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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
3/66

3.伴侶

 辺り一帯にいる姫君たちが、まるで屍のように転がっている。顔を隣りに向ければ、夢花モンファが起拝の礼を取り続けていた。しかしその顔は無事とは言い難い。体は終始小刻みに震え、顔は今にも倒れそうなほど青く染まっている。

 獣族の中でも高位に位置する猫族がここまでの怯えを見せるのは、そうそうないことだ。


(え、は、い? ……どういうことこれ)


 瑞英ルェイインたち以外で起拝の礼を取っているのは、狗族いぬぞく兎族うさぎぞくの姫だけだ。残りはすべて撃沈。一種の恐れを感じた彼女は、自身のおこないがとんでもないくらい失礼なことも忘れて前方を見入ってしまった。


 玉座には、黒銀の髪に蒼穹色の瞳をした竜族がゆったりと腰掛けていた。


 瑞英が先ほど書庫で出会った、あの竜族だ。

 しかし先ほどとは違い、彼は青色の衣に身を包み帯で締め、その上から紺の衣を羽織っている。艶のある黒銀の髪も上部を結い上げて、銀の簪で留めていた。

 たったそれだけのことにもかかわらず、男がまとう風格は王者のそれだ。鋭利な氷柱のごとき瞳が、ぞっとするほどの圧をこの場に与えていた。


(……ちょっと待て。え? あの方は竜王陛下だったの……!?)


 氷のように無感動な視線を下に向ける男は、先ほどとは違い恐ろしいほどに冷淡だ。されど視線が動き、瑞英と交わると。


 ふ、と。

 目元が和んだ。


 びりびりと、夢花のときとは比べものにならない悪寒を感じて体が硬直する。


 竜王は長い衣をなびかせ、倒れ伏す姫君たちなど見向きもしないで瑞英のほうへ進んできた。足場を縫うように、されど竜王然とした態度を崩さず、彼はやってくる。瑞英は悲鳴をあげたくなった。本能的に逃げようと思ったが、足がまるで動かない。


(え、ちょっと、来ないでください……!)


 助けを求めようと隣りの夢花に視線を向けるが、彼女は耐えきれない様子で四つん這いになり、大粒の雫を滴らせながら目をきつく結んでいる。助けてくれそうな者は、残念ながらいない。


 そうしているうちに、竜王は瑞英の目の前で止まった。

 ふわりと、爽やかな緑の香りがたゆたう。

 彼はしゃがみ込むと、瑞英の頬を包み込むように片手を伸ばした。ひんやりと冷たい温度が、瑞英の熱を奪う。


「あ……」

「迎えに来たぞ。わたしの愛しいつがいよ」


 呆然とする瑞英を横抱きにして、竜王はそそくさと大広間を退散してしまった。


 無人の廊下を歩きながら、竜王は瑞英に問いかける。


「そなた。名は?」

「あ……る、瑞英と、申します……竜王陛下」

「瑞英、か。良い名だな」

「あ、はは……ありがとうございます」


 この雰囲気は一体、どうしたらいいのだろうか。

 空気を読むことに長けている鼠族の姫でさえ、返答に困る始末だ。誰でもいいから助けてくれないだろうか、と思い視線を彷徨わせていると、彼女の耳が足音を拾った。

 それはどんどん近づいて、やがて息を切らした音と混ざる。

 何事かと思い首を伸ばすと、竜王の肩越しに駆けてくる男の姿が映った。


雅文ヤーウェン様っ!!」


 そのときようやく、瑞英は竜王の名前を知る。そもそも竜族は通称で呼ばれることが多く、名前を知らないことはむしろ一般的なのだ。

 名を呼ばれた雅文は歩みを止め、悠々とした態度で振り返る。


 黒曜石のような髪をなびかせながらやってきた竜族は、雅文の腕の中で縮こまる鼠姫を見て目を見開いた。今にもこぼれそうなほど見開かれた夜色の瞳は、しかし直ぐに閉ざされる。瞼をきつく結んだ彼は、ひとつ息を吐き出した。


「雅文様。その方は……あなた様の番、という認識で間違いないでしょうか」

「左様だ、幸倪シンニー。瑞英は、わたしだけの伴侶だ」

「なる、ほど……これまた、偶然にも、他獣族から番が見つかるとは……良かったのが悪かったのか」


 交わされる会話にまったく付いていけない瑞英は、雅文と幸倪の顔を交互に見つめる。そこでふと、幸倪と目が合った。彼はしばし瑞英を見ると、「これは……」と喉から言葉を絞り出す。


