表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
2/66

2.宴席

 唇に柔らかい感触が広がる。鼻腔を若葉のような清々しい香りが抜けていった。


 それが一瞬のことだったのか、かなり長い時間をかけておこなわれたことなのか、瑞英ルェイインには分からない。

 思考が停止し、体が硬直する。

 互いの唇が離れた頃には、瑞英はぽかーんと口を開き身を震わせた。


 頭を整理するために、今の状況を省みる。


(えっと、まず……この男の人は、絶対に竜族の方だ)


 竜族という個体は総じて、見目麗しい者が多い。強者であればあるほど美しく、強靭な力を持ち得ていると言われている。

 そして眼前にいる彼は、瑞英の基準から見てもとても美しかった。一種の静謐さを感じられるさまは、研ぎ澄まされた氷のようだ。おそらく強い個体だろう。


 そこまで考えてから、瑞英はようやく自身に降りかかったことを思い出し、頬に朱を散らせた。

 男がくつくつと喉を鳴らす。


「随分と表情が変わることだな。我が麗しよ」

「……う、麗しっ?」


 ぎょっと目を剥くが、男はさらに楽しそうに目元を緩める。柔らかな微笑が冷たい印象と相反し、独特の色気を帯びていた。

 男性経験などこれっぽっちもない瑞英は、口を開閉させながら叫んだ。


「か、からかわないでくださいませ……っ!」

「からかってなどおらぬ。そなたは間違いなく、わたしのつがいだ」

「つ、がい?」


 聞き慣れない単語に首をかしげたところで、はっと気づく。自分はいつまでこの格好をしているのか、と瑞英は焦った。

 竜族の男に片腕でやすやすと抱き上げられた瑞英は、あまりの近さに内心悲鳴をあげる。

 その姿に瞳を和ませた男は、指先で白銀の髪を梳いた。


 その動作は、愛おしさの溢れたもので。

 まるで壊れ物を扱うかのような優しさに、初対面であることを忘れてしまいそうだ。


(待て待て待て、待て、わたし。落ち着け……っ! この方とわたしは、まるっきりの初対面! 恋人はおろか、知り合い未満の存在だからね……!?)


 まずい。とにかく今の体勢を、なんとかしないといけない。

 真面目に焦り始めた瑞英は、沸騰寸前の頭を無理矢理回して考えを巡らせる。

 そこで出てきた口実は、竜族主催の宴のことだ。だからできるだけ早々に切り上げてきて欲しいと、藍藍ランランに懇願されていた。


 当初予定していた数など読み終えてないが、背に腹は変えられない。瑞英ははっきりと声を上げる。


「も、申し訳ありませんが、わたくしこれから用事があるのです。離していただけませんでしょうか」

「……ああ、そうか。そういえば、そうだったな」


 意味の分からない納得の言葉をつぶやいた男は、存外あっさりと、瑞英をおろしてくれる。

 拍子抜けした瑞英だったが、咎めがないならそれで良い。

 ひとつ礼をした彼女は、脱兎のごとき速さで書庫から逃げ出そうとした。


「そなた」


 しかし絡みつくような重低音に、身が縮む。思わず足を止めていた瑞英は、怖々と背後を向いた。

 瑞英を見上げる長身の男は、瞳孔を糸のように凝縮させて彼女を射抜く。ただそれだけのことで、瑞英は体の自由を奪われてしまう。


「必ず迎えに行く。 ――逃げることは許さぬぞ」


 有無を言わせない物言いに、呼吸が止まる思いがした。本能が「逃げろ」と告げるが、体が動かない。

 絡まる視線を気力のみで振り切った瑞英は、とにかく走った。

 一心不乱に後宮へと駆けていた瑞英は、途中でかくりと膝をつく。体が震えて仕方がなかった。それが恐怖からくるものなのか、今の瑞英には分からない。

 ただ思う。肉食獣に見つかった際の被食者の気分は、おそらくこんな感じなのだろうな、と。


 震えがおさまった頃、瑞英はよろよろと立ち上がった。そこでふと、とあることに気づく。


「……あ。書物、持ってきちゃった」


 腕の中に抱えられているのは、先ほどから持っていたものだ。あまりのことに忘れていたらしい。

 飴色の書物に視線を落とした瑞英は、一度後ろを振り返った。そこには誰もいない。てっきり付いてきているのかと思っていた瑞英は、拍子抜けした。さらには拍子抜けした自分に驚き、頭を壁に打ち付けたくなる。


