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竜王陛下の逆鱗サマ  作者: しきみ彰
第一部 最弱姫は氷王の心を溶かす
1/66

1.竜宮

 狭く暗い鉄の箱の中、瑞英ルェイインは膝を抱えてうずくまっていた。


 綿がふんだんに詰められた座布団に座っているが、乗り心地が良いとは言えない。どうやら瑞英を運んでいる者は、誰かを運んで飛行することに長けていないようだ。その証拠に時折、箱が軽く傾く。おかげで何度も床の上を滑りそうになった。


 肩掛けで身を包み、目を閉じて耐える。これくらいの寒さには慣れていた。息を吸えば、冷たく乾いた空気が肺に溜まる。びた臭いがするのは、この箱が鉄製だからだ。水が侵食すると、鉄は錆びやすい。管理が行き届いていないのだろう、と瑞英は自身を納得させる。


 耳を澄ませば、風がうなる音がする。血に飢えた獣の咆哮ほうこうに聞こえるそれを、彼女は眉をしかめて聞いた。肉食動物は天敵なのだ。瑞英の先祖は、古くは捕食される側に甘んじていた。根深く残った本能が無意識に反応してしまうのは、仕方のないことだろう。


 おそるおそる瞼を開くと、瑞英は真っ暗の箱の中を見渡す。彼女の横では御付きの侍女がひとり、頭を抱えてぷるぷると身を震わせていた。どうやら怖いらしい。だからと言って声をかけてやる気にもなれず、息を吐くにとどめた。


 瑞英は再び目をつむる。心臓が否応いやおうもなく鳴り響き、これから見れるであろう光景を待ちわびていた。


竜族りゅうぞくが住む浮遊島か……どんなところなんだろう)


 弾む胸を抑えつけるように意識を落とせば、浮遊感とはまた違ったものに引っ張られる。それに身をゆだねれば、緩やかに闇が広がっていく。瑞英が眠りに落ちるまでに、そう時間はかからなかった。

 そうして彼女は目的の場所に着くまで、箱の中で身を縮めて過ごしたのだった。


 瑞英が今いるのは ――空。

 小柄な竜が抱える箱の中に押し込められた花嫁候補はそうやって、天空の城に運ばれていった。










 この国の名を、十三支国じゅうさんしこくと言う。

 十三の獣族じゅうぞくによって十三の地域が統治されるその国は数千年前から、竜族が最上位として君臨していた。


 塔のように高い城が中央に鎮座し、その周りを豊かな自然が取り囲む孤島。

 そこは、竜族と呼ばれる強者が住まう、浮遊島だ。中央には、青みがかった壁が美しい『竜宮りゅうぐう』と呼ばれる城が佇み、隣には一回り小さな後宮が建っている。その周りを同色の壁を持つ塔が六つ、並んでいた。


 そんな島には今、数多くの鉄の箱が並んでいる。そこから出てくるのは、陸に住まう獣族の姫や侍女、またその私物だ。竜宮に隣接する後宮に、獣姫じゅうきたちが入ってから数日経った今でも、その波は途絶えることを知らない。

 窓からその様子を眺めていた鼠姫ねずみひめは、白銀の髪と翡翠ひすい色の瞳をしていた。ぴくりぴくりと、髪の間から覗く小さな耳が震える。


 瑞英だ。


 彼女は「ご苦労なことだな」と心中でぶつやき、窓を閉める。

 十三支族じゅうさんしぞくの獣姫である彼女たちの共通の目的はひとつ。 竜王に見初められ、その花嫁になることである。


 瑞英も、表面上はそのひとりだ。

 しかし彼女が竜族の住む場所に来た理由は、花嫁になりたいからではなかった。

   ――瑞英は、竜宮の書庫に行きたかったのだ。


「瑞英様、うたげが始まります……こちらのお召し物にお着替えください!!」

「いやよ」

「こ、困りますっ!」

「わたしは困らない」


 侍女である藍藍ランランの言葉を一蹴いっしゅうし、瑞英は必要最低限の荷物の中から目当てのものを探していた。

 狗族いぬぞくの侍女は、主人の突き放すような言葉を聞き、がっくりと項垂れる。藍色の髪の間から覗く三角の耳が、ぺたんと垂れた。侍女服の間から覗くふさふさの尻尾も下がっている。気落ちしている証拠だ。


