肉まんクレーマー
「ありがとうございました!」
レジ打ちを終え、コンビニ袋に商品を入れ終わると、それを客に渡しながら女性店員はいつもの挨拶で客を送り出した。
客が出口の前に立つと、入出店音が鳴り響き、自動ドアが開く。そこから客は静かに出ていった。
自動ドアが静かに閉まると、女性店員はふぅ、と息をついた。
「はぁ、もう疲れた」
店内に客がいなくなり、カウンターに備え付けてある休憩用のイスに座り込む。
静かな店内に、有線放送から流れる音楽と、道路で走る車の走行音だけが響き渡る。
「おやすいちゃん、もう休憩ですか?」
奥から「店長 徳田」という名札を付けた、背の高いやせ形の男性が現れた。彼がこのコンビニの店長である。
「あ、店長。いや、お客さんがいなくなったのでちょっと油断してるだけです」
「おいおい、そろそろ学校が終わって学生が一気に来る時間帯だぞ。油断してないで気合入れないか」
そういうと、店長の徳田は「すいちゃん」と呼んだ女性店員の背中をばん、と叩いた。
「な、なにするんですか! 店員に暴力は行けませんよ。それに、私は水平桜っていう名前なんですから、桜でいいじゃないですか」
「いいじゃないか、さくらちゃん、なんて普通すぎてつまらないし。女子高生にしては小さいからちゃん付けでいいだろう」
「面白いかつまらないかの問題じゃないと思うのですが」
「あ、そうか。もうすぐ女子高生じゃなくなるもんな。じゃあすいさんにしようか」
「何で海の女みたいな言い方するんですか!」
そういうと、すいちゃんこと桜は小さな体を起こして椅子から立ち上がり、おでんのつゆの追加と、肉まんの補充を始めた。
しばらく静かになっていたおでんが、徐々にぐらぐらという音を立ててくる。
大方の仕込みを終えると、再びカウンター内のイスに座り込んだ。
「しかし、今日はやっぱり暇なんじゃないですか? 大体、もう三月後半で暖かいのに、おでんなんて売れるんでしょうか」
「ならばその口に入れているものは何だね?」
徳田店長が桜の口を指さす。桜の手にはおでんの入ったカップ、口には大根。
「え、まあいいじゃないですか。休憩中のお茶菓子っていうことで」
「いいけどね。代金はバイト代から引いておくし」
「え、そ、そんな、殺生な、ひどいじゃないですか!」
「コンビニ店員だからって商品をただで食べていいわけないだろう」
「み、みゅぅ、それはそうですけど……」
徳田はそういうと、店の奥に下がってしまった。
しばらくすると、自動ドアが開き、入店音が店内に鳴り響いた。
それを聞き、桜は慌てて手に持ったカップを片付けながら、「いらっしゃいませ」と声を出した。
ふと桜は客の方を見る。すると、そこには店長の徳田ほどの身長の、まるでプロレスラーであるかのようながっちりとした体格の男がいた。
しかし来ている服はどうも子供っぽいキャラクターものの長袖のTシャツに、デニムのジーンズというアンバランスな組み合わせ。持っているかばんも、キャラクターものの手提げ袋だ。
見た目は大人で頭脳は子供なのだろうか、などと考えながら客の様子を見る。きょろきょろと何かを探しているようだが、特に商品を手に取る様子はない。
しばらく店内を物色した後、客はレジにやってきた。
ちらりと顔を見ると、大人と言うには幼すぎる顔をしている。最近は子供の成長も早いから、もしかしたら中学生くらいなのかもしれない。
そう思いながら桜が客の動向をうかがっていると、ホットショーケースを見て「すみません」という声が聞こえた。
「肉まんを一つ」と声がかかると、桜はホットショーケースから肉まんを一つ、トングでつかんで出した。
客の声は男児のような声だった。まだ声変わりしていないのだろう。そう思いながら肉まんを包み紙で包み、袋に入れてレジに向かう。
「百二十六円です」
いつも通りレジを叩き、合計金額を言うと、男性客は静かに財布から百円玉一枚と、十円玉三枚をトレーに置いた。
