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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第二部 兎は月に花を隠す
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24.嫉妬

 報告から数日経ったある日。

 瑞英ルェイインは久方ぶりに、雅文ヤーウェンとの時間を自室で過ごしていた。


 そんな状態だからか、侍女たちは皆別室にて待機している。

 瑞英は、長椅子カウチにちょこんと腰掛けていた。書庫で借りた本を読みつつ、前方にいる雅文を盗み見る。

 彼は以前と同様に、卓に書類を並べて執務に勤しんでいた。


 それを見た瑞英は、懐かしさに駆られる。


(そういえば、ここに来た当初もこんな感じで日々を過ごしていたっけ……)


 あのときの瑞英にとって、雅文と過ごすこの時間はどこか落ち着かないものだった。自分のような者が隣りにいて良いのかと、常々考えたものである。

 しかし今となっては、ふたりでそれぞれのやるべきことをしつつ過ごす時間が、とても穏やかに感じた。


(まぁあの頃は、こんなことになるなんて予想してなかったしな)


 まさか竜王の妃になって。性悪医官と対峙し。そこで、二代前の妃である純が残した調合法の謎を解くなど、誰が想像しただろうか。

 瑞英自身ですら、そんなことになるなど思ってもみなかった。


 そしてこの出来事はどれも、鼠族領に居続けたら体験することがなかったものだ。以前よりも確実に成長したと言えよう。


 ぺらりぺらりとページをめくりつつ、瑞英はそう感じた。竜族領にいると命の危機に瀕することが多いが、それと同様に新しい出来事に遭遇する。それが楽しくて嬉しくて。瑞英はより強くここにいたいと思うようになっていた。


 そしてそう思うようになった要因のひとつに、目の前に佇む彼の存在もあった。

 瑞英は、心地良い時間に身を委ねながらもどうしたものかと首をひねる。


(何か話さないといけないとは思うものの……あんまりにも穏やかだから、ついつい無言になってしまう)


 ここに来てから雅文にかけられた言葉は「長旅ご苦労であった。体の具合はどうだ?」というただそれだけである。それ以外の情報を教えてもらうことはなかった。

 瑞英としては、薬を記録に残すのか残さないのか気になるところだが、そこまで踏み込んでいいものなのかとも思ってしまう。そのため気軽に聞けなかった。


 それと同時に、この穏やかな空間を壊したくないという思いもある。なんせ少し前まで瑞英は、翠綾州すいりょうしゅうにいたのだ。あそこでの生活はとても殺伐としていて、楽しさとは程遠かった。病に侵された者がいたのだから、仕方ないと言えば仕方ない。瑞英は仕事であそこに来ていたのだ。


 されどそのときの反動なのか。今回のような時間が、ひどく嬉しく感じた。思わず、ちらちらと雅文を見てしまう。

 そんなときだ。雅文とばっちり目が合ってしまった。


「あ……」

「どうした? 瑞英」

「あ、いや、そ、の……」


 瑞英は柔らかく笑う雅文に耐え切れず、顔を背けてしまった。


(言えない、言えるわけがない……この時間がとても嬉しいなんてそんな恥ずかしいこと……!)


 その気持ちを表すかのように、顔が赤く染まっていく。

 全身から熱が発するのを感じながら、瑞英はどう言い訳をしようかと頭を回していた。

 そんな瑞英を見て、雅文は思い出したというていを取る。そして嬉しそうに唇を緩めた。


「そうだ瑞英。忘れていた。そなたが頭を下げてまで願い出てくれた病の件だが。あれは、記録に残すことにした」

「……え? ほ、本当ですか!? え、でも、竜族の方々は皆誉れ高いのに、どうして……」

「何を言うのだ、瑞英。そなたの手柄だというのに」


 くすくすとおかしそうに笑うと雅文に、瑞英はぽかーんとした。わけが分からない。瑞英が頭を下げたからだとでも言うのだろうか。


(いやでも、頭を下げたくらいで認めるものなの?)


 頭を下げた相手は、弱小種族と言われ続けた鼠族の姫である。大したことにならないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

 雅文はひとしきり笑うと、瑞英に説明してくれた。


「彼らも馬鹿ではない。今回の件で、隠すことだけが守ることではないと頭では分かっていたのだ。しかしやはり、固定観念というものは根強い。ゆえに国良グオリャンの強行的なやり方では、余計に反発を生んでしまったのだ」

「あの言い方は、わたしでも反発したくなります。ある意味当然だったかと」

「そうだな。しかし国良は自身が恨まれてもなお、今回の件を記録に残そうとしたらしい。他人を信じないあやつらしいやり方だ」


 その口調に親しみというものを覚え、瑞英は雅文の表情をうかがう。

 彼の顔は、その声音に違わず穏やかであった。

 それを見た瞬間、瑞英の胸の内側にもやっとしたものが広がる。

 その感情は、嫉妬であった。


(雅文様にそんな表情させるなんて……ずるい)


 雅文の表情は、旧知の仲である者に対する信用をにじませていた。それは、瑞英にはないものだ。まだ会ってから数ヶ月しか経っていないのだから当然なのだが、なぜかむかついたのである。