 鼠族より上位に位置する狗族が他獣族の侍女として付いているのは、狗族特有の風習によるもの。彼らは他獣族に奉公として出され、その一生を忠誠とともにまっとうする。藍藍の場合少しばかり事情は異なっていたが、その風習に習い瑞英に仕えていた。


 されど藍藍はめげず、手にある煌びやかな衣を掲げる。紫水晶アメジストのような色味をした目にぐっと力を込めると、胸を張った。


「い、いくら瑞英様が嫌がっても、今回ばかりはわたし、無理矢理でも着せますよ! だ、だってわたしは、瑞英様の筆頭侍女なんですからね!!」

「筆頭って……わたしの侍女は昔から、藍藍ひとりだったはずだけど。鼠族の姫なんて、珍しくないからね。ひとりにつける侍女の数が少ないのは当然よ」


 瑞英は肩をすくめながら言う。痛いところを突かれた藍藍は、慌てた様子で腕を震わせた。


「た、確かにそうですが……こ、こ、言葉のあやです!」

「そう。どちらにしても、わたしは着ない。竜族主催の宴は後日あるんだから、それに出るだけでいいでしょ? 何を好んで、他の姫がふんぞり返ってる宴に出席しなきゃいけないわけ? 理由を簡潔に言って、藍藍」


 そこを指摘すると、侍女は無言になった。どうやら理由が思い浮かばなかったらしい。


 藍藍が今回出るように促している宴は、他獣族の姫が催すものだ。それに強制力はない。むしろそれに参加するということは、その姫の傘下にくだるということを指す。瑞英の行動は、彼女の一族、鼠族ねずみぞくのこれからを左右することになることもあるのだ。まぁ他獣族からしてみたら、鼠族など取るに足らないものだと思い込み、気にも留めないだろうが。

 そんな事情もあり鼠族は、中立の立場を取っている。

 おそらく藍藍は、他姫の侍女から急かされたのだろう。この侍女は一度焦ると、頭が回らなくなるのだ。


 あっさりと折れてしまった侍女にうろんな眼差しを向けた瑞英は、ひとつ欠伸をかいて荷をあさり続ける。そうしているうちに目的のものを掴み、彼女は嬉々としてそれを引っ張った。

 その反動に、上に乗っていた服が雪崩を起こす。

 鼠族なけなしの高級品を手荒に扱われた藍藍は短く悲鳴をあげ、半ば涙目になって服をたたみ始めた。


 強者に媚びを売るのは、弱者としては当然の行いである。特に瑞英の鼠族は、十三支族で最弱と有名な獣族であった。

 されど今回顔色を伺うのは、竜族だけで十分だろう。瑞英はそう思っていた。


(じゃなきゃ、こんな場所になんてこないから)


 姫君たちの水面下による抗争に巻き込まれるなど、真っ平御免だ。

 瑞英は今着ている服を脱ぎ捨てた。


 あらわになる、細身で色白な肢体。

 尻の上の辺りから細長い尻尾が生え、瑞英の意思を組んで揺れていた。


 鼠族は、平均身長が四尺八寸(百五十センチ)後半の小柄な獣族だ。類に漏れず、瑞英も四尺八寸(百五十センチ)そこそこである。鼠族からしてみたら高いほうだが、他獣族からしてみたら低い。

 地下に居住区があるため、日に当たることはほとんどない。そのため肌は白く、髪の色も薄い。それらが外見的な特徴だ。

 その上好奇心旺盛で知識欲が高く、ずる賢い。それが、最弱と笑われる鼠族が、今まで在命してきた理由と言えよう。


 普段から着慣れた衣に素早く袖を通した瑞英は、衣装をせっせとたたむ藍藍に背を向けた。





 藍藍からの抗議の声を無視し外に出た瑞英は、息を殺し耳を澄ませ、廊下を忍び足で駆け抜ける。

 目に移るもの全てに興味が湧き、彼女は視線を彷徨さまよわせながら進んだ。


 瑞英は、典型的な鼠族よりも好奇心が強い。

 それ故に昔から、未知のものを見るのが楽しくて仕方がなかった。

 ただこれでも一応、鼠族の姫。行動はとことん制限され、彼女はそのさを読書や勉学に励むことによって晴らしてきた。


 しかし、もう限界だ。

 瑞英の好奇心はとうとう、鼠族領にある書庫だけでは満足できなくなっていたのだ。


 知識が満たされねば、死ねる自信がある。そう豪語する瑞英は、鼠族領に貯蔵された全ての書物を読み終え、現に干からびかけていた。それはもう、過保護な両親が血相を変えて慌て出すほどに。