持っている財布も特に高そうなものでなく、子供が持っていそうなものだ。普段はそこまで気にしないのだが、この客の場合小物までも気にしてしまう。
普段通りにおつりとレシート、商品を渡すと、客は何も言わずに店を出ていった。
「……なんか変な子だなぁ」
桜はレジを閉めて商品補充に向かった。と、その時ちょうど店長の徳田も仕入れのチェックのためか、奥から出てきた。
「すいちゃん、ちゃんとやってるか?」
ジュースを補充している桜に徳田が声をかけた。
「ちゃんとやってますよ。私、何年ここでアルバイトやってると思ってるんですか?」
ジュースを補充し終わると、冷気が逃げないように素早く扉を閉める。
「今日で十日目だな。まあ、十日目にしてはしっかりやってるか」
「みゅぅ、なんだかあんまりほめられた気がしないんですけど」
わははと笑う徳田を後目に、桜は残りのジュースを店裏に片付けた。
窓から差し込む陽の光が和らぐと、徐々に客足が増えてくる。
今まで店裏の事務所で事務処理をしていた徳田店長も、客が増えたのをきっかけにレジに立つようになった。
立ち読みする客に弁当を選ぶ客。数々の客を見ながら、レジに品物を持ってきた客を相手に、素早くレジ打ちをこなす。
ほとんどが制服を着た学生だが、主婦やサラリーマンの姿もまばらに見える。
ペットボトル一本、菓子パン一つの場合はシールで、それ以外は袋に詰めて。
てきぱきと徳田が接客している隣で、桜は時々徳田にやり方のわからないところを聞きながら何とかレジ打ちをしていた。
次々となる、退店と入店の音。いらっしゃいませ、ありがとうございましたの挨拶も間に合っているかわからないまま、その音を頼りに何とか挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
レジをさばきながら入店音に反応して挨拶をする。ちょうどレジ打ちを終えて自動ドアの方を見ると、どこかで見たような体格の男性客がこちらに向かっているところだった。
よく見ると、さっき肉まんを買っていった客だ。手には、その時の肉まんらしきものを持っている。
ちょうど桜のレジに並んでいた客が切れたところで、その客が乗り出してきた。
「えっと、この肉まん、全然温かくないんだけどさぁ」
そういうと、客の男性は袋に入った肉まんを差し出した。
それを桜は受け取ると、中の肉まんを手に取って確かめた。
客が購入しておよそ十分ほどが経っているが、確かにそれにしては肉まんが冷たすぎる。微かなぬくもりもなく、低気温の室内で放置されたような冷たさだ。
「て、店長、これ……」
すかさず桜は徳田に指示を仰ぐ。
「ん? 肉まんが冷たかった?」
「ええ、なんか買った時から冷たかったらしくて」
「とにかく代品交換で対応しなさい。ちゃんと謝罪して」
徳田は冷めた肉まんを奥にしまい、桜の肩を叩いて指示した。
徳田の言う通り、桜は新しい肉まんを梱包し、袋に詰める。
「も、申し訳ありませんでした。こちら代品になります」
ぺこぺこと頭を下げながら、代品の肉まんを客に手渡すと、「あ、はい……」と言って客はそのまま受け取って帰ってしまった。
客が切れたタイミングを見計らって、桜は休憩をとるために椅子に座った。
「ふぅ、まさかクレーム処理する羽目になるとは……」
若干疲れ気味の顔でぐったりと椅子に寄り掛かる。
「まったく、温まってない肉まんを渡すとは、何してるんだよ」
それを聞いてか、奥から徳田がやってきて肩を叩いた。
「いや、だって私、きちんとホットショーケースから……」
桜はそこまで言って、ふと思い出した。
あの客が来る前に、食材の補充をした。おでんのつゆを足して、そして……
「あっ、そういえば、肉まんをホットショーケースに入れてから時間が経って無かったです!」
「それだ。何で入れたらすぐに温め中の表示をしてなかったんだ。今度から気をつけなさい」
