16.訓練
場所は変わり、竜宮・兵部宮。
その一角にある訓練場には、多くの武官たちが呼び集められていた。
場に数百人はいる武官が小さく見えるほど、その訓練場は広い。
外装と同じく青みがかった石で造られたそこは、刃物でつけられた傷があちこちに刻まれていた。その中にはごく最近つけられたものから、数百年も前につけられた古いものもある。それこそ、竜族の歴史を表していた。
全体的にくすみがかっているのも、この場所ならではの光景である。
そんなところに武官だけが集められた様は、少しばかり異様であった。彼らもそれは分かっているらしく、不思議そうに声を潜めて話し合っている。その話題の中心に置かれているのはもっぱら、彼らの目前で仁王立ちをするふたつの陰についてだ。
猫妃・夢花。
狗妃・佩芳。
ふたりの妃の存在は、男が多い空間では特に異質であった。
片や、口さえつぐんでおけば強気な美女に見える巻き毛の妃。
片や、鋭い刃のように研ぎ澄まされた美しさを持つ黒髪の妃。
どちらも極上の姫君たちなのである。
しかも夢花はこのような場所でも、その身なりを変えたりは決してしない。今日の今日とて漆黒の生地に紫と白の糸で桔梗を描いた衣は、とても華麗であった。丈は相変わらず太ももが覗く大胆なもので、白い肌を惜しげもなく見せつけている。
一方の佩芳は、狗族の民族衣装でもある動きやすい衣装を身まとっている。狗族の女性には、礼装と普段着のふた通りの民族衣装があった。本来なら男が身につけるものだが。
汚れても良いように、動きやすいように。上衣の袖や裾は短く、下衣は下履きだ。それを帯で留めていた。
どちらも、一度たりとも顔を合わせようとはしない。お互いに嫌い合っているというのがよく分かる対応であった。しかしどちらも闘志だけは高く、集められた武官たちもそれに若干当てられて気を高ぶらせている。
それを見た刑部尚書・栄仁は、片方の腰に手を当てて苦笑いをしていた。どうやら、彼自身もどうしたら良いの変わらないらしい。
されど直ぐに気を取り直した彼は、声を張り上げた。
「えー皆も知っているとは思うが、今目の前にいるのは陛下の妃様方だ。今回はこの訓練場を視察するために、こちらへ参った。皆話しかけられたりしたら、快く応えてほしい」
『はい!』
今栄仁が言った通り、ふたりはあくまで『視察』という名目の下ここにやってきていたのだ。それもそのはず。引き入れようとしている本人たちにそのことが気づかれてしまっては、なんの意味もないからだ。
そのことを事前に聞かされていた夢花は、内心嫌な顔をする。
勢力争いは、どこにいっても面倒ですわね。
心の底からそう思ったせいだ。されど夢花とて、猫族の姫である。そういったことには慣れているのだ。最近はめっきりすることのなかった演技をすることにはなかなかに苦労したが、なんとか無表情のままでいることができた。
それでも、ついつい思ってしまう。
やっぱり、瑞英様と宇春様と一緒にいるほうが、気持ちが楽ですわ。
瑞英は、夢花がどんなに傍若無人な態度をとっても笑顔で受け入れてくれるし、宇春も最初こそいけ好かなかったものの話していると楽しい。自分の素の姿をさらけ出せるというのは、夢花にとってとても嬉しいことであったのだ。
だからこそ、今目の前にいる女の存在が気に入らなかった。
夢花は隣を盗み見る。
狗姫佩芳。
彼女は涼しげな顔をして夢花の隣にいた。
しかしその視線はどこか別のところを向いているように思える。
昔はただ雅文のことを見ていたはずの目が、どこか別の方を向いている。そのことに、夢花は腹を立てていたのだ。
夢花にとって雅文の存在は、それほどまでに大きなものなのである。そのため崇高し、敬愛し、死ぬ間際までその幸せを願うことこそ、自分自身の役割だとすら思っているくらいだ。
そしてその雅文が好いている相手が瑞英だという事実に、彼女が一番喜んだのだ。
なんせ瑞英は、夢花が猫族領にいる頃からの友人であり親友だ。彼女だけが、夢花という異質な存在を受け入れてくれた。それがどれほどまでに嬉しかったのか、夢花以外の誰も分からないであろう。