 あの憎らしい兎医官の笑顔を思い浮かべると、なおさら腹が立ってくるから不思議だ。


 それに蓋をし、瑞英は極力無表情をつとめた。

 されど雅文は、その機敏を見破ったらしい。書物を長椅子カウチの上に置くと、彼女の側へと歩み寄ってきた。

 そして、何ひとつ躊躇うことなく床に膝をつく。

 さすがに、瑞英のほうが驚いてしまった。


「雅文様!?」

「どうしたのだ、瑞英。機嫌が悪くなったが」

「いや、わたしの機嫌などよりも、体勢! 体勢を元に戻してください!」


 瑞英が必死になって懇願したが、雅文は「何がいけないのだ」と言わんばかりの態度でいた。

 一貫した対応に、彼女は頭を抱える。


「雅文様は竜王なのですから、妃の前であれど膝をつくなど……いけません」

「誰もいないのだからよかろう」

「良くないから言っているんですっ!」


 口うるさく言ったが、聞く耳を持たず。

 むしろ何を思ったのか、瑞英の手を掴んできた。

 唐突すぎるあまり、ビクッと肩が震える。

 雅文が、瑞英の右手を両方の手で優しく包んだ。


「わたしの言った言葉で、そなたの機嫌が悪くなった。何かいけないことを言ったのであれば、教えてはくれまいか?」

「それ、は」


 自分よりも、ふた回り以上大きなてのひらに包まれている。少しひんやりした温度に動揺しつつも、瑞英は唇を噛んだ。


(大したことじゃないから、気にしなくて良いのに)


 くだらない嫉妬だ。信頼されていて羨ましいと、そう思ってしまったのだ。そんなことで競争などするつもりはないが、なぜか負けたと思ってしまった。それが、不機嫌の理由である。

 しかしそれをいざ言うとなると、言葉が出てこなかった。


(なんで雅文様は、こんなにもわたしのことを気にかけてくれるんだろう)


 注がれる視線を受け止め、瑞英は俯く。

 そして喉の奥から、声を絞り出した。


「……国良殿に……雅文様が信頼を置いていることに、嫉妬した。それだけ、です」


 言ってから、後悔した。なんていうことを言ったのだろうと、頭を抱えたくなる。それだけだと口では言っているものの、かなり気にしている自分がいることにも苛立ちを覚える。


 されど待っていたのは、力いっぱいの抱擁ほうようだった。


 突然の出来事に頭が追いつかない瑞英だったが、自分がどのような体勢になっているのかを理解し始めるとぷるぷると震え出す。

 そんな瑞英の髪を梳きながら、雅文は耳元で囁く。

 とても、嬉しそうな声音だった。


「そうか、そうか。瑞英は国良に嫉妬したのか」

「うう……確認しないでください……!」

「確認したくもなる。そうか。わたしが信頼を置いていることが、嫉ましくなってしまったのか。そなたは可愛いな」

「かわ!?」


 一体どこから、可愛いなどという言葉が出てくるのだろう。

 瑞英は動揺する。

 しかし何をしても嬉しいらしい雅文は、普段よりも数倍楽しげだった。


「わたしはこんなにも瑞英のことを愛しているのに妬くなど、可愛い以外の何物でもなかろう? 心配せずとも、国良に対する感情と瑞英に対する感情はまったく違う」

「わたしはそういうのではなく、こう、年月を重ねた信頼関係というものが、羨ましくなったのです……!」

「……ほう。それはつまり、これからもずっとそばにいたいと。そういう意味か?」


 そこまで言い切って、ようやく気づいた。


(何言ってんだわたし! 雅文様の言うとおり、ずっとそばにいたいって言ってるようなものじゃないか……!)


 先ほどから墓穴しか掘っていない。阿呆にもほどがある。

 瑞英はごまかすために、大声で叫んだ。


「とにかく!! 今回の件は別に、わたしの手柄じゃありません! みんながいてくれなかったら、解決していなかった問題です!! 憎らしいですが、調合をしたのは国良殿ですしね!」

「くくく。そうだな。そなたの謙虚さは、なんとも言えず愛らしいなあ」

「どこをどう見たらそうなるんですか! というか良い加減離してください! ずっとこの体勢は恥ずかしいんです!」

「嫌だ」

「嫌だじゃありません!!」


 ぎゃあぎゃあと叫びながらも、瑞英は久方ぶりにおこなうやり取りにほっと胸を撫で下ろしていた。


(この時間が、少しでも長く続くために。わたしは、わたしにできることをしたい)


 雅文と過ごす時間。また、宇春ユーチェン夢花モンファたちと過ごす時間。そして、侍女たちと過ごす時間。そのどれらも、瑞英にとっては大切だった。


(この平穏な日常が続くなら、何をしたって良い)


 心の底からそう思う。

 自身の大事なものを再確認しつつ、瑞英は雅文の過剰な触れ合いから逃れようと顔を真っ赤に染めていた。


 そんな平穏な、昼下がり。

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