「わかりましたよぷんすか」
「いや、そこで怒る意味は分からない」
徳田はやれやれと長身から生える手を上げながら、店舗裏に戻った。
次の日も同じ客が肉まんを買いに来た。今度はしっかり温まった肉まんを渡したのだが、また戻ってきてクレームをつけてきた。
今度は肉まんの中の肉が少ないからだということだが、店長が散々「すべて同じです」と説明した挙句、ほかの商品まで割って説明して何とか納得してもらった。
さらに次の日も、また次の日も、同じ客が肉まんを買ってはよくわからないクレームを言い出してきて、桜と徳田は困っていた。
「まったく、何なんですかねぇ、あの客。いくら学生でもあれはちょっとお灸をすえないといけないと思うんです」
客の切れ目を狙ってすかさず桜は椅子に座り込んだ。
「いやいや、客にお灸すえちゃだめだろ。むしろすいちゃんにお灸をすえたいくらいだが」
腰に手をやりながら、徳田が桜を上から見下ろす。
「な、なんで私がお灸すえられなきゃダメなんですか! こんなにまじめにかわいく働いている女子高生に!」
「だったらその右手に持っている焼き鳥は何だね?」
「え?」
徳田に指摘され、桜は右手に握りしめた焼き鳥を見てしまった。
「ああ、これはあれですよ、頑張った自分へのご褒美というんですかね。あははは」
「おっけー。じゃあ自分へのご褒美なんだから代金は自分から引いておけばいいんだな」
「みゅぅぅ! 鬼店長! こんなに私かわいいのに! 頑張ってるのに!」
「ならば万引き犯として警察に引き渡した方がいいのかい?」
「みゅ、みゅぅぅ……」
徳田が店舗裏に引っ込むと、桜は猫の鳴き声のように鳴きながら、焼き鳥を加えてレジ前の掃除を始めた。
高校を卒業し、大学生活への資金をためるために始めたアルバイトだったが、桜も毎日アルバイトに行っているわけではない。
一日アルバイトの休みを挟み、次にアルバイトに出た日だった。
「おはようございます、店長。昨日も例のクレーマー来たんですか?」
桜は更衣室で着替えながら、その向こうにいる店長に向かって尋ねた。
「いや、昨日は来なかったな。もう飽きたんじゃないのか?」
「クレームって飽きたらやめるものなんでしょうか?」
「趣味じゃないんだから、クレームとか」
着替えを済ませると、桜は店内の清掃から始めた。
昼間のピークが過ぎ、客もまばらとなった店内。どこかで聞いたことがある音楽が、店内の時間の流れをゆるやかにする。
立ち読み客や少し遅い昼食のパンを選ぶ客を避けながらモップ掛けをやり終わると、商品の補充にかかった。
おすすめコーナーのパンを補充し、ジュースを補充する。一通り終わると、レジに戻って数人の客の相手をする。
いつも変わらない業務、いつもの光景。なんとなく、レジを打つ手が軽い。
「やっぱりクレーマーがいないと楽ですよねぇ」
客が店から出たタイミングで、桜は徳田につぶやいた。
「クレーマーがいようがいまいが普通に仕事しなさい。あとレジの下から食べかけのサンドイッチ出すな」
桜が隠していたサンドイッチを手に取ろうとしたところ、徳田に見つけられてしまった。
「あれ、ばれました?」
「あれ、ばれました? じゃないよ。えっと、とりあえず今月のバイト代からは合計五千円引いておくから」
「みゅぅぅ、私、そんなに食べてませんよぉ!」
「十五回もむしゃむしゃしておいてそれはないだろ」
そう言いながら、徳田は現金チェックを始める。その傍ら、桜はサンドイッチをむしゃむしゃ食べていた。
春休みに入ったからか、早い時間から学生の姿がちらほら見える。
なかなか客が切れず、レジの傍らすきを見ては商品補充を繰り返し、若干桜は息切れしていた。
「て、店長、そろそろ休憩を……」
「三十分前に取ったばかりだろ。あとこの状況で休めると思うなよ」
「みゅぅぅ、そんなぁ」
愚痴をこぼしながら商品補充を続ける桜。
