番外編3 竜王のための恋愛会合
宇春視点。時系列で言えば本編終了後。
宇春は早朝、自らの部屋の卓に向き合っていた。
からりと乾いた初夏の陽気はうららかで、焚いている虫除けの香の匂いが部屋に広がる。その香も、宇春が作ったものだ。大茴香を中心に調合した香は、瑞英や夢花にも分けた。友人だからだ。
そんな香りの中で宇春は、筆を持ち紙に文字を綴る。さらさらと綴られていく文字は、宇春の性格を表すかのように女性的でありながらきっちりしたものだった。
最後まで一息で書き上げ、宇春は筆を置く。彼女は二通、文を書き上げた。
そして紙がめくれないように、文鎮で両側をしっかりと抑えた。
少なくなった侍女たちが道具を片していく中、宇春は窓辺に向かい外を見る。
空は青い。雲ひとつない青空は、宇春がやろうとしている行動を肯定しているようだ。
そんなことを思いながら、彼女は密かに拳を握る。
「……すべては瑞英様と陛下のために」
思わず口からこぼれた言葉に、部屋付きの侍女たちは顔を見合わせる。宇春が心の声をこぼすことなど、一度たりともなかったのだ。
実家にいた頃は、朝起きたら侍女たちに着替えさせられ、朝から晩まで兎族の姫としての教育を受け、質問されたら答え、食事が出されたら食べる。ただそれだけだったのに。
それなのに、今の主人はどうだろう。こんなにも生き生きしているではないか。
そう思い、古くからの侍女たちは微笑み合う。
そして心中で密かに、主人のことを応援した。
***
「……それで、宇春様。わたくしに何か御用でしょうか?」
昼間。
宇春のもとにやってきたのは、美雨だ。
そう。宇春が書いた文の一通は、瑞英付きの近侍である美雨に宛てたものだった。
侍女たちに茶を頼みながら、宇春は立ち上がり軽く礼をする。そして向かい側に座るよう促した。
礼儀をわきまえた態度に、美雨は片眉を上げる。しかし宇春からしてみたら、当然のことだった。
(だって美雨様が主人として接しているのは、瑞英様だけ。むしろそれ以外の姫に礼儀を払う必要は、彼女にはありません)
もともと美雨は、瑞英を守るためだけにいる近侍だ。立場で言えばかなり高位の竜族である。それは覇気を浴びているだけで分かることだった。
しかし宇春としては、話を聞いてもらわなくてはならない。そのためには美雨の力が必要不可欠だった。
弱者は、ひとりでできないことは必ずつてを使い、他の者から助けを求めることによって解決させる。
それは、宇春にとっては常識中の常識である。
だからこそ、頭を下げたのだ。
「少々お時間をいただけないでしょうか、美雨様。わたしは瑞英様と竜王陛下のことについて、美雨様に相談したいのです」
「……瑞英様と陛下のことに関しての相談ですか? 一体何を」
「それは……」
宇春は一息置き、美雨の目を見る。竜族の目を真っ向から受け止めた兎姫に、美雨は少なからず瞠目した。
そのため美雨も、その瞳を真っ直ぐ見る。
宇春は、その蕾のような唇を薄く開いた。
「わたしがご相談したいのは、おふたりの恋愛事情についてです」
真顔で言い切った兎姫に、竜姫は目を丸くした――
***
「……それで。なぜわたしは夜に、この部屋に呼ばれたのだ、宇春」
「理由は後ほど。できる限り早くしたかったのは、陛下がこれから、忙しくなるであろうと踏んだからです。そうなりますと、ゆっくりお話しすることは叶いませんから」
夜。
雅文と幸倪は揃って、宇春の部屋にいた。そこにはなぜか美雨もいる。
もう一通の文は言わずもがな、雅文に対して送ったものだった。これは渡されない可能性も考慮して、昼間に話をした際美雨に頼んだ。兎姫は意外と、頭が回るのである。
そして既に三人の竜族――その中でも最高位と言っても過言でない――がいても倒れない彼女は、相当に図太い。
そして話題の中心である雅文は、瑞英に会えないことを不満に思っていた。若干気が立っているのにもかかわらず立っていられる宇春は、やはり相当に図太いのである。
三人の竜族と、ひとりの兎族。奇妙な面々がそれぞれ円卓に座ったところで、宇春は口を開く。
「わたしが今回お話ししたいのは、瑞英様と陛下の恋愛事情についてです」
ピシリと言い放った宇春に、雅文の体が揺れる。どうやら『瑞英』という単語に、興味がそそられたようだ。
(掴みは良し)
そう心中で拳を握り締めた宇春は、早々に本題に入った。
