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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
20/66

20.救出 *

瑞英ルェイイン様っ!!」


 次いで聞こえてきたのは、凛とした声。

 見上げればそこには、琥珀色に輝く粒を撒き散らしながら落ちてくる美雨メイユイの姿がある。


 そこでようやく、瑞英の時間は現実に引き戻された。


 翡翠色の瞳を大きく見開き、瑞英は肩で息をする。遅れて、尋常じゃない恐怖がやってきた。体ががくがくと、本人の意思に反して震える。生理的な涙がとめどなく湧き上がり、頬を伝って落ちていった。

 両腕を掻き合わせ恐怖から逃れようとする鼠姫を見て、美雨が眉を寄せ唇を噛み締める。

 美しい衣に泥が付くことすら厭わず、竜姫は瑞英の傍らに膝をつき凍えた体を温めるように抱き締めた。


 そんな中でも瑞英の頭に浮かんだのは、先に連れて行かれてしまった宇春ユーチェンのことだった。


「あ……め、い、めいゆ、いっ! ゆ、宇春、宇春さま、がっ!!」

「ご安心ください、瑞英様。宇春様のもとには、鈴麗リンリー鈴玉リンユーが行っています。……あなた様は、自分自身のことだけをお考えてくださいませ」


 それを聞いた瑞英の肩から、どっと力が抜けた。一番気がかりだったのは宇春のことだったのだ。自身と似た境遇を持つの姫が攫われ自分だけが助かるなど、考えただけでおぞましい。それならまだ、死んだほうがましだと思えた。


 一方の美雨は、自分のことよりも他人のことを気にする鼠姫に眉を寄せていた。どうやら予想以上に、彼女は自分に無頓着ならしい。その辺りの性格は、雅文ヤーウェンととても似ていた。

 「もっと自分を大切にしてください」という言葉が喉元まで出かかったが、すんでのところでやめる。今言わなくても良いと思ったからだ。

 自身よりも小さな姫を軽々と抱き上げた美雨は、ほっと息を吐いた。もしも瑞英の身に何かあれば、雅文に顔向けできない。


 そんなふたりを他所に、藍藍ランランは鳥族の男を着々と追い詰めていた。


 普段の鈍臭さなど微塵も感じさせない動きはなめらかで、相手の行動を分析しながら急所を探っている。そうでなくとも、森は狗族にとって最も慣れ親しんだ狩場だ。地形の利を最大限活用する藍藍は、周りの状況を逐一確認しながら剣を扱っていた。

 避けては剣を振り上げ、剣同士が噛み合わされば隙を見て腹部に鋭い蹴りを入れる。そのたびに、水を含んだ藍色の髪が揺れた。紫の瞳は瞳孔が萎縮し、獲物を狙う獣の目へと変わっている。


 それはまるで演舞を踊っているかのような足運びだった。彼女にとって足元のぬかるみは、欠片たりとも弊害になりはしない。


 それに対し鳥族の若者の顔には、明らかな焦りと疲労が見えていた。慣れない地形、慣れない天候に体がついていかないのだ。そもそも鳥族の戦闘時においての最大の利点は、その翼を使うことによる機動力と速度、また間合いだ。上から全体重を込めて繰り出される剣戟は鋭くしなやか。反撃を繰り出そうにも上に逃げられてしまえば、空を飛ぶ術を持たない狗族や猫族では太刀打ちできなくなる。

 その上小柄なため風の抵抗が少なく、竜族よりも小回りが利く。それこそ、長年竜族と渡り合ってきた理由だ。

 しかし翼がろくに使えない今、男は純粋な剣技のみの実力で勝負しなくてはならない。


 剣を繰る技術は、藍藍の方が上手だった。


『くっそ……!』


 やけになった鳥族が、無理矢理羽根を広げ飛ぼうとする。しかし広げた瞬間、男の大きな翼が木の枝に引っかかってしまった。驚いて羽根を戻そうとしたが、引っかかった部分が外れることはない。


