22.討論
竜宮までの道のりでも、特に苦難はなく。
瑞英たちは無事に竜宮へと帰ってきた。
竜宮の建物は青みががっており、相変わらず美しい。
留守にしてからさほど時間が経っていないはずなのに、何故だかとても懐かしく感じた。
色味からだろうか。雅文のことを思い出す。
離れている期間が長かったせいか、会いたいという気持ちが強くなっていた。
(雅文様、無理してないかな……)
雅文は、自分のことに頓着しないひとだ。ゆえに余計心配になる。
正直なところ、ひと休みしたいし雅文とも話をしたいところなのだが、その前にやらなくてはいけない仕事がある。
報告だ。
こちら側から出向くのは、竜王の覇気に耐えることができる面々だけである。そのため、宇春の侍女たちの大半が外されていた。藍藍は主人に似たのか、顔色は悪くなるもののそこそこいけるようになった。ゆえに参加組である。
そのように大きな場を設けたのはひとえに、雅文の一声である。事態を重く見た雅文が、主要となる家臣たちを大広間に集めて大々的に報告を受けると決めたらしい。
瑞英はその話を聞き、苦笑いをした。
(これ絶対に、わたしへの不審感を払拭するために設けられた場だよね)
他にも色々な理由はあるとは思うが、目的のひとつはそれであろう。公の場での報告は、それだけの力があるということだ。
帰って早々、雅文の優しさが身にしみた。彼は言葉通り、守ってくれようとしているのである。
ゆえに大広間までの道のりは、ひどく緊張した。
瑞英が体をガチガチにしていると、前方を歩いている国良が口を開く。
「大半のことは、僕がなんとかします。ですので皆さんは、気楽にしていてください」
「気楽にって……」
「ええ。ちょっとその辺りまで、散歩に行くだけ。報告なんて、そのくらいのものですよ」
それを聞き、瑞英は改めて思う。
(この男、どういう神経してるんだ……)
これがただの強がりなのか、はたまた図太すぎるだけなのか。瑞英には判断ができない。
どちらにしても言えるのは、ただひとつである。
(敵にだけは、回したくないなぁ……)
今回の件でよく分かった。この男は、色々な意味で優秀だ。おそらく、瑞英などよりももっと先のことを考えているのだろう。
それが恐ろしくもあり、また頼もしくもあった。
国良は、瑞英の味方ではないが雅文の味方ではあるからである。
そんな国良は今日も今日とて、何を考えているのか分からない笑みを浮かべて言う。
「さあ、楽しんでいきましょうか」
やっぱり変だ、と瑞英は遠い目をした。
そうこうしているうちに、大広間の前へと到着する。扉の傍には門番がふたりいた。
彼らは瑞英たちの存在を確認すると、両開きの扉を開いていく。
一同は入室した。
入って早々目に映ったのは、玉座に腰掛ける雅文の姿だった。
その存在感は圧倒的で、吸い込まれるように視線が向く。
久しぶりに見た竜王の姿は冷ややかで、どこか遠い存在に感じた。
瑞英はそれを見て悟る。
(ああ、そっか……雅文様はやっぱり、竜王なんだ)
美しくも気高いひと。
万人を寄せ付けず、決して誰にも屈しないその姿を見て、そう思い知らされた。
されどそれと同時に、その裏側にどれほどまでの言葉を、感情を隠しているのかと。そう思う。
そんな雅文は瑞英の姿を認めると、わずかばかり口元を緩めた。しかしそれは本当に一瞬の出来事で、すぐ無表情に戻ってしまう。
表情が変わったことは、彼をまじまじ見ていた瑞英くらいなものだろう。
それを知った瑞英は浮き上がった感情を抑えるために、手のひらをきつく握り締めた。
周りには六部の尚書と侍郎、重鎮たちが並んでいる。その中には見知った顔もあった。
刑部尚書、美紫。
彼女の顔は面紗によって阻まれ、どのような顔をしているのか知ることはできない。しかしそこにいるだけで、なんとも言えず圧を感じる。
前のほうには夢花と佩芳も控えており、かなり本格的な報告の場なのだと瑞英は思った。
帰還した一同は、竜王の面前にて起拝の礼を取る。
