4.会議
宴がおこなわれた明朝。
竜族の中でも『穏健派』と呼ばれる家臣たちが集う定例会議は、普段とは違い重苦しい空気に包まれていた。
古株の重鎮たちが口を閉ざす中、今代竜王はつまらなそうに頬杖をつき、会議資料に目を通している。
氷王、雅文。
氷のごとき眼光とぴくりとも動かない表情、そして一流の彫刻師が作り上げた精密な像のような美貌から、そのような通称がついた。
彼がそこにいるだけで、辺りには刺すような空気が広がる。覇気に慣れた竜族たちですら恐れおののくそれは、彼が稀代の竜王の中でも最強と謳われる所以である。
今回の主立った議題は、そんな彼の妃についてだ。
すべての竜族の家臣たちが集まった中、会議が始まった。いるのは竜族だけだ。内容が内容なだけあり、他の獣族たちは呼ばれていない。その上春先の忙しさもあり、六部と呼ばれる政治の統制を担う竜王直属の配下の長たちも、まともにこれていない有様だった。
一通りの報告が終わり主題に入ると、再び沈黙が広がった。紙をめくる音だけが聞こえる部屋はひどく冷めている。そんな空気を切り裂くように、ある男が口を開いた。彼は雅文が竜王になった辺りから仕えている、古参の家臣だった。
「雅文様。貴方様に他獣族の……しかも最弱と名高い鼠族の番が出たとの噂は、誠にございますか?」
その声はどこか、認めて欲しくないというような悲痛な願望が込められている。
されど雅文はなんら躊躇いもなく、首を縦に振った。
「左様だ。それが、どうかしたか」
他でもない本人からの肯定により、場の空気が凍りついた。
するとそれを皮切りに、家臣たちによる嘆きや愚痴がこぼれ始める。
「なんと……嘆かわしい」
「数千年前の悲劇を繰り返さないための、他獣族からの花嫁選びだったのだぞ。にもかかわらず番が見つかってしまったとなると、どうすれば良いのだ」
「しかも相手は、あの最弱獣族だ。王妃になど据えるべきではない」
「いや、竜族内においておくべきではないのだ。竜王陛下にはせめて、他の姫を王妃に……」
「静粛に」
口々に発せられる沈痛な叫び。収拾がつかなくなり始めた会議室で、幸倪の厳粛な声が響いた。それにより、場の空気が静まる。
彼は雅文の背後に立ち、深海のように静かに、されど確かな怒気を発した。
「先ほどから黙って聞いていれば……随分と馬鹿馬鹿しいことを。お前たちは雅文様に、「貴方様は竜王なのだから、見つけた番を捨てて生きてください」などという戯れ言を吐くつもりか? ならばわたしからも言わせてもらおう。「雅文様と番の姫君を離せと言うのであれば、お前たちも今直ぐ、自らが抱える番と離れて暮らせ」と」
幸倪が言いたいことを瞬時に悟った家臣たちは、身を震わせて口を閉ざす。
幸倪はため息を吐いた。先ほどより穏やかな声で、しかし端々に厳しさを含ませて言葉を重ねる。
「そもそもわたしは、竜王陛下に番をつけないという風習に疑問を抱いていた。いくら以前の悲劇を繰り返さないためとはいえ、番をつけず、心に穴が空いたまま余生を終える。これがいかほどの孤独か、お前たちには理解できるか?」
その台詞は端から、できないだろう、と言っていた。
家臣たちが恐ろしい事実に打ちひしがれる中、部屋の扉が開かれる。皆が一斉にそちらに目を向けた。
「わたくしが思うに……そのような議論は今この場において、まったくの無意味かと存じます」
入ってきたのは、竜族の女だった。色白で整った見目は凜然としており、仄かにすっきりとした花の香りが漂う。清潔感のある、美しい女だ。白と紺の落ち着いた色味の衣をまとう彼女は、ひだのある袖を払った。
それは、想像だにしない人物の来訪だった。しかしこの場にいる誰もが知る彼女に、ある者は怯え、ある者は頭を下げ、またある者は悟ったように視線を向ける。多くの者は、次々にやってくる予想を超えた展開に顔色を悪くしていた。
琥珀色に輝く長髪の上部をまとめ、優雅になびかせる女は、驚愕に染まる面々の顔を見てうろんげな眼差しをぶつける。赤みを帯びた金色の瞳は瞳孔が糸のように凝縮し、侮蔑の色をにじませていた。
「見つかってしまったのならば、それを受け入れた対策を検討するべきです。今までとて、竜王陛下に番が見つかるという事案がなかったわけではありません。それとも相手が鼠族の方だったとそれだけの理由で、あなた方は現状を嘆くのですか。なんと情けない」
嫌悪を含んだ声で一言告げた女は、凛々しい態度を崩さずに雅文のもとへと歩みを進める。そして椅子の脇で膝をつくと、恭しくこうべを垂れた。
「お久方ぶりにございます、竜王陛下。また貴方様に仕えることができる幸福、心より歓迎いたします。 ――美雨、此度のご報告、慎んでお祝い申し上げます」
わずかに目を見開き、驚きを示す雅文。しかし労いの言葉をかけ顔を上げさせると、背後に控える忠臣に視線を向けた。
「幸倪。彼女はそなたが呼んだのか?」
「左様にございます、雅文様。皆様に大それたことを申すのでしたら、わたし自身もそれ相応の態度で示そうかと思いまして」
何食わぬ顔でそう告げた竜王の片腕は、獰猛な笑みを浮かべる。一同が目を剥く中、彼は美雨に視線を流した。
「美雨も、それを承知で馳せ参じました。わたしはあなた様の片腕。いつでも、共に滅びる覚悟はできております」
「……そうか。分かった。好きにするが良い」
「有り難き幸せにございます、我が君」
幸倪が竜王の右側に立ち、左に美雨が仕える。
それはさながら、雅文が竜王として即位した頃の全盛期を思い起こさせる光景で。
他の面々はその並外れた覚悟に、口を閉ざす他ない。
「さて、皆様、」
まるで母親のように、慈愛に満ち溢れた微笑を浮かべた美雨は、その長身で席に座す者たちを見下ろす。
「わたくし、ひとつ、考えて参りました」
そう前置いてから発せられた彼女の考えは、竜族至上初めての試みだった。