ひっきりなしに鳴り響く客の出入り音。それを聞いては「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を繰り返す。
それを何回繰り返しただろう。桜がレジで客の相手をしていると、出入り口の音が鳴り、いつも通り「いらっしゃいませ」と声を出したときである。
ふと見ると、またあのがっちりとした体つきの男性客がやってきた。
入り口前で軽く店内を見回した後、迷わずレジに一直線にやってくる。
桜が相手をしていた客のレジ清算が終わったのを見計らい、男性客が桜のレジにやってきた。
「……肉まん、一つ」
いつも通りの男児の声が桜の耳に伝わる。
「肉まん一つですね。からしなどはどうしますか?」
「いや、いらない」
そういうと、桜は丁寧にホットショーケースから肉まんを取り出す。
今までのクレームを踏まえ、完璧なクレーム対策を施している。
肉まんはすでに三十分前からホットショーケースに入れているから、中が冷たいなどということはない。
識別はばっちりなので、間違えることもない。
肉まんに添えるからしなどは客に聞くようにしている。
袋に入れるかどうかも聞いている。
商品価値が無くならないように、丁寧に取り出している。
クレームを言われた、ありとあらゆる点に注意しながら、客に肉まんを渡した。
「ありがとうございました」
何故か若干不満そうな男性客に対して、完璧なる笑顔で桜は対応する。
男性客は肉まんを受け取ると、何も言わずに去って行った。
その客が店から出るのを見届けると、桜はふぅ、と大きなため息をついた。
「店長、今日の対応は完璧でしたよね!」
「いや、それが当たり前だから」
「そんなぁ、ちょっとはほめてくださいよぉ」
「すいちゃんはほめたら調子に乗るタイプだから、若干厳しめの方がちょうどよいのさ」
「みゅ、みゅぅぅ、そんなことないですって」
徳田と桜が言い争っていると、ふと入店音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
いつも通り、二人とも挨拶をする。ふと見ると、先ほどの客がすごい速足でこちらに向かってきた。
はぁ、今度は何だろう、と桜はひとまずレジで待機する。
「え、えっと、この肉まんだけど……」
「ええ、肉まんがどうかしましたか?」
今まではすぐさまクレーム内容を告げてきたが、どうも様子がおかしい。何かを考えているようだ。
「この肉まん……、ちょっと固いんですけど」
「え、固い……ですか?」
男性客から渡された肉まんを受け取ると、桜は手で触ってみた。
まだ温かい肉まんの熱が、手のひらに伝わる。
軽く揉んでみるが、それほど固いとは思えない。
「えっと、お客様、肉まんの固さはいつもこのくらいなのですが……」
そう言って桜は肉まんを客に返す。
客はその肉まんを受け取ると、何故か体を震えさせながら肉まんを取り出した。
「うっ……この、この肉まんは……」
肉まん片手に、震えが止まらない男性客。
「この肉まんは、固いんだっ!」
と、その瞬間、客はあろうことか肉まんを桜に向かって投げつけた。
同時に、すべての客の視線がレジに向かう。
「えっ、きゃっ!」
投げつけられた肉まんは桜のまな板もとい胸元にヒットし、宙へ舞う。それを地面に落とさないよう、桜はなんとかキャッチした。
「お、お客様、どうしました?」
この騒動を聞いて、すぐさま徳田がレジ前にやってきた。
「え、あ、あの、さっき買った肉まんがちょっと固かった……気がしたので、交換をしてもらおうと……」
取り乱し気味な客は徳田を前にして、少しは落ち着いたのか、声のトーンを少し落として言った。
「そうですか。申し訳ありません。こちら代品となりますので」
徳田がいつの間にか準備してあった肉まんを客に手渡すと、客は「あ、はい……」と言ってその場を立ち去った。
しばらくして、客足が途絶えたタイミングで、徳田が桜を呼び出した。
