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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第二部 兎は月に花を隠す
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8.招集

 謹慎と閉鎖が明けたのは、それから二日後。珍しく、青空が覗いた清々しい日であった。草木が匂い立ち、緑が深まる。そんな、初夏らしい日だ。


 それと同時に、瑞英ルェイインは竜宮内の一室に呼び出された。呼び出してきたのは宦官かんがんだ。


 何事かと、瑞英は思う。

 しかし美雨メイユイはその意味が分かったらしく、その柳眉を歪めた。


「美雨、どうしたの?」

「……いえ。おそらく、面倒臭いことになるだろうと思いまして」


 面倒臭いこと、とは一体全体どういうことなのだろうか。されどあの美雨が「面倒臭い」と断言するほどなのだから、それ相応のことなのだろう、と思う。しかし彼女は定かでないことを口にしたりはしなかった。


(面倒臭いこと、ねえ……)


 嫌だなぁ、と思う。

 念のために侍女を全員連れて行った瑞英は、一番乗りで部屋の中に入った。


 呼んだ者どころか人が誰もいないため、暇である。そのため部屋の内装をしげしげと眺めた。

 竜宮の内装は、その外壁に合わせて青色に揃えられていた。

 青は竜王の色でもある。つまり、そういうことであろう。


 飾りっ気はないが品の良い調度品が並び、ところどころに美しい銀細工が散りばめられている。椅子が五つあり、一対二の割合で、卓を挟んで向き合っていた。


 その時点でなんとなく、予想がついた。が、実際どうなるのか分からなかったため口には出さないでおく。

 ただ自分が座るべきなのはこの、二つに並んでいるほうなのだろうなーと思い、そちらに腰かけた。


 改めてぐるりと見回し、さすが竜宮だなと思う。瑞英は、書庫以外で竜宮の室内に入ったことがない。そのためとても新鮮であった。


 そんな風に観察を続けていると、兎姫が侍女を連れて入ってきた。瑞英の予感が的中する。


(ああ。これは確かに面倒臭いな)


 宇春ユーチェンは瑞英の存在を認めると、目を瞬かせる。


「瑞英様も、こちらに?」

「はい。宇春様も、こちらに来るように言われたのですか?」

「はい。……ということは、陛下の妃という立場として何かあるということですね」


 瑞英は無言で肯定する。そう。おそらくふたりは、妃としての仕事を行うために呼ばれたのだ。

 ふたりは揃って椅子に腰掛けた。後にやってくるであろう誰かを待つのだ。

 ふたりの間に、さしたる会話はない。なんとなく、口を開くのをためらったのだ。


(刑部尚書のあの態度を見る限りだと、不当な扱いも受けてないはずだし)


 ただ、なんとなく気まずい。そのため沈黙が痛かった。

 そんな微妙な空気の中少し経つと、扉が開かれる。

 入ってきたのは、兎族の官吏と竜族の官吏だった。

 柔らかな茶色の髪に、同色の耳がピンっと立っている。風貌はどちらかというと可愛らしく、体も小柄だ。髪さえ長ければ少女にも見えた。

 しかしそれを見たとき、隣に座る宇春が一瞬震えたのが見えた。


(そうか……兎族の男性全般がダメなのか)


 彼女の過去をなんとなく聞かされていた瑞英は、どうしたものかと眉を寄せる。しかし本人が何も言わないため、口にすることはためらわれた。ここでそれを言ってしまうと、彼女の沽券にも関わる。

 瑞英は結局、何も言えなかった。


 そんな事情などつゆ知らず、兎族の官吏はニコリと笑う。そして椅子の前まで歩くと、緩やかに頭を下げた。続いて、椅子の後ろに佇む竜族の官吏も、そっと頭を下げる。


「はじめまして、妃の皆様。僕は竜宮にて医官をやっている、国良グオリャンと言います。そして彼が、今回の件で護衛を引き受けてくれることになった、武官の永福ヨンフーです」

「……はじめまして」

「……は、じめまして」


 瑞英と宇春がそれぞれ、無難な言葉を返した。そして作法通りの会釈をする。宇春の声は少し硬かったものの、緊張しているのであれば当然、といった程度の違和感であった。

 瑞英は、先ほどは注視していなかった竜族の武官・永福を見つめる。


 竜族らしく、若草色の髪は長い。柔らかく波打つそれを首筋辺りでひとくくりにしていた。

 瞳は深緑色だ。しかし大きい上に垂れ目なせいか、今まで見たどの竜族よりも柔和に見える。

 武官であり竜族でもあるのに、おかしな話だ。そう思い、瑞英は警戒を強めた。

 それは、気の抜けた笑顔を浮かべる医官とて同じ。


獣人ひとは決して、見た目で判断してはならない』


 瑞英の頭にはそんな母の教えが、しっかりと刻み込まれていた。

 国良への恐怖を拭えずにいる宇春に代わり、瑞英が口を開く。


「ところでこれは、どういった集まりでなのでしょうか?」

「はい。まぁ簡単に言うなら、していただきたい仕事ができた、と言った感じですね」


 読み通りの展開に、瑞英は頭を働かせる。

 そして国良が発する言葉の一言一句を聞き間違えないように、意識を集中させた。

 そんな瑞英に向けて、明るい、まただらしないとも取れる笑みを浮かべた国良は言う。


「今回お二方にしていただくのは、今竜族領で密かに問題となっている、原因不明の病を突き止めるということです」


 瑞英の思考が一瞬停止した。

 しかしすぐに戻ってきた彼女は、言われた言葉を反復し愕然とする。


(そんなもの、妃がやるべき仕事じゃないでしょう!?)