「わたしは瑞英様とお話ししている際、気づいたのです。陛下は瑞英様に、ご自身の事情をお知らせしていないな、と」
「……ほう?」
宇春はぽん、と卓を叩いた。
「普通女性というものは、自身の愛する人が他の女の方と会っていると知れば、少なからず動揺するものなのです。事前に説明がないまま殿方が危険な目に合うと、不安に思うものなのです」
「そうですよ、雅文様。雅文様はいささか、瑞英様に対する説明が少なすぎます」
美雨が宇春を援護する。それに対し驚いたのは幸倪だ。いつの間にこのふたり、こんなにも仲が良くなったんだろう、とは、幸倪の心の声である。
ふむ、と唸る雅文に向けて、宇春はさらにたたみかける。
「瑞英様は陛下のことを考えて基本的に質問などはしませんが、陛下のことをお考えになさっている今、とても気にしています。特に瑞英様は、最弱と言われる鼠族なのです。せめて精神的な支えになりたいと思うのは、当然のことなのですよ!」
「そうなのか」
雅文は素直に頷いた。雅文は、自分が瑞英に対しての知識が乏しいことは分かっている。されど誰にでも気安く話しかけられるわけもなく、少しばかり悩んでいたのだ。
そんなふうな相談ができる相手と言えば、幸倪か美雨だ。しかしふたりは番同士だが、弱者である瑞英とは思考が違う。
そこででしゃばってきたのが、鼠姫に次ぐ弱者と言われる宇春というわけである。
「だが瑞英の存在は既に、わたしの支えとなっているぞ?」
「……いや、そういうことでなく。確かに陛下は、瑞英様の前では砕けた姿を見せるのでしょうが、わたしが言いたいのはそういうことではないのです。瑞英様は政治的にも、陛下の支えとなりたいと思っているのです」
「……政治的に、か?」
「はい。本来の王妃の役割というのは、そういうものですから。ここ最近お話しをしていて、何か感じたことはありませんか?」
「……感じたこと、か」
雅文は少し考えるように俯いた。そしてふむ、と頷く。
「確かに瑞英は、わたしが政治面に関する話をすると嬉しそうな顔をするな」
「でしょう!? 瑞英様は頭の良い方です。唯一の武器である知識というのを使いたいというのは、当たり前のことですよ!」
宇春は少し前のめりになりながら力説した。普段の儚げな姿では想像できない積極性である。
「そして瑞英様は、恋愛に関しての知識が乏しいです。そういう方は押されてばかりではたじろいでしまいます」
「……つまり?」
「はい。たまには、引いてみるのはどうでしょう? ああ、あと、ひとつだけ瑞英様のことを想った贈り物をするのも効果的かと思います」
「ひとつなのか?」
「はい、ひとつです。聞いたところによりますと、瑞英様のお家は財政難だったとか。そういう方の場合高価なものをたくさん贈られると、逆に困惑してしまうのだとか。ならば少し安価なものをひとつだけ贈ってあげたほうが、使いやすいと思います」
「ほう。して、何が良いものか」
「そうですね……普段身につけられるもの、はどうでしょう? 髪飾りや髪留めなら、瑞英様も気兼ねなく使えるかと思います」
「それはいいな。幸倪、美雨。商人の手配を頼めるか?」
「御意に、陛下」
「すぐに用意します」
そんな具合に話は進み、次第に瑞英の好みの話に変わる。
「瑞英は基本的に華美な色は好まんな」
「そうだと思います。緑や白など、清楚な色が好きだと言っていました」
「好みの食べ物はなんであろうか」
「どうでしょう。基本的に出されたものは食べて残さない方ですから……わたくしが藍藍に聞いてみます」
「頼んだぞ、美雨」
「はい」
あれよあれよと言う間に話は進み。
気がつけば四人は、夜遅くまで話し合いをしていた。
その会合が開かれたその後、わざわざ瑞英の髪留めのために職人が呼ばれ「緑と白を基調とした、高値に見えない髪留めを作れ」との命令がくだったことは、また別の話である。
【第一部番外編三回目】
今回は宇春視点の雅文と瑞英の恋愛事情について、サイドがこんなふうにしていたのだよーということをお話しにしました。
まぁこのふたりには、壁やら何やらが多いですからね。多少援護してもバチは当たらないでしょう。特に宇春は、ふたりがくっついて幸せそうにしているのを見て一人楽しんでいます。もしかしたら日記にしたためてるかも。
意外と腹黒い兎姫様をお送りしました。




