20.解法
竜化騒動がひとまず落ち着いた頃、外はすっかり闇色に染まっていた。朝の空とは一変し、空に雲がかかっている。
そんな中瑞英は、主要となる人物たちを自分の部屋に呼び出した。
宇春、国良、永福である。
彼らは集められた理由に首をかしげながらも、「病気を治す方法が見つかったかもしれない」という侍女たちからの言伝に、文句ひとつ言わず集まった。
部屋は整理されており、卓以外のものがすべて端に寄せられている。瑞英はその前に佇み、来客を迎え入れた。
恐る恐るといった様子で、宇春が口を開く。
「瑞英様。病を治す方法を見つけたという話は、本当ですか?」
「……確証はありませんが、おそらく。その方法を見つけるために、皆さんのことをお呼びしました」
「ふむ。そこまでおっしゃるのですから、それ相応のことなのですよね?」
「はい」
国良がにやりと、とても挑戦的に笑う。どうやら圧をかけているらしい。それに、瑞英は強く頷いた。ここで失敗を恐れて言わないほうが、なおさら悪いと思ったのだ。
それに今回失敗しても、それをかぶるのはこの男だろう。しかも、瑞英にはそれを知らせずに飄々とした態度を取るはずだ。
ここ数日過ごしてみて分かったが、国良は別に失敗を恐れてはいなかった。
それと同時に患者にも真摯に対応し、治そうという気持ちが強く表れていたのだ。それだけの覚悟を決め、医官という仕事をしているのである。
医官というのは大なり小なり、命を扱う職業だ。彼はその職務に準じていた。
それを見れば、瑞英を試すということは建前であることくらい分かる。
そのため瑞英は、躊躇うことなく書物を取り出した。
見覚えがあるものの登場に、宇春が声をあげる。
「それは、『竜王花奇譚』……」
「はい、そうです。宇春様からお借りした、兎族に伝わる物語。わたしはこの中に、病を治す鍵が隠されているのではないかと考えました」
瑞英の言葉に、宇春は瞠目する。どうやら、考えたことすらなかったらしい。
それを聞いた国良は、ふむと顎に手を当てる。
「その根拠をお聞きしても?」
そう言われ、瑞英は宇春を見た。今回の件は、兎族の女たちにも関わることであるからだ。すると彼女は一瞬身を震わせ、目をきつくつむる。そして深く深く頷いた。
その肯定に、瑞英は自身の推測を口にした。
「宇春様から聞いたのです。兎族の女性は、竜王に嫁がれた歴代兎族の妃方が、お稽古事などに薬学の知識を忍ばせて教えるのだと」
「……なるほど。その物語も、そうなのではないかということですか」
「はい。もうひとつの根拠は、この物語の最後のほうについていた挿絵です」
瑞英はぺらりと頁をめくった。そこには大きく『竜化した竜王に寄り添う兎族の姫』が描かれている。
「竜化したものをわざわざ描いているのが、気になりまして。これが竜化して戻れなくなった状態を指しているのであれば、納得いくのです」
朝竜化した竜族は、未だに竜の体から元に戻れないらしい。今となっては落ち着いているが、怪我人が出るわ病人を置く場所の確保やらで、昼間はてんてこ舞いだった。
瑞英としては「怪我だけで済んだのか……」と思わざる得ない。
そんなことはさておき。
瑞英は、口をまごつかせながらも最後の理由を言った。
「あとはその……兎族の方が、意味のないことをするのかと考えたためです」
「それはどういうことですか?」
「兎族の方はなんと言いますか……あまり意味のないことは、しないように見えまして」
瑞英が言いにくそうに口を開く。すると兎族のふたりは顔を見合わせ、微妙な顔をした。どうやら自覚はあるらしい。
「よくお分かりで」
「ええ、まぁ。……話を戻します」
瑞英は微妙な空気を断ち切るために、ひとつ咳払いをした。
「この書物を書いたのは、二代前の竜王に嫁いだ純様です。彼女の情報は竜族領にも残っていましたが、薬学の知識は歴代兎族妃の中でも、群を抜いて優れていたようですね。そんな彼女なら、この病の治療法を書き記しているのではないかと考えたのです」
そこで宇春が首をかしげた。
「ですが普通ならば、もっと別の方法で書き記すものではないのですか? なんせ、あのような病です。対応しておかなければ、いつ起きるか分かりません」
「……いえ。あり得るかもしれませんね」
宇春の疑問に意を唱えたのは、永福であった。
これは神妙な顔をして言う。
「我ら竜族は、獣族最強を名乗っています。それはつまり、弱点など知られてはならないのですよ。故に当時の上層部が、それを残さなかったとしても不思議ではありません。もしそれが本当なら、当時の妃はひどく恐れたでしょう。苦渋の末、そんな手段でしか治療法を残せなかったことにも納得がいきます」
「……なるほど。価値観の違いですね」
永福の言葉に、国良は頷いた。
瑞英も感心する。
(弱者と強者。そんな立場の違いだけで、ここまで価値観が変わるなんて)
弱者は自分が弱いことを知っている故に、弱点を克服しようとする。
一方で強者は強くあり続けるために、弱点を隠した。
それが今回の事件を招いたのだとすれば、皮肉な話だ。
場の空気が重苦しくなったところで、瑞英は用意しておいたものを藍藍から受け取った。
「皆さんに一から読んでもらうのは忍びないので、今回わたしが軽くまとめました。そしてこの木簡に書かれているのが、この物語に出てきた登場人物たちです」
