13.不穏
早朝。
六部の尚書や侍郎、竜族の重鎮たちが呼び集められた会議は、突如として行われた。
慣例にない会議である。
その理由は昨夜、竜族の天敵である鳥族が、竜族領に接近したという情報が入ったからだ。
ひとえに鳥族と言っても、種類がある。彼らはそれが、他の獣族より特に多彩だ。
普通ならば他の種よりも夜目が利かない上に自らの生命線である翼が傷つくことを恐れ、夜戦は決して行わないのが鳥族だが、梟と呼ばれる種は夜目が利く。そのため斥候において活用されていた。今回も接近したのは、その斥候らしい。
その報告をしてきたのは、竜族領を夜間巡回していた武官たちだ。
彼らは会議室に集められ、緊張した面持ちで現状報告をしている。
「夜間巡回の際、何やら黒い物体が飛んでいるのを見つけ確認したところ、中位種の梟であることが分かりました。数は六。斥候かと思われます。我らに気づくと直ぐに旋回して行きました。途中までは数名で追わせたのですが、持ち場を長々と離れているわけにもいかず。ある程度で追うのをやめ帰還しました」
その報告を氷のような鉄仮面で聞いていた竜王は、頬杖をついたまま短く声を発した。
「そうか、ご苦労であったな。昨夜から寝ていないであろう。午後はゆるりと休め」
「は、はい! もったいなきお言葉、有り難く頂戴致します!!」
その言葉に、まだ若い武官たちは瞳を羨望で輝かせながら声を張り上げる。どうやら雅文から、そんなことを言われるとは思わなかったらしい。が、雅文が竜王に選ばれた理由のひとつは、他者を気にかけ下の者でも目をかける点だ。それは珍しい光景ではなかった。
その代わりに自分のことはまるで気にしないため、過保護な幸倪がいてちょうど良いのが現代竜王である。
緊張でがちがちになっている隊長格に労いの言葉をかけて下がらせた雅文は、即席で作られた報告書に目を通しながら唸る。
そのとき、重鎮のひとりが口を開いた。
「陛下、この時期に斥候を送ってきたということは……やはり、花嫁の件に関してでしょうか?」
「そう考えるのが、妥当だな」
雅文が頷くと、会議室が一気にざわめく。
者によっては「あの最悪の日のようになるのか」「悪夢が再来するのか……?」などと嘆きをあらわにしていたが、竜王や竜族のかなりの古株、また六部尚書は露ほども気に留めなかった。むしろ早々に会議を終わらせようと、早速今後の方針について話し合う。
「警備についてだが、巡回する武官を増やすか? そんなら早めに言ってもらえると助かる。調整が面倒でね」
「そうですねぇ、そうしたほうが良いと僕は思います。皆さんはどうです?」
「概ね同意致します。ただあまり増やしすぎても、こちらが警戒していることが丸見えかと。そういうのは馬鹿がやることですからね。賛同しかねます」
「わ、わたしも、礼部尚書と概ね同感です……さ、さすがに馬鹿だとかは思いませんけど……た、ただ、巡回する道や班などは、編成し直したほうがいいかと……。あ、あと、情報は制限したほうが良いと思います……」
多様な獣族が入り乱れる中、様々な意見が交わさせる。その意見に獣族としての上下差はない。すべてが一意見として受け止められ、竜王の判断に委ねられるのだ。
幸倪は、頬杖をつきながら話を聞く雅文を一瞥し、そっと目を伏せる。
雅文は普段から、竜王としての責務以外に関心を示さない。それは彼自身が、自分の存在価値がそれだけだと思っていたからだ。だからこそ自分のことを蔑ろにし、幸倪に怒られる。ただそれが改善されることはなかった。
だが最近瑞英という番を得たことにより、それに変化が見られる。前よりも、様々なものに興味関心を示すようになったのだ。幸倪はその変化を、良いものとして捉えた。
だからこそ今回の件で、鼠姫に実害が加わることは本意でない。
彼女は、吹けば飛ぶような姫なのだ。抗争に巻き込まれれば、真っ先に命を落とすだろう。それが決してないように、幸倪は自身が最も大切にしている美雨という番を、瑞英の近侍にした。いざとなればともに滅びることも厭わないその忠誠は、雅文の友人として、またその力に惹かれた一竜族としての行動だ。
竜王の腹心は、どうしたものかと首をかしげた。
今回の件で幸倪が動けば、事態は大事になってしまう。彼は軍事においての最高権力者だ。軍を動かすほどのことをするとなると、花嫁候補の中に番がいると敵に知らせて回るようなものだ。そのため何か発言するべきではないだろう。
彼はそう思い、そのまま後ろに控えていることにした。それに彼が口を出さずとも、ありとあらゆる意見が飛び交うこの場で収拾がつくと踏んだのだ。雅文は彼らの意見をまんべんなく受け取り、選別する。
言いたいことを言い終え、議論が大分落ち着いた辺りで、雅文が口を開いた。
「そなたらの意見はよく分かった。兵部尚書。早急に巡回経路の変更と、班の再編成を頼む」
「御意に、陛下」
「なおその情報は吏部尚書の意見を採用して、この場にいた者、武官、またごく一部の者のみに公開することとする。……他に何か、意見を申したい者はいるか?」
沈黙。それは、雅文の問いに対する否定だ。
「ないな。それでは此度の緊急会議を、これにて終わりとする」
竜王による会議終了の合図を経て、皆が一礼する。
そして一番初めに席を立った雅文の後ろに、幸倪が続いた。
「陛下。此度の政務はいかがいたしますか?」
「……ああ、執務室でやろう。兵部尚書は仕事が早い。今日中には巡回経路と編成班に関してまとめた書類を届けてくるはずだ。その際にいないのはいささかまずい」
「承りました。それでは本日は、そのように」
本当ならば直ぐにでも瑞英に会いたいであろう雅文は、自身の気持ちよりも責務を優先とした。ただ少しばかり、機嫌が悪い。長年に渡り共にいた幸倪だからこそ見つけられた違いだ。本当に色々な意味で変わったなと思い、幸倪は密かに笑う。それを耳聡く聞きつけた雅文が、訝しげに後ろを振り向いた。
「なんだ、幸倪」
「いえ。昔と変わらず責務を優先とさせますが、ただ少しばかり以前より、ご自身の感情を表に出すようになってくださり、嬉しいなと思いまして」
「…………行くぞ」
「応」
口をへの字に曲げて裾を払った雅文の後に、幸倪は続く。彼は笑みを堪えるように唇を引き結んだ。そんな子どもっぽい顔は、幼少の頃でも見たことがなかった。
五百年も共に過ごしてきたのに、最近は本当に見たことのない顔が表れる。
それは、番を得て心の安寧を有したからこその変化だろう。
幸倪はそれが嬉しくもあり、また寂しくも虚しくもあった。自分たちだけではやはり、雅文の孤独を埋めきれなかったのだ。不甲斐なさを感じるのは仕方のないことだろう。
だがその一方で、瑞英が現れなかったらずっと、雅文の心は凍えたままだったのかと思うと、背筋がぞっとする。
そして自分がそれを強要しなくてはいけない立場だということに、目の前が暗くなった。雅文の苦しみはいかほどなのだろうか。幸倪は永遠に知ることはできないだろう。
黒銀の髪がたゆたうのを見つめながら、彼は思う。
この背が追えなくなる日が来るのは、いつだろうか。
黒竜はそんなことを考えながら、吹き抜ける生温い春風に黒髪を揺らした。