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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
17/66

17.変転

 今日も今日とて美雨メイユイに絞られ、数時間かけて新たな知識を得た瑞英ルェイインは午後、書庫から持ってきた書物を数冊携え小走りに庭へと向かっていた。

 この件に関しても、侍女たちは何も言わない。どうやらもう既に、承知しているらしい。どこから情報を得ているのだろう、と顔をひくつかせつつ、瑞英は布をかぶり庭へ出た。その先には、小さな体をさらに小さくするようにしゃがみ込む、愛らしい背中がある。瑞英はわざと大きな音を立てて歩を進めた。

 すると、亜麻色の髪がふわりとたゆたった。


宇春ユーチェン様、こんにちは。待たせてしまいすみません」

「瑞英様、こんにちは。いいえ、わたしが早く来すぎただけです。少しでも多く、植物に触れたいと思ったのです」


 瑞英を待っていたのは宇春だ。彼女はふわりと笑うと、再び作業に没頭し始める。その足元には、彼女が持ってきた複数のかごにそれぞれ別の種類の薬草を入っていた。両手の指先を緑色に染める姿はとても一生懸命で可愛らしい。服も汚れることを前提としているのか、最近では地味でよれたものが多かった。

 されどそのような姿でも、兎姫の見目はくすまない。むしろ笑みが増え、血色が良くなったように思えた。人形のような顔でなく、正気の通った生き生きとした顔だ。


 そう。あの日以来、ふたりは頻繁に顔を合わせるようになっていた。瑞英が自身の知識や経験を話し、宇春が薬学についての話をする。ふたりはそんな学友のような関係を築いていた。

 その頻度が高いのは渡り以降、雅文がさらに忙しくなったからだろう。午後は瑞英の自由時間としてあてられているのだ。予定を組んだ美雨はどうやら、瑞英のことを慮ってくれているらしい。

 その点に関しては嬉しいのだが瑞英の頭からは、あの渡りの日の姿と台詞がどうしても離れない。


 哀しげでありながら甘やかな表情。

 縋りつくような言葉の数々。


 思い出すだけで、胸の奥がじくじくと疼く。

 あの儚くも美しい王に、自分は一体何ができるのだろうか。最近の瑞英は、そればかり考えていた。

 そこではたりと気づく。


(まずい。ここ最近思い出すことは、あの日のことばかりだ)


 せっかく宇春と楽しく勉強をしているのに、他のことを考えるなど言語道断だ。瑞英は赤い頬を隠すようにかぶり布を引っ張った。

 そんな様子を不思議に思った宇春が、ふと思い出したように言う。


「そういえばつい先日、陛下がまた狗族の姫のもとに渡りを行ったそうですね」

「え? あ、ああ。そうですね。侍女たちから聞きました」


 そう。竜王による渡りは、彼が忙しい間にも行われていた。二週目最初の渡りは、どうやら狗族の姫らしい。まぁ妥当な線だと瑞英は思う。同じ順番で回ると、その優遇されていると思われてしまうからだ。