 そしてそれこそ、男の生死を分ける選択であった。


 木の幹を踏み台にしひときわ大きく跳躍した藍藍は、後ろに振りかぶった剣を真横に走らせる。それは本当に一瞬の出来事だった。


 首が斬り落とされた。


 あまりにも呆気なく切断された男の頭部が、泥の中に落ちる。ぼちゃりと、嫌な音がした。遅れて、地面が毒々しい色に染まる。

 斬られた男の顔は「自分が負けるなどあり得ない」というおごりと、「死にたくない」という恐怖で歪んでいた。

 胴体部分は未だに、翼が枝に引っかかっていたため吊られていた。しかし次第に枝のほうが耐えられなくなり、ぱきん、という悲鳴を上げて弾け飛ぶ。

 追って、首から下が地面に沈んだ。


 藍藍はそれを無表情で一瞥した後、サッときびすを返す。ぴちゃりと泥が跳ねた。それから流れるような動きで雨で薄まった赤い雫を振り払い、剣を鞘におさめる。そして全速力で、瑞英のもとへとやってきた。


「瑞英様!!」

「……藍藍?」


 美雨の腕に抱かれだいぶ落ち着きを取り戻した瑞英が、ひょっこりと顔を覗かせる。顔にいくつかの傷はあるものの、そのどれもが軽傷とも言えないほどの軽いものだった。

 声にも張りがあり、普段通り柔らかい。


 唯一無二の親友であり主人でもある瑞英の無事を確認した藍藍は、先ほどとは打って変わり情けない表情を浮かべた。


「る、瑞英、さ、さま、ぶ、無事で、よかっ……っ!」

「ちょっと、なんで泣き出すのっ」

「だ、だっで、瑞英さまにもしものことが、あったら、わ、わたし……っ!」


 おいおいと泣き出す侍女に、わたわたと慌てる鼠姫。その様を唯一傍観していた竜姫は、胸の内側から込み上げてくる感情に頭を痛めた。


 もし藍藍が、瑞英の気を紛らわせるためにわざとその行動をおこなっているのだとしたら、拍手喝采の演技だと褒めたいところだが、見たところそれはないであろう。戦闘時の剣技は見事としか言えない腕前だったが、いかんせん緊張感に欠ける行動であった。美雨が現役時代の頃、同隊の部下に藍藍がいたならば、「隊の士気に差し障りが出るからやめろ」と一喝していたところである。


 しかしこの場においてそれは、まったく得策ではなかろう。むしろ鼠姫の恐怖を再発させてしまう要因になってしまう。

 軽く頭を振った美雨は「帰ったら再教育」という自己暗示をかけながら、収拾がつかなくなりかけたその場を取り持つ。


「藍藍。泣くのは後です。今は瑞英様を後宮に連れ帰ることを優先させましょう。……いいですね?」

「は、はいっ」


 無言の威圧に押された藍藍は、壊れた人形のようにこくこくと頷く。再び雨音が満ちたところで、美雨は瑞英を抱えたまま森の中を歩き出した。

 しかしそこで、瑞英が声を上げる。


「あ、の」

「……なんでしょうか、瑞英様」


 瑞英の視線の先には、彼女のことを助けてくれた鳥族の姿が映っていた。

 自らが死ぬことになろうとも、その男は瑞英を庇い続けた。それが打算からくるものなのか罪悪感からきたものなのか、瑞英にはよく分からない。しかしここで彼を放置しておくことは間違っているように感じた。

