17.縁由
夢花が声高に宣言した瞬間、周りにいた武官が一斉にこちらを見た。
その中でも特に凝視していたのは、猫族の武官である。彼らは王族の姫の事情を知っているからか、その高飛車な言いように失笑している。
夢花は内心舌打ちをした。
どこぞの、血統の良さと高貴さだけが取り柄の、なよなよしたお姫様と一緒にしないでほしいですわ。
金目銀目の白猫の姫は、猫族の中でも飛び抜けて希少性が高い。そのため大事に守られて育つのだ。
しかし夢花は違う。金目の黒猫である。
たったそれだけの違いで、どれだけ冷遇されたことか。
年頃の娘の中に白猫がいなかったことを、そしてその娘が夢花だけだったことを、どれだけ嘲られただろうか。
これも、お母様に惚れたからといって命令して無理矢理動きを封じた挙句、孕ませたあのクソ男のせいですわ。
夢花はそう、自身の父親を心の底からなじった。
そんな夢花の心情などつゆ知らず。勝負を申し込まれた男は、太い眉を大きくひそめる。
「猫族のお妃サマが、戦闘? 怪我をしても知りませんよ?」
「舐めないでくださいまし。あなたこそ、大怪我しても知りませんことよ?」
「……ほう。随分と大口を叩くな」
男の口調が変わった。
そこから、毛ほども夢花のことを敬ってなどいないことが瞬時に分かる。
それはそうだ。この男と顔を合わせたのは、今日が初めてなのだから。
目にもの見せてやりますわ。
そう鼻で笑った夢花は、仁王立をしたまま言い放つ。
「あなたこそ、そういう言葉遣いはわたくしに勝ってから言ってほしいですわね」
そう言った刹那、夢花のもとに剣が投げつけられた。
くるくると宙を回るそれの柄を、彼女は右手で難なく掴む。
それが、戦闘開始の合図だった。
目にも留まらぬ速さで距離を詰めてきた男の一閃を、夢花は後ろに大きく跳躍することで避けた。
「邪魔ですわ、おどきなさい!」
背後にいた武官に鋭い声を飛ばしつつ、猛然とやってくる男になり血を高ぶらせる。楽しくて仕方なかった。
追撃してきた男の剣を受け止めつつ、夢花は腹部目がけて足技をお見舞いする。それに気づいた男は、たんっという音ともに後ろに下がった。
「高貴な血筋をした猫族王族のお妃サマのくせに、随分と足ぐせが悪いな!」
「あら。このわたくしの美脚に蹴られるなんて光栄でしょう?」
「この女……減らず口を!」
夢花は軽い挙動で床を蹴ると、くるんと一回転し後方に下がって間合いを取る。ふんわりと、裾がひるがえった。
剣の重さを確かめつつ、夢花は右手で持った剣を前方に突き出すようにして左足を引く。ゆらゆらと尻尾を振りながら、神経を研ぎ澄ませる。
男も、剣を構えると楽しそうに笑った。右足を引くと、ググッと力を込めるのが見て取れる。
いつの間にか、周囲には人垣ができていた。想像以上に強い夢花の姿に、どの武官も関心を示したのだ。特に猫族の武官の関心は高い。誰もが固唾を飲んで、戦闘が再開されるのを待っていた。
夢花は腹に息を溜め、吐き出す。そして男が動き出すのを、息をひそめて待っていた。
埃すら舞うことを恐れるほどの静寂が、あたりをゆっくりと支配する。
動き出したのは、虎の男のほうであった。
ひと呼吸で間合いを詰めた彼は、剣を交えると同時にそれを絡め、すくうような動作で夢花の手から剣を奪い去った。持ち主をなくした剣は虚空に円を描きながら床に突き刺さる。
しかし夢花は、剣をわざと手放したのだ。
剣が飛ぶのとほぼ同時に、彼女は大きく跳躍する。頭上をやすやすと越えるそれに、裾が大きくはためいた。
そのまま宙で体をひねり、頭から落ちるところを足から着地する。体を丸めて転がるように着地した。
その合間に、巻き毛を結んでいた髪紐をするりと取り去る。黒髪が空気を含んで散らばった。
男の後ろに背中を合わせるようにして地に降りた夢花は、流れるような動作で髪紐を男の首に通すと、紐の両端を持って体をひねった。
髪紐が輪っかになり、男の首にかかる。
それらの動作は瞬間的におこなわれたものだ。目にも留まらぬ速さで急所を狙ったそれに、周りの武官が息を飲む。
夢花が、にやりと口の端を持ち上げた。
「わたくしの勝ちですわ」
その体勢は、そのまま紐を強く引けば殺せるものであった。
これを教えてくれたのも、夢花の母親である。髪紐も簪も立派な武器になるのだと、自分自身の体術こそが最大の武器だと、そう教えてくれた。それが根っこまで染み込んでいた彼女は今まで、そのための努力を欠かしたことがない。それは後宮にいてもである。
彼女の母は、もともと武人であった。
「その場にあるもので必ず仕留める」という言葉を自身の胸に刻んで生きてきた母の教えは、夢花の身に深く染み込んでいたのだ。
周りの誰もが、それを見て雄叫びを上げる。「猫族の妃があいつに勝ったぞ」と、いう声があちこちで聞こえた。夢花の見立て通り、竜族の武官でもとても強い男であったようだ。それが余計に、彼女の心を沸き立たせる。
夢花がしたり顔で「どうです、悔しいでしょう?」と言うと、男はしばらく無言のまま俯いている。夢花の気持ちがますます高調した。
わたくしだって、役に立てるのですわ。
そう。ここならば、こうしたことで役に立てるのだ。自分は決して、役立たずではない。母親のようになることもできるのだ。
そんなことを思いながら男からの言葉を待っていると、男がぽつりと何かをぼやく。
「……お前もしかしなくても、葉青閣下の娘か?」
「…………え?」
唐突に出てきた母親の名前に、夢花は動揺した。
この男は、お母様の名前を知っている……?
