11.始動
出立の日。
空は晴れ、清々しい青色が一面を埋め尽くしていた。雲ひとつない快晴である。ここ数日は雨もなく土も乾いており、深い緑が風に揺れてさらさらと音を立てていた。
まるで瑞英たちの出立を、後押ししてくれているかのようである。
そのことに喜びつつ、瑞英は竜宮の門前にいた。
すでに荷物は運び終わり、あらかたの作業を終えている。一日足らずで準備をするのは、とても大変そうだった。なんとか荷物をまとめられたのはひとえに、美雨の指示が的確であったおかげである。
宇春も作業を無事終えたらしく、瑞英のすぐそばへとやってきた。
「気持ちの良い日ですね、瑞英様」
「そうですね。風が気持ち良いです。緑の匂いも、だいぶ濃くなってて」
「そういえば瑞英様は、夏の匂いを知らないのでしたね。やはり新鮮ですか?」
「はい。とても」
これであの性悪の顔を見なければ、なお良かったのだが。そういうわけにもいかない。
瑞英は内心げんなりしながら、馬族の従者たちに車を運ばせている兎族へと視線を移した。
医官、国良。
見れば見るほど、嫌味な男だ。
あれだけ瑞英のことを貶しておきながら、やることはきっちりやるしその手際も見事だ。瑞英たちは着るものを詰め込むだけで済んだ。生活用品などはすべて、向こうが手配してくれたらしい。
身を寄せる場所への根回しまで住んでいるようだ。これは、鈴麗が伝え聞いた話だという。
憎らしいにもほどがある。あれだけのことをこちらに言っておいてそれとは。
自分より何歩も前にいることも苛立つが、それを平然とやってのけるその精神にも苛立った。
(普通ならもっとかかるぞ……)
医官たちだけを送るならまだしも、妃を連れて行くとなると準備に手間取る。道中の食糧も馬鹿にならない。
されどあの男には、それを短縮できてしまえるだけの力と頭があるのだ。
国良以外の医官たちも集まり、せっせと薬を運んでいる。
国良以外の医官は皆、狗族であった。どうやら兎族は、彼と宇春だけなようだ。
そのことが意外で、瑞英は首をかしげていた。てっきり、医官の大半は兎族だと思っていたのだが、違うようだ。
しかしそれよりも気になるのは、馬族である。
瑞英ははじめて見た馬族に、内心感動していた。
(すごい、かっこいい……はじめて見た!)
馬族は、上半身が人のもの、下半身に馬の肢体を持つ種族だ。四足歩行をする唯一の獣族であり、陸地においては最速と言われている。
性格も比較的温厚な者が多く、獣族としての序列は中間辺りだった。
衣から露出した下半身の筋肉は見事で、瑞英は惚れ惚れしてしまった。地下で過ごす瑞英には、お目にかかる機会がなかったのだ。感動もひとしおである。
竜族領にはことあるごとに、献上品として贈られているらしい。
その言い方が癇に障ったが、そこはおとなしく口をつぐんだ。それに抗議できるほど、瑞英は各地の獣族を知らない。なら、そういうことなんだろうと割り切るほかないだろう。
いつか背中に乗せてもらいたいものである。されど馬族にも誇りがあるため、気を許した者しか乗せないのだと聞いた。今回護衛として同行するのも、馬族が信頼した狗族のみである。
瑞英と宇春が乗る車を運転する馬族は、体格ががっしりした男であった。濃茶の髪は固くうねっており、顔の彫りが深い。薄茶の瞳は、なんとも言えない威圧感があった。
比較的温厚な獣族ではないのかと、思わずつっこみたくなる。槍を片手に、戦場を闊歩していそうだ。裾から覗く筋肉も隆々としており、殴られたら即死しそうである。
及び腰で近づいていくと、それに気づいた従者が笑みを浮かべてくれた。白い歯が見える。突如として湧き上がる親近感に、違った意味で動揺してしまう。
「はじめまして、妃方。俺みたいなやつが妃様を運べるなんて、夢みたいですよ」
「そ、そうなのですか?」
「はい! すごく名誉あることです!」
見た目の印象とは裏腹に、彼はよく笑う人懐っこい馬族だった。キラキラと瞳を輝かせ、楽しそうにしている。どうやらその言葉は本当であるらしい。
そのことに安堵しつつ、瑞英は言葉を交わしていく。
出立する頃には、すっかり仲良しになっていた。できることなら「兄貴」と呼びたい。どさくさに紛れてなら気づかれないだろうか。そんな阿呆なことを考えるくらいには、良い獣人である。
臆病で警戒心の強い宇春も、比較的気を抜いて話していた。それを見た瑞英は「良かった」と思う。
(目的地までそんなに長くないとは言われてるけど、多少なりとも話せていたほうが気が楽だもんね)
目的地は、二日あれば着く距離にあるらしい。されど妃を同行させるということで進行を遅くし、三日で着くようにしているという。よく準備ができたものだ。
そう思いながら、瑞英は宇春とともに車に乗る。同乗するのは鈴玉と、宇春に昔から付き従っている侍女であった。
車の中は意外と広く、整っている。鈴玉はそこに持参した座布団や布をかけ、万全の状態にしておいてくれた。これならば、座りっぱなしでもなんとかなりそうだ。
護衛の馬族と狗族を先頭にして、車は順々に動き出す。
瑞英たちはそうして、竜宮を後にした。
***
ふたりの妃が出発した後。