だからこそなおのこと気に入らない。親友の瑞英の敵は、夢花の敵なのだ。
夢花はキッと視線を釣り上げた。
彼女が決意を新たにしている中、栄仁が訓練開始の合図をする。
「それじゃあ、訓練開始だ!」
その声に大きく返事をした武官たちは、夢花たちを気にしつつも訓練を開始した。
すると、剣を交える音や怒鳴り声が訓練場に響き始める。その中にはちらほらと女も混じっており、甲高い叫び声も聞こえた。
夢花はそのすべてに聞き耳を立てつつ、身震いする。
「……やっぱり、戦いは良いものですわね」
重なり合う金属音も、気合を込めた声も、夢花にとっては親しみ深いものであった。昔は母親に付き従い、良く猫族領の訓練場にやってきていた。小さな身でありながら必死に訓練をし続けた記憶は、彼女にとって最も懐かしいものなのである。
その頃にいた武官たちは、今猫族領にはいない。皆夢花の父親である王が、どこかへ追放してしまったのだ。彼らは夢花の母親を慕っていたからこそ反発し、追放されてしまったのである。
それがたまらなく悔しくて、憎らしい。
そんな気持ちを抑え込み、夢花は訓練場を見回り始めた。
全体を見るふりをつつ、夢花は猫族の武官たちを注視する。彼女が通り過ぎるたびに、彼らの視線がこちらに向くのが分かった。
夢花はゆらりと黒い尻尾を揺らす。
「さてさて、どういたしましょう」
ぽつりとつぶやく。
一日目は、様子を見ようと考えていたからだ。夢花はこう見えて、意外と慎重なのである。
そりゃあ確かに、頭に血がのぼると力技に走るが。気分によって、言ったことと真逆のことをするが。
それはご愛嬌というものだ。
しかし今回は本当に、様子を見るつもりでいる。
なんせこの事情に深く絡んでいるのは、彼女が心の底から敬愛する雅文なのだ。力が入らないはずがない。
そのため夢花は、良さそうな武官を幾つか見て回った。
夢花が見て回った結果、やはり竜宮はすごいという結論に達した。
猫族領とは比べものにならないくらい、優秀な人材ばかりですわ。
むしろそうでなくては困るのだが、それにしたってすごい。雅文と比べるのもおこがましいくらいだ。どんなに王族の血が濃くとも、その言葉に従わない反抗的な者たちが側にいることを厭うて、追放した自身の父親とはまったく違うのだと、改めて思った。
そのため今の猫族領は、なんだかんだで手薄である。いっそのこと滅びてしまえばいいとすら思っていた。
半刻はぐるぐる見て回っていただろうか。さすがに周りの武官たちも、無言のまま鋭い眼光を向けられることにそわそわし始めている。
それに気づいた夢花は、どうしたものかと首をかしげた。
話しかけるつもりはなかったが、話しかけないとどうにも具合が悪いことに気づいたのだ。そのため内心ため息を吐きながら、近くにいた男の猫族に声をかける。
「そこのあなた。少しお話いいですこと?」
「……オレのことですか」
少し不機嫌そうに、汗を拭っていた男が声を上げた。
それは、夢花が目をつけていた武官のひとりである。右目に大きな傷があり見えていないようであったが、腕や脚は細身ながらも筋肉質であった。見ただけで、強いと分かる。
顔も厳つく、耳や尻尾は明るめの茶色に黒い線がいくつも引かれていた。
猫族で言うところの『虎』である。彼らは元来戦いを好み、猫族にいる他の種から見ても飛び抜けて戦闘力が高いが、こんな場所にいるのは珍しい。それがとても目を引いたのだ。
しかも、夢花に反発的とくれば、猫族に良い印象を抱いていないことなどすぐ分かる。
その証拠に、彼は皮肉った笑いを浮かべた。
「猫族の妃サマが、オレになんのご用で?」
左目から覗く気怠げな橙色の瞳に、殺意が滲んでいる。
それを見て取り、夢花はぞくりとした。胸の内側からむくむくと、好奇心と戦闘欲求が膨れ上がる。
この男は、お母様以上に強いのかしら。
そう考えると、知らず知らずのうちに舌なめずりをしてしまう。
夢花は好戦的な笑みを浮かべ、こう言い放った。
「あなた、わたくしと勝負なさい!」




