3-2…事情説明会『妖怪と不審』
「さっきの、その、今津さんの言葉はどういう意味なんですか」
守人は尋ねる。
なんとなくではあるが、戌彦の優しさを感じた。
聞き忘れが思わぬ落とし穴になる前に、聞いておかねばならない事なのだと。
「……機密に触れるので話せません。
と言いたいのですが、お茶を濁すわけにはいきませんか。
これは貴方が狙われた理由にも関わりますからね」
少しばかり話し辛い風に俯いて、湯呑みを卓上へ置く。
「ですが、まず前提として憶えておいて貰いたい知識があります。
私たち人ならざる者は、基本的に人に対して不干渉ということを」
神霊は信仰を捧げる人に祝福や加護を与えたりする程度で直接動く事はほとんど無い。
神社などの信仰領域の問題、コミュニティの維持など様々な要因も絡んでいる。
妖怪も自分の世界を持つものであれば神霊と変わらない。
そうでなくとも人々から零れた醜い心の病みを糧にするくらいで細々としたもの。
この言い方に守人は引っ掛かる物を感じた。
細々、と言ったがそれでも襲われている人が出ることを許容しているのだろうか?
襲われた側からすると、そんな危ない奴ら(妖怪)は駆除して欲しいと思ったが、
彼女はどうにも、妖怪が生まれる事も、人々を襲う事も肯定しているような。
守人は急に目の前の日雀が恐ろしい存在に思えてきた。
人間と霊の考え方の相違、と切って捨てるには問題がありすぎる。
そんな怯えが伝わったのだろう、日雀は慌ててフォローした。
「あぁ、不安を煽ってしまったようなので補足させてください。
妖怪は生きるため、存在を保つために人を襲いますが、
何も命を奪わないといけないわけではなくて、畏れを引き出せれば十分なのです」
簡単に言えば、夜道で人を驚かすといった程度でも
精神的な存在比率の高い妖怪は満たされ、それで生きていけるのだ。
むしろ、殺しを選ぶ方が少ない。
上級の神霊や大妖が集めた信仰などから力を分けてもらったり代用できるのもある。
現に自分たちの土地では妖怪も無理に人を襲う必要が無いのだと、日雀は言う。
「なので、私達のコミュニティでは
人間の法規定と同じく、過分に他者を害する行為は当然律していますよ。
他の土地も概ねそのような取り決めが結ばれていますから安心してください。
そも、何よりですね、妖怪は普通の人間を『襲わない』ようになっているんです」
……?
襲わないとはどういう事なのだろうか。
守人を襲った蛇の化け物は喰らおうとしてきた。
明らかな殺意を持って行動していたのだから、それが腑に落ちない。
首を傾げる守人に、日雀の説明が続く。
「妖怪は幻想が薄れた所為でこちら側の世界において大きな制限を受けているのです」
現出し、力を振るうと一気に消耗してしまうのだ。
彼らのターゲットとする『心の病み』を抱えた対象以外に対しては。
すなわち、魔に魅入られたような、狂気に取り付かれた人。
死と距離が近しい、あるいは世を厭い自棄になった者など。
主に犯罪者……言ってしまえば道を踏み外した人がその対象となる。
妖怪化生と親和性が高くなり、幻想に落ちそうな相手以外はリスクが高すぎて襲えない。
消耗と回復の度合いが釣り合わなくなり、自身の寿命を縮めるだけだからだ。
「今回、貴方に危険が及んでしまったのは例外中の例外です。
言い方は悪いですが、彼ら妖怪は襲うべき人間をきちんと選定しています」
何とも消化しきれない理解が守人の胸に溜まる。
命を奪う事も必須ではない。
犯罪者などの、そういう悪い人間しか襲わない。
そう聞いても守人は納得しがたかった。
「貴方の今感じている反発は理解できます。
ただ、妖怪が存在している事は人にとってそれなりに意味があってですね……。
……まぁ、今必要な情報ではありませんか。
ともかく妖怪とは原則、一般人を襲わないとだけ捉えてください」
守人はそれに物申したかったが、
話を打ち切られてはどうにもならない。
渋々と構えようとした矛を収めるしかなかった。
日雀はその様子を確認し申し訳なさそうにしている。
……が、すぐに凛とした表情に戻り、
再びPCを操作してある文書ファイルを開いた。
説明はまだ続いているのだから。
アプリケーションが立ち上がり、パラパラとページがめくられる。
そこには折れ線グラフや各数値について纏められた表が並んでいた。
「さて、この前提を踏まえた上で見てください。
これは近百年、九州の怪異急増を示したものです」
それは失踪事件や不明死の発生数を纏めたファイル。
グラフが今年に近付くのに比例して被害者数は増加の一途を辿っていた。
茶で潤したはずの喉が急激に渇いていく。
数値自体は少なかったが、それが人の生き死にに関わっているのだから重すぎるものだ。
これがたった十年前と比べても2倍以上へと跳ね上がっていれば、異常すぎる事態だと分かる。
「つまり、僕が襲われたのも、百年前から続いている『何か』が。
妖怪に原則を破らせるだけの魅力を持った『何か』が理由なんですね」
「正解です」
守人の察しの良さに、日雀は顔を緩める。
「そう、九州のどこかに物凄い宝物があるのです。
手にすれば弱く小さな妖怪でも一気に上級神と成長できるほどの。
遥か天蓋の存在に逆らえるほどの力、日ノ本の深淵に触れられる力が」
その宝の存在こそが、百年に渡る神秘の跳梁跋扈を招いた原因なのだ。
日雀は神妙な顔つきで述べた。
「そして、それは人の中に宿っているらしい、と。
だからこそ妖怪達は宝探しの手段として人を襲っているんです」
それも宿している可能性の高い、霊的感受性の優れた人間を狙って。
消耗し、消滅の危険性、そのリスクさえも振り切って。
『見つけた』というのは、その事だろうと続ける。
感受性の高い人でも『何かいるかもしれない』くらいが殆どだという。
戌彦も始めはそこからで、訓練を積んで霊視を身に付けたらしい。
守人みたいに生まれつき霊がハッキリと見える人間は希少だそうだ。
「あの蛟の隠行も見破ってましたしね。
アレが見えれば大したものですよ、本当に」
現に戦闘状態の戌彦でも辛いようでしたから。
そう引き合いに出して褒められたのだが、守人にとって見れば堪ったものではない。
見えてしまう事で、狙われる羽目になっているようだからだ。
「いや、普段はあんなに見えないんですよ……。
何故かあの化け物だけは、怖いくらいにハッキリ見えて」
「ふむ、緊張と集中で霊視能力が上がったのか、
もしくは危険や悪意に対して敏感なのかも知れませんね。
どちらにせよ、才能で言えば戌彦よりも霊的感受性が高いのではないでしょうか」
「という事は、今津さんと僕が並んでたら、
獲物として狙われやすいのは僕なわけですか……勘弁してください」
嫌すぎる事実が守人の中に降りてきた。
百年も続いているはた迷惑な宝探しに巻き込まれた不運。
思わず守人が顔を顰めると、安心させるように微笑む。
「安心してください。
私や戌彦はそれを防ぐのと、この事態を収拾するため動いています。
少なくともあの蛟に関しては私達が責任をもって当たらせて頂きますので」
******
説明が終わって、守人は冠月荘内の大浴場で汗を流していた。
屋内風呂であるが、広く清潔な浴場はとても開放感がある。
雲仙とは温泉の発音が訛ったものという説があるように、雲仙市は温泉の宝庫。
ここに源泉があるわけではなく山から温泉水を運んできているらしいが、
それでもほんのり硫黄の香