14.探索
瑞英たちは、病の元凶を探すための散策に出た。
瑞英、美雨、宇春、そして宇春の侍女の計四人で、村の周りを見て回ることにしたのだ。分かれて見て回るのはさすがに危ないという美雨の意見で、このような人数になった。
村を少し離れると、視界に映るのは木々だけになった。太く逞しい木がいくつも立ち並んでいる。これらの木々が昔からあったという証だ。
狗族の侍女が、木に赤い紐を巻きつけているのを見て、瑞英は首をかしげた。
「どうして木に紐をくくりつけているのですか?」
「道に迷わないようにするための目印です。森によっては、迷うこともありますので」
「なるほど」
森に入ること自体がはじめてであった瑞英には分からない知恵だ。美雨もその通りだというように頷いている。
「森には精霊が宿っています。彼らは時として、獣人を迷わせることがあるのです」
「はじめて知りました」
「わたしも知りませんでした」
「仕方ありません。我が君たちは、森に入ったことがございませんから……」
侍女が少しばかり控えめに、そう言う。どうやら自身の主人と、瑞英に対して配慮してくれたようだ。
確かに、姫が森に入ることは少なかろう。されどこのふたりは、外に出れないだけの理由があったからだ。そう言う意味で、気まずい思いをしたのだろう。
瑞英はさくさくと、手入れの行き届いていない草を踏み締めた。軽快な音が耳に楽しい。そんな感触を楽しみながら、彼女は気にするなというように笑った。
「新しいことを知れるのは、楽しいですね。わたしももっといろんなこと、聞いてみようかな」
気にしていないということを暗に伝えると、侍女はホッと息を吐いた。
宇春もそれに乗り、ふんわりと微笑む。
「他に何かありませんか?」
「そ、そうですね……あ、森で迷ったときの対処法や、森に住む下位種を避ける薬の作り方などはどうでしょう?」
「それ気になりますね」
「と、特に後者が気になりますわたしっ」
「宇春様は本当に、薬に関することに興味があるんですね」
静寂に包まれていた森が、女たちの声で明るくなる。さわさわと、風で草木が揺れていた。近くの村で病気が起こっているなど、信じられないほどである。
瑞英はそれを楽しみながら、周りを注意深く観察した。
(やっぱり、特に変わりはないのか……)
森の中は平和そのものだ。初夏も過ぎれば若葉も濃く染まり、根元からは小さな野花が、白や黄の色をあちこちに散らしている。
顔のそばを大きな黒い蝶が横切って行ったときは、少し驚いた。
(わ。大きな蝶)
されど進むにつれて増えてゆくそれに、さすがに違和感を覚える。
「……蝶って、こんなに森に多くいるものなんですか?」
「……え?」
瑞英の疑問に、宇春は首をかしげる。柔らかい垂れ耳と亜麻色の髪が揺れ、甘い香りがした。
その言葉に、美雨は顔を上げる。彼女の横顔を、黒蝶が通り過ぎていった。
「……珍しいですね。この蝶が森にいるなど」
「そうなの?」
「はい。この蝶は、花が多いところを好むのです。そのため、森より庭にいることが多いのですが……」
そうなると、余計におかしいわけだ。瑞英は再度蝶を凝視した。
よくよく見ると、黒というより深い緑色をしている。黒翡翠とでもいうべきだろうか。木々の合間から覗く光を浴びると、翅が翠玉のように輝いた。
大きさは、瑞英の手ほどもある。
その蝶たちが溢れている場所は、さらに奥にあるようであった。
四人は顔を見合わせ、こくりと頷く。どうやら皆、心は同じらしい。
それを確認した瑞英は、蝶たちがやってくる場所へと向かった。
進むにつれて分かったのは、風の向きが妙に渦巻いているということだ。しかし不自然に強いというわけではなく、意識しなければ分からないほどの変化である。
瑞英も、髪が揺れる向きと背中を押される感覚を気にしなければ、なんか変だなぁと思っただけだった。
ますますきな臭くなってきた。
この先に何かがあるという確信が、より強くなる。すると美雨がぽつりと、気になる言葉をこぼした。
「……精霊たちが、集まっていますね」
「……精霊たちがですか?」
「はい。しかも、かなりの数おります」
その口ぶりから、それが異常なことが分かった。
美雨はさらに説明してくれる。
「精霊というのは、生きとし生けるものに宿る精です。彼らが多ければ多いほど森が豊かであり、尚且つ迷いやすいということなのです」
「精霊が、侵入者を迷わせるの?」
「はい。彼らは、気まぐれですから。好きなものと遊びたいという理由で迷わせることもありますし、またその逆もあります。ただ今回問題なのは、その精霊の量がここだけ、とても多いという点なのです」
