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猫、時々姫君  作者: 篠原皐月
第四章 長過ぎる一日

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1.ちょっとした出来心

 王宮全体が慌ただしく落ち着かない日が続く中、特に大きな問題は発生しないまま、ランセルの国王即位二十周年記念式典当日を迎えた。しかし浮き足立つ関係各所と隔絶された後宮の一角は、周囲の喧騒など嘘のように、静まり返っていた。


「とうとうこの日が、今日になっちゃったわ」

 朝食を済ませ、食後のお茶を飲みながらシェリルがボソッと呟くと、側に控えていたリリスとソフィアから声が上がる。


「今の台詞は少し言い回しがおかしいと思いますが、お気持ちは良く分かります」

「本当に、一体どうなるんでしょう。今日一日、特に午後から無事に済むんでしょうか?」

 そうして顔を見合わせた三人は、誰からともなく「はぁ……」と盛大な溜め息を吐いてから押し黙った。しかし元来大人しくしているのは性に合わないリリスが、シェリルの気持ちを少しでも上向かせようと口を開く。


「シェリル様、あまり辛気臭い顔をしていちゃ駄目ですよ? 今日は午後から陛下の即位二十周年記念式典がある上、夜には主だった貴族や周辺国の大使達を招いた舞踏会が有るんですから」

「そうですね。例の姫の御披露目の夜会は、どこぞの傍迷惑な連中のせいで台無しになりましたし。言わば今日は、姫の御披露目のやり直しですから」

 リリスに続いてソフィアも力強く頷きながら訴えたが、シェリルは沈鬱な表情になりながら、朝起きた時からの懸念を述べた。


「今回も、前回以上にぶち壊しになりそうな気がするのは、気のせいかしら?」

「…………」

 それを聞いたソフィアは否定できる要素が皆無だった為、押し黙った。ここでリリスが、取りなすようにシェリルに声をかける。


「え、えっと、シェリル様! 大事を控えている時に、悲観的になるのは良く有りません。ここは一つ、気分転換をしませんか?」

「気分転換って……、何をして?」

 怪訝な顔で問い返したシェリルに、彼女は笑顔で告げた。

「猫の姿で、お庭をお散歩とか!」

「え!? リリス、良いの?」

 途端に表情を明るくしたシェリルだったが、ソフィアは年長者らしく血相を変えてリリスを叱りつけた。


「リリス、いきなり何を言い出すの! こんな大事な日に、無茶を言わないで頂戴!」

「大事な日だからこそです! だって、あの夜会以降、保護者のエリーシアさんは国境沿いに行ったきりですし、姫様は有象無象の輩に纏わり付かれて神経をすり減らしていましたし、外部の人間の後宮の出入り自体頻繁になったせいで、姫の素性と本当の事情が万が一にも漏れないように、寝る時以外猫になれなくなって、ストレスを溜めまくりだったんですから!」

「それは話には聞いているし、私が側付きになってからの状況も承知しているけど……」

 リリスに力一杯反論されて、ソフィアは右手で額を押さえて溜め息を吐いた。そして眉間に皺を寄せて、考え込む事数秒。ゆっくり顔を上げた彼女が、シェリルに視線を合わせる。


「あの……、シェリル様。私には正直理解し難いのですが、シェリル様は猫の姿になると、それほどリラックスできるのですか?」

 すこぶる真顔での問いかけに、シェリルも神妙に頷いて答えた。


「それは……、何と言ってもここに来るまでは、専ら猫の姿で生活していましたので……」

 控え目にそう口にすると、ソフィアは再び黙り込んでから、自分自身を納得させるように頷きながら提案した。


「分かりました。今回は見逃しましょう。万が一、女官長にばれたら私が頭を下げます。シェリル様は、猫の姿でお散歩に行ってきて下さい」

 そんないきなりの方針転換に、シェリルとリリスは揃って目を丸くした。


「ソフィアさん!?」

「ちょっと待って下さい。提案したのは私ですよ? 私が責任を取りますから!」

 しかしリリスの主張を、ソフィアが一刀両断する。


「あなたの母親は女官長なのよ? カレン様の顔を潰した上、責任問題に発展する可能性すらあるわ。だからファルス公爵から派遣された本来部外者である私が、権限を逸脱したという形にしておくのが、一番無難でしょう。第一、新米女官がどう責任を取ると言うの?」

「それはそうですが!」

「あの……、責任問題って……」

 冷静に言い聞かせてくるソフィアに、リリスは悔しげに反論しようとし、シェリルは自分の我が儘な行為によって周囲に与える影響を自覚して顔色を変えた。しかしここでソフィアが急に表情を緩め、微笑みながら説明を続ける。


「ですからシェリル様、女官長にばれないように、必ずお昼前には戻って来て下さい」

「え?」

「はい?」

「昼食後すぐに、式典用のドレスに着替える必要がありますし、女官長は幾ら忙しくても、式典の直前には様子を見に来ると仰っておられましたから」

 にこやかにそんな事を言われてしまい、シェリルとリリスは思わず顔を見合わせた。


「……本当に、構わないんですか?」

 恐る恐るシェリルがお伺いを立てると、完全に開き直った態でソフィアが言い返す。


「要は、私達以外の誰にもばれなければ良いんです。午後からは忙しくなるのは分かっていますから、元々午前中に何も予定を入れていませんでしたし。女官長が式典や舞踏会の準備で本来の職務で駆けずり回っておられて、こちらに不在で助かりましたね?」

「ソフィアさんが、話が分かる人で良かったです!」

 完全に自分達の味方をしてくれると理解したリリスが喜びの声を上げたが、ここで一応ソフィアが釘を刺してきた。


「その代わり、午前中に誰かが姫様を訪ねて来たら、何としてでも誤魔化さなくちゃ駄目よ? 女官長を含めてだから、覚悟しておいて」

「分かっています。お任せ下さい!」

「胸を張って言う事じゃ無いわね」

 そう言ってソフィアが苦笑したところで、午前中のシェリルの予定は“猫の姿になって庭園の散歩”に決定した。

 そしてお茶を飲み終えたシェリルは、早速リリスに手伝って貰い、術式を発動させて就寝前同様猫に姿を変える。その直後、満足そうに全身を使って伸びをしたシェリルは、付けて貰った首輪の中央の石に触れてから、黙認してくれた二人に頭を下げた。


「リリス、ソフィアさん。ありがとうございます。ちゃんとお昼前には部屋に戻って来ますので、心配しないで待っていて下さいね?」

「はい。姫様の言葉を信用しています」

「気をつけて、いってらっしゃいませ」

 そうして笑顔で見送ってくれた二人に背を向け、シェリルは広いベランダの手すりに苦もなく飛び乗り、更に少し離れた位置にそびえ立っている大木の枝に勢い良く飛び移って、ご機嫌な散歩を開始した。



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