 その件に関して、夢花モンファが文句を言うために瑞英のもとにきたが、瑞英としては知ったことではない。適当に聞き流し、茶を飲んで終わった。

 そんなことを思い出しながら返事をした瑞英に、宇春は目をまたたく。


「陛下ご本人から、どのようなことをお話しした、などはお聞きしたりしていないのですか?」

「はい。最近は特に忙しいようなので、顔を合わせる機会も少なくなってまして」

「……左様ですか」


 宇春の声が、いつもより低く聞こえた。

 愛らしい兎姫の顔が、美雨が怒りを示したときと同じように冷めてみえる。しかしその顔は笑顔だった。満面の笑みだった。

 ぶるりと、背筋に悪寒が走る。瑞英は思わず宇春の顔を二度見する。


「え、と……ゆ、宇春、さま……?」

「……瑞英様、どうかなさいましたか? わたしの顔に何か付いていますか?」

「あ、えっと。なんでもないです……」


 触らぬ神に祟りなし、ということわざに従い、瑞英はこれ以上踏み込むのは危険だと判断した。

 それっきり宇春も何も言わなかったため、彼女は持ってきた敷き布を敷き、腰を下ろす。それはちょうどふたり分の大きさだ。

 宇春もそこに座り、持参した乳鉢で摘みたての薬草をすり潰す。植物特有の青臭い匂いが広がった。


 そんな匂いも、今となっては慣れたものだ。さわさわと葉同士が重なり合う木漏れ日の音を聞きながら、瑞英は持ってきた書物を読み始めた。

 ふたりの行動は、だいたいこんな感じである。


 瑞英が書を紐解き、宇春が薬草の加工をする。

 時折、地上では見ない植物を見つけ宇春がはしゃいだり、読み進めていた書物に興味深いことが書いてあり瑞英が激しく尻尾を揺らしたりするが、それ以外は実に静かである。

 互いに得た知識を披露したり、それは違うのではないかと議論したりもするが、ふたりとしては学ぶ意欲がある相手がいるというだけで十分ならしい。


 今日もそんな、平和な日々が過ぎていった。


 羊の刻(二時)を過ぎた辺りで、空に雨雲がかかってきた。ぽつりぽつりと雨が落ちる。それを機に、ふたりは私室に戻ることにした。しかしまだどちらも話し足りない。そのため、宇春の部屋で茶でもしようという話になったのだ。

 その道中、瑞英は宇春から平たい瓶に入った乳液をもらった。中身は何かと聞くと「日焼け止め」だと言う。


「我が一族の女は、皆それを塗って日焼けを予防します。美貌にこだわる家なので。香りも良いので、ぜひ使ってくださいね」


 蓋を開けてみれば、さっぱりとした匂いが香る。何かの香草を使っているのだろう。瑞英好みの良い香りだった。

 瑞英は歓喜のあまり目を輝かせる。布をかぶっていても、瑞英の弱い肌は日に焼けて痛くなるのだ。これが地味に痛い。そのたびに、薬師が処方した炎症止めを塗っていた。

 しかしこれがあれば、そういうことも減るだろう。

 瑞英は本気で頭を下げた。


「宇春様、ありがとうございます! 本当に嬉しいです!!」

「い、いえ。わたしたちに、日差しは本当に辛いですから……つい瑞英様の分も作ってしまいました」

「……あれ。こちらの薬は、兎姫の女性の方々でも作って良かったのですか?」


 手慣れたような口振りに、思わずそんな言葉がこぼれる。すると宇春は、穏やかに微笑んだ。


「はい、これは消耗品ですから。それに、基本的に使うのは女だけです。殿方は別段、使うことはしません。だからこそ許されたのでしょうね」


 瑞英は話の内容に思わず身を固めた。踏み込み過ぎたと思ったのだ。しかしその顔に憂いが帯びることはなかった。

 前よりも陰らなくなったその表情を見て、瑞英は肩の力を抜く。それと同時に気を許してくれている気がして、鼠姫は笑みを浮かべた。

 肩を並べて話をしつつ、宇春の部屋に向かう。その先にひときわ目立つ大きな扉を見つけた。瑞英が主に使っている部屋の扉と、作りは同じである。


「あそこが、宇春様が普段中心に使っている部屋ですか?」

「はい。中に入りましたら、侍女たちに茶を淹れさせますね。瑞英様は、茉莉花ジャスミンの工芸茶というものを知っていらっしゃいますか?」

「ああ、なんとなく。お湯を入れると、花開く可愛らしいお茶ですよね」

「はい。わたし、あのお茶が一番のお気に入りなのです」


 そんな和やかな会話を交わしながら、宇春が私室の扉を開く。しかし視線の先に映ったのは整えられた部屋でなく、調度品が倒れ、または割れているといった、争った痕跡が見られるものだった。

 瑞英が思わず「え?」と口にし、宇春が持っていた器具や調合し終えた薬を落とす。


「んー!!」


 瞬間、喉から絞り出すような声がした。

 そこで目に入ったのは、猿轡さるぐつわを嚙まされた侍女たちと。


 褐色の肌をした男たち。


 瑞英はそれを見て、直感的に悟った。彼らが、鳥族だと。初めて見たにもかかわらずそれが分かったのは、彼らの腰から生える羽根が目に付いたからだ。

 宇春と瑞英は目を見開き、とっさに逃げようとした。それは、弱者の本能だ。

 瑞英の頭の中で、大きな警鐘が鳴り響く。

 逃げろ逃げろと本能は告げた。

 ――しかし逃げるには、距離が短すぎた。


 室内に引っ張られたふたりの姫君は、手足を縛られた。あまりの早業に、荒事に慣れていない彼女たちはやすやすと手篭めにされた。

 侍女の悲鳴が上がる。それを塞ぐかのように、鮮血がほとばしった。宇春のか細い声が、まるで遠くで起きている出来事のように響く。

 そんなとき瑞英の頭に浮かんだのはなぜか、雅文の姿だった。


 漆黒を帯びた白銀の髪、澄んだ空を思わせる青い瞳。

 そして何より、瑞英の名を呼びながら笑うその姿が、走馬灯のように飛び交う。


(雅文様――!!)


 内心でそう叫びをあげた瑞英は、薬品の匂いがする布を無理矢理口元に当てられ、ゆっくりと意識を手放した。

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