先頭にて頭をさげる国良が、よく通る声で言った。
「医官、国良。ただいま帰還致しました」
「此度は大儀であった」
雅文は全員を労うためにそう言うと、一同はこうべを垂れる。瑞英もそれにならった。
これからどうなるのかとそわそわしていると、雅文を開く。
「して、国良。そなたの口から、此度の病の顛末を聞きたい。報告せよ」
「承りましてございます。陛下」
国良は口の端を持ち上げると、周りからの視線など気にせずつらつらと言葉を並べた。
「此度の病ですが、これは竜族のみがかかるものにございます。そのため、他の獣族がなるものではないと断言いたします。その証拠に看病をしておりました医官には、病が移りませんでした。他の竜族が感染したにも関わらず」
「ほう」
「感染源などはなんとも言えませんので、未だ調査を進めております」
国良はそこまで言うと、満面の笑みを浮かべた。
「そしてこの病の治療法なのですが。これを探し当てたのはなんと、鼠妃様なのです!」
彼がそう言った瞬間、辺りが一斉にざわめいた。
一方の瑞英は、ぎょっとする。
(何を言っているんだこの性悪……!)
あまりのことに顔に気持ちが現れてしまったが、それを見ているものは幸い誰もいなかった。顔を伏せていたおかげである。
周りの動揺が冷めやらぬうちに、国良はたたみかけた。
「こちらの病はどうやら、二代前の竜王陛下、翠王様の際にも起こっていたものであったようです。その当時妃をしておられた純様が密かに書き記していた書物。それは物語になっておりました。そちらの謎を解いてくださったのが、鼠妃様であられます。鼠妃様がそれを気づいてくださらなければ、治療法の発見はさらに遅れ、死者が出ていたやもしれませぬ。――ええ。鼠妃様がおられなければ」
瑞英は、国良の口から吐き出される言葉の数々にぞわぞわした。
(誰だこれ。中身変わっちゃった?)
普段の憎まれ口はどこへいったのやら。不自然なほどおだてまくっている。
さらに気にかかるのは、国良がどこか「瑞英がひとりで解法を見つけた」かのような言い方をしている点である。
(いやいやいや。今回の件は、わたしだけじゃ分からなかったし)
まず第一に、宇春がその書物を読ませてくれなければ、瑞英は気づくことすらなかっただろう。
第二に、植物の名である。そちらに関しては竜族である美雨と永福がいなければ、知ることはなかっただろう。
そして最後に、治療の調合に関してである。そちらは瑞英は手をつけていない。調合をしたのは、国良なのである。
そんなこともあり、瑞英の胸にもやもやしたものがたまる。
されど国良は、そのままの勢いを保ったまま続けた。
「しかしこれは同時に、二代前の妃のひとりであられた純様が密かに物語として記されていなければ、解決しなかった。また、解決までに時間がかかったであろうということです」
「そのようだな」
「そして陛下。この病の治療法は、どの書物にも記載されておりません。これは、致命的です」
「……何が言いたい、国良」
国良は雅文からの問いかけに、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
なんとも言えず悪どい笑みである。
しかし彼はそこで「陛下が許してくださるのでありますれば、発言させていただきます」と一歩引いたのである。
今まで押せ押せだったにもかかわらず、この態度。言わずもがな、周りは先を聞きたくてうずうずしていた。特に竜族たちからしてみたら、そこで焦らされるのはつらい。
大広間が再び喧騒で満ちていくのを見て、瑞英はげんなりした。
(この兎、やっぱり腹黒だった。善人になんかなってなかったわ)
可愛らしい顔をして、本当にえげつないことをする。
国良は今、自分の意見を通すためだけにタメを作ったのだ。
そんなことだとは知らない雅文は、先を聞くために「許す」と言う。
国良がそのとき、勝ち誇ったような顔をしていた。
「それでは、お言葉に甘えて。――今回の件はきっちりと書物に記し、後世に伝えていくべきかと存じます」