「まったく、客を怒らせてどうする。ああいうときは揉め事を大きくしちゃだめじゃないか」
「いやだって、こっちには何も落ち度がないんですよ? あれをどうやって解決するっていうんですか?」
桜はぶすっとして椅子に座り、足をぶらぶらさせている。
「こちらが悪くなくても、お客さんが満足するような接客を心がけなきゃ」
「ぶぅ。悪くないものを悪いとか言えませんよ!」
「とにかく、次は困ったことがあったら私に言いなさい。あと客が投げた肉まんを堂々と食べてるんじゃない」
「え?」
片手に持った先ほどの肉まんを桜がかじっている様子を指摘しながら、徳田は仕入作業を始めた。
ほぼ同じタイミングで入店音が聞こえた。桜は慌てて食べていた肉まんをカウンターの下に置くと、「いらっしゃいませ」と声を出した。
やってきたのは小学生高学年ほどの男の子二人組で、入り口前でしばらくきょろきょろ店内を見渡した後、「あ、あそこ」と言いながらレジの桜に向かって指をさした。
とてとてと桜の方に走ってくると、二人ともカウンターに身を乗り出した。
「えっと、すいへいさん、ちょっと前に背の高い男の人が肉まん買いに来ませんでしたか?」
「すいへいさん……って、私のことですか?」
二人の子供は、どうやらネームプレートの「水平」の名前を見て「すいへい」と読んだらしい。「みずだいら」とは読まないだろう。
「えっと、あの子のこと……かな。肉まん投げつけていった子」
「投げつけ……? えっと、多分その人です」
桜の言葉を聞いて二人はお互いの顔を合わせ、すぐにくすくすと笑い始めた。
「あ、あいつ肉まん投げたのかよ」
「まさかぞっくん、そこまでするとは……」
ぞっくん、というのはあの客の愛称だろうか。
小さな笑い声が、徐々に大きくなる。桜はその様子を見て、どうしたものかと戸惑った。
「えっと、あの子がどうかしましたか?」
見た目が小学生だが客は客。一応丁寧語で話そうとしたが、どうも言葉が変になった。
「あ、ごめんなさい。ぞっくん……その男の人なんですけど、こっちのコンビニの中を覗いていた時に、すいへいさんのことが好きになったらしくて、僕たちにどうしようか相談しに来たんですよ」
「それで、最初に肉まんを買った時に、その肉まんが冷たかったら文句言ってみたら? ってアドバイスしたんですよ。そしたら、話すきっかけになるんじゃないかって」
「そしたら、なんか毎日このコンビニに通うようになったみたいなんだけど、肝心なこと言えてないみたいなんですよ」
二人のマシンガントークについていけず、桜の目はさっきから二人の顔を行ったり来たりしていた。
「えっと、つまり、どういうことなんでしょうか?」
桜に聞かれ、二人が答える。
「えっと、それは本人に言ってもらった方が早いかな」
「そうだね。ちょっと呼んできます」
そういうと、男の子の片方がとてとて走って店を出て行った。
「え、あ、ちょっと……」
引き留めようと思ったが、入れ違いに客が入ってきたのでそうもいかなくなってしまった。
「ところですいへいさん」
「あの、私はこれでみずだいら、って読むんですけど」
「あ、ごめんない。それで、水平さん、ぞっくん、何か迷惑かけませんでしたか?」
何故かきらきらとしたまなざしで見つめてくるので、桜は一瞬たじろいだ。
「あの子だったら、毎日肉まん買っていって、すぐさまクレームつけてきましたよ。あれは店にとっては迷惑だったかな」
「ああ、やっぱり。ごめんなさい、友達が迷惑かけて」
「友達? えっと、失礼ですけど、君たちはいくつですか?」
あまりに動揺して、桜は変な敬語を使い始めた。
「僕たち、もうすぐ小学六年生なんです。ぞっくん、クラスで一番背が高くて、みんな高校生と思ってるみたいですよ」
「え、あの子、小学生だったの!?」
今度は驚きのあまり、店中に聞こえる声でしゃべってしまった。しかし、一人だけいた客は立ち読みに夢中で、あまり気にしていない様子である。