「あの……何か?」


 いたたまれなくなった瑞英が引きつった笑みを貼りつけてそう問うと、幸倪はハッとした様子で首を横に振った。


「いえ、なんでもありません、瑞英様」


 そして取り繕うように「ああ」と重ね、


「申し遅れました。わたし、雅文様の側近をしています、幸倪と申します」


 丁寧に腰を折った。

 あの、最強を誇示する竜族がだ。


 何やら雲行きの怪しさをひしひしと感じる。既に外堀が埋められている気がするのは何故だろうか。

 その波に全力で抵抗しようと足掻く弱小姫は、首をぶんぶんと横に振る。


「あ、はは、ご冗談を。竜族の方が、礼をするような者ではありません。弱小獣族ですし……」

「いえ。雅文様の番となれば、話は別です。……いえ、むしろ、わたしと会話を交えていること自体、あなた様は異常なのですよ」

「……はい?」


 会話がどうした、と瑞英。

 それに対し驚くのは幸倪だ。


「あの、瑞英様。もしやあなた様は、竜族がどういうものなのか、ご理解なされていないのでしょうか……?」

「……は、い?」


 再び首を傾げる。嫌な沈黙が広がる。

 そんな中我慢せずといった調子で、雅文は瑞英の頭を撫でていた。愛おしさに溢れたその表情に、冷気はない。あるのは、うららかな初春を思わせる、柔らかで朗らかな空気だけだ。


 そう。幸倪の言うことは、的を得ている。

 瑞英は、鼠族内にあるすべての書物を読みあさった猛者。しかしそれはあくまで、鼠族内だけの話だ。彼女は井の中の蛙だった。

 むしろ存在が遠すぎて、鼠族は竜族についての書を貯蔵していなかった。竜族に目をかけてもらえる機会など、はなっからないと切って捨てていたわけだ。


 だから瑞英が竜族に関しての知識を持たないのも、ある意味仕方のないことだった。



 ***



 場所は変わり、雅文の私室である。

 必要最低限のものしか置かれていない部屋は殺風景で、なんとも言えず味気ない。


 そんな部屋の長椅子カウチに腰掛けている瑞英は、向かい側に座る幸倪に助けを求めるように視線を送った。

 幸倪は無言で首を横に振る。

 瑞英は遠い目をして、がっくりとうなだれた。そんな彼女を自らの膝の上に乗せ抱き締めているのは、雅文である。

 彼は瑞英の反応を楽しむように、指先で耳をくすぐったり口付けたりした。恋人同士がやるような触れ合いを、竜王は人目もはばからずにやる。


 竜王は傍目から見ても分かるほど、鼠姫を心底溺愛していた。

 あまりの羞恥に、瑞英は穴を掘って埋まりたい衝動に駆られる。


「……とりあえず、軽く説明をさせていただきます」


 自身の主君の寵愛ちょうあいを生温かい目で一瞥した幸倪は、そう切り出した。視界に入れないようにか、彼は目を逸らしたまま説明を始める。


「我ら竜族は、獣族の中でも最強を誇る種族です。その強弱は、暴力だけでなく覇気にも現れます。この覇気に当てられると、弱者のほとんどは倒れてしまうわけです。ええ、つい先ほどの、宴のときのように」


 ですので他種族を呼ぶ宴の際は、食事などを用意しないのです。幸倪はそう続けた。


 瑞英はハッとする。彼女の頭の中には、先ほどの光景がくっきりと残っていた。


(なるほど。つまりさっきの現象は、竜王陛下の強大な覇気に、姫君たちのほとんどが当てられたってわけか)


 それだけで、雅文の強さは理解できた。

 ついでに言うなら、食べ物がもったいないという理由で食事が用意されていないというどうでもいいことまで悟る。


 そこではたりと気づいた。

 どうして最弱と謳われる鼠族の瑞英が、雅文の覇気に当てられていないのだろうか。


 そんな瑞英の気持ちを代弁するかのように、幸倪が口を開く。


「そうです。本来ならば瑞英様は、雅文様の覇気に当てられているはず。されどそれがないのは、あなた様が雅文様の番だからです。あなた様が一般的な鼠族ならば、わたしと話をする前に気絶なさっていますから」


 さらっと言われた変人認定発言に、瑞英は乾いた笑みを浮かべる。彼女自身も、それを否定できなかったのだ。というより、竜王に溺愛されている時点で、瑞英は普通とは程遠い位置にいるのだろう。

 あまりの異常事態に戸惑うところが、瑞英はそれを通り越して吹っ切れていた。そのためはい、と挙手し、気になっていたことを聞く。


「あの、ずっと気になっていたんですが、その、つがいというのは?」


 聞いていると、花嫁と〝つがい〟は似て非なる言葉として使われているような気がしたのだ。


 されど幸倪は笑みを深めただけで、その問いに答えようとはしない。

 ただ少しだけ嬉しそうに、それでいて哀しそうにこうべを垂れた。


「瑞英様、おめでとうございます。この度あなた様は、竜王陛下の花嫁に選ばれました」


 え、と放心状態のまま目を見開く瑞英に、幸倪は続ける。


「……雅文様のこと、どうかよろしくお願いいたします」


 たったそれだけのやり取りを経て。

 瑞英は雅文の花嫁として、竜宮に永住することが決定してしまったのだった ――

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