 そんなときに降って湧いてきたのが、竜族の花嫁選びだ。瑞英は嬉々として飛びつく。そして無駄に働く頭で、見事両親を説き伏せてみせた。


 鼠族は昔から、肉食獣の被害を多く浴びてきた。それは現在でもあまり大差ない。外に出るのは危険が多いのは分かる。されど竜族の書庫に忍び込むのはどうだろうか。これなら、外的な危険はかなり少ないはずだ、と様々な理由をつけて両親を丸め込んだ瑞英は、その願い叶い竜族領にいる。


 そんな理由で瑞英は、両親にわがままを言って今回の花嫁として送り出されたのだった。


 そもそも両親、ひいては一族は、鼠族が花嫁に選ばれることなどつゆほども考えていない。竜族が和睦のために、他獣族から花嫁をめとり始めてから数千年が経つが、選ばれたことなど一度たりともないからだ。確率はかなり低いと言えよう。

 そんなこともあってか、過保護な両親らは不承不承ふしょうぶしょうだが瑞英を送り出してくれた。


 竜宮内には入れたのなら、こっちのものだ。

 瑞英は知らず知らずのうちに、拳を握り締める。


 竜宮入りしてから今日で三日。既に下調べをして、書庫のある場所は把握している。


 他の姫に出くわさないよう、また竜宮内の官吏に出会わないよう細心の注意を払いながら、瑞英は書庫へと続く道を足早に進んで行く。

 その道中ふと、彼女の鼻が何かを感じ取る。

 風に乗ってやってきたそれは、仄かに甘い香りを漂わせていた。


 地下にばかりこもっている瑞英は、土の匂いばかり嗅いでいた。故にその香りは新鮮で、思わず足を止めてしまう。


「……自由に外に出られたら良いのにな」


 そうぼやき、瑞英は廊下を進む。

 暗く沈んだ気持ちを振り払うように、彼女は首を振った。


(気を引き締めないと見つかる)


 自らにそう言い聞かせ、瑞英は慎重に道を選んでいく。

 見事、誰にも会うことなく書庫へとたどり着いた瑞英は、ほっと胸を撫でおろす。

 しかし、中に誰かいるかもしれない。改めて気を引き締めた瑞英は、音を立てないよう気を配り扉を開いた。


 開いた瞬間、書物特有の紙と墨の匂いが鼻をつく。


「わぁ……」


 誰かがいることすら考慮せず、瑞英はしばしの間その光景に見入った。


 書庫には、壁に届くほどの高さの棚が所狭しと並んでいた。

 そこに詰まるのは書物や巻物。見たところ、ほとんど空きがない様子だった。

 日焼けを恐れてか、窓は付いておらず。薄暗い部屋の光は、扉から差し込むものだけだった。


 こここそ、獣族最大の貯蔵を誇る、竜宮の書庫だ。


 竜族はその性質上、各地からいくつもの献上品がやってくる。その中には珍しい書物も入っているのだ。つまりそれは、鼠族では手が出せないようなものさえ、ここに来ればあるということを示している。


 一気に気分が高揚した瑞英は、拳を握り締めて瞳を輝かせた。

 扉を閉め、耳を澄ませる。中に誰かがいる様子はなかった。

 それを良いことに、彼女は棚を端から覗いていく。暗がりだが、彼女の目からしてみたら見えないことはない。ただ、明かりをつけることははばかられた。いつ誰がやってくるか分からない場所で、気安くやれることではない。

 見たこともない表題が、背表紙に書かれている。少し見にくくなっているものもあるが、管理状態はそこそこ良いものだ。つまりここには、定期的に誰かが来ているということになる。


