22.日常
誘拐騒動がひと段落ついたのは、事件から十日経った後だった。
なぜそんなにも時間がかかったのかというと、誘拐された二姫が雨に長時間打たれたため熱を出し、肝心の事情聴取が遅れたためである。その上宇春のほうは信頼していた侍女を四人も失い、精神的な消耗も激しかった。
かく言う瑞英も目の前で人が殺されるという事態に精神がすり減り、数日間は悪夢にうなされていた。その現状を憂いた雅文が毎夜共に寝ていたことは、彼女としては忘れてしまいたい過去である。
そんなふたりの精神が落ち着き事情聴取も済み、ようやく平和な日々が戻ってきた頃。
瑞英と宇春はなぜか、夢花とともに茶を飲んでいた。
無言のまま、円卓で顔を突き合せる三人。集まった場所は、夢花の私室として使っている部屋である。理由は言わずもがな、主催が夢花だからだ。狗族の姫は、私用により欠席している。
華美ながらもうるさくない、紅や金の調度品でまとめられた部屋は、部屋の主人が誰かということを一瞬で悟らせてくれる。
しかし全体的な色は紅と派手なのに成金じみた下品さがないのは、むやみやたらと色を使っていないからだろう。その高貴な上品さに、瑞英は思わず「夢花様のところの侍女たちはすごいなぁ……」と感嘆してしまった。
茶会、という名目で集められたため、三姫の衣装にも気合が入っている。
主催の夢花は部屋の色に合わせ、深い切れ目が入った紅の衣を身にまとっている。普段よりひだや透かし模様の飾りが多いそれは、降ろされた黒の巻き髪と相まって妖艶に見えた。薔薇の香水を付けているらしく、芳しい香りもする。気合いが入りすぎていると言っても過言ではなかろう。
一方の宇春は、可憐で清楚な衣を着ている。桃色、鴇色、桜色、といった柔らかな暖色でまとめられた上衣に、若草色の裳を着ていた。亜麻色の髪は緩く編み込まれ、桃の生花で飾られている。飾りすぎない装飾だが、それがいっそう兎姫の可愛らしさを引き立てていた。
どちらの姫も美しいが、まったく系統の異なる美麗さを持ち合わせている。
そして瑞英はというと、自身の好む色である緑の上衣と白の下穿き、といった、以前竜族主催の宴があったときとほぼ変わらない出立ちをしていた。他の姫が改めて仕立てた衣装を身にまとっているにもかかわらずだ。残念なことに鼠族の経済状況はとても宜しくない。
そもそも瑞英は、そういった装いが似合わなかった。侍女たちも、その細身の曲線美を魅せるべきだということで頷かれた。
その代わりというべきか。瑞英の髪は、普段ならば絶対にしない髪型をしていた。侍女たち三人がかりで編み込まれた髪は、緑や蒼の紐が共に編まれている。
白銀の髪に飾られているのは、翡翠の簪と空木の花だ。白く小さな花はひっそりと、その存在を主張していた。
美雨、鈴麗、鈴玉共同の、渾身の作品だ。因みに藍藍は、三人から「邪魔をするな」というような凄まじい視線を浴びて縮こまっていた。
思い思いに着飾った姫たちは咲き誇る花のようだったが、その空気は決して甘やかではない。
猫姫は兎姫を睨みながら白茶の入った器に口をつけ、兎姫はつっけんどんとした態度を貫いたまま、蓮の実の砂糖漬けを頬張っていた。不用意に触れれば弾けそうなその空気は、呼吸をすることすら躊躇われるほどだった。
その間で縮こまる鼠姫は「帰りたいなぁ……」という気持ちを押し殺し、引き攣った笑みを浮かべている。殺伐とした空気は、以前おこなわれた四姫の論議を思い起こさせた。
それぞれの姫の背後には、ひとりずつ侍女がいる。瑞英は藍藍を連れてきた。美雨でない理由は、彼女がいるとさらに白熱した茶会になりそうだと、瑞英が危惧したためである。
しかしそんな主人の心情などつゆ知らず。藍藍は指名されたことに喜び、にこにこと笑みを浮かべている。その様子は、無表情を通す他の侍女たちと相まって浮いていた。空気が読めないにもほどがある。
色々な意味で先行きが不安になった瑞英が乾いた喉を潤そうと、少しぬるくなった茶に口をつけたとき、夢花が開いていた扇を閉じた。
ぱちん、という音が、しらけた部屋に良く響く。
瑞英は「いよいよくるか……」という諦めを感じながらも、手元の茶器をそっと死守した。
予想違わず。円卓が勢い良く叩かれ、茶器が悲鳴をあげる。
卓を叩いた夢花は、親の仇を見るような目で宇春を睨んだ。
「このたびはお集まりいただき、誠にありがとうございますわ。早速ですが、本題に移らせていただきますわね。……先日の誘拐騒動の件、お教えくださいませんこと?」
言葉は疑問系だったが、口調はまるっきり真逆だった。明らかに答えを強要している。
しかし宇春はその圧に屈することなく、団扇で口元を隠しながら首をかしげた。
「あら……なんのことでしょうか、夢花様。誘拐騒動の件と一口に言われても、色々あるのですが……?」
「……あのとき、瑞英様と宇春様はなぜ一緒に連れて行かれたのか。また、終結の際竜王陛下とともに帰還なされた瑞英様は、陛下にとってどのような存在なのか。わたくしが最も聞きたいのは、このふたつですわ」
「あら、あら。猫族の姫君様は存外、初心なのですね。ご質問の件、聡い方でしたら直ぐに気づかれると思いますが……」
「……それはわたくしが、頭の回転が鈍い、暴力だけが取り柄の馬鹿だと言いたいのでして?」
宇春の遠回しな嫌味が嫌いな夢花は、こめかみをひくつかせながらも口を開く。しかしどのような視線で見られようと、宇春の柔らかな笑みが消えることはない。
素の優しく可愛らしい宇春が頭に残っている瑞英は、以前の口論のときと何も変わらない態度に恐れおののいた。どうやら宇春は、瑞英が思っていた以上に腹が黒いらしい。とんでもない二面性の持ち主だ。
(……まぁそれくらいの図太さがなければ、狗族、猫族という高位種を押し退け妃になどなろうとしないだろうけども)
それは分かるのだが、なんだか釈然としない。
そんな事実に軽く衝撃を受けながらも、瑞英はふたりの様子を窺い見る。
宇春はふふふ、とでも続きそうなほど和やかな笑みを浮かべ、手元の団扇をあおいだ。
「まさか。ただそれだけの情報を得ていながらも確証に至っていないのは、どうしてなのでしょう、と思っただけです。……ああ、それとも……認めたくない理由があるのですか?」
ぴきりと、夢花の表情にひびが入った。
瑞英は内心「ひぃっ」と悲鳴をあげる。夢花の表情がそうなったとき手がつけられなくなるのは、不本意な付き合いを重ねたため嫌というほど理解している。
しかしそんな姿を見ても、宇春は怯まない。むしろ少し楽しそうに首をかしげた。
「わたしと瑞英様は、良き友人同士です。それゆえにあの日は共に茶を飲もうとして部屋へ向かい、そこで待ち伏せしていた鳥族の者に捕らえられてしまったのです」
「とも、に、茶を……」
「わたしたちは、竜王陛下の妃という立場。争い合っていても意味はありません。そういう意味でも、仲が良いに越したことはありませんでしょう?
そういう意味でもわたしは、夢花様とも良き友人でいたいのです。……ええ、争いごとが嫌いな、瑞英様のためにも」
「る、瑞英さまの、ために、も……?」
「はい。瑞英様のご友人なら、当然でしょう?」
「……そ、そうですわね! わたくし、瑞英様の親友ですもの! 友人の友人は友人とはよく言ったものですしっ」
瑞英は茶器を置きながら、頭に疑問符を浮かべる。
(いや、友人の友人は赤の他人だよね……)
夢花が掲げた理論でいくと、人類のいうくくりならば全員友だちだよね、ということになる。それは暴論だ。
しかしそれよりも気にかかることがあった。
(あ、れ……なんか夢花様が、懐柔されている……?)
理由はよく分からないが、夢花の手綱を宇春が握ったらしい。事実争いごとが苦手な瑞英は、そのことにひどく安堵した。ともあれ丸くおさまったのなら、言うことはない。
しかし瑞英は、もうひとつの質問内容がすっかり忘れていた。否、忘れていたというより、忘れようとしていたというべきだろう。
宇春に懐柔されてもなおしつこい夢花は、次いで瑞英に視線を向けた。宇春もしとやかに、瑞英に向けて微笑んでいる。
嫌な予感がした。
「ところで瑞英様」
「は、はい?」
「陛下とは、どのようなご関係でらっしゃいますの?」
単刀直入に言い切った夢花に、瑞英の表情が固まった。
(忘れておいてくれたらよかったのに……!)
嫌な予感は見事に的中した。
そう心の中で叫ぶものの、瑞英が答えるまで夢花は追求をやめない。それは経験上分かっていた。
しかしふたりの関係をどう説明するべきか、瑞英には判断できない。そもそもそれを、口外して良いものなのか。ここにいる者は皆一応、竜王の妃という立場だ。狗族の姫はいないものの、妃の過半数がいる前で「わたしは竜王陛下の番です」と言うということは、明らかに喧嘩を売る行為だ。
「えっとそれは……」
口ごもる瑞英を見て、夢花の瞳がキラリと光る。それは獲物を見つけた捕食者の目だ。
そこに助け船を出した者がいた。
宇春だ。
「夢花様、いやです。そんなの、決まっているじゃないですか」
「あら、どういうことですの?」
しかしなんだか、雲行きが怪しい。
瑞英の顔からとうとう、笑みを維持することが困難になり、頬がぴくぴくと痙攣した。
そして宇春は純真無垢な笑みをたたえながら、とんでもないものを投下した。
「竜王陛下と瑞英様は、心から愛し合う仲に決まっています!」