国良のその言葉に、竜族たちが騒ぎ始めた。
重鎮のひとりが声を荒げて言う。
「お前は一体何を言っているのだ! 竜族の恥部を、紙に記せと申すのか!!」
「その通りですが?」
「貴様……!!」
大半の竜族たちが、親の仇でも見るかのような目で国良を見る。怒気が肌を通して伝わってきた。瑞英は思わず身を震わせる。
それと同時に悟った。「ああ、この様子ならば、二代前のときも隠し通すことを選んだのだろうな」と。
されどその中心部にいる張本人は、けろりとした表情をしているのだ。さすがの瑞英も絶句した。
「おやおや。なぜお怒りになられているのでしょうか? 弱点を克服するために、あらかじめ準備をしておくことの、一体何が気に入らないのでしょう?」
「我ら竜族に、弱点などない! そんなものはまやかしだ!」
「まやかしではいからこそ、今こうしてそこが狙われたことがお分かりにならないのですか? ずいぶんと、状況を楽観視されているようで」
国良は嫌そうな顔をして、首をやれやれと横に振った。誰がどう見ても、喧嘩を売っていると取られる態度である。
そしてそれは、頭に血がのぼった竜族には効果てきめんであったらしい。
「貴様、我らを愚弄するのか……っ!! 翠王様の妃もそうだ! なぜそのようなものを紙に記した! 今回の件も、貴様らがやったのではないのか!?」
そう、声を荒げた。
不条理かつ馬鹿馬鹿しい罵倒の数々に、瑞英は思わず顔をしかめる。なぜ先代の妃にまで当たり散らすのだろうか。彼女の書いた物語がなければ、今回の件が片付くことはなかったのに。
しかし返ってきたのは、今まで聞いたことがないような国良の声で。
「――その傲慢さが一族の存命に関わってきていることを、いい加減理解しろよ」
相手をひどく見下した冷ややかな声に。
場が凍りついた。
国良はすぐに「これはこれは。失礼致しました」と謝罪したが、その笑顔がつくり笑いすぎて逆に怖い。
しかし瑞英も、国良と同意見であった。
(隠すんじゃなく対策するほうに変えないと、いつか必ず寝首をかかれる)
しかしそれは同時に、竜族の誇りを著しく穢すことにつながるのだろう。誇りは、命よりも大事になるときがあるのだ。
そして国良にはおそらく、それが分からないのであろう。兎族とはそういうものだ。瑞英はため息をもらした。
こればかりは、時間が解決するしかないのだろうか。
雅文も雅文で、どう発言したら良いものかと考えあぐねているようだった。それはそうだ。彼は、竜族なのだから。
しかし先ほどの発言に対してはやはり思うところがあったらしく、「静粛に」と告げている。
(また、力になれないの……?)
雅文の助けになれないことが、歯がゆくてたまらない。何か、何かないだろうか。そう、頭を悩ませる。
そこでふと、瑞英はあることを思い出した。
それは、瑞英の母の言葉である。
『瑞英、よく聞きなさい。反発が大きい中無理矢理新しいことをねじ込めば、そこには必ず歪みができます。それを塞ぐことは容易ではないのですよ』
そんなとき、あなたならばどうしますか?
以前瑞英の母は、瑞英にそんな課題を課していた。
瑞英はそのときのことを懸命に思い出す。
(あのとき……なんて答えたんだっけ? お母様は、なんて返したんだっけ……?)
手探りで記憶の棚の中身を漁っていく。
そして瑞英は、そのときのことを思い出した。
この方法ならば、歪みを最低限に抑えることができるだろうか?
そして、雅文の力になることができるだろうか?
瑞英の中での答えは、すでに決まっていた。
彼女は顔を上げて前を見つめる。
雅文。
いつだって瑞英のことを守ろうとしてくれる、瑞英の夫だ。
そんな彼のためにやれることがあるのなら、瑞英はなんだってする。
すべては、雅文のために。
瑞英は心の赴くままに口を開く。
「――すこし、宜しいでしょうか?」
大広間に突如として響いた女性の声に。
一同の視線が、瑞英へと向いた。