(気をつけないと、見つかりそうだ)


 見つかったら良い状態になることはなさそうなので、瑞英は肩をすくめて表題を流し読む。


 無駄な努力の末に全獣族の言語を習得した瑞英には、その文字がすべて読める。

 一番奥の棚の端っこから、書物を引っ張り出した彼女は、それをざっと流し読みした。

 見たものを一瞬で記憶できることも、瑞英が誇れるところだ。


 下見程度の気持ちで来ていたため、今回は三冊ほど流し読みを終えたところで好奇心を押さえ込んだ。

 名残惜しい気持ちに蓋をして、瑞英はそそくさと退出する。

 そうしてまた周りの目を気にしつつ、彼女は自らに与えられた部屋へと帰って行った。



 ***



 獣姫たちが水面下の抗争を繰り広げ、藍藍ランランの嘆きがひっそりと後宮に広がる中、瑞英は今日も元気に書庫へと向かっていた。

 今日で四日目となる書庫通いで、瑞英は着々と読書を進めていく。

 四日の間、彼女は二十七冊の書物を読み終えていた。


 そのどれもが目新しいもので、瑞英の気分は毎日最高潮だ。夜目を効かせなければ見えないが、そんなことなど気にならない。彼女にとって重要なのは、知識が増えることだった。


 今日は昨日読んだ数よりも多く読もう、と張り切っていた瑞英は、飴色の書物を見つけ首をかしげる。これだけ、露骨に風化が激しかった。

 この書庫は、それぞれの獣族ごと、尚且つ年代ごとに丁寧に整理されている。そのため、その書物の傷み具合ははたから見てもおかしい。

 脚立を使いそっと書物を引いてみる。

 表の表題もかすんでおり、何について書かれたことなのか分からない。


 さらに首を傾けたところで、ぎぃ、という音がした。


 肩を跳ね上げた瑞英は、その書を抱えたまま見つけておいた隠れ場所に入り込む。そこは瑞英ほどの大きさのものでなければ入れないほど小さな隙間で、誰も目を向けないであろうところだ。


 書物を胸に抱き、瑞英は身を縮める。刹那、部屋の燭台に明かりが灯った。


 見たことのない現象に息を飲んだ瑞英は、慌てて口元を抑える。あまりのことに声が出かけたのだ。

 ぎゅっと瞼をきつく結び、息を殺す。ゆっくりと、足音が響いてきた。


 見つかったらどうなるのか。考えただけでも恐ろしい。


(ああ……せめてこの書物だけでも読みたかったなぁ……)


 獣族は総じて鼻も目も良い。見つかるのは時間の問題だろう。それを悟っているだけあり、彼女の心情は既に諦めがにじんでいた。それでも隠れたのは、見つからなかったらいいな、という一種の願望である。

 抱えた書物を指先で撫で、かっくりと項垂れる。


 そしてその予想違わず。足音は瑞英の目の前で止まった。


 影はすっとしゃがみ、瑞英のほうへ手を伸ばす。為すがままに抱き上げられた彼女は、恐る恐る目を開いた。


 目が合う。

 息を飲んだ。

 青く澄み切った夏の空が、男の瞳に広がっていた。


「……これは」


 そう一言口にした男の声は耳に心地良い低音で、風のように凪ぐ。うっすらと黒みを帯びた銀の髪は、艶やかで長い。磨き上げられた剣のようだった。

 一歩一尺四寸(二メートル)はありそうな長身の男は、瞳孔を糸のように細めて瑞英を窺う。心臓が跳ねた。体が硬直し、目が反らせなくなる。

 瑞英の目から見ても、男は美しい見目をしていた。


「ああ……」


 感嘆したような声が男の口からこぼれたとき、ふと、彼の瞳が緩む。うっすらと笑みを浮かべた男は、大切そうに瑞英を抱き締める。戯れに節くれだった指で髪を遊ばれ、彼女は身をよじった。何がなんだか分からない。

 目を白黒させ現状を把握しようと努めていた瑞英は、とろけるほど甘い声を耳元で囁かれる。


「ようやく見つけたぞ」


 え、と声をあげたとき。

 瑞英は顎を持ち上げられ。

   ――そっと口づけをされていた。

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