19.竜化
場所は変わり、翠綾州の一角にある村落。
件の病が広まっている村落で、瑞英は四日目の朝を迎えた。今日も今日とて快晴で、村には良い風が吹いている。
しかし自体は一向に快方に向かっていなかった。解熱剤などを使って、なんとか時間稼ぎをしているだけである。むしろ患者の容体は刻一刻と悪化していた。
自分にできることは何か。
瑞英はそれを考える。されどそれは思いつかないまま、いつも朝を迎えてしまうのだ。
(これじゃあダメなのに……)
これでは、誰も救えない。
医官・国良は、自身に出来ることを最大限おこなっていた。いろいろな薬を試してはいるらしい。しかしそれはどれも、実を結ばなかった。
瑞英がこの病気を治す術を探せなくとも、彼女に非はない。それは分かっている。されどだからと言って、部屋で引きこもっているような女ではないのである。
瑞英は自分にできることはないかと、何度も病人たちが寝泊まりする屋敷に来ていた。村の周りの散策も欠かさず行っている。それが成果をあげたことは、今のところない。彼女はその生活を、持ち前の体力と根性で乗り切っていた。
瑞英が美雨と藍藍を伴い病人のいる屋敷にやってくると、既に国良がいた。武官である永福もいる。
国良は瑞英を見るなり「今日も来たんですか」と笑った。その顔に焦りは見られない。
瑞英は思わず、呆れた。
(この男、自分だって危機的状態なのに、よくへらへらしていられるよな……)
いや、危機的状態だからこそ、へらへらしてないとやっていられないのかもしれない。この男の思考は、瑞英には理解できないが。
そんな気持ちを押し隠し、瑞英は頷く。
「当然です。やらないのにできないなどと、言いたくありませんから」
「そうですか」
興味なさげにそう言うと、彼は支度を整えて中に入ってしまう。瑞英は「自分から聞いておいてそれかよ」と思いながらも、国良の後に続いた。
中は空気の入れ替えをしているとはいえ、やはり薬臭い。それに病人特有の匂いもした。
被害者は、今日で既に十人を超えた。はじめのほうにかかった者がふたりいたが、どちらも浅い呼吸を繰り返している。
彼は朝番の医官に向かって言う。
「様子はどう?」
「ゆっくりとですが、確実に悪くなっていますね。そろそろ死者が出るかもしれません……」
「……そう。なら早く、治療法を見つけないとね」
国良は感情のない声でそう言った。
一方で瑞英は、声を上げないように口を引き結ぶ。
(人が、死ぬ)
それは、瑞英にとって過去の情景を思い起こさせる悪しきことだった。その証拠に、口の中に苦々しいものが広がる。餓死と病死ではものが違うが、民が死んでいくという点は同じだった。
(お母様がいたならば、この人たちを救えたのだろうか)
そうでなくとも、母がいたら。この問題の解決策を、解決に至るまでの筋道を。提案してくれていただろうか。
そんなことを考えてしまった自分がいることに気づき、瑞英は頭を振った。
(何考えてるのわたし。お母様は今ここにいないし、この問題は、他人に押し付けて良いものじゃない。わたしが雅文様の隣りにいたいと願うなら、絶対に向き合わなきゃならない問題だ)
ついつい他力本願になってしまうのが瑞英の悪い癖だ。治さなくてはならない。
瑞英は必死になって、解決策を導き出そうとしていた。
(なんかこう、引っかかってはいるんだよね)
そう、引っかかってはいるのだ。しかし決定的な解決策が出てこない。そんな何とも言えず気持ちの悪い感覚を、瑞英は覚えていた。
彼女がそんなことを考えているなどつゆ知らず、国良は今日も全員の触診をおこなう。
彼はその口の悪さ以外を除けば、医官として申し分ない力を発揮する兎族なのだ。彼女の目から見ても、処置は適切だし指示も的確だ。彼がいなければ、ここにいる竜族はもっと早く死の危機に瀕していたと思う。
ここ数日この屋敷に通っているのは、国良の腕を確かめるためでもあった。
(でもそれってつまり、彼に治すことができないなら、竜族領でこの病気を治せる者はいないってことだよね……)
それは絶望的だ。宇春は兎族だが、まだ学び始めたばかり。歴代竜王妃たちの知識をお稽古事から学んでいても、それを扱えるわけじゃないのだ。
そううんうんと悩んでいたときだった。
「瑞英様!」
美雨の叫び声を聞いたのは。
「え?」
思わず抜けた声を漏らしたとき、体が宙に浮いた。
美雨が、瑞英の体を抱き上げたのだ。
彼女は藍藍も担ぎ上げると、屋敷から飛び出す。その後に、永福に抱えられた国良と狗族の医官も続いた。
「え、何、何が起きたの!?」
「瑞英様、藍藍! 少し速度を上げます! 口を閉じていてください!!」
「えっ!?」
瑞英がすっときょんな声を上げると同時に、美雨が跳躍した。そして屋敷から距離を取る。
何事かと目を白黒させていると、凄まじい音が響き渡るのが聞こえた。
硬く大きなものが壊れる音だ。それが、病人たちが眠る屋敷のほうから聞こえてきた。
見ればそこには、巨大な緑色の竜が佇んでいたのだ。
竜の周りには建物であったものが散らばっている。ほぼ全壊と言っていい。
病人のひとりが竜化したのだと気づいたとき、瑞英は違和感を感じた。
(あれ……竜化しなくなる病気なんだよね?)
