13.悪化
瑞英たちが件の村に着いたのは、予定通り三日経ってからだった。
道中数回の休みを入れたが、特に何か起こるわけでもなく。平和なものであった。
瑞英は当初「わたしが運ばれてきたときのように、竜族に運んで貰えばいいのに」と思ったが、どうやら竜族領には滞空権というものがあるらしい。空を飛べるのは巡回時間を決められた竜族の武官たちだけで、再拐の役で多くの武官たちが飛んだことは、本当に例外的なものなのだと言う。
こういう件で空を飛ぶには、それなりの手続きが必要になるらしい。
確かにそうだよなぁ、と瑞英は納得したものだ。それにあの浮遊感を、もう一度体験したくはない。下手な竜族に運ばれたときの気持ち悪さと言ったらなかった。
(そう考えると、やっぱり上位階級のほうが飛ぶのが上手いのかな?)
美雨はその気質もあるだろうが、実に安定した飛行をおこなっていた。上位のほうが翼も大きく、飛ぶ際にも有利だと言う。
そんなことをつらつら考えながら着いた村は、意外としっかりとした造りをした建物が並んでいた。
竜宮ほどではないが、磨かれた美しい石を積み重ねた壁をしている。色は緑がかった乳白色であった。光に当てられると、水のように揺らめくのが綺麗だ。
どの家も同じ色をしており、調和が取れている。
(村と言っても、竜族の村なんだな)
そこに、田舎臭さはない。品のある高貴さが窺えた。
瑞英はそれを車の中から確認し、ほう、と息を吐く。感動的だ。されど村の者たちからの視線がきつく、瑞英はいそいそと窓を閉めた。怖い。
雅文の覇気に耐えられるほどの耐性があるものの、複数の好奇の目が向けられるのは恐ろしいのだ。弱小ゆえの小心である。
瑞英たちが案内されたのは、その村の一番長に当たる者が住む屋敷であるらしい。
歓迎されているのかされていないのか分からない空気の中通された部屋は広く、清潔であった。
瑞英が暮らしている高級の部屋ほどではないが、そこそこ広い。中の壁と外と同様に緑がかった乳白色で、触るとすべすべしていた。
瑞英がきょろきょろと視線を彷徨わせているのを見た美雨が、くすくすと笑う。
「それほどまでに気になりますか?」
「あ、う、うんっ。すごく不思議だったから……」
「この辺りは、この建物が有名ですからね。ゆえにここは翠綾州と呼ばれているのです。ここはその一角に位置する村落ですね」
「なるほど……」
やはり竜族のことは、美雨が一番詳しかった。
種族特有の考えはやはり、その種族の者にしか分からない。さらに言うなら、その土地でしか分からないこともあるのだ。
(大見得切ったのは良いけど、何か役に立つことはできなさそうだよなあ)
悶々と考えながらも、瑞英は侍女たちに荷物を任せて外に出る。着いてきたのは美雨だけだ。
そうして外で待機していた竜族と合流すると、目的地へと向かった。
今から向かう場所には、件の症状を訴える竜族が集められている。感染の疑いもあるということで、先に来ていた医官がそのような指示を出したと言っていた。
その言葉に何より不安を感じた瑞英は、再度確かめるために後ろを向いた。
「美雨。感染る可能性もあるのに、本当に良いの?」
そう。美雨だ。彼女も竜族なのである。
だから瑞英は当初、他の侍女を連れて行くつもりだった。
しかしそこは美雨が頑として認めず、こうして連れて行くことになっているのだが。
美雨はにこりと笑い、頷く。
「竜族の問題でもございます。それに、わたくしがいたほうが何かと便利かと」
「それは確かにそうなんだけど……」
視線を送ってはみたものの、この態度である。引く気はないらしい。
瑞英はため息を漏らしつつも、もう何も言うまいと口を引き結んだ。
屋敷の外を出て少し歩くと、離れたところにこじんまりとした家がある。どおりで薬の匂いが強くなるわけだと思った。見れば既に、大方の面子は集まっているらしい。
あの憎らしい医官・国良の姿もあり、瑞英は苦々しい顔をした。
(そりゃあいるよな。むしろいなきゃダメだよな)
宇春とその侍女ひとり、そして今回護衛をしてくれている武官の隊長である永福もいる。彼も、病など怖くないらしい。
永福は美雨を見ると、にこりと微笑んだ。
「これはこれは。閃光の君までお越しですか」
「……閃光の君?」
瑞英が首をかしげると、美雨は満面の笑みを浮かべて言う。
「昔の話ですわ。それにわたくしは、長い間竜宮を空けておりましたし。あなたがそのように呼ぶことはありませんよ」
「ご冗談を。養育のために実家に戻ってらしたと聞きましたが、力など何も衰えていないではありませんか。わたしなど、下っ端も下っ端ですよ」
「……下っ端、ねえ」
何やら怪しげな空気が漂っている。怖い。
瑞英は、これが今以上に白熱する前に、仲裁することにした。
「美雨、落ち着いて。早く確認しましょう」
「はい、我が君」
美雨からそのように呼ばれるのはこそばゆいが、致し方あるまい。
羞恥心をこらえながら、瑞英は口元に当てる布と白い衣をもらい身につける。そして家の中へと足を踏み入れた。
中からは、きつい薬品の匂いがした。
鼻を軽く抑えながら進むと、そこには褥の上に寝かされた幾人もの竜族がいる。
彼らは額に濡れた布を置かれていた。顔色も悪く、呼吸も荒い。
瑞英は首を傾げた。
「……病気らしい症状はないと、聞いていたのですが」
「ああ。どうやら、数日置いて熱が出始めたようですよ?」
似たような格好をした国良が、口を挟んでくる。
瑞英はそれを聞きながら、首をさらにかしげた。
(……肌から鱗が出てる)
服の間から露出している箇所に、鱗が浮き上がっているのだ。それも部分的なもので、全身が覆われているわけではない。
瑞英は一度、美雨を見た。美雨は目を丸くしながら首をかしげる。
「……どうかいたしましたか?」
その言葉に返事を返さず、瑞英はじっくりと美雨を見つめた。
首や顔から、鱗など露出していない。見えるのは美しくもきめ細やかな肌のみ。
やはりこの症状は、病気によるものなのだろう。瑞英はそう結論づけた。
それは国良も気づいたらしく、口元に手を当てている。そして彼は、もともといた狗族の医官に向けて言葉を投げかけた。
「ねえ、君。記録つけてるよね。見せて」
「は、はい」
患者の様子が記入された記録帳を受け取ると、国良は目を通してゆく。
それと今の状態とを比べ、さらには触診をし、他の医官たちに指示を飛ばした。
「とりあえず、解熱剤を作って飲ませて。熱を下げることを先決に。薬は持ってきたからそれを使って」
「はい」
国良は再度記録帳を眺めると、外に出るようにと促した。瑞英たちもそれに従う。さすがに匂いがきつかったのだ。
外に出て布を外せば、多少なりとも新鮮な空気が入ってくる。
国良は口を開いた。
「どうやら症状は、さらに悪化しているようです。二日前から、肌に鱗が浮かび上がってきたと記録されていました。僕も過去の文献はいくつか見てきましたが、似たような症状は見たことがありません。これ以上熱が上がると、最悪死に至るかと思います」
「そんな……」
宇春が目を見開き、痛ましそうな顔をした。その気持ちは瑞英にも分かる。誰かが死ぬということを看取るというのは、本当に辛いのだ。
しかし嘆いていても、誰も助からない。それは、飢餓の際に痛いほど知った。
国良は未だに何かを考え込んでいるようであった。その証拠に、瑞英への茶化しがない。こんな真面目な顔もできるのなら、初めからしてもらいたいものだ。
そんなことを思いながらも、瑞英は行く前に頭に叩き込んだ文献から、似た症状がないかと頭を動かしていた。
その整理が終わるより先に、国良は言う。
「とりあえず、できる限りの対処はします。皆さんは絶対に、村のものを口にしたりしないでください。食糧や水は、持ってきたものと数日後に届く配給で凌ぎます」
「分かりました」
「は、はい……」
その対応に異論はない。飲み水や食べ物に原因があり、それを体に取り入れることで病気に発症する場合もあるのだ。
「辺りを探索する場合は、必ずふたり以上で行動してください。いくら熱が抑えられたとしても、原因を解明しない限りこの病気は続きます」
そして国良は、瑞英を見た。
瑞英はそれを知り、嫌な予感を感じ取る。
「期待していますよ、兎妃サマ、寵妃サマ?」
道中では一度たりとも減らず口をきかなかったのに、この後に及んで言ってきた。腹立たしい言い方に思わず口端がひくつく。
それを堪えつつ、瑞英はひとつ頷いた。
「善処します」
まず手始めに探索をしようと、瑞英は宇春を伴い森の中へと足を踏み入れることにした。