夢花は、竜宮の一室に呼び出されていた。
その顔は不満げだ。その不機嫌さが分かるのは歩調である。彼女の歩みはとても速く、そして大股だった。その後ろを、侍女たちはピタリとついている。
目的の部屋に入った瞬間、夢花はあからさまに顔を歪めた。
部屋には既に佩芳がおり、悠々と椅子に腰掛けている。
「なんでここにあなたがいるんですの……」
「そういうあなたこそ、どうしてここに?」
「わたくしは、宦官に呼び出されただけですわ」
「……なるほど。わたしと同じということだな」
どうやら同じ条件で呼び出しを食らったらしい。
夢花は鼻を鳴らし、佩芳の隣に置いてある椅子に乱暴に座った。そして足を組み、腕を組む。威圧の体勢である。
一方の佩芳も、夢花とこれ以上話す気はないようだ。顔を背け、窓の外を見つめていた。
まさしく、一触即発。
一石でも投じられれば、爆発しそうな雰囲気が漂っていた。
そんな中でも顔色ひとつ変えない侍女たちは、澄ました顔をして背後に佇んでいる。
少しすると、扉が開かれた。
ピリピリとした空気の中入ってきたのは、兵部尚書である栄仁だった。
赤銅色の長髪に翡翠色の瞳を持つ竜族は、中の様子を認め少しばかり困った顔をする。
彼は雅文、幸倪、美雨の幼馴染である。
この二人はそのような事情を知らないが、まとう覇気からそれ相応のものを感じたらしい。体勢を直し、すっと背筋を正した。
栄仁は軽く頭をさげると、自己紹介を始める。
「はじめまして、妃方。わたしは兵部尚書の栄仁です。この度はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
妙にかしこまった口調で、栄仁は言う。
そんな前置きをつけてから、彼は早々に本題に入った。
「さて、あまり時間がないので、本題に入らせていただきます。今回お二方を呼んだのは、妃としての仕事をやっていただこうと思ったからです」
「妃としての仕事ですの? そうなると、他のお二方はどちらに?」
「はい。鼠妃様と兎妃様には、視察に出ていただいています」
「別行動というわけですの」
「はい。そちらの方が効率的ですので。お二方の活躍は、陛下にも大きく関係することなのです」
瞬間、佩芳の耳がピクリと揺れた。
夢花も、自慢の尻尾を左右に揺らす。
特になにを発言するでもない二人の妃の反応を、栄仁は肯定と受け取った。そのためさっさと内情を言うことにする。
「お二方は、竜宮内に内通者がいるのではないかという話をご存知でしょう。その件により、竜宮は今とても不安定になっています。このまま陛下についているべきなのか否か。そう考える者たちが、少なからずいるのです」
「……まあ。なんて浅はかなんですの」
夢花はそう吐き捨てた。
彼女は現在の竜王をとても尊敬しているし、崇高してもいる。それがなければ、気位が高い彼女がここにいることはなかったであろう。
しかし佩芳はというと、何を言うわけでもなく深紅の瞳を伏せていた。栄仁がそれを見て眼孔を細めたのを、ふたりは知らない。彼自身が間髪入れず言葉を続けたからだ。
「そこで、です。お二方には、竜宮にいる猫族と狗族の武官、双方をこちらに引き入れて欲しいのです」
「……つまりわたくしたちに、派閥争いをしろとおっしゃいますの?」
「そういうことになりますね」
このときはじめて、佩芳が口を開いた。
「なるほど。武力を抑えておきたいということか」
「ええ、まあ。竜族であれば、力さえあればねじ伏せられるのですがね。お恥ずかしながら、我ら竜族には分からない部分が他の獣族間に存在しますので」
栄仁はひとつ咳払いをした。
夢花は回りくどい言い方に片眉をあげつつ、自分の中で噛み砕いていく。
竜宮は基本的に実力者至上主義であり、適材適所の場だ。おそらく栄仁は手始めに、武官の中にいる猫族と狗族を攻略したいのであろう。
なんだかんだ言ってこの二種族は、相応の戦力を持ち合わせている。
そしてどちらの種族も、王族には頭が上がらないという特性があった。血がそうさせるのだ。血が濃ければ濃いほど、その力は強いのだという。
ゆえにどちらの種族も王族は殺せないし、王族の言葉に縛られてしまうのだ。狗族のほうは奉公の扱いも絡むため、もっと複雑であるらしいが。
なるほど。そう言った特性を知っていて頼んだのであれば、賢明な判断だ。
もとより逆らう気など毛ほどもない夢花は、二つ返事で了解した。
「承りましたわ。陛下のためですもの」
それに夢花はもともと、武術に秀でていた。猫族の一般的な姫ならばしないことだが。
それにいくら王族の命令に逆らえないからと言って、無理矢理従わせても続かない。相手が武官ならば拳で語り合おうではないか。
なんせどちらの種族も、強きに憧れるのだから。
佩芳は物思いにふけていたようだが、ひとつ間を置き頷く。
「分かった」
夢花はぴくりと震えた。その態度が気にかかったのだ。しかしここで指摘してもらちがあかないので、何も言わないでいた。
ふたりの妃から了承をもらい、栄仁は安堵した表情を浮かべる。
――こうして夢花と佩芳は妃として、派閥争いに身を投じることとなった。




