2.嫌悪
なんだかんだ言いつつも、三人は佩芳の部屋に向かうことになった。
瑞英としては、いきなり出向くのは礼儀としてどうかと思うと言ったのだが、夢花が
「文での呼び出しにも断り続ける相手に、礼儀など必要ありませんわ」
とつっけんどんとした態度で一蹴した。さすがとしか言えない言い草だ。瑞英の部屋に、入室の許可もなく入ってくる横暴さは健在である。美雨が来てからは、そういうこともなくなったが。
しかしそれに乗っかる宇春も宇春である。瑞英は、彼女はもっと理性的な獣人だと考えていたのだが。
(本当に大丈夫かなぁ……?)
瑞英と夢花、宇春。三人の姫が肩を並べ、後宮の廊下を歩く。後ろにはそれぞれの侍女たちが、付かず離れずの距離を保って付き従っている。その中には瑞英の親友であり侍女である藍藍がいた。
ちらりと視線を向ければ、彼女は珍しく不安そうな顔をしている。
(あの能天気な藍藍が珍しい)
そのことに首をかしげていると、佩芳の部屋へ到着した。
瑞英が何か声をかける間もなく、夢花が扉を四度叩く。
すると、さほど時を置かずして扉が開かれた。
中から現れたのは佩芳でなく、彼女の侍女であろう狗族の女である。
侍女は三姫の姿を確認するや否、それに驚くことなく口を開いた。
「いかようでございましょうか」
その声は、なんとも言えず他人行儀であった。口調こそ丁寧であったものの、声音には棘を感じる。態度からも、三姫を形だけでも敬おうという様子は見て取れない。それに、瑞英は内心で疑問を浮かべた。夢花に至っては、片眉をつり上げてわずかばかりの怒気を発している。しかしそれをなんとか飲み込み、夢花は本来の目的である狗姫の名を口にする。
「……佩芳様はいらっしゃいますこと?」
「主はただいま、留守にしております。おかえりくださいませ」
「……本当ですか?」
「はい。……どちらにしても我が主は、あなた方とお会いにはならないかと存じますが」
宇春の質問に、侍女ははっきりと会わないという意味を込めた言葉を口にした。なんとも言えず違和感を覚える台詞に、瑞英は口を引き結ぶ。
一方の夢花はとうとう、怒りをあらわにした。
「竜王陛下に選ばれた身にも関わらず、一度たりとも茶会に出席しないだなんて、いささか傲慢ではありませんこと?」
「そう言われましても。主からは、決してあなた方を部屋にあげないようにと命じられておりますゆえ」
「……なんですってっ?」
「まぁまぁ。落ち着きましょう、夢花様」
「……そうですね。今日のところは、この辺りにいたしましょう」
今にも殴りかかりそうなほどの怒りっぷりをみせる夢花を、宇春と瑞英二人がかりでなだめる。すると彼女はなんとか、その矛を収めた。
瑞英は内心ホッとする。
(どちらも武力が高い種族なのに、ここで喧嘩をされたらたまらない)
猫族の姫としては異例なほど、夢花は強い。それは瑞英が知っている。そして狗族の侍女とくれば、武道を習っていることは周知の事実であろう。
もしそのときは、最弱種族鼠族とその次に弱い種族の兎族だけじゃ抑えきれない。むしろよくて怪我、悪くて死が待っていることであろう。それだけは勘弁願いたい。
まぁそんなことが起きる前に、美雨辺りが止めに入ると予想してはいるが。
というよりそもそも、今回の件で圧倒的に不利なのは佩芳だ。夢花が怒ってことを荒立てる意味はない。
なのだが。
「――なーんて、このわたくしが言うと思いまして?」
「……え」
夢花は侍女を押し退け、扉に手をかけた。
さすがの侍女も不意打ちであったらしく、一瞬動きが鈍る。その隙を狙い、夢花は扉をぶち壊したのだ。
扉を支えていた金具が歪み木が割れ、キイキイという甲高い音を立てている。
そのやり取りを終始逃さず見ていた瑞英は、顔を引きつらせて心中で叫んだ。
(やったー!! とうとうやらかしたー!!)
気位が高く短気な夢花が、次なんて言葉を使うわけなかった。瑞英は自身の考えの甘さを痛感する。
(だからって、扉を壊す必要はなかったと思うけどねっ!?)
そこはおそらく、勢い余って、というやつだろうが。
どちらにしても、やめて欲しい。それを修理するのは誰だと思っているのだろうか。おそらくは宮勤めの宦官だぞ? と瑞英は頬を引くつかせる。この猫族の姫は前々からそうだが、行動の予測が不能なことで有名だった。――おもに瑞英の中だけで。
呆然とする周りを余所に、夢花はつかつかと中に入る。止めようとした佩芳の侍女を、夢花の侍女が止めた。瑞英と宇春も慌てて中に飛び込む。
するとそこには、佩芳と対峙する夢花の姿があった。
「あら、居留守を使うだなんて卑怯ではなくて?」
腕を組んだ夢花が鼻を鳴らす。真っ赤な衣身にまとい仁王立ちする姿には、とても圧迫感があった。彼女の金色の瞳が、好戦的に揺れている。
一方の佩芳は、露骨に嫌な顔をした。真紅の瞳が歪み、剣吞と輝く。彼女は座っていた椅子から立ち上がると、後頭部で結っている黒髪がさらりと揺れた。
立ち上がると、佩芳のほうが高い。にもかかわらず、夢花は一歩も引かずに睨み続けていた。
「個人の部屋に土足で踏みいるなど、失礼だとは思わないのか? それとも猫族の姫は、そんなことすら忘れてしまったのか」
「あら、失礼なのはあなたでしてよ? いくら文を送ろうが、返事すら返しやしない。茶会にも参加しない。そんな礼儀知らずに払う敬意などございませんわ」
瑞英は思わず、扉の前で遠い目をする。
(なんだこの、毒舌の押収……)
両者一歩も引かない交戦に、こっちの具合が悪くなってくる。切実に帰りたい。帰って勉強をしたい。そのほうが有意義だ。
いたたまれなくなり視線を彷徨わせていると、ふと置かれていた卓に目がついた。先ほどまで佩芳が座っていた椅子と一緒に置いてある円卓だ。そこには墨や紙、筆などが置かれている。よく見れば部屋もだいぶ汚れていた。床には丸めた紙がいくつも散らばっており、瑞英の足元にも紙くずが転がっている。
(……文、かな?)
