8.混迷する事態
半ば放心状態の二人を見下ろしたジェリドは、このままでは人目に付く可能性に思い至り、「取り敢えずこちらへ」と自分が潜んでいた方の廊下に二人を促した。そして予め中を確認していたらしい無人の部屋に、問答無用で二人を引きずり込み、最後に念の為廊下の様子を窺ってから静かにドアを閉める。
「ところでジェリドさんは、どうしてここに?」
ジェリドの手が空いたのを見計らってシェリルが声をかけると、彼は冷静に説明した。
「あなたの侍女のソフィアの仲間が、王宮の出入りを逐一監視していましたが、あなたの所在が不明になるのと前後して、黒猫が張り付いた馬車が出て行ったのを目撃したとか。ソフィアが黒猫の姫様付きになっていると知っていたその者が、不審に思って後を付けさせて発覚しました」
「そうでしたか。ソフィアさんには、後からお礼を言います」
「ええ。それにここに私が忍び込む為に、正面玄関の方で陽動の為に、派手に暴れて貰っています。事が済んだら、私からも礼をするつもりです」
(ソフィアさんって、できる人だとは思っていたけど、そっち方面でも優秀なのね)
侍女の意外な一面を知って、シェリルが思わず遠い目をしていると、ここでディオンが戸惑い気味に声をかけてきた。
「シェリル? この人はどういう人?」
彼に全く悪気は無かったのだが、シェリルとの会話を邪魔された上、彼女に親しげに呼びかけた事でジェリドは忽ち表情を消し、冷え切った視線でディオンを見据えた。その物騒な気配を察したシェリルが、慌てて説明する。
「えっと、ディオン。こちらは近衛軍第四軍司令官のジェリド・ウェルス・モンテラードさんなの」
「それで、私達は婚約者同士だが」
「ジェリドさん、今はそれは関係ないから、ちょっと横に置いておいて」
「しかし姫、私にとってこれは重要な事柄なのですが?」
「ちょっと待った。そういえば今日は国王陛下の即位二十周年記念式典だったし、どう見てもこの人の服装は、それに出席するための第一級正装だ。そのモンテラードって、確か国王陛下の姉王女か妹王女が降嫁した、モンテラード公爵家の事だよね!?」
自分達二人を交互に見ながら、いきなり血相を変えて会話を遮りつつ確認を入れてきたディオンに、シェリルはたじたじとなりながら辛うじて頷いた。
「……う、うん。そう。ジェリドさんはそこの長男で」
「れっきとした公爵家の嫡男で、陛下の甥が何で近衛軍の司令官なんかやってるんですか? それ以前に、そんな重要人物の婚約者の君は、どこの公爵家や侯爵家のお姫様なんだ? だけどそんなお姫様が、普通探索活動なんかしないよな!? 第一、猫になったりしないだろ!? 一体どういう事なんだ?」
「それは……、確かに普通はしないかもね」
(ジェリドさんの身元だけでこんなに興奮してるのに、実は王女だって正直に言ったら、ディオンはひっくり返るんじゃないかしら?)
半ばパニックを起こしているディオンを眺めながら、シェリルはどう話を進めようかと困っていると、無言で立ち上がったジェリドが、その会話を強制終了させた。
「時間が惜しい。無駄話は止めろ」
「……はい」
空気を切り裂くようにピシャリと言い切られ、ディオンは真っ青になって口を閉ざした。それを幸い、シェリルは暫くは身元を明かさないでおこうと考えていると、ジェリドが真顔で尋ねてくる。
「さて、姫。恐らく監禁されていたであろう彼に、この間の事情説明を済ませていますか?」
「はい、一通り。今日の予定も説明済みです」
力強く頷いた彼女を見下ろしたジェリドは、腰に下げた鞘から長剣を抜きながら、満足そうに頷いた。
「大変結構です。それでは私はここで不逞の輩の足止めをしつつ、生き証人の確保に勤しみますので、彼と二人で王宮に急行して下さい」
「ジェリドさん!?」
「え?」
一緒にこっそり脱出すつもりかと思いきや、予想外の事を聞かされて二人は本気で驚いた。しかしジェリドは事もなげに理由を説明する。
「姫の探索がここへの侵入の第一目的なのは勿論ですが、偽王子の化けの皮を剥ぐのも、目下の重要項目になっておりますので。先程の姿を消していた術式は、まだ起動が可能ですか?」
「はい、大丈夫です。でも王宮までの道が……」
