23.事情
当の本人が思わずぽかん、としてしまうほど、宇春の物言いは断定したものだった。
そしてなぜか握り固めた拳を震わせ、少し身を乗り出して力説する。
「陛下が瑞英様を見つめる様はまさしく、愛おしい人を見るときのものです。それにわたし、あのときのことはしっかりと覚えてます」
「……あのとき、とは?」
「それはもちろん、瑞英様が陛下の暴走を止めに向かった、あのときです!」
「やはり瑞英様が、陛下をお止めになったんですの!?」
夢花も話に加わり、瑞英のことを急かす。その瞳は「恋愛に関する話に恋い焦がれる乙女」といった輝きを放っている。
瑞英はたじろいだ。話の中心に自分の存在が上がるこのなど、生まれてこの方実家でしかなかったからだ。
しかしふたりの反応が好意的なものだったため、瑞英はおそるおそるあのときのことを話す。
「ええっと、はい。……あの日はちょっと、いろいろな事情がありまして……陛下のもとに向かいました」
そう言い、鼠姫はあの日のことを思い出していた。
***
誘拐事件当日。
瑞英たちは美雨の背に乗り、無事に竜族領へと帰還した。
全員が雨で濡れていたため、直ぐにでも中へ入り湯浴みをしようという話になったのだが、そのとき瑞英が感じたのは、痛いほどの悲鳴だった。
(……雅文、さま?)
瑞英にはその声が、雅文が上げたものに聞こえた。それが余計に、彼女の心に不安を湧き上がらせる。
美雨も何かを感じ取ったのか、ある一点を見つめ固まっている。
唐突に止まったふたりに首をかしげたのは、その他の侍女たちだ。
「瑞英様、美雨様。どうかしましたか?」
「早くしないと、お風邪を召されてしまいますですよ?」
「そうです」
「あ……うん。でも、ちょっと……」
瑞英が困り顔を浮かべたときだった。くしゅんと、可愛らしいくしゃみが聞こえた。
見れば鈴麗の腕に抱かれた宇春が、肩をすくめながら固く閉ざした瞼を開いている。
虚ろな黒の瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。その瞳が瑞英を見つめ、見開かれた。
「るぇい、いん……さ、ま……?」
すっかり紫色に染まった唇が薄く開き、かすれた声がこぼれた。その姿が今直ぐ倒れそうなほど弱々しく見えて、瑞英は口を開こうとする。
しかし今まで感じたこともない寒気に襲われ、瑞英は身を震わせた。
瞬間弾かれたように、美雨が声を上げる。
「幸倪……?」
幸倪と番である美雨。彼女は心の底から深く彼と繋がっていた。それゆえに彼女は、幸倪のみに迫る危険をつぶさに感じ取っていたのだ。そのすらりと伸びた肢体が、ぶるぶると震えている。竜族の中でも相当の強者である美雨が動揺するということは、幸倪の身に死が迫っていることを表していた。
今までに見たことがないほど怯えを見せる竜姫に、瑞英は決意する。
「美雨」
「あ……は……ぁっ……」
「お願い。わたしを、雅文様のところに連れて行って」
美雨が目を見開いた。
しかし真っ直ぐとした翡翠色の瞳を向ける鼠姫から確かな決意を感じ取った竜姫は、震える体を叱咤し竜化する。
「瑞英様」
「うん」
「……少し、急ぎます。乗り心地が悪いかとは思いますが、我慢してくださると嬉しいです」
「うん、分かった」
そんなやりとりを経て、ふたりは雅文たちのもとに向かったのだった。
***
あの日のこと、瑞英は一生忘れないだろう。なんせ雅文がはじめて弱さを見つけた瞬間だったのだ。
そんなことをぽつぽつと話していると、二姫の視線が生ぬるいものになっていることに気づいた。
「えっと……なんですか?」
「いえ。なんだか、微笑ましいなーと思いまして」
「そうですわ、瑞英様。水臭い。そんな素敵なお話があるならば、早く言ってくださればいいのに」
予想していた反応とは真逆のものをもらい、瑞英は面を食らう。
そして慌てた様子で気になっていたことを聞いた。
「あの……わたしと陛下がそういう関係になっていることに、怒ったりしないんですか?」
「怒る、ですか? まさか」
「何を言っているんですの、瑞英様。むしろわたくしは、陛下にそういう方がいたことに安堵しましたわ」
ふたりは実に不思議そうに首をかしげた。
むしろ瑞英が困惑してしまうくらい、二姫からの反応は穏やかだった。
すると宇春が、団扇を膝に置きながら口を開く。
「以前お話しました通り、わたしの目的は妃になることです。それ以上は求めません。むしろ以前妃になった方々から、竜王陛下の孤独を聞いていました。なのでわたしはむしろ、そういう方が陛下のそばにいることが嬉しいのです。だってわたしは、陛下にとてもよくしていただいていますから」
「宇春様……」
「瑞英様が思っているほど、姫たちは妬んだりしませんよ。理解していない獣族の方はそれをしてしまうかもしれませんが……狗族、猫族、兎族の姫たちは、自分たちに求められていることを痛いほど理解しています」
「そうでしてよ、瑞英様。わたくしたちを、そんな矮小なものと一緒にしないでくださいませ」
しとやかに微笑む宇春とは対照的に、夢花はふん、と鼻を鳴らす。しかしその態度は瑞英を馬鹿にする感じではなかった。
「わたくしたち猫族は確かに力に関して価値を置かれますけど、姫は白の髪に金目銀目のみが美しいとされておりますの」
「……そうなんですか?」
「ええ。ですが、わたくしこの通り、黒髪に金目でしょう? 正直あのまま家に居続けても、楽しいことなんてありませんでしたわ」
不機嫌を隠すことなく、自らの種族の事情を話す夢花。しかしその事情を、瑞英は知らなかった。長年にわたり関係を持ってきたのにもかかわらずだ。
そのことに愕然とする瑞英の表情を見て、夢花は「しまった」という顔をする。そしてすぐ機嫌を戻すと、努めて明るく言った。
「ですからわたくし、こうして妃になれただけで満足ですの。ここではわたくしのやることを咎める親族たちはおりませんし」
「ですが竜族領にも、猫族の方はいますよね……?」
「……ああ。別にそちらは、どうでもいいですわ」
瑞英は「え?」と声を上げる。すると宇春も「ああ」と頷いた。
「竜族領にいる人は皆、自領の者たちに愛想を尽かした者たちなんです」
「……え?」
「ええ、そうでしてよ。基本的に我らは、自らの領域から出たいと思いませんもの。それにもかかわらず竜族領に来るということは、それだけ自領の規則にうんざりしていたわけです。わたくしもそっちの気ですし」
「えっとつまり……竜族領にいる他種族の方は、自らの種族と完全に絶縁した者たち……ということなんですか?」
二姫は困惑を隠せない瑞英の言葉に、顔を見合わせた。
「そういうことになりますわね」
「そうだと思います」
そして同時に肯定を口にする。
瑞英は、頭がじんわりと痛みを帯びていくことに眉を寄せた。
(そりゃあ我が家が、竜族領にまるで興味を持たないわけだわ……)
鼠族というのは本当に、協調性に重きをおく家柄だ。瑞英のような好奇心旺盛な者が稀に生まれるがその他は、得た知識を自分たちの家系のために使うことが当然だと思っている。
つまり、まるで性格が合わないのだ。弱者は集団で行動を起こし、個の安全を守る。そのため、他の獣族たちのように飛び抜けた行動はしない。
瑞英はあはは、と乾いた笑いをこぼしてあらためて淹れられた茶に口をつける。
そんな鼠姫の様子に疑問符を浮かべながらも、猫姫は山査子の砂糖漬けに手を伸ばした。
「とにかくわたくしたちは、陛下に多大なるご恩がありますの。相思相愛のふたりを引き裂くような馬鹿げた真似は、決していたしませんわ」
「ええ、そうです。ただその……時折そちらに関するお話をしてくれませんかっ?」
「えっ」
宇春が身を乗り出し、きらきらとした眼差しを向けてくる。瑞英は思わず身を仰け反らせた。
しかしふたりの追撃は続く。
「ええ、そうですわ瑞英様! わたくしたち、お二人の仲がさらに良くなるよう、お手伝いしたいのですわ!!」
「ええぇぇ……」
「それに恋愛に関しては、書物で読んだことくらいしかなくて。ですからわたし、若い女性たちが恋愛に関して盛り上がっている姿に、とても憧れていたんです!」
「お話、と言いましても……」
瑞英は雅文の顔を思い出し、寝室での所業を思い出し、顔を一気に火照らせた。それを見た二姫の気分が、さらに盛り上がる。しまった、と思ったときにはすべてが遅かった。
「瑞英様……今まで陛下にしていただいたこと、お話いただけますね?」
「そうですわ、瑞英様! きっと陛下のことです。さぞかし甘やかな言葉を仰られたりしたのではありませんことっ?」
「えっと、それは……っ!」
甘やかな言葉、と言われ、頭の中に今まで言われた甘言が駆け巡る。思い出せば思い出すほど、顔が赤く染まっていった。
それに気を良くした二姫は逃げようとする瑞英をしっかり捕まえ、根掘り葉掘り聞き出そうと本格的に攻めの姿勢を示し出す。
瑞英このとき、悟った。
(あ、これ、逃げられないわ)
賢い鼠姫はその時点で、逃げることを諦めた。
※金目銀目とは、金色の瞳と青色の瞳のオッドアイのことです。オッドアイのことを、日本語では金目銀目というんだとか。