 医官がやるべき仕事だ。

 薬学の心得がある宇春はともかく、瑞英などいても邪魔にしかならない。知識も経験も乏しいからだ。そんな重大な事項を任せるなど、正気の沙汰とは思えない。

 そう言おうと思い口を開いたが、国良はそれすら許さないと言いたげに言葉をかぶせてきた。


「今回の件を成功させれば、お二方の竜宮での地位は確立することでしょう。特に鼠妃そひ様は、さしたる前歴もないままこちらに上がってきた上に、陛下の番であられると言う。周囲からの反感が少なからずあるということは、ご自身も分かっているでしょう?」

「……そうですね」


 そう。その通りだ。何も間違っていない。

 にもかかわらずこんなにも腹が立つのは、この男の口調のせいなのだろうか。


 瑞英は胃の辺りがムカムカするのを感じながら、笑顔で肯定する。

 国良は、やれやれと言ったように肩をすくめ、首を横に振った。


「それに伴い、陛下ご自身の立場も危うくなっています。「こんな役に立たない、しかも最弱と有名な妃を持つ者が竜王で良いのか」。そういった風潮が、特に過激派の辺りから強くなってきているんです。――これは一体、誰のせいなんですかね?」

「それは……っ」


 国良が先ほど明言していた通り、瑞英が悪いのだ。


 そう、他ならぬ自分が、雅文ヤーウェンの評価を下げている。


 そのことに初めて気づいた瑞英は、手のひらを強く握り締めた。

 しかしそれと同時に、憤りを覚える。目の前が黒く染まり、思考が真っ白になる。怒りのあまり、何がなんだか分からなくなっていた。


(雅文様は今まで、あれほどのことをしてきたじゃないか)


 今の竜族領があるのは、そして今まで、さしたる大きな戦争もなく各領地が平和的に過ごせていたのは、他ならぬ雅文のお陰だ。彼はそのようにして、今の地位と名声を築きあげてきたのだから。


(それが、たったひとりの、取るに足らない妃のせいで崩壊する?)


 その、なんと脆くなんと儚いことか。壊れるのはいつだって一瞬だ。

 築きあげるのにかかる労力は、その倍以上かかるのに。


 何より我慢ならないのは、その根幹にいるのが瑞英自身だということだ。


 自分の存在が、雅文の邪魔になっているのだ。それは瑞英が一番恐れていた事態であった。


(わたしのせいで、雅文様の立場が危うくなっているというのなら。それならば、わたし自身がどうにかしなきゃいけない)


 瑞英はもう、守られてばかりいるか弱い乙女ではないのだ。

 雅文が暴走し、それを止めに入ったとき。瑞英は逃げることも、流されることもやめると決意した。


 瑞英はようやく、一歩前に出る。


 そして、俯いていた顔を持ち上げた。

 顔を持ち上げてから気づく。


(ああ、わたし……今まで、下を向いて歩いてたんだ)


 前を向いた瞬間、今までとはまるで違う光景が視界に広がった。

 自分だけの世界に浸っていた頃とは違い、何もかもがまばゆく見える。しばらくはまだ、目が痛むことだろう。しかしそれは確かに、一歩進んだ瞬間であった。


 国良と目を合わせた瑞英は、はっきりとした口調で言う。


「陛下の地位を揺るがす要因となっているのは、他ならぬわたしです。陛下の優しさに甘え続けた、わたしが悪いのです」


 そんな瑞英に驚いたのか、宇春がかすれた声で名前を呼ぶのが聞こえた。

 しかし瑞英は決して、国良から視線を逸らすことはしない。そんな彼女を、国良は楽しそうに見つめていた。


「ええ、そうです。他にも要因はあったにせよ、それに火種をつけたのはあなたですよ、鼠妃様。お陰で、勢い付いた過激派たちが大きな顔をしていて、現在竜宮内はとても不安定です」


 その口調には「ほんと、誰のせいでこうなったのやら」と言った嫌味がこれでもかと込められている。

 その言い方に、表情が引きつるのを感じた。瑞英の癪に障る部分を、的確についてくる言動だ。


(こいつ絶対に医官じゃない)


 むしろ、こんな医官いてたまるか。患者の容態が逆に悪くなりそうだ。

 本音がこぼれそうになるのをなんとか堪えつつ、瑞英は言った。言ってやった。


「此度の件、わたしたちが解決しましょう。ええ、あなたの思惑どおり!」


 瞬間、国良がとても愉快そうに笑ったのだ。性格の悪いやつがする、意地の悪い笑顔だった。


 そう。瑞英の家族を思い起こさせるような、そんな笑み。


 嫌でもやる気が湧いてくる。


(この男、絶対に負かしてやる)


 そして、地べたに這いつくばらせて土下座させるのだ。いつか絶対にやってやる。


 その瞬間瑞英の、竜族表での最大の目標は『国良をうち負かすこと』になった。


 内心怒り狂う瑞英の心にさらに油を注ぐかのように、国良は飄々と言ってのける。


「良い結果になるといいですね――竜王陛下の寵妃様?」


 ぷちっ。

 瑞英の中で、何かが切れる音がした。


 あおられているのが分かるからこそ、心底腹立たしい。

 喧嘩上等だ。売られた喧嘩は買う主義なのだ。それが瑞英でもできる土台ならなおさら。


「良い結果にしてみせますとも。雅文様の名誉を回復させるためにもね!」


 それはまさしく、売り言葉に買い言葉であった。周りが口を挟む機会を掴めずぽかんと見つめる中、瑞英と国良の周りだけ火花が散っていた。


 そんな状態で、彼らの顔合わせは終わる。

 こうして件の病が広まる竜族領に出向くことになったのは、なんとも言えず珍妙でちぐはぐな面子であった。




 顔合わせが終わってから出立のそのときまで、瑞英が書庫にある薬学書、医学書を片っ端から読み進めていたというのは、また別の話である――

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