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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第二部 兎は月に花を隠す
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10.公私

 竜宮から後宮戻ってきてから。

 瑞英ルェイインは一心不乱に書物を読みあさっていた。


 帰る前に、書庫からありったけの医学書や薬学書を持ってきたのである。宇春ユーチェンやそれぞれの侍女たちにも手伝ってもらった。


 普段ならば絶対にやらないが、今回は仕方ないと思いページをひたすらにめくっていく。その速度たるや凄まじく、半刻で分厚い書物十冊目に目を通した。

 瑞英は、紙をめくって一文字一文字を追うのが好きなのだ。根っからの書物好きなのである。ゆえに今回の件は大変不本意であった。


 されどあの性悪医官の顔を思い出すと、めらめらとたぎってくる。


(絶対に負かす)


 そう考えていたときの目は、据わっていた。

 その向かい側に座る宇春は、見たこともないような瑞英の表情に戸惑いつつも薬学書を読み進めている。


 ふたりは、揃いも揃って勉学に勤しんでいた。それは場所こそ違えど、庭での出来事を思い起こさせる。

 出立は明日の昼。

 それまでに、少しでも知識を得ておこうと思ったのだ。瑞英の場合付け焼き刃もいいところだが、ないよりましだ。何より、何かしていないと気が狂いそうだったのだ。


 侍女たちはそんなふたりに、茶と菓子を出した。茶は宇春の好きな茉莉花ジャスミンの工芸茶、菓子はいつぞや食べた木の実や干した果物などを混ぜた餡を包んで焼いた、円盤状の焼き菓子である。瑞英の顔くらいはあろう。それを食べやすいように切り分け、卓に運んでくれた。


 目にも楽しい茶を飲みつつ、焼き菓子を食べる。やはり美味しい。疲れきった脳に染み渡るようだ。茶も独特の清涼感があり、頭も口の中もすっきりする。甘いものは偉大だと、瑞英はあらためて悟った。


 ふたりして休憩を入れたときだった。部屋の扉が叩かれたのだ。

 ふたりは顔を見合わせ、首をかしげる。こんな時間に、しかもこんな状態の後宮の一部屋に、いったい誰が訪ねてくるというのか。


 思い浮かんだのは、国良グオリャンだった。


(また何か小言でも言いに来たか? それとも、何か伝え忘れたことがあったとか?)


 瑞英の疑問をよそに。美雨メイユイがいち早く対応に向かった。

 扉を開き数言交わすと、美雨は急いで侍女たちを別の部屋へと下がらせる。残ったのは、瑞英の侍女たちのみであった。何事かと思ったが、そうこうしている間にひとりの男が入ってくる。


 入ってきたのは、雅文ヤーウェンだった。


 瑞英は驚きのあまり、菓子を喉に詰まらせた。ゲホゴホと咳き込み、茶を飲んで対処する。

 一方の宇春はあんぐりと口を開き、動きを止めていた。完璧が基本の、あの兎姫がだ。瑞英は二重の意味で目を見開いてしまった。その瞬間瑞英は、先ほどの対応がぶっ倒れないようにという配慮からくることを悟った。


 ふたりは弾かれたように椅子から立ち上がり、起拝の姿勢を取ろうとする。されどそれを、雅文が止めた。


「いや、礼はいい。突然押しかけてすまなかった」

「い、いえ……このような時間に、珍しいですね雅文様」


 未だに動揺が抜けない瑞英だったが、その様子からただならぬことであることは容易に知れた。急いできたのか、その髪は少し乱れ額に汗が浮かんでいる。

 普段の涼やかな顔と違い、瑞英は不謹慎だが可愛いと思ってしまった。

 瑞英がのほほん、とそんなことを考えていると、雅文の表情が歪む。そして喉から絞り出すような声をあげた。


「先ほどは、わたしの臣下が……国良が、すまないことをした」


 かと思えば、頭を下げられる。あまりの光景に、脳が思考することを放棄し始めた。

 それを無理矢理動かし、瑞英はあわあわする。


「雅文様っ、頭を上げてください!」

「いや、すべてはわたしの不始末だ。今回はただ、視察のために向かってもらおうと思っただけだったのだ。なんだかんだ言って、あれでもやつは優秀なのだ。……口がめっぽう悪いだけで」


 本当にその通りだ。口は悪いし性格も悪いし、にもかかわらず見た目は可愛いときている。詐欺である。

 瑞英が内心憤慨している間も、雅文は申し訳なさそうに告げる。


「見聞を広めることは、妃として必要になるであろう。そのため、そなたらには二組に分かれて竜族領に慣れてもらおうと思ったのだ」


 ああ、あの場に他のふたりがいなかったのは、そういう理由だったのか。


 瑞英はそのことに納得しつつも、国良の性悪さをあらためて悟った。


(あの性悪兎、話を盛りやがった)


 あらためて殺意が湧く。

 それからも、雅文は事実を粛々と語っていった。


 確かに瑞英の存在により、雅文に対して不信感を持つ者がいるが、それはさほど多くないということ。

 ゆえに、そこまでの責を負わなくていいということ。


 瑞英たちが病の真相を解明する必要は、つゆほどもないこと。

 そして、どうかこれからも妃として、自らの力を活かしたことをして欲しいと。そう嘆願した。

 そのすべてが、瑞英たちを思ってのことだ。


「わたしが謝ったところで、仕方のないことかもしれない。ただこれだけは言わせて欲しいのだ。わたしはそなたらに、無理を強いたいわけではないのだと。――本当に、申し訳なかった」


