〜1〜少年と包帯男
この小説はフィクションです。
かつて、
人間とは、
顔のついた頭が一つ。
手の付いた腕が二本。
そして、歩行のための足が二本。
そういう生き物だったらしい。
今、
そういう人間は存在しない。
そういう姿で存在しているのは、人間を模して創られた生き物。『形人間』と呼ばれている生き物だけだ。
いや、
頭一つに腕二本。足が二本の人間が、存在しないわけではない。
つい先日現れたのだ。
歴史書に記録されていた通りの、純然たる、『人間』が。
「で、気分はいかがかね。」
「…割と、楽です。」
「それは何より。食欲は?」
「…あまり…」
「それはよくない。ミルクくらいなら飲めるかね。」
「…はい。」
「それは何より。すぐ用意しよう。」
そう言って、彼はのそのそと部屋を出て行った。
親切な人だ。見た目はちょっと怖いけど…
…目が覚めたら、このベッドの上にいた。
見知らぬベッド。
見知らぬ部屋。
見知らぬ風景。
窓に映る自分は、どうやらよく知った自分の顔。
だが、それ以上の事が出て来ない。
俗に言う、記憶喪失。
いくら記憶の糸を辿ろうとしても、その糸がまず見つからない。
灰色の世界を掻き混ぜているような感覚だ。
ベッドの上、頭の中の撹拌作業をしていたら、彼が現れた。
驚いた。
彼は、とても大きくて、しかも、全身に包帯を巻いていた。
古ぼけて、糸が所々ほつれた包帯が、全身くまなく巻かれている。顔の一部だけに隙間があり、そこから、深緑の光が覗いていた。目、だろうか。
「おや、目が覚めたかね。それは何より。」
声は明瞭だ。口の部分が包帯で覆われているとは思えないほど、はっきりと聞き取れた。
…いや、
もしかしたら違うのかも。
僕は、さっき窓に映った自分の顔を見て、口は顔についているものだと思い込んでしまったが、彼はそうではないかもしれない。もしかしたら、包帯の隙間から光っているのは目ではなく、口なのかもしれない。
「ほっほっほ。どうしたね。私の姿が珍しいかね?」
珍しい。正直、珍しい。
こちらの思考を察知したのか、包帯の隙間の光が弾むように揺れた。笑っているのだろうか。
「ま、私にしてみれば、キミの方がよっぽど珍しいんだがね。」
ここで、冒頭の会話に繋がる。
彼はまだ戻って来ない。体が大きな分、行動は遅いのだろうか。歩き方ものそのそしていたし。
それとも包帯まみれで視界が悪いから、慎重に歩いているのだろうか。
そもそも、何故彼は包帯まみれなのか。
いや、
それよりも彼が言った言葉の方が気にかかる。
『ま、私にしてみれば、キミの方がよっぽど珍しいんだがね。』
珍しい?僕が?
窓に映った自分の姿を確認する限り、僕は、何の変哲もない人間だ。
頭が一つ。
腕が二本。
足も二本。
目、鼻、口、耳も、正しい位置についている。普通の人間だ。
それが、珍しい?
人間なんて、その辺にいくらでもいるだろうに…
………
…それとも…?
「おまたせ。待たせてしまって申し訳ないね。」
「あ、いえ…。」
「ちょっとばかり捕まえるのに苦労してしまった。歳は取りたくないもんだな。」
……………捕まえる?
ミルク………だよね?
手渡されたカップを見てみる。
見たところ、普通の木製のカップ。そこに、真っ白な液体が注がれている。
匂いは…微かに獣臭い。捕まえる、とか言っていたし、牛から搾ったものを直接…?
「ほっほっほ。別に変なミルクじゃないさ。うちで普通に飼ってるゴズメズのミルクだよ。」
………
………今、なんて?
僕の耳が正常なら、聞いたことのない動物の名前が出てきたのだけれど…
…ゴズメズ…?
……………なんだそれは。
聞いたことがない。
僕は記憶はさっぱりないが、知識は消えていないらしい。さっきから様々な動物を頭の中に呼び出しているのだが、
ゴズメズ、という動物はさっぱり出て来ない。
「………。」
…あまり飲まずにいるのも申し訳ない気がしてきた。
おそらく、彼には悪意はないだろう。顔は見えないが…なんとなく、そんな気がする。直感だけど。
恐る恐る、カップに口をつける。
…あ、美味しい。
ハチミツの入ったミルク、といった感じだろうか。獣臭さが若干気になるが、味は文句ない。
「ほっほっほ。」
僕がミルクを飲むのを見て、深緑の光が揺れた。喜んでいるのだろうか。
だとしたら、飲むのは正解だったのだろう。
「…あの。」
「何かね?」
「…僕、どうしたんですか?」
「ふむ…?」
軽く首を捻る包帯男。
う〜ん…ちょっと質問が唐突だっただろうか。
「あ、ごめんなさい。どうしたんですか…というか…なんで、僕はここに?」
「あぁ、そういうことかね。まぁ、簡単に説明すると、だ。倒れていたキミを私がここに運んできたから、だね。」
「倒れて…」
「ふむ…?」
「………。」
「…覚えていないのかね?」
コクリ、と、頷く。
倒れていた、という記憶すら、僕にはない。
「ふむ…それはよくない。記憶がないというのは厄介だね。」
「………。」
「その様子だと、どこから来て、どこへ行こうとしていたのかも覚えていないようだね。」
「………はい。」
「ふむ…」
腕組みをする包帯男。何事か、考え事を始めたようだ。
…沈黙が流れる。
なんとなく、部屋の中を見渡してみた。
僕が寝ているベッドに、簡素なテーブルと椅子。小さな花瓶に花が三本。棚には、何やら色とりどりの書物が並んでいる。
この包帯男の部屋なのだろうか…。
「キミは、」
「は、はい!」
不意に話し掛けられた。深緑の光がこちらを覗いている。
「自分が何者か、わかるかね?」
「何者…か…。………………わかりません。」
「ふむ…では、自分がどんな生き物かはわかるかね?」
「それは…人間、です。」
「人間…。それを、はっきりと言い切れるかね?」
変なことを聞く包帯男。
僕は人間。それは間違いない。
僕が人間じゃないとしたら、一体どんな生き物だというんだ?
「…言い切れます。」
「ふむ…そうか。」
「…。」
「よし。明日、この町を案内してあげよう。この町の人間たちと会うことで、何かわかることもあるかもしれないからね。」
「はぁ…」
「まぁ、今日はゆっくり休みなさい。後で、ゴズメズのミルクで作ったお粥を持ってきてあげよう。」
「ありがとうございます。」
「それじゃ。」
「あ、あの、」
「ん?何だね?」
「その…気を悪くされたら申し訳ないのですが…、…あなたは、人間ですか?」
「…ほっほっほ。」
「あ、えと、その…」
「人間さ。もっとも、キミとは違う形をしているがね。」
「違う…形…?」
「私だけじゃない。この町の人間は皆…。…そう、キミから見れば、この町の人間は皆、異形、なのさ。」
普通の世界の普通の日常。でも、生きている生物は異常…。
そんな風景を描いてみたくて書いてみました。