 それだけで、幸倪はすべてを理解したらしい。ならばなおさら早く立ち去らねばならない、とでもいうかのように、美雨を急かした。

 よくできた側近だと、雅文は内心笑う。

 一方の美雨は、顔をしかめながらも、礼を取った。


「それでは雅文様。失礼いたします」

「ああ。ご苦労であった」


 扉がぱたりと閉まると、部屋が一気に静かになる。

 その静寂に身を委ねながら、雅文は卓の上に置いてある灯りを見つめた。


 ゆらゆら、ゆらゆら。


 たゆたうように揺れる火をじっと眺めてみる。それはいわば暇つぶしだ。新たな来客が来るまでの、暇つぶし。

 そうやって眺めていると、瑞英のことを思い出すから不思議だ。


 此度の件で、瑞英は本当に成長した。見違えるほど凛々しくなった。

 あの場で自らの主張を押した彼女は、守られるだけの存在ではなかった。それが頼もしくあり、愛おしくなる。知れば知るほど、貪欲になっていくのを感じていた。


 それから、ろうそくが半分ほど溶けた頃だろうか。こんこんこん、と扉が叩かれる。

 雅文は視線を持ち上げ、扉を見据えた。誰が来たかということは、姿を見なくとも理解できる。


「入れ」


 ただ一言。そう言えば、扉がぎぃ、という音を立てて開かれる。

 入ってきたのは、ふたりの官吏。


 医官である国良グオリャンと、武官である永福ヨンフーであった。

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