 すべてを言い切ってもなお頭を下げ続ける雅文に、瑞英はため息を吐く。乾いた唇をひとつ舐めると、彼女はようやく口を開いた。


「雅文様が謝る必要なんてないですよ。……それに、知っていました。実は」

「……何をだ」

「あの医官が、わたしをあおるために話を盛っているんだろうなーということをです」


 瑞英の言葉に、藍藍ランランを除いた全員が目を見開いていた。むしろ藍藍は苦笑している。顔色が多少悪いが、立ててはいた。前よりも耐性は上がっているようだ。主人に似て図太くなってしまったらしい。

 そんな藍藍がそばにいるのは、瑞英としても安心する。彼女は、鼠族のお家事情をよく知っているのだ。


 しかしそれを知らない雅文も顔を上げ、眉を寄せている。瑞英はそれを見つつ、自身の家族を思い出していた。


(そう言えばああいうやり取りで、うちの兄たちにはよく泣かされてたなぁ……)


 瑞英の家族は総じて、とても意地悪で性格がひん曲がっていた。相手をあおるための技術はもちろん、多少誇大して言われたことなどザラにある。そこで「ずるい!」と指摘すると言うのだ。――「嘘を吐いていないのに、何がずるいの?」と。


 屁理屈だが事実なのだ。お前の受け取り方が大袈裟なのだと、こっちはそこまで言っていないと言われて怒るのだが、兄たちはどこ吹く風。そのあと必ず瑞英が泣くと、母親である王妃がやってきてこんこんと叱るのだ。母の言い分はいつ見ても鮮やかであった。


 そんな環境で育ったため、あの手のやり取りには慣れている。

 ただ今回我慢ならなかったのは、雅文のことを引き合いに出されたからだ。瑞英は自身の話題に関しては流せるが、自分のせいで自分の大切な人たちに被害が及んでいるということに関しては我慢できないという、難儀な性格の持ち主なのである。


(あいつの思惑通りにあおられて乗ってしまったことは、本当謝りたい。ごめんなさい。雅文様に謝るべきなのはわたしです)


 でも、仕方ないじゃないか。

 それに国良の喋り方は、他人の神経を逆撫でする。あれを堪えられるようにするのは、少しばかり骨が折れそうだ。


 それに誇大表現だろうと、瑞英の存在が雅文の立場に少なからず影響を与えているということは事実だった。

 外に出られることに対する喜びもあるし、雅文の言葉により、そんなに重荷を背負わなくていいという気楽さも湧いた。いざとなれば全部あの性悪に押し付けよう。いや、押し付ける。


 雅文にまで優秀と言われているのだから、不測の事態に見舞われればなんとかしてくれるのだろう。もしかしたらそういった自信があったゆえに、あんなあおりを使ったのかもしれないが。


(良策とは言い難いけど、有効な手立てだよなあ)


 そう。良策ではないが愚策ではない。これが成功で終われば、瑞英たちはかなり成長するだろう。

 かなりの力技なことは否めないが。使い方と使う相手を選ぶということもあるが。きっと瑞英と宇春だからこそ、そんな方法をとったのだろうと思う。


 もしそうだとしても、絶対に許さないが。


 瑞英は場に似つかわしくないほどの笑みを浮かべる。


「というわけで雅文様。もし何かありましたら、かの医官にすべての責を負わせても構いませんか?」


 そして笑みに似合わない台詞を吐いた。

 さすがの宇春も「る、瑞英、さま……?」と震えた声で名前を呼んできたが、笑顔で押し切る。

 雅文は頭の上に疑問符を浮かべながらも言った。


「それは構わないというより、むしろ当然だが……それにあやつも、もとからそのつもりでいるだろうしな」

「ありがとうございます、雅文様!」


 瑞英は内心拳を握り締め、それを高らかと空に突き出した。


(よし。最高権力者の言質を取ったぞ!)


 やられっぱなしは性に合わないのだ。頭で敵わないならせめて、こういった面で仕返しをしてやりたいと考えた。ただそれだけである。

 感極まり、瑞英は雅文に抱きついた。


「雅文様! わたし絶対に、あの男負かしますから!!」


 雅文は目を白黒させつつも、次第に顔をほころばせてゆく。


「そうか。分かった」


 雅文はそんなことを言って、瑞英を抱き上げた。あまりにも軽々と持ち上げるものだから、瑞英は一瞬何が起きたのか理解が追いつかない。

 しかし周囲からのなまぬるい視線に気づき、顔を真っ赤にして悲鳴をあげた。


 そんな鼠姫を見た兎姫は、今まで見たことがないほど良い笑顔を浮かべている。それはまるで手のかかる娘がようやく身を固めたときのような、そんな顔である。

 頬が薔薇色に染まり、一見すればとても愛らしかった。こんな場でなければ。


「まあ。瑞英様は大胆なのですねっ。とてもお可愛らしいですよ!」


 凄まじい誤解だ。違う。これはうっかり体が動いてしまっただけなのだ。

 しかし当の雅文はとても嬉しそうだし、周りも微笑ましいと言わんばかりの視線を向けてくる。藍藍に至っては、胸元で拳を握り締めていた。


 顔どころか耳や首まで赤くなり、瑞英は唇をわななかせる。


「お、おろしてくださいいいいーーー!!」


 鼠姫の悲痛な叫び声が、後宮一帯に響き渡った。


 それからしばらく、その件で雅文や宇春にからかわれることになるのだが。

 それはまた別の話である。

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