6.謹慎
刑部尚書の言葉に、佩芳は少しだけ考えるそぶりを見せた。
しかしそれも一瞬。彼女は二つ返事で了解する。
「分かった。わたしの話せることならば話そう」
先ほどの態度とは正反対のそれに、瑞英は拍子抜けした。しかし少しばかり安堵し、ホッと胸を撫でおろす。
(少なくとも、誰彼構わず反発しようとしているわけじゃないってことか)
それは同時に、自分自身の信用度がとても低いということでもあり。
瑞英は複雑な心境になった。これでは雅文のお荷物のままだ。
そんなふうに思い悩んでいると、美紫の顔が瑞英のほうを向く。
「鼠妃様には申し訳ないのですが……お引き取りしていただいても構いませんか?」
「あ、はい! お気になさらずに……」
どうやらこの場で話すらしい。瑞英は二つ返事で了解した。瑞英の用事と美紫の用事を秤にかければ、後者の方が優先されるべきだからである。彼女はそそくさと退散した。その後ろにはしっかりと、侍女たちが付いている。
しかし部屋に戻る道中で、ふと疑問を浮かべた。
(……あれ? なんか、まずくないか?)
そう。まずいのだ。ただ具体的に何がまずいかと聞かれると、上手く口に出せない。
されどこういうもやもやは、放っておいても良いことはない類いのものである。そのため瑞英は自分の未熟さを恥じつつ、誰かに頼ることにした。
(となると、やっぱり美雨か?)
近場で頼るとなると、やはり美雨ということになる。それに彼女のほうが、竜宮内のことは知っている。刑部尚書のことも聞きたいし、一度部屋に戻るのがいいだろう。
「竜宮内の内情なら、美雨に聞いたほうが良いよね、鈴麗」
「そうですね。わたしも、そのほうが良いと思います。……あの、刑部尚書が動いているということは、それ相応の事態ですし」
「……え?」
「いえ! はやくお部屋に戻りましょう! 美雨様も心配しておりますです!!」
鈴麗はやけに、瑞英に帰るよう勧めてきた。そんな侍女を不思議に思いながらも、瑞英は急ぎ足で自室に戻る。対照的な位置にあるため少し時間がかかったが、無事に戻ってくることができた。
扉の前には彼女の帰りが遅いことを心配したのか、美雨が佇んでいる。
美雨にしては珍しい、と瑞英は首を傾げた。彼女は相当なことがない限り、取り乱すことはない。何かあったのだろうか。
瑞英の姿を認めると、美雨はひどく安堵したように顔を緩める。
「おかえりなさいませ、瑞英様。先ほどから廊下が騒がしかったので、何かあったのではないかととても心配いたしました」
「……ああ、なるほど」
それはおそらく、過激派の竜族たちであろう。どうやら堂々と、後宮と竜宮を繋ぐ渡り廊下を使って入ってきたらしい。いかにもな態度だなぁ、と瑞英は逆に感心した。それだけ、自分たちに非がないと思っているのであろう。彼らにとっての悪は佩芳という間者なのだ。
いや、鳥族の間者が、恨めしいだけかもしれないが。
そんなことを思いながら、瑞英は四人揃って部屋に入る。そして腰を落ち着けて、先ほど起きた出来事を美雨に伝えた。
話せば話すほど、美雨の表情が険しくなっていく。
過激派であろう竜族が来た、ということを話すと、それはさらに悪化した。瑞英は遠い目をする。
(美雨は、怒らせるとほんと怖いからなー……)
現に彼女の機嫌は今、とても悪い。身内の恥を嘆いているのであろう。瑞英とて、あんなのが同族にいたら殴り飛ばして黙らせたい。
「瑞英様。その竜族の中に、紅晋という男はおりましたか?」
「うん、いた。赤い髪に赤い目をした竜族でしょう? 雅文様や幸倪と比べたら、そんなにパッとしなかったけど、やっぱり強い竜族なの?」
「……ええ、まぁ。過激派では最も力のある、竜族です。わたくしどもとはほぼ同期ですね」
瑞英の反応に、美雨は微妙な顔をした。その後頭を抱え「そうでした……瑞英様の比較対象は、やはりそちらになってしまいますよね……それ以外と竜族とは、お会いしたことがないわけですし……」という嘆きをあらわにする。
(何か間違ったことを言っただろうか……)
瑞英が首を傾げていると、美雨は軽く頭を振ってから顔を上げ、深刻な顔をした。
「……瑞英様。我らの同族が、本当に失礼なことをいたしました。彼らに代わり、わたくしが謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
「いやいや、美雨のせいじゃないし。それに謝罪は、刑部尚書からすでにいただいているから……」
「……刑部、尚書?」
瞬間、美雨の表情が凍りついた。瑞英は、先ほどとは違った意味で身を震わせる。
(何か、いけないことを言ってしまった……?)
