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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第二部 兎は月に花を隠す
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12.物語

 からからと、車の車輪が回る音がする。

 その音を楽しみながら瑞英ルェイインは、目的地までの道のりを楽しんでいた。


 垂れ布で遮断された窓から外を見れば、辺り一帯は森だ。景色も同じだが、空気と匂いが違っていた。


(森の中って、かなり澄んだ空気をしているんだ)


 車に乗っていても感じる冷たく澄んだ空気はどこか気持ち良く、体をすり抜けていく。緑の匂いも、後宮にいるときに比べれば段違いに濃かった。ときどき大きく揺れることもあるが、それ以外は穏やかなものである。どうやら従者が良いらしい。速く進む割に揺れはほとんどなく、彼がどれだけの注意を払って車を引いているのかがよく分かった。


 されど外を見ているだけでは暇なため、必然的に宇春ユーチェンと話すことになる。

 ふたりの話題はやはり、これから向かう村で起きていることであった。

 瑞英は、陰険医官である国良グオリャンとの話し合いの際に聞かされた事情を思い出しつつ口を開く。


「宇春様は、竜族が竜化できなくなる病気というものに、何か覚えがありますか?」

「いえ、まったく……」


 そう。今回問題になっているのは、竜族の者たちが次々と竜化できなくなるという、奇妙な現象に関してであった。


 竜族における竜化というのは、彼らが強者として君臨し続けている証である。竜化というものがあるゆえに、彼らは十三の獣族の中でもとびきりの力を有しているからだ。


 そんな竜族の中にもやはり差というものはあり、それにより待遇が違うのだという。

 竜化もできる上に性別が決まっている者が高位。竜化はできるが、中性である者が中位。竜化もできず中性である者が下位という分け方をされている。後宮にいる宦官などは、下位の竜族というわけだ。


 下位の者は、竜宮では雑務しか行えないらしい。宦官もその一端だ。

 中位ともなるとどこにでも配属されるが、やはり高位の竜族には劣るのだという話を、瑞英は教育係でもある美雨メイユイから聞いた。


 ひどい話だと、瑞英は思う。されどそれは、鼠族領でもあったことだ。

 大きな集団の中には、必ずいくつもの小さな集団がまとまっている。その中のどこの集団に属しているかで、階級が決まるのだ。それが格差である。

 そしてまた小さな集団でも、格差が生じる。今回の格差は、その小さな集団にて生じた格差であろう。


 しかし美雨の話では、昔のほうがひどい扱いを受けていたのだという。改善されたのは、竜族の歴史としてはかなり最近なのだとか。


 古くは中位以下の竜族を価値のない者とみなし、視界にすら入れない高位種が多く存在していたという。高位種にとって、中位種以下は存在する価値すらなかったのだ。

 今でもそう言った観念を持つ者はいるが、こうして竜宮内での勤め先を見つけられるくらいには、地位が回復した。

 そう、美雨は言っていた。


 竜族の格差はどこよりも大きかったのだと、そのとき思ったものだ。それが、実力さえあればどんな種族でも勤められるようになったというのだから、人生どう転ぶか分からない。


 そして今から向かう先にいる竜族たちも。

 まさか自分たちが、下位種同然の事態にみまわれることになるなど、毛ほども考えていなかったであろう。


 竜族にとっての強さが竜化であるのなら、なおさらだ。瑞英とて、自分の頭の中から知識がすり抜けていったとしたら、ひどく動揺する自信がある。自分たちが確固たる思いで信じてきたものが崩れる瞬間は、いつだって残酷なのだ。


 瑞英はため息をもらした。


「前例がない上に、原因がなんなのか分からないという状態は、さすがに不安になりますね」

「そうですね……わたしたちが解決しなくてはならないことではありませんが、歯がゆく感じます」


 宇春はそう言うと、垂れた耳を指先でいじった。瑞英はそれを見て、どうしたものかと首をひねる。

 不安に感じたり何か動揺した際、宇春は自身の耳をいじる癖があった。


 されど、瑞英が何か声をかける間もなく、宇春は一冊の書物を手持ちの風呂敷から取り出す。随分と読み込んだ形跡があるそれに、瑞英は目をまたたいた。


「それはなんですか?」

「これですか? これは、兎族の女たちに伝わるお話です。中身は恋物語なのですが、とても素敵なお話ですよ。わたしはこれが好きでして。今回も遠出になると聞き、思わず持ってきてしまいました」

