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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
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14.友誼(ゆうぎ)

 瑞英ルェイイン宇春ユーチェンと共に、地面に散らばった薬草を拾い集めていた。

 どうやらすべて、宇春が集めたものらしい。兎族は種族柄、医療面に富んでいた。宇春が薬草に関しての知識を持ち合わせているのは、なんら不思議なことではないだろう。

 ただ疑問なのは、兎族の姫がこのような場所で、薬草を採取していたことか。


 兎族の王族、その中でも姫君は、見目麗しくたおやかで従順で、自分だけでは何もできないという、一種の傲慢が許されている。むしろその人形のような美しさと従順さのみが好まれていると言っても過言ではない。

 そして宇春は見た目だけ言えば、瑞英が思い浮かべる兎姫像をすべて網羅していた。


 細くしなやかな肢体に卵型の小さな顔の輪郭。つぶらな瞳に蕾のような唇。亜麻色の髪は長く腰辺りまで波打っていて、手入れも行き届いている。長く伸びた耳も毛艶が良く真っ白だ。白魚のような手などを見ていても、土を好んで触りそうになかった。


 だがそれに反して、宇春は持参したであろう籠に薬草を入れている。その手つきはとても丁寧で、薬草を大事に扱っていることがうかがえた。


 その様子を盗み見ながら観察していた瑞英は、以前顔を合わせたときとはまるで違う兎姫に首をかしげる。彼女の記憶では、宇春は猫姫と狗姫に対しても物怖じせず、言葉少なに口論していたはずなのだが。

 しかし今の宇春は、瑞英と目を合わせることすらせず無言だ。対応も気弱で、どことなく怯えているようにも見えた。

 そこまで観察してようやく、瑞英は彼女の素はこちらなのではないか、と思った。


 すべてを拾い集めたところで、宇春がようやく口を開く。彼女は俯きがちな体勢のまま頭を下げた。


「あ、の……ありがとう、ございました。それと、ご迷惑おかけして申し訳ありません」

「いえ、わたしが好きでやったことですから。お気になさらず。……宇春様も、薬学に富んでいるのですか?」


 瞬間、傍目から見ても分かるほど宇春の肩が震えた。その姿には身に覚えがある。


(あ……わたしが、外に出るなと固く禁じられてるにもかかわらず、外に出て大人に見つかったときと同じだ)


 そこで瑞英は、理解しなくてもいいところまで理解する。


(もしかしなくても兎族の姫は、薬学を学ぶことを許されていないのではないだろうか。外に出るなと言われ続けたわたしと同じように)


 肩を震わせびくびくと縮こまる宇春に、瑞英は苦笑しながら持ってきた書物のひとつを見る。


 偶然か必然か。そこには一冊、兎族から献上されたであろう植物図録があった。かなり分厚いそれは、瑞英が持ってくるか持ってこないかで悩んだ品だ。結局、外に出るなら植物を見れる機会は多いだろうと思い、持ってきてしまったのだが。


 まさか自身の下心がこんな風に活用できるとは思わなかった瑞英は、運命ともいうべきその行動に驚きを示していた。

 今日ばかりは自らの行いに拍手を送りたい。そんなことを考えながら、瑞英は宇春に近づく。

 そしてそっと、図録を差し出した。


「宇春様。わたしと一緒に、書を読みませんか?」

「……え?」


 俯いたままだった顔が、おそるおそる前を向く。

 そして差し出された書物の表紙を見、大きく目を見開いた。今にもこぼれ落ちそうな漆黒の瞳に、ようやく歓喜の光が灯る。

 それに安堵した瑞英は、人目のつかなそうなところへと向かった。後ろにはちょこちょこと宇春がついてきている。

 庭の中でもかなり奥まった日陰に腰掛けたふたりは、そこで書物を紐解いた。

 瑞英がぽつりと言葉を漏らす。


「宇春様のお家がどんなところか、わたしには分かりませんが」

「……はい」

「ただちょっとわたしと似ていたので、なんだかなぁ、と思いまして」

「……え?」


 植物図録を胸に抱きかかえたまま、宇春が瑞英の様子をうかがう。その表情は先ほどとは違い穏やかなもので、瑞英も嬉しくなった。何はともあれ、知らないことに興味を持ってくれたことは良いことだ。そう思いつつ。瑞英ははにかみながら自身のことについて語る。