 花嫁とかつがいとか……からかわれただけなんだろう、うん。


 そもそも竜族は、獣族最強だ。戯れに言葉を吐くこともあるだろう。でなければ、最弱と名高い鼠族である瑞英に、あのようなことはするまい。

 無理矢理そう納得させ、瑞英は踵を返す。書物はまた後で返せば良いだろう、と思い、彼女は小走りで自らに与えられた私室へと急いだ。



 ***



 部屋に戻った瑞英を待ち構えていた侍女は、涙目になりながら宴の用意をし始めた。

 多くの他獣族を招く宴の際、重要となるのは衣装だ。彼らは各々の地で特徴の違う衣装を着込み、種族性を誇示する。瑞英もそれに習う形で衣装を持ってきた。

 正直先ほどの精神的な疲れがあり、宴など行く気になれない。しかし面目上行かなければならず、彼女は辟易した。


 くどくどと愚痴を吐く藍藍ランランの言葉を右から左に流し、瑞英はおとなしく衣装を着せられる。

 着替え終わった瑞英は、爽やかな緑色の長衣を身にまとっていた。


 上衣は前合わせの立ち襟で、細身の作りをしている。裾は足首が見えるほどの長さで、深く切れ目スリットが入っていた。

 下衣はゆったりとした白の下履きだ。

 全体的に緑系統で統一された色合いは、瑞英の瞳の色と相待って涼やかに見える。


 を履くことが多い女性服の中で下履きを履くのは、鼠族一番の特徴と言って良い。彼女たちは地下で過ごすため、動き易さを重要視しているのだ。


 髪も綺麗に結い上げられたのは良いが、飾りが多くて重たい。綺麗にするのは好きだが、他獣族を交えた大々的な宴は好みでない瑞英の気は重い。特に今回は、会いたくない者にまで会わなければならない。


(やだなぁ。天敵なんだけどなぁ……)


 が、思うだけで口に出さないのが弱小一族のさがである。

 獣族の姫君らしく楚々とした佇まいで向かった大広間には、既にたくさんの姫君たちが集まっていた。皆思い思いの衣装を着込み、互いに美を競い合っている。

 立ちのぼる化粧や香水の匂いに、酔いそうになる。

 顔を隠すように羽扇をはためかせた瑞英は、背筋に稲妻のような痺れを感じ取り、顔を引きつらせた。


「あら、瑞英様ではありませんこと?」


 ゆったりと振り返れば、そこには勝気な金の瞳をした黒髪の娘がいる。緩やかに巻かれた髪の間からは黒の三角耳が覗き、鈴の耳飾りが揺れている。彼女が動くたびに、ちりん、と軽やかな音が鳴った。

 瑞英に話しかけてきたのは、猫族ねこぞくの姫だった。


「……お久しぶりです、夢花モンファ様」

「ええ、御機嫌よう、瑞英様。奇遇ですのね、このような場所で出会うなんて」


 夢花は挑発的な態度でひとつ言い放つと、深紅の扇を口元に当てた。

 彼女は猫族特有の、立ち襟に袖のない衣を身にまとっている。太ももを大胆に見せる裾丈は、俊敏しゅんびんに動くことを前提と考えた猫族なりの衣装だった。その下には短めの裳を身につけている。簡易な作りの代わりに刺繍ししゅうが凝っており、深紅の衣装には金や銀で大輪の薔薇しょうびが描かれていた。


 上機嫌に微笑む夢花相手に、瑞英は引きつった笑みを返す。

 そう、瑞英は、彼女に会いたくなかったのだ。にもかかわらず序盤で出会うとは、運が悪いのかなんなのか。


 鼠族と猫族の折り合いは、昔からたいそう宜しくない。それは遥か昔に、鼠族が猫族を騙したとか、それにより猫族は、鼠族を追いかけ回すようになったとかという逸話からきているとされている。

 そのため鼠族は、猫族と会うと本能的な反応を示してしまう。背筋に走った寒気も、そのたぐいだ。


 されど何があったのか、夢花は良く瑞英に絡んでくる。てっきり仲良くなりたいのかとも思ったが、態度はつっけんどんとしている。そのため瑞英としては、対応に困っていた。こちらとしてはほどほどの関係を築きたいのだが、向こうがそれを許してくれない。どうにかならないものか、と思うが、無理なのが現状である。

 今日も今日とて高飛車な態度を貫く夢花は、なめらかな動きで扇を開くと口元を隠すように当ててゆるりと扇ぎ出す。


「瑞英様のような方が、竜族の花嫁選びの場にいらっしゃるなど、思ってもみませんでしたわ。やはり竜族の方の招集には、逆らえなかったのかしら?」

「そうですね。一応、いかなくてはならないかということになりまして……」

「まぁ。大変ですのね。鼠族の方など、竜族の方とご対面するだけで一大事でしょうに」

「はあ」


 ふたりのやり取りは、毎回こんな感じだ。少し棘のある嫌みを、夢花は言ってくる。ここら辺は慣れたものだ。適当に相槌あいづちを打ちながら、瑞英は周りを窺う。


 そこでふと、違和感を覚える。


(宴……なんだよね?)


 瑞英が思わず首をかしげるほどに、竜族の宴は華やかさの欠けたものだった。

 部屋の装飾は見事なものだが、食事や飲み物などの提供は皆無。もちろん卓もない。あまりの味気なさに気づいた他の姫たちも、そのことに関して愚痴をこぼしている。会場がざわめいているのはそのためだ。

 瑞英は思い切って、夢花にそのことを聞いた。


「夢花様。今回の宴席は、竜族の方の主催にもかかわらず、質素ですね……?」


 すると夢花は、つり上がった瞳をしばたたかせる。そして小首を傾げ、本当に不思議そうに口を開いた。


「……あら、瑞英様。ご存じありませんの? 竜族の方の宴席では、」


 そう言いかけ、夢花は口を閉ざした。

 大広間に、よく通る声が響いたからだ。


「竜王陛下の御入場にございます」


 竜王陛下の来訪を告げる声に、姫君たちは一様に膝をつき起拝きはいの形を取る。

 それに習い膝をついた瑞英は、バタバタという音に肩を震わせた。

 思わず視線を持ち上げ、そして、目の前に広がる光景に愕然とする。


 瑞英の眼前にあった姫君たちの壁が、すっかりなくなっていた。




 ほぼすべての姫君が、一様に倒れていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