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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
21/66

21.救済 *

 ――痛い。苦しい。辛い。


 じわじわと侵食していく感情を他人事として捉えながら、雅文ヤーウェンは空を翔け抜けた。黒みを帯びた銀の鱗が雨粒を弾き、美しく輝いている。

 他の竜族と比べてみてもひときわ大きな竜王は、雨という好条件のもと存分に力を発揮していた。


 雅文が力を放出すれば、大気の水分が凍りつき氷の刃が生み出される。彼の周りに現れたそれは、優に千は超えていた。

 それは矢のごとく、雅文の意思に従い放たれる。


 狙いの先にいるのは、背を向け逃げ惑う鳥族たち。

 彼らはそれを避けることと防御することもできず、氷の刃を全身に受けて悲鳴をあげた。

 されど、血は噴き出すことなく凍る。刺さった刃から侵食し始めた冷気は、やすやすと大柄の男たちを凍りつかせた。

 ばきりと、凍りついた体が硝子細工のように割れる。残酷なまでの暴力は、見る者の心を震わせた。


 どうしようもないほど惹かれる。それは、強者特有の貫禄だ。


 氷像と化した死体は、重力に逆らうことなく落ちていった。


 その力は、他の竜族と比べてみても群を抜いて強かった。圧倒的という他ない暴力は、勇猛果敢な鳥族たちを確実に追い詰めていく。それに比例するように、竜族の兵士たちの士気は上がっていった。


 しかし雅文の心が、埋まることはない。むしろ力を振るえば振るうほど、うろは深く広がっていった。


 竜族の実力というものは、生まれたそのときに決められる。それは個人が保有できる力の許容量と属性だ。

 属性とは、火、水、風、光、闇、氷の六属性に分けられる。それぞれ相性はあるが、どれかが飛び抜けて強いということはなかった。

 しかし力の許容量は違う。それが大きければ大きいほど、その個人の価値は上がるのだ。それは暴力こそが絶対だという竜族内では、絶対的な指標となっていた。


 実力者至上主義という形態を取っている現在でも、その影響は計り知れない。竜族の価値観は、根本的なところでは何ひとつとして変わっていなかったのだ。


 強者は力も心も強い。


 そんな常識が知らず知らずのうちに根づいてしまうほどに、竜族は表面的な力に重きを置く獣族だった。


 ――痛い、辛い。苦しい、怖い。


 ひとつ息を吐き出した雅文は、再び響いてきた叫び声に目をつむる。幼い日から凍りつかせ目を背けてきた感情が、瑞英ルェイインという存在を得たことにより溶け始めていたのだ。


 閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、顔を真っ赤に染めながらも「寂しかった」と頷いた、あの日の記憶だった。

 彼の意識は鮮明に、その日の感覚を思い浮かばせる。


 触れただけで折れてしまいそうな腕、手触りの良い白銀の髪。

 体からはいつも甘やかでありながらも控えめな匂いがし、雅文の心をくすぐった。優しく抱き包めば、温かく柔らかな感触に身が震える。


 思い出せば思い出すほど狂おしさの増す感覚に、竜王は混乱した。


 一度ぬくもりを知ってしまった心は、再び閉じることを拒絶する。それと同時に麻痺していた心の古傷が開き、じくじくと血を流していた。


 狂おしいほどの痛みから逃れるために、雅文は低く呪詛を吐き出す。


『返せ』

 ――愛おしくも優しい我が花嫁を。


『苦しめ』

 ――わたしが味わっている苦しみと、同じくらいの痛みを味わえ。


『わたしは、お前たちを絶対に赦さない』

 ――そして未来永劫、この世界から消えてしまえばいい!!