「はい。あ、やっぱり高校生くらいと思ってました?」
「え、ま、まあ……」
その時、入店音が聞こえたと同時に、先ほど店から出て行った男の子が、一人の男性客の手を引っ張って戻ってきた。
入れ違いに、立ち読みをしていた客が店から出ていく。
息を切らせながら二人がカウンターにやってくる。
「連れてきたよ、すいへいさん」
「おい、お姉さんはみずだいらさんっていうんだぞ」
「あ、ご、ごめんなさい。ほらぞっくん、言いたいことがあるんでしょ?」
先ほど入ってきた男の子がぽん、とぞっくんと呼ばれた男の子の背中を押し、カウンターに近づける。
ぞっくんは顔をそむけ、桜を見ようとしない。
「えっと、私に言いたいことというのは……」
男の子二人からは事情を聞いているが、あえてぞっくんに桜は尋ねた。
「あ、あの、僕、えっと、お姉さんとなんとか話したいと思って、その、いつもお店に入ってたんだけど……」
ぞっくんがあまりにはっきり言わないので、桜は一つ息をついてカウンター少し離れた。
「しょうがないですね、そっちに行くからちょっと待ってて」
そういうと、テーブルになっているカウンターのボードを上に上げ、カウンターを出てぞっくんの前に出た。
「えっと、えっと……」
本人を目の前にして緊張しているのか、あるいは今までのことで言い出しづらいのか。ぞっくんは目を反らしたまま続きを言おうとしない。
その時、桜は右手を振り上げ、ぞっくんの額をぺちりと叩いた。
「いたっ」
「もう、言いたいことがあるならちゃんと言わないとダメよ。それに、店に迷惑をかけちゃだめじゃない」
客と店員という立場を忘れ、桜は思わず声を荒げてしまった。
「ご、ごめんなさい。もうしませんから!」
ぞっくんはぺこぺこと何度も桜に向かって謝る。
「……しょうがないわね。ちょっと、目をつぶってしゃがんでくれるかな」
「え?」
桜が言ったことの意図をつかめないまま、ぞっくんは目をつぶって中腰になる。
それを確認すると、桜はぞっくんの額に軽くキスをした。
「……!?」
思わずぞっくんは目を開けてしまった。桜はそれを見て、にこりと口元を緩めて笑う。
「もう店に迷惑をかけちゃだめだぞ。私は大体アルバイトで春休みいっぱいはいるから、話したければいつでも来なさい」
桜がそういうと、ぞっくんは顔を真っ赤にしてこくりと頷いた。
それを見て「よし、いい子だね」とつぶやくと、桜はレジに戻っていった。
ぞっくんは一緒に来ていた二人に「よかったな」などと茶化されながら、店を後にした。
「まったく、若いっていいわよねぇ」
出ていく三人を見ながら、桜はレジに立ってつぶやいた。
「そうだな、アルバイトしながら小学生の相手をできるんだからな」
「……!? 店長、聞いてたんですか?」
突然現れた徳田を目の前にして、桜は思わず店中に広がる声で叫んでしまった。
「客がいなかったからよかったが、アルバイト中に小学生と戯れてどうする。それに、小学生と言えお客様だぞ。ちゃんと店員の言葉で話さないか」
「みゅぅぅ、だって仕方がないじゃないですかぁ」
「まったくもう、これで頭を冷やしなさい」
そういうと、徳田は持っていたジュースを一本、桜の額に当てた。
「冷たっ! て、店長、これは……」
「たまには、と思ってね。今日はこれ飲んで頑張りなよ」
「あ、ありがとうございます! 店長がおごってくれるなんて、私、頑張ります!」
「おう、頑張れよ。ただ、右手に持ってるやつの代金は、バイト代から引いておくからな」
「あ、あうぅ」
桜の右手に持っている焼き鳥を指さして言うと、徳田は現金チェックを始めた。
夕暮れの空、カラスの鳴き声、穏やかな店内ミュージック。
間もなく訪れる夜のピークを前に、また一つ入店音が鳴り響いた。
ツイッターの呟きより生まれた小説。
とある呟きで、「コンビニで肉まんを投げつけていた人がいた」という話を聞いたので。