宇春はそれを静かに聞いていたが、上を少し向いて瞳をすがめる。
そこで、瑞英ははたりと気づいた。そうなのだ。精霊の存在を見ることができるのは、竜族だけ。かく言う瑞英も、見ることはできない。しかし雅文から話を聞き、そういう存在があるということだけは知っていた。
されど誰しもが、目に見えない存在を理解できるわけではない。そしてそれを、許容できるわけもないのだ。
瑞英はそわそわした。
(宇春様は、そういう存在を信じてくれるのかな……)
瑞英としては、否定されるのはなんだか寂しい。しかも相手は、自分が友人だと思っている宇春である。なおさら、否定されたくはないと感じてしまった。
そんな視線を感じ取ったのか、宇春がきょとんとした顔をして瑞英を見た。
「どうかしましたか、瑞英様?」
「あ、その……宇春様は、精霊というものを信じているのかな、と思いまして」
「精霊ですか?」
宇春は至極当然と言ったように、口を開いた。
「もちろん、信じていますよ。我が一族はこれでも、精霊たちのことを信仰しておりますから」
瑞英は驚いた。信仰している、という言葉に、重たいものを感じたからだ。
すると宇春は困ったように肩をすくめる。
「そもそも兎族がここまで、竜王陛下の妃に選ばれることに執着するのは、精霊たちの加護を得られるからなのです。薬学を活用することで、他獣族から重宝されているのが我ら兎族であり、薬学がなければ対等な関係すら築けない。ゆえに、自然災害をひどく恐れます」
「あ……」
瑞英は、宇春は肩をすくめた理由をようやく理解した。彼女は、自分に関することを口にすることを躊躇ったのだ。
躊躇ったというより、身内の情報を口に出すことを厭うたとでも言うべきか。
宇春は笑って続ける。
「だから、精霊の存在は信じているのです。なんせ、彼らの加護があるからこそ、天災に遭っていないのですからね。嫌でも分かってしまいますよ」
「そう、ですか……すみません、そのようなこと言わせてしまって」
「いえ、良いのです。事実ですから」
それっきり、沈黙が続いた。
されど進むに連れてやってくる芳しい香りに、一同は眉をひそめる。
それは、遠目から見ても分かるほどの異常であった。四人は駆け足で、その異常な光景のもとに向かう。
「…………牡丹の花?」
そこには。
真紅の牡丹が、大輪の花を咲かせていた。
あまりの光景に息を飲む。それはそれは見事な牡丹だったのだ。後宮で管理されているものとは違い、その花は高貴でありながら野性味があった。その周りには先ほどの蝶たちが、楽しそうに踊っている。なんとも言えず幻想的な光景であった。
しかし花の素晴らしさを理解していくうちに、疑問が浮かんでくる。
(あれ……牡丹って、この時期に咲いたっけ?)
牡丹の咲く時期は、春だ。春の暖かい空気に当てられ、その蕾を開かせる。種類によっては秋や冬に咲くものもあるようだが、夏に咲く牡丹というものは聞いたことがなかった。
そしてそれはどうやら皆同じらしく、一様に眉を寄せている。
「この時期に、牡丹……? しかもこの辺りだけとは……」
「……花の精たちがたくさん集まっております。おそらく彼らが、このように咲かせているのでしょう」
つまりこの牡丹たちは、狂い咲きということだ。花の精霊たちによって、無理矢理この時期まで花開いている。
その様はどこか痛ましく、また美しく瑞英の目に映った。空恐ろしさを覚えてしまうほどだ。
(これが、精霊の力なんだ)
しかしこのような事態において、その美しさは毒々しさにすら見える。まるでこの花が原因で、あの病が起こったかのようだ。
(でも牡丹は、様々なことに重宝される薬でもあるはず……)
それが、竜族を巣食う毒になり得るのだろうか。
瑞英の頭に、様々な疑問が渦巻いていった。
美雨は宙を見て何やら考え込んでいる。
宇春は花に手をかけ、どこからともなく出した鋏でそれを一房手折った。瑞英が思わず「あ」と声に出す。
宇春は瑞英の顔を見て言った。
「どのような理由で牡丹が咲いているのかは定かではありませんが、一房いただいていこうかと思います」
「そうですね……」
すると美雨が、ぽつりとこぼす。
「そろそろ戻りましょう。日が暮れます。夜の森は危のうございますので」
「分かった。とりあえず、帰って報告だね」
「はい、瑞英様」
謎が多く残る中、四人はその場を後にする。
瑞英はふと後ろを見返した。ゆらゆらと、牡丹の花が優雅に風になびいている。牡丹の芳醇な香りに、頭がくらくらした。
後ろ髪引かれる思いを振り切り、彼女は駆ける。
空はゆっくりと傾き、夜の訪れを告げていた。