「先ほど薬学について聞いたとき、宇春様はとても怯えられました。わたしにも経験があります。わたしの場合、危険だという理由で外に出ることを制限されていました。……自分の好きなこと、お家で制限されていたのではないかと思いまして」


 少しだけ、沈黙が落ちた。しかし決して居心地の悪いものではない。何かを思案するときに必ず起こる、心地の良いものだ。

 それを楽しみながら、瑞英は宇春の言葉を待つ。

 ためらいがちに、彼女の唇がほころんだ。


「お揃い、ですね」

「そうですね、お揃いです」


 どちらからともなく笑みを浮かべあったふたりは、そうして小さな友情を築いた。









 書を読みながら、ふたりは互いの身の上について話した。

 そこで知ったのは、兎族の女は学問を学べないこと、姫の存在価値は、他の強い獣族との繋がりを強固にするための道具だけだということだった。


「兎族の女には、学問を自由に学ぶ権利はありません。女は次代に優秀な子を成すための存在であり、美しい者は、他獣族との繋がりを強固にするための政治の道具。昔から、そのようにされてきました」


 そう淡々と語る宇春の目は、花咲く白の牡丹へと注がれている。悲痛とも平坦とも言えない声には、諦めがにじんでいた。

 自らの無力さを、今までの人生で悟っているのだろう。足掻いたこともあったのかもしれない。


 ただそれは、すべて無意味だと一蹴され。

 無垢な心は絶望を味わった。


 一度心を折られると、持ち直すまでに時間がかかる。それを何度も繰り返し、弱者はやがて諦めることの楽さを知る。

 宇春は、そんな過去が辿れるような目をしていた。


「わたしは、竜王陛下の花嫁になるためにずっと教育を受けてきました。他の者よりも贅沢をさせてもらえましたし、それが務めなのだと言われれば、仕方のないことだと割り切れます。……だからわたしの役目は、もう終わったのです」


 もし竜王に娶られていなければ、宇春はどうなっていたのだろうか。瑞英には想像だにできない。ただ知りもしない男の元に嫁ぎ、寿命のすべてを人形のように過ごし、死ぬことによってそのしがらみから解放されるのだろう。


 死ぬことでしか得られない幸福とは、いったいどんな冗談だろうか。

 瑞英はなんとも言えない心地になり、思わず眉を寄せる。

 そんな雰囲気を感じ取った宇春が、努めて明るい声音で微笑んだ。


「竜王陛下の元に嫁げて、わたしは本当に幸せ者です。その点だけは胸を張って言えます。ここでならば薬学が学べると、先代の方々が書き残していたので。本当に、そのとおりでした」

「宇春様は……それで、良いんですか?」


 言って、この言葉は誰に対しても問いなのかと疑問を浮かべる。

 楽だからという理由で今の位置に甘んじていたのは、瑞英とて一緒だ。それが弱者なりの賢い生き方だと信じていた。身を委ねるのは、決して悪いことではないのだから。


 しかし雅文ヤーウェンつがいだと言われた今、それで良いのかともうひとりの自分が語りかける。


 雅文が立つ位置に近づきたいと宣言したのは、紛れもない瑞英自身なのに。


 開いたままの書物をぼんやりと見つめる瑞英に、宇春は不思議そうな顔をする。


「瑞英様?」

「あ……すみません。変なことを聞いてしまって」

「いえ。……わたしも、このままでは良くないと思っているのですが、思うだけで前に進めなくて」


 その一歩が、薬学なんです。


 宇春は植物図録を開き、そこに描かれた図を愛おしそうに撫でた。


「兎族の女には、男の方に悟られないようにお稽古事の中で薬学を伝えられるようにしたのです。先ほどの唄も、調合についてのことを唄ったものなのですよ」

「兎族のひとたちはそうやって、ひっそりと薬学を伝えてきたんですね」

「はい。そのために必要なのは、竜族領で好きに学べるわたしのような存在です。私たちには、それが唯一の希望ですから。だから絶対に、我が家の殿方にばれるわけにはいかないのです」