 竜王の慟哭は、哀しい咆哮として大気を震わせた。それを感じ取った精霊たちは、一様に怒りを示す。彼らは雅文のことが好きだった。大好きだった。幼い日から、ずっと見守り続けていたのだ。


 そんな雅文が今、悲鳴をあげている。

 決して泣き言を言わない、氷王が。


 精霊たちが取る行動は、ひとつだった。


 雨が一部だけ強くなり、風が唸りを上げる。

 叩きつけるような雨は、鳥族の羽根を容赦なく痛めつけた。


 もともと鳥族の翼は、過度に濡れることを想定されてはいない。ある程度ならば防水性に優れているため水を弾くが、その雨は豪雨と呼ばれる類のものだった。風の強さも相まり、鳥族の高度が下がっていく。


 さすがに分が悪いと判断したのか、彼らは徐々に撤退を始めた。

 もともと今回の奇襲の目的は、妃の誘拐だったのだ。時間稼ぎこそすれ、乱戦に持ち込むことはない。そして前に出ている者の大半が、血気盛んな若者たちだった。

 これ以上若手がいなくなるのは、鳥族としても本望ではない。


 そのため、かなり遠くで総指揮をしていた男が笛を鳴らす。細い笛は息を吹き込むと、甲高い音をあげた。

 それを合図に、鳥族は本格的に撤退する。


 しかし、雅文の気が鎮まることはなかった。むしろ逃げるという行動が、竜王の逆鱗に触れてしまったのだ。

 追撃をしようとする王の前に立ち塞がったのは、黒い鱗を持った側近だった。


『竜王陛下、ここで鳥族を追撃したところで、こちらに利益はありません! 一度落ち着いてください!!』

『そこを退け、幸倪シンニー。彼奴らはここで殺すべきだ』

『いけません、雅文様。正気に戻ってください』

『そこを退け!!』


 怒りのあまり平静な判断ができなくなった竜王を、黒竜は止めた。しかしいくら言葉を交わそうと、雅文の怒りがおさまることはない。事態は、幸倪が恐れていた最悪の展開へと向かおうとしていた。