しかし彼は今、竜化している。だが、様子がおかしかった。
『グォォォ……ォ……ッッ!!』
高らかと咆哮を上げ、竜は全身をばたつかせている。それは悶え苦しんでいるように見えた。明らかに、自分の意思で竜化したわけではなさそうだ。
瞬間、隣りから翡翠色の粒子がこぼれ落ちる。瑞英は瞠目した。
見れば、そこには美しい鱗を持った竜がいる。
永福が竜化をしたのだ。
彼は暴れている竜よりもふた回り以上大きな体躯をもってして、暴走を止めた。近くにあった木々ごとなぎ倒し、無理矢理抑え込む。凄まじい地響きとともに、木々が悲鳴をあげる音がした。
『他の病人たちを早く、安全な場所に避難させてください!!』
永福がそう声を上げた。それを聞き、美雨が救出に向かう。
「瑞英様方は、避難してください!! ここはわたくしたちがどうにかいたします!!」
「わ、分かった!」
最弱姫は、このときばかりは従った。自分が役に立てることではないと、そう思ったのだ。それよりも村の者を呼んで、どうにかしたほうがいい。
されどそれは必要ないであろう。既に何人かの村人が、騒ぎを聞きつけ駆けつけていた。
瑞英にできることは、迷惑にならない位置へと避難することのみである。
瑞英は藍藍、国良とともに、泊まらせてもらっている長の屋敷へと一目散に走り出した。
背後では未だ攻防が続いているのか、竜の唸り声や破壊音がする。瑞英は恐ろしさのあまり、身を震わせた。
(どうして、いきなり竜化なんか……っ)
なにがなんだか分からない。ただ分かるのは、美雨たちがいなければ今頃死んでいたかもしれないということだけだ。
ここ最近どうにも、命の危機に直面することが多い。
これが竜族領か、と思いながら、瑞英は屋敷に戻ってきた。
三人はようやく人心地つく。焦っていたせいか、はたまたあんな事態に巻き込まれたせいか。さほど距離があったわけでもないのに、全身が汗でビッチョリ濡れていた。
「な、なんだったの、本当に……」
思わずぼやくと、国良が肩をすくめた。
「僕が触診をしているときに、いきなり体が発光し出したんです。竜化の前兆というやつですね。ですがこの病気の特徴は、竜化しなくなるというものだったはず……」
どうやら瑞英が考え事にふけっていたとき、そんなことが起きていたらしい。美雨が気づかなければ本当に危ない状態だったことに気づき、瑞英は「次からは外で考え事をしないようにしよう……」と胸に刻んだ。
そんな瑞英とは対照的に、国良は眉を寄せて苛立ちを露わにする。
「もしかして僕は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれません」
そう言われ、瑞英は「竜化ねえ」と思った。
竜化ができなくなってから、熱が出て、そして勝手に竜化する。それが、この病気の一連の流れである。
そこまで考え、瑞英は胸の内側で大きくなっていく違和感に気づいた。
(あ、れ……?)
瑞英は、首をかしげた。彼女はへたり込んだまま、思考を沈める。
「瑞英様? どうかしましたか……?」
藍藍が不安そうに問いかける中、瑞英の頭の中に一本の道が作られていった。
竜王の妃となった兎族の姫は、お稽古事の中に薬の調合法を隠したという。
ならば、兎族の姫が書いた物語はどうなのだろうか。
その考えに辿り着いた。ないとは言えないだろう。それが薬の調合法だと、兎族領にいる誰にも理解されなかっただけで。
先日読ませてもらった『竜王花奇譚』も、その兎族の姫が書いた物語だ。
そして何より、その挿絵。挿絵自体が珍しいのだが、そこに描かれていたのは。
竜化した竜王と、それに寄り添う兎族の姫。
瑞英は勢い良く立ち上がる。そのとき藍藍の顎に頭突きをしてしまったのだが、その痛みを感じている暇も謝罪している暇も今はなかった。
彼女は一目散に駆け出した。
「る、瑞英様!?」
涙目になりながらも追ってくる藍藍と、どうしたのかと訝しがりながらも後ろに続く国良。そのどちらもをおいて、瑞英は駆ける。駆ける。駆け抜ける。彼女の頭には今、ひとつのことしかなかった。
(ずっと、疑問だった。なぜあんな物語を書いたのか。どうして挿絵が、竜化した竜王を描いたものだったのか)
夢物語を美しく魅せるなら、人の姿を描いたほうが良いはずだ。そちらのほうが万人受けするのだから。されどあの物語の挿絵には、竜化したものが使われていた。
つまりそれは。
(以前も、竜族自身の意思に反して竜化してしまう病気が起こっていた……!?)
その可能性が高い。そう、瑞英は踏んだ。
兎族の姫が綴った作品なのだ。それくらいの仕掛けがされていても不思議ではないだろう。しかもこれは、兎族領にいては気づかないし必要とされてはいない。竜族領にいなければ分からないのだ。
(そして兎族といえば、薬だ。その涙が薬のことを表していたとしても、不思議じゃない)
されど、瑞英にはまだ解けていない謎があった。それは、薬の調合法である。
しっかりと記載されているはずなのだ。竜族に関係ない者以外が、分からないように。竜族の弱点を晒さないようにと。そんな工夫が施されて。
(関係ないかもしれない……でも、調べてみないと分からないから!)
そう。確かめる前に可能性を潰すのは、愚の骨頂だ。そして瑞英はそれを確かめるために。今から彼女のもとへ向かう。
『竜王花奇譚』を所持している、宇春のもとに。
「宇春様。失礼します!!」
断りの言葉を聞かないまま、瑞英は扉を開け放つ。
中にはほうけた顔をして瑞英を見つめる、宇春の姿があった。どうやら持ってきていた薬学書を紐解いていたようだ。
瑞英はそんな兎姫に近づくと、頭をさげる。
「宇春様、お願いします!! わたしに、『竜王花奇譚』を貸してください!」
突拍子もないことを言い出した友人に。
宇春は瞠目しながらも、快く書物を貸してくれた。