どうやらこの二人の気に当てられて、そちらに意識を向けられなかったらしい。
足元に落ちていた紙くずを何気なく拾い伸ばしてみると、どこかで見たことがある字が連なっていた。
(この文字確か……あの、飴色の書物に書かれていたものと同じ)
そう。あの、様々な古語が連なった、わけの分からない書物だ。最近の忙しさで放り出してはいるが、読めるものなら読みたいと思っている。
あの書物のとき同様中の内容は読み取れないが、字が狗族の古語であることは理解できた。
(こんなもの……誰に送るんだろう)
狗族の古語ということは、相手は狗族だろう。となると、狗族領にいる王族の誰かか。
別段家族とのやり取りを制限されているわけではない。文くらい書くだろう。夢花や宇春はもちろん書いていないようだが、瑞英は一度書いた。ひと騒動終わったし、また書いてもいいかもしれない。
(でも……普通古語で書くの? 内容は竜宮の官が見て確認するんだよね?)
大切な情報を外部に漏らされないため、それを確認する官がいたはずだ。ならば古語で書く必要はないだろう。むしろおかしい。
毒舌が飛び交う中、瑞英はは図太く頭を働かせる。うんうんと唸っていると、ひょっこりと宇春が覗き込んできた。
「そちらはなんでしょうか?」
「おそらく、狗族の古語で書かれた文かと思います。別段わたしたちは、書類整理をしているわけではありませんし」
「そうですね。おそらくそろそろ、そういった割り振りがされるとは思いますが……古語ですか。佩芳様はどなたに、それを送るつもりなのでしょうね」
「さぁ……見当もつきません」
瑞英はそこで、はたりと気づいた。
(というか、勝手に見ちゃいけなかったよね!?)
覗き見てしまったこと自体、なかなかいけないことである気がする。瑞英は猛烈に反省した。
ついつい好奇心に身を任せて紙を開いてしまったが、これはおそらく書き損じなのだろう。紙くずの数を見て、佩芳が相当悩んでいることが見て取れた。
(書き損じな上に読めないからって、中身を見るのはいけないよね)
瑞英はそっと紙を丸め、足元に転がす。若干紙に対する罪悪感も浮かんだが、気にしないように努めた。
そうこうしているうちに、弁舌の押収は佳境に入る。
「そもそもなんだ、陛下の妃は仲が良くてはならないという規則でもあるのか? そんなことはないだろう。つまりわたしが茶会に出なければならない理由にはならない!」
「なんですって、この分からず屋!! 陛下の妃同士であるからこその親睦ですわ!」
「それが馴れ合いだと言っている!!」
「わたくしたちが馴れ合いをしているというのなら、あなたは一匹狼ですわね!! 交流もしないで信用が得られると思ってるんですの!? ふざけてんじゃありませんわ!!」
瑞英はハラハラした。何やら白熱しすぎて、後半からただの感情論になってきている。声も大きいしよく響くし空気は重たいしで、瑞英の気分は落ち込んでいた。
(これどうやって止めればいいんだろう……)
宇春を見てみれば、彼女は思案顔をして顎に指を添えていた。この場に似つかわしくない、なんとも知的で可愛らしい姿である。ただまったく動じないところが、彼女の神経の太さを表しているような気がしてならなかった。
すると唐突に、佩芳が金切り声で叫ぶ。
「帰ってくれ!! お前たちと話すことなど何もない!!」
「はああああああ!?」
佩芳の台詞に、夢花が叫ぶ。しかし無理矢理押し出されてしまった。
佩芳は壊れた扉を睨みつけ舌打ちをし、尚且つ瑞英のことをきつく目つける。瑞英はびくりと震えた。
(え、何、なんなの……)
力業で外に出された三人に、佩芳が鋭く言い放つ。
「わたしはお前たちを、妃などとは認めない!!!」
押し出された後、壊れた扉が勢いよく閉められた。
そんな状態を、三人は顔を見合わせて咀嚼する。
(お前たちを、妃と認めない……?)
意味が分からない。一体何が、彼女の機嫌を損ねる要因になってしまったのか。
しかし思い出すだけで、そのあまりの殺気に身震いがする。
(しかもなんというか……わたしだけ群を抜いて嫌われているし……)
何がなんだか分からない。ここまでの殺意を向けられたのは、先日の一件以来だ。
ぽりぽりと頬を掻いた瑞英は、途方に暮れたような声で言う。
「……これは……前途多難ですね」
瑞英が思わず呟いてしまった言葉に。
他二人も頷いた。
どうやら佩芳の信頼を勝ち取るためには、もう少し時を有するようだ。