しかし、事実は事実だ。刑部尚書である美紫が来て、過激派のことを止めてくれたのだ。彼女が来なければ、佩芳は無理矢理連れて行かれていたか、乱闘が勃発していただろう。
そのこともかいつまんで説明すると、美雨は顔を俯かせる。
「……瑞英様。そのお話は、別の妃の方にいたしましたか?」
「え? いや、してないけど。竜宮の内情なら、美雨に聞くのが一番かなと思ったし……」
「左様でしたか。賢明なご判断でした」
「……え?」
瑞英の頭に、大量の疑問符が浮かぶ。鼠族は効率至上主義なだけだ。できる限り二度手間にならないようにと、そこだけを気にして頭を働かせる。ゆえに瑞英がそこに行き着くのは最早、必然であった。それに鈴麗も、そちらのほうが良いと賛同してくれた。
するとおずおずと、鈴麗が口を開く。
「申し訳ありませんです、美雨様。早くお部屋に戻られたほうがいいと思い、刑部尚書の事情などはお話せずに戻ってきてしまいました……」
「良いのです。むしろそのほうが良かった。ありがとう、鈴麗。説明ならば、部屋でするほうが安全ですしね」
「これが最善でした」と鈴麗を褒める美雨。が、瑞英からしてみたら疑問が深まるばかりだ。
すると美雨は、瑞英に向かってこう言う。
とても、衝撃的なことを。
「おそらく数日しないうちに、後宮は一時的に封鎖されるでしょう。そして瑞英様方にも、謹慎の命が伝えられるかと」
まぁあの刑部尚書ならば、今日中にでも封鎖、及び謹慎のお触れを出しそうなものですが。
淡々とそう告げる美雨に。
瑞英はその翡翠色の瞳を見開き、驚いた。
そしてその言葉違わず。
後宮は一時的に封鎖され、瑞英たち四妃にも謹慎が下された――
***
刑部尚書、美紫。
彼女はこの竜宮において最も厳格で正しい、法の番人であった。
刑部在暦年数は、雅文たちよりも長い。そこから徐々に頭角を現し、雅文が竜王に就任したと同時に刑部尚書へとのぼりつめた。
現在まで続く竜宮の「実力者至上主義」が生まれたのも、彼女あってこそ。彼女がいなければ、誰しもが平等に扱われるこの形態は完成しなかった。
謹慎中の身の上でそう美雨に教わり、瑞英はほーと感心した。
「美雨がそういうんだから、相当すごい方だったんだね。どおりで所作や言葉遣いに無駄がないと思った」
「ええ、その通りです。あの方には、わたくしとしても頭が上がりませんので。『罪を憎み獣人を憎まず』。そういった信条を掲げ、今までやってこられた方です。あの方の前では、どのような嘘でも暴かれてしまいます」
瑞英は、美紫と相対したときのことを思い出した。
謹慎生活をすることになってから、まだ一日も経っていない。それを差し引いても、彼女の存在感はすさまじいものであった。そのためとても印象深く、記憶に残っている。
漆黒の面紗からわずかに覗く唇には紅が引かれ、それが妙に艶かしい。
高官らしい地味な黒色の衣を身にまとっていてもなおにじみ出る風格は、長年雨に打たれても削れることのなかった岩のようであり、また柳の枝のようにしなやかだった。それは間違いなく、経験とともに培われたものであろう。瑞英に何より足りないものだ。
にもかからず、決して驕らず自らの立場をわきまえている。格下であり年下である瑞英に頭を下げたところから見ても、それは容易に分かった。その品位が、周りから認められ、また恐れられる所以だという。
彼女の前では、どんな獣族も関係ない。
美紫という存在は、至極正確な天秤と言えた。
茶を飲みながらそれを聞いていた瑞英は、ただひたすらに頷くばかりだ。
そんな瑞英の前に、次々と料理が並べられていった。今日の昼餉だ。この料理も、刑部の官吏が持ってきた食材を使い侍女たちが作っている。徹底した隔離だった。
素朴で落ち着く味を口にしながら、さらに美雨の話を聞いてゆく。
「今回後宮を封鎖したのは、過激派のような者が入ってこないように、という配慮でしょう。そして後宮内における接触を禁じたのは、もし本当に内通者がいた場合、それが外に漏れないようにという思考からだと思います。それを今日中に整える辺り、本当に優秀ですね」
「なるほど。何故後宮を封鎖したのか、また何故謹慎を命じたのか。やっと分かった」
後宮を封鎖することで、外部からの接触を避けよう、というのもあるのだろう。
箸で料理をつまみながら、瑞英は息を吐いた。瑞英が感じていた違和感はこれだった。少しでも関わりのある者が疑われるのは、仕方あるまい。
「そうなると、事情聴取があるってことだよね。前みたいな」
「そうなりますね」
「そっかあ……」
瑞英と宇春は以前、女官たちから誘拐された際の状況を事細かに聞かれていた。そのときの事情聴取はとても長く、嫌な気分にさせられたものだ。
説明しろと言われても、後宮内で一度気絶し、途中で起きたは良いが殺されかけたのだ。周りの状況を細かく見れるほどの余裕はない。
ただ無駄に良い記憶力で、人数と殺しに来た人物像くらいは述べた。
助けてもらった鳥族を、埋めたことも。
そのあと彼がどうなったのか、瑞英は知らない。もしかしたら掘り返されたのかもしれないし、埋められたままなのかもしれない。しかし彼のことを話さなければ、自分の身に起きたことを説明できなかったのだ。
今思い返してみても、気分が悪くなる。恩人すら守れない自分が嫌いだ。
匙を置きながら、瑞英はため息を漏らす。
(……とりあえず、真実を言うしかないよな。相手はあの蛇族だし)
立場の弱い身ではまず、信頼を勝ち取ることが重要になる。
まだその位置にすら立てていないことを実感しながら、瑞英は今やれることをやるために美雨に頼みごとをする。彼女はそれを、二つ返事で了解してくれた。
その後ろ姿を見送りつつ、瑞英はつぶやく。
「……よし。まず、やれることをしないとね」
ここは鼠族領ではない。自分で動かねば潰される、実力者社会だ。そういう場では自主性が重んじられる。
そして瑞英が活躍できる場面は、ひとつしかなかった。
その穴を埋めるために、瑞英は分厚い文献を睨みつけた。