 宇春の声には強い意志があった。おそらく瑞英が想像している以上に、彼女の中には葛藤があるのだろう。自由に学べる環境を手に入れたことの喜びと、他の女たちへの後ろめたさや伝える者としての重圧。


 瑞英は改めて、自分には何ができるのかと考える。雅文に愛されるだけでなく自らも彼に対して何か行動に移さなければ、瑞英が変わることはないだろう。


 気がつけば、日が暮れていた。かなり話し込んでしまっていたらしい。そろそろ夕餉の時間なのだ。ふたりは慌てて自室にへと戻った。

 その道中、「またここで会いましょう」という約束を取り付ける。宇春は少し驚いた顔をしていたが、すぐに破顔し頷いてくれた。

 植物図録は、宇春に貸した。宇春は大丈夫かと問うてきたが、もともとあの書庫は使われていないものらしい。雅文に前に「私室に持っていって読んでも良いか?」と聞いたときも、彼は不思議そうな顔をして了承してくれた。そのため、瑞英が返せばなんら問題はないだろう。


 互いに後ろ暗いことをしていたので、途中で別れて自室へと走る。

 書物を抱えたまま部屋に戻った瑞英は、中で夕食の用意を始めていた美雨メイユイと目が合った。


「……瑞英様? そんなに息を切らせて、いかがなさいましたか?」

「あ……す、すみません。夕餉の時間に遅れると思い、走ってきてしまいました……」


 しょんぼりと項垂れる瑞英に、美雨は苦笑する。そして思い出したように言う。


「そう言えば今日は、陛下は緊急会議でいらっしゃらなかったようですね。わたくしの確認が行き届いておらず、申し訳ありません」

「いえ。陛下が書き置きを残してくださっていたので、大丈夫でした」

「左様にございますか。……瑞英様。もしや、外で書を読んでおりましたか?」

「えっ」


 瑞英がいた場所を的確に言い当てた美雨に、思わず目を見開く。それに美雨は笑った。残りの準備を侍女たちに任せ、ゆっくりと近づいてくる。そして顔をそっと指で撫でた。ぴりっとした痛みが襲う。瑞英は眉をしかめた。

 それに声を出して笑った美雨は、瑞英の手から書物を預かってから口を開く。


「少し、肌が赤くなっております。瑞英様は肌が弱いので、焼けてしまったのでしょう。薬師に肌の炎症を抑える薬を用意させますね。今宵の湯浴みは少し染みるでしょうが、ご容赦くださいませ」

「あ、ありがとう……」


 どうやら瑞英は、竜族領の日差しを舐めていたらしい。彼女の顔は炎症で赤くなり、紅潮して見えた。

 これからは気をつけようと思いながら、彼女は席に着き食事を摂る。


 今日の夕食は、蒸篭に肉詰めした小さな饅頭や、薄い皮で肉や蟹、エビを小さくしたものを包んだもの、もち米や椎茸、鶏肉が入った具を蓮の葉で包んだ料理などだった。それは、鼠族でよく食べられる料理である。どうやら料理人が気を遣ってくれたらしい。


 それに感謝しながら、瑞英は我が家の味より上品な料理をすべて平らげた。


 夕餉が終え湯浴みをすると、美雨の宣言通りとても染みる。その痛みに耐えつつ、瑞英は薬を塗ってもらってから床に就いた。しかし眠れず、寝台の上で何度も寝返りを打つ。


「わたし、どうしたいんだろう」


 天井を見つめながら、瑞英はぽつりと呟いた。

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