 瑞英は未だに強張りが解けきらず動かしづらい手の人差し指を立て、そちらを指差す。


「……そこの方を、弔うことはできる?」


 美雨と藍藍は、その指先を見て目を見開いた。


「……理由を聞いてもよろしいですか、瑞英様」

「瑞英様。自分を誘拐した男を弔う必要なんて、ありませんよ」

「……違うの」


 瑞英は、力なく首を横に振った。そして困り顔を浮かべる。


「その人は、わたしのことを助けてくれたの」

「……鳥族が、瑞英様を助けたのですか?」

「なんで」


 そんなこと、瑞英が聞きたかった。

 一同は無言のまま、再度その男を見る。


 頭と胴が斬り離された、もの言わぬ死体。


 彼は他の鳥族とは違い、安らかな顔をして死んでいた。ひどく満ち足りた表情には、生への未練も死に対する恐怖もない。あるのは、戦場には似合わないほどの慈愛だけだった。

 その表情こそ、すべての疑問に対する答えだったのかもしれない。


 美雨は肩の力を抜くと、藍藍に視線をやる。彼女はひとつ頷くと、その死体のもとへと駆けていった。











 雨が小雨へと移り変わった頃、瑞英たちと双子の侍女は無事に合流することができた。

 鈴麗の腕の中には、雨で濡れてはいるものの外傷はほとんど見受けられない兎姫が眠っている。どうやら瑞英とは違い、起きることはなかったようだ。嗅がされた薬の量が多かったのかもしれない。

 改めて友人の無事を確認した瑞英は、安堵の息を吐き出した。


「瑞英様、無事で良かったです……!」

「本当にごめんなさい……わたしたちがもっとしっかりしていたら、瑞英様が誘拐されることはなかったのに……」


 瑞英の姿を認めたふたりは、顔を歪めて平謝りをする。しかし双子が常時護衛についていたことを知らない瑞英は戸惑うだけで、その言葉の真意を図れないでいた。そのため首を横に振り、顔を上げるように促す。


「ほ、ほら、お願いだから顔を上げて。鈴麗と鈴玉が悪いわけないでしょう? むしろ、宇春ユーチェン様のことを助けてくれてありがとうとお礼を言わなきゃ。ふたりがいなかったら、宇春様は鳥族の領地に連れてかれてたと思う。……鈴麗、鈴玉。わたしの大切な友人を救ってくれて、本当にありがとう」

「っ、は、はい!」

「も、もったいないお言葉です!」


 双子の侍女は、顔を歪ませながらもこくこくと頷いた。

 それを見た美雨は思う。「この姫はおそらく、自身の言葉の重みを知らないのだろう」と。


 狗族にとって、主人と認めた人物からもらう言葉は絶対だ。主人が「死ぬまで戦え」と言えば喜んで戦いに身を投じるし、「死んで詫びろ」と言えば自害することすら厭わない。

 そして鈴麗と鈴玉は出会ってそれほど経っていないが、瑞英のことを主人として認めていた。ふたりは、瑞英の口から「使えない」という台詞がこぼれ落ちることを恐れていたのだ。

 狗族にとて心はある。特に主人から言われた言葉は、心に大きな傷を残すこともあった。狗族内で奉公に出される者のことを、替えの効く道具としてしか認識していない者は意外と多かった。少なくともこの双子の周りには、そういう者たちしかいなかったのだ。


 しかし鼠姫はその怯えを、当たり前のように払拭してしまった。


 瑞英にとっては「当たり前」のことなのだろうが、それを「当たり前」として自然に行動することはとても難しい。

 美雨は鼠姫の内にあった密かな凄さを知り、わずかに笑む。彼女のその心はおそらく、竜族領に確かな波紋を落とすことになるだろう。それが一体どんな結果を生むか、誰にも分からない。しかし何故か「良い変化であろう」という確かな予感が美雨にはあった。


 そんな美雨の心情などつゆ知らず。瑞英は今にも泣き出しそうな侍女たちをなだめつつ、ちらりと森に視線を向けた。


 この森のどこかに、瑞英のことを助けた男が安らかに眠っている。


 藍藍の手によって埋葬されたその姿を知るのは、瑞英と美雨、藍藍の三人だけだろう。

 瑞英は心の中で手を合わせ、目をつむる。


(どうか、安らかに)


 一度だけそう祈ると、瑞英は真っ直ぐと前を見据える。

 そうして一同は竜化した美雨の背に乗り、無人の島を後にした。

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