「兎族の恋物語、ですか……」


 恋物語という単語に、瑞英は少し興味を持った。翡翠色の瞳がまんまるになり、キラリと輝く。他獣族の恋物語というものに、関心があったのだ。

 そんな瑞英を見て嬉しくなったらしく、宇春ははにかみながら説明を続けてくれる。


「しかもこれは、竜王陛下とその妃になった兎族の姫の物語なのです。著を記したのも、その姫だそうですよ」

「つまり、実際に起きたことを書いたのですか?」

「いえ、おそらくは創作かと」


 宇春がそこまで断言する理由が分からず、瑞英は首をかしげる。されど兎姫は特に何も言わず、その書物を瑞英に差し出した。どうやら読んだほうが早い、と言いたいようだ。


 何度も読み込まれたであろうそれをありがたく受け取ると、瑞英は表紙を眺めた。

 そこにはかすれた文字で『竜王花奇譚』と記されている。彼女はぱらぱらと、ページをめくっていった。

 書かれていた文字は、兎族の言葉である。されど瑞英にはするすると読めた。無駄な努力の賜物である。


 ――内容を軽く要約すると、こうである。


 竜王の妃に選ばれた兎族の姫の名は、玉香ユーシャンと言った。彼女は竜王ともとに嫁ぎ、幸せな日々を過ごしていたという。

 しかしある日、その最愛の竜王が病に倒れたのだという。玉香は必死になって彼を看病したが、その病が治ることはなかったという。


 刻一刻と迫る愛おしい者の死に、玉香は大粒の涙を流した。その玉のような涙が竜王の唇に触れると、その病はみるみるうちに治り快方に向かったという。


 最後はおとぎ話よろしく、「そしてふたりは幸せに暮らしましたとさ」といった締めで終わっていた。


 すべてを読み終え、瑞英は頷く。


(なるほど。確かにこれは創作だ)


 内容は、創作によくある実に幻想的な話であった。涙で病が良くなるはずがない。現実的に考えれば、そう言うことである。


 されど中身は、そういった現実感を感じさせない作りになっていた。兎族の姫の間で流行り、宇春が好む理由も分かる。現実から逃げ出したかった彼女たちからすれば、この物語の姫のなんと美しく幸せそうなことか。

 挿絵まで付いており、最後のほうには竜化した竜王に寄り添って泣く、兎族の姫の姿が描かれていた。


 細々としたことが気になる瑞英としては、多くの疑問が残る話である。


(良くも悪くも、綺麗な面しか描いていないもんな。いや、わざと描かなかったのか)


 そもそも、玉香という兎族の姫が嫁いだという話は、どの記録書にもなかった。少なくとも瑞英の記憶にはない。そうなると、ほぼ確実に実名を使っていないということになる。

 そして気になるのは、この表題だ。『竜王花奇譚』というのは、どういう意味なのだろうか。


(竜王の花ということだから、つまり竜王のお嫁さんのお話?)


 それにしたって、ひねりすぎている。いまいちピンとこない。

 瑞英は様々な疑問に首をかしげながら、宇春に詳細を聞いた。


「これは、どなたが書き記したものなんですか?」

「確か、二代前の竜王陛下のもとに、五番目に嫁いだ方でしたので……」

「となると、チュン様ですね。確か竜族領では、かなりの腕前を持った薬師として有名だったような」


 となると、千年以上前の話ということになる。おそらく、その元になる話を兎族の女たちが書き写し、次へ繋げていったのであろう。挿絵はその間に付いたのかもしれない。もし初めから付いていたのだとしたら、とても珍しいと思った。

 宇春が感嘆の声をあげる。


「そうです、純様です。瑞英様はよく覚えていらっしゃいますね」

「まぁ、記憶力だけが取り柄ですから」


 瑞英は苦笑する。瑞英から記憶力を取り上げたら、何も残らないのだ。宇春のように薬学に長けているわけでも、夢花モンファ佩芳ベイファンのように武術に秀でているわけでもない。あるのはこの身ひとつと頭脳のみである。

 しかしその頭脳も、記憶するだけではなんの意味もないということを思い知った。


(知識ばかりあっても、だめなんだね)


 瑞英は、自身が最も尊敬する母親の顔を思い浮かべた。瑞英は母親に似ているため、顔の雰囲気はほとんど変わらない。ただ母はどこか、儚げな空気をまとっていた。

 そんな母は、領地がどんなに危機的な状況に陥ったとしても、決して焦ることなく皆を導いた。それは、経験が成せる技だったのだ。


 今ならば分かる。母がどれだけの体験をし、その経験と持ち得る限りの知識を活用して指示を出していたのだ。

 されど瑞英には、その経験の部分がすっぽりと抜けてしまっている。


 瑞英は瞼を落とした。


(母様はどうして、わたしを外に出してくれなかったんだろう)


 あなたの知識量は、鼠族一だと。

 あなたには、鼠族を支えていけるだけの力があると。そう言ったのに。経験だけはさせてくれなかった。そして母は、その経験がなければ、知識などなんの役にも立たないことを知っていただろう。


 カラカラという音が妙に耳に障る。今の頭では、考え事などはかどりそうにない。

 瑞英は書物を宇春に返してから、鈴玉リンユーがあつらえてくれた座布団に身を沈め、しばし休息をとることにした。


 まだ先は長いのだから。

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