瑞英はあれから何度も何度も読み直し、調合となりそうな箇所を集めたのだ。しかし見つからなかった。そのため彼女はこうして、皆から話を聞こうと考えたのである。
瑞英はまず、主人公たる玉香の名前が書かれた木簡を卓に置いた。
「まず、この物語の主人公は玉香という兎族の姫です。彼女が竜王に一目惚れするところから、この物語は始まります」
「……玉香?」
するとその段階で、美雨が眉をひそめた。引っかかったのはどうやら美雨だけでなく永福も同じであったようで、顔を見合わせている。
「美雨、何か分かったの?」
「……瑞英様、申し訳ございません。木簡をすべて見せていただけますか?」
「分かった」
瑞英は藍藍とも協力し、すべての木簡を卓に並べた。
竜族のふたりはそのすべてに目を通してから、再度顔をあわせる。そして深く頷いた。
「瑞英様。瑞英様のお考えは、正しいようです」
「……それはどういうこと?」
「はい。ご説明いたします」
美雨はそう前置いてから、口を開いた。
「この木簡に書かれている名前は皆、植物の名です。それも、薬として使われているものばかりですね」
「……どういうことですか」
宇春が震えた声をあげるのを流し、美雨は続けた。
「我ら竜族、特に竜宮に勤めております竜族ならば誰しもが知っているのですが。二代前の竜王たる翠王様は、植物をとても愛しておりました。それぞれに名前をつけて、可愛がるほどに」
「それって、つまり」
「はい。こちらはその翠王様が植物に付けられた名です。翠王様がそうして大切にしてこられたため、未だに我らの間ではその名で呼ばれることもあります」
その言葉を聞き、瑞英は以前桜の森に向かったときのことを思い出した。
(そういえばあのとき、鈴麗と鈴玉が説明してくれたっけ。「ここは二代前の竜王、翠王様が愛した場所」だって……)
そして純は、翠王の妃であった。彼女ならば、その名を知っていても不思議ではない。
(ようやくすべて繋がった……!)
目の前に一本の道が通ったことを確信し、瑞英は歓喜した。今回ばかりは、尻尾や耳が動いてしまっても仕方がない。
そんな中美雨が、植物の名を読み上げていく。
そして最後に、主人公たる玉香の名を言った。
「そして玉香は――牡丹です」
「……ぼ、たん?」
「はい」
その名を聞き、瑞英はうぶ毛立つのが分かった。
森の中でひっそりと咲いていた牡丹。
あれは病の元凶などではなかったのだ。
「あの森に咲いていた牡丹は、精霊たちからの願いだったのかもしれませんね」
瑞英の気持ちを代弁するかのように、美雨がぽつりとこぼす。
一部の者が感傷に浸っている中、国良は違った。手持ちにある薬草とあげられた薬草を比べ、うなる。
「この中だと唯一、牡丹が足りませんね……」
「じ、じゃあわたしが採りに行きます!」
すると宇春がどこか切羽詰った表情をして、扉のほうに向かった。
そのときの様子はどこかおかしく、瑞英は首をひねった。
(早く助けないといけないという気持ちで焦っているというより、なんだか別の意味で焦っているふうに見えるのだけど……気のせいかな?)
しかしそこで、兎族の医官が顔をあげた。
「いや、少し待ってください」
国良は、飛び出していこうとした宇春に向けて制止を求めた。
彼の目が、宇春を捉える。
「兎妃様は僕とともに、調合のほうをお願いします。そして牡丹の調達は、できることならば鼠妃様と美雨様にお願いしたいのです」
「……どういうことですか」
宇春は訝しんだ。しかし国良は笑顔で言う。
「聞いたところによりますと、牡丹が咲いている場所は精霊たちが守っているのだとか。彼らが信頼を寄せているのは、竜族です。そしてなんだかんだ言って僕は、陛下の番たる鼠妃様も、彼らに信頼されているのではないかと考えたのです。時間は有益に使わないとなりませんからね」
「……わかり、ました」
宇春がすごすごと引き下がるのを一瞥した国良は、起拝の礼を取る。仰々しい態度に、瑞英はぎょっとした。
「鼠妃様、美雨様。このようなことを言うのは大変心苦しいのですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
この場で頭をさげる。そのことになんの意味があるのか。
しかし瑞英にはそれが、彼にとって最大級の誠意の表れなのではないかと思った。そのため深く頷く。
「分かりました。出来る限り多く採ってきます」
「瑞英様が行くとおっしゃるのであれば、わたくしに異論はありません」
「ありがとうございます、お願いします。牡丹を主人公にしているくらいですから、この薬の要なのでしょう」
「……そこまで言うんですから、調合に自信があるんですよね?」
「もちろん」
瑞英が挑発的に述べた一言を、国良は絶対的な自信をもって跳ね返す。その強気さに、瑞英は少なからず驚いた。
(まさか植物の名を聞いただけで、分量とかが分かったの!?)
そう。普通はそこから調合するのが大変なのである。瑞英が見つけたのはあくまで、薬の材料だけ。
しかし国良はどうやら、それすらも分かっているらしい。
瑞英が目を見開く中、国良が「あ」と声をあげた。そしてにっこりと微笑む。
「……あと、お願いがひとつ」
牡丹は根だけでなく、花も摘んできてもらえませんか?
その願いは、不可解極まりないものだったが。
瑞英は国良を信じ、短く返事をした。
「分かりました。行ってきます」