 銀竜と黒竜。

 二体の強者が覇気を発する。


 兵士たちは壮絶な気の奔流に悲鳴をあげ、傍観することしかできない。ふたりを止められる者は、この場にはいないのだ。

 雅文は己の本能に従い、自身から大切なものを奪った者たちに報復しようとする。

 その一方で幸倪は、彼が最大の過ちを引き起こさないよう自らの身を呈してでも止めようとしていた。

 それに囃し立てられるように、精霊たちが嵐を生み出した。竜王と銀竜がいる頭上にのみ、おどろおどろしい色をした雲がかかる。

 雷が鳴り、大粒の雨が降り注ぐ。風がごうごうと音を立てていた。


 張り詰めた緊張の糸が切れる。そんなとき。




「雅文様!!」




 遠くから、場違いなほど軽やかな声が響いた。

 雅文が弾かれたように首をもたげる。そして声のするほうへと視線を移した。幸倪も同様に振り向く。


 そこには、琥珀色の竜に乗った白銀の鼠姫がいた。


 遠目からでも分かるその姿に、雅文の心を温かい何かが満たす。それにより、膨れ上がった気が霧散した。

 幸倪はそれに安堵し、詰めていた息を吐き出す。ふたりが覇気をおさめたことにより、精霊たちも気を緩めた。次第に雨がおさまり、雲が割れていく。

 割れた空から、陽の光がこぼれた。

 初めての感覚に戸惑い、その場で停止している竜王の背を、忠臣が優しく押す。


『雅文様。……行ってください』


 それを聞き、雅文は目を見開く。そして慌てた様子で翼をはためかせた。

 不恰好に、でも必死に。雅文は今日はじめて飛んだ幼い竜のように、光が差し込む空を行く。


 そんな姿を、美雨メイユイは優しい眼差しで見守っていた。

 雅文は流れるような動きで竜化を解いていく。白銀の粒がこぼれ、白い帯が体を包んだ。

 美雨の背に着地した雅文は、おそるおそる前を見つめる。胸の内側から湧き上がる感覚に耐えかねたのだ。

 しかし目の前に佇む鼠姫は、いつもと何も変わらぬ笑みを浮かべ口を開く。


「雅文様。……ただいま、帰りました」

「――――ッッッ!!」


 瞬間喉の奥から、声にならない声があがった。

 崩れ落ちるように膝をついた雅文は、瑞英ルェイインをきつく抱き締める。わずかな隙間すら許さないとでも言うように、彼は小さな体を求めた。

 首筋に顔を寄せれば、雨に濡れてもなお甘い香りが湧き立つ。体も冷たいものの、確かに脈打っていた。


「……雅文様……ちょっと、痛いです」

「ああ……ああ……っ」


 瑞英の声が、耳からゆっくりと沁みていく。

 彼は壊れ物を扱うように、抱き締める力を弱めた。しかし体はしっかりと密着している。それだけで、雅文は満足だった。

 ふたりはようやく、面と向かって顔をつき合わせる。


「雅文様……冷たいですね」


 小さな手を雅文の頬に当てた瑞英が、柔らかく微笑む。瞬間、彼の瞳から涙がこぼれた。瑞英は慌てるが、それが止まることはない。彼女はそれを懸命に拭った。それがまた愛らしくて、雅文は無意識のうちに唇を寄せる。


 気づいたときには、ふたりは唇を合わせていた。


 前にも合わせたことがある唇。しかし今回の口づけは、そのときより甘かった。

 伏せた目を持ち上げれば、目を見開いたまま呆然とする瑞英が映る。くすりと笑んだ雅文は、固まっているのをいいことに再度口づけた。

 二回目の接吻に我に返った瑞英は、頬を真っ赤に染めて唇を震わせる。


「や、ややや、雅文、雅文、さまっ!?」

「なんだ、瑞英」

「な、何って、何って、くち……口づけ……っ!」

「……駄目か?」


 口を開閉させた瑞英は顔をさらに赤く染めて周りを見る。そして勢い良く首を横に振った。


「だめです、だめです、絶対だめっ!! こ、こういうことは、その、互いの関係がもっと親密になってからですねぇ……っ!」

「わたしはこんなにも、瑞英のことが好きなのだが」

「それは確かにそうですが、わたしのほうはですね……」

「嫌いか?」


 雅文がしょんぼりしたのを見て、瑞英は慌てる。その慌て具合を見て、雅文は安堵した。いつも通りの優しい光景だったからだ。


「嫌いではないけど、特別好きではないというか……い、いやでも、そばにいたいとは思いましたっ! その、独りにしておくのは心配ですので……」


 予想外の返答に、雅文は目を見開いた。そして幸せそうに口を緩め再度抱き締める。姫を抱き潰さないよう細心の注意を払った抱擁は、先ほどよりも余裕がある証拠だ。

 そこで彼は、懇願するように口を開いた。


「瑞英」

「……はい」


 息を吸い、吐き出す。一度息を整えた竜王は、再びこぼれる涙に身を震わせる。

 たった一言。その一言を吐くのに、彼は全神経を集中させた。


「そばに。そばにいてくれ」


 泣き声混じりの声は、とても震えていた。

 少しだけ静寂が満ちる。しかしそれも、ほんの一瞬だった。

 瑞英は雅文の首筋に腕を回す。


「雅文様、大丈夫ですよ。わたしは雅文様の番ですし妃です。なのでわたしの命が続くまで、ずっとそばにいますよ。……だから」


 だから。そこで間を空け、瑞英は雅文の頭を優しく撫でた。


「これからは、独りで苦しまないでください」


 その言葉は、他の誰から発せられるものよりも深く、雅文の心に沁みた。


 空にかかった雲が割れ、美しい青色を覗かせている。

 陽光に照らされながら抱擁を続けるふたりの周りには、他人が介入できない目に見えぬ何かがあった。


 優しい静寂が満ちる中、雅文は、絞り出すような声で「ありがとう」と言う。それは彼が、生まれて初めてはっきりとした弱さを見せたときでもあった。


 その美しい瞬間に立ち会えた美雨は緩やかな速度で飛びながら、ひっそりと笑みを浮かべる。


 ふたりは竜族領に着くまで、互いに身を寄せたままでいた。










 結果として、鳥族による妃の誘拐は失敗に終わった。


 竜族領への被害はなく、また出陣した兵士たちも誰ひとり大怪我をすることなく帰還することができた。


 後にこの日の誘拐事件は『再拐さいかいの役』と名づけられ、竜族と鳥族が数千年ぶりに、表面化で抗争をおこなった事件として歴史書に刻まれることとなる。


 しかしその出来事は、ほんの序章に過ぎなかった。

 それを世間が知ることになるのは――もう少し先の話である。

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