しかも、母が現役時代の呼び名を知っているのだ。夢花の母・葉青は、女の身でありながら一軍隊の大将として武功を挙げ、武官たちから『閣下』と呼ばれ親しまれていたのだから。
夢花ぐるぐると考え込んでいる中、男の空気が変わる。彼女はハッとした。
もしかしなくとも、まだ決着はついていない……!?
あらためて髪紐を握る手に力を込めたが、時既に遅し。それが、夢花の致命的な隙になった。
男が首元の紐を掴み、勢いよく引っ張ったのだ。
夢花は咄嗟に紐を離したが、体は不自然に浮いたまま。そんな状態で踏ん張ることもできず、夢花は片腕を掴まれ勢い良く放り投げられた。
その先にあるのは人垣だ。そこにいた武官たちは驚きのあまり動けず、目を見開いている。
夢花は、なんとか受け身の姿勢をとった。
人垣の中に投げ込まれた彼女は、武官たちを下敷きにしたまま頭を抑える。
この、馬鹿力……!
頭から落ちることは防げたが、それにしたってひどい。裾は乱れはだけているし、髪も髪紐がなくなったためボサボサ。妃としてあるまじき姿だ。
夢花は顔を赤くしながら裾を直し、キッと後ろを睨みつける。そこには、髪紐をくるくると回す男の姿があった。
その顔が楽しそうに歪んでいるのが、余計に腹が立つ。夢花は思わず叫ぶ。
「卑怯ですわ!!」
「卑怯なもんですかい。戦場じゃあ、一瞬の気のたるみが死に繋がりますぜ?」
「くっ……ですが、決着はついていたはず」
「それがいけないって言ってるんですぜい。あなたのお母上は、俺たちにそう耳にタコができるくらい教えてくれましたって」
「な、なんですってっ……!!」
夢花はぶわりと、髪の毛を逆立てた。耳も尻尾もピンッと立て、明らかな敵意を向ける。
そしてそつのない動作で立ち上がり、腰に手を当てた。
この口ぶりからして、この男は母の元部下なのであろう。母を父が娶ったとき、それに反発した者が数名外に出たという話を聞いたことがあった。
「あなた、お母様の何を知っているというのです!」
「それを答える義理はないですねえ。オレはあんたの部下じゃあないんで」
その言葉に、夢花はさらに腹を立てる。男の態度も気に入らなかった。こちらを馬鹿にしたような、鼻に付く態度だったのだから。
この男、絶対に負かしますわ……!!
負かして床に沈めてやらなければ、自分が上だと知らしめなければ、夢花の気が済まない。
彼女は、自他ともに認める短気なのだ。一度怒ると、理性など働かない。
そのため頭に血がのぼった状態の夢花には、男の口調が変わったことに気づかなかった。
その表情が、先ほどとは違った笑みを浮かべていることにも、まったく気づかなかった。
夢花は人差し指を男の方に突き立て、言い放つ。
「良いですわ。あなたのこと絶対に負かして、わたくしの部下だと認めさせてやります! よく覚えておきなさい。わたくしの名は夢花! あなたの名も覚えておいてやりますから、名を名乗りなさい!!」
「言われなくても、名乗らせてもらいますよ!」
男は不敵に笑い、声を張り上げた。
「波浪! 誇り高き虎の血族、竜宮第三将軍、波浪だ!!」
波浪。
竜宮、第三将軍。
その名と称号を深く胸に刻み、夢花は決意を新たにする。
「波浪! 首を洗って待っておきなさい!!」
周りが様々な言葉を交わしてざわつく中、ふたりの戦いは静かに火蓋を切った。