「すみません、俺も滅多に王都には来なくて不案内なのに加えて、現在位置すら分からなくて」
申し訳なさそうに項垂れた一人と一匹を見て、ジェリドは苦笑いしながら、自分の毛髪を四・五本抜きつつ告げた。
「そうでしたね。それではあなた達に道案内を付けましょう」
そして自分の手の中に収まっている、濃い茶色の毛髪を見下ろしながら、静かにある呪文を唱え始めた。
「クーシェル・ハルス・リン・メイリス……」
するとその毛髪がふわりと浮きあがり、互いに巻き付き合って円形を幾つか形づくったと思ったら、よくよく見れば小さな蝶の形になった。更に不審がられない様な大きさであっても、薄暗くなりつつある外でシェリルが見えにくくならない為に配慮したのか、その全体が淡く光っているという、いたせりつくせりの術式である。
その緻密さに、二人が思わず感心して蝶もどきを凝視していると、ジェリドが満足そうに指示を出した。
「お待たせしました。これは王宮に向かっての最短経路を、常に姫の一馬身程度先を飛ぶように、設定しておきました。速度を上げても落としても同様です。安心して、これの後に付いて向かって下さい」
「は、はぁ……」
「ありがとうございます……」
半ば度肝を抜かれながら二人が礼を述べていると、廊下の方から微かな怒鳴り声と、バタバタと乱暴に走り回る物音が聞こえてきた。
「……どこに行きやがった、あのクソガキが!?」
「門番は見ていないから、まだ外には出ていない筈だ!」
「部屋を手当たり次第に探せ!!」
「うわ、もう気付かれた?」
「あの男達の不在に気付いたら、あの地下牢に探しに行くのは予想してたがな」
うんざりしながら二人が呟くと、ジェリドが反射的に眉を寄せた。
「地下牢?」
「そう! ここが誰の屋敷か分からないけど、ディオンの扱いが酷かったのよ、ジェリドさん!」
思い出して憤慨したシェリルが訴えると、ジェリドがディオンに目を向けながら、壮絶な笑みを浮かべた。
「なるほど。一方的に暴行を受けたらしいのは分かっていたが、人質の扱いがまるでなってないな。分かった。君の分まで、連中を叩きのめしておこう」
自分に対する報復行為が口にされた訳では無いのだが、その笑みで完全に背筋が凍ってしまったディオンは、控え目に申し出てみた。
「あの……、お気持ちは大変ありがたいのですが、俺としては別に殊更乱暴にしなくても、構いませんので」
「謙虚だな。気に入った」
「……恐縮です」
薄く笑ったジェリドから、微妙に視線を逸らしながら彼が頭を下げると、ジェリドがシェリルに説明を加えた。
「姫、この屋敷は、ランセル公爵とつるんでいる某成金商人が、金にあかせて没落貴族から奪い取った別邸なんです」
「ああ、そうなんですか。何となく内装がちぐはぐな感じがした理由が分かりました」
「侵入して様子を確認したところ、ちゃんと躾の行き届いた使用人は居ませんし、護衛の兵も人数は居てもいわゆる金で雇われてたごろつきばかりで、大した抵抗勢力にはなりません。ですからここは私が囮になりつつ、ランセル公爵と繋がっている人間を探して仕置きした上で確保しますので、お気遣いなく王宮に向かって下さい」
理路整然とそこまで言われて、顔を見合わせたシェリルとディオンは、無言で頷きジェリドに向き直った。
「分かりました。宜しくお願いします。でもジェリドさんも気をつけて下さいね?」
「私の身を案じて頂いて感激です。ありがとうございます。……それから、ディオン・カースド・ハリード。万が一にも、姫に怪我などさせるなよ?」
「心得ました」
シェリルには微笑みかけ、ディオンには凄みを利かせて軽く睨んだジェリドは、緊張しながらも相手が力強く頷いたのを確認して、ドアのノブに手をかけて廊下の気配を窺いながら二人に指示を出した。
「宜しい。それでは行きましょう。二人は先程の様に、姿を消して下さい」
「はい」
「分かりました」
そして再びシェリルは首輪の術式を起動させ、姿を消した彼女を抱き上げたディオンもジェリドの視界から消え去る。それを確認してからジェリドは静かにドアを開けて廊下へと足を踏み出し、その背後で開け放っていたドアが、静かに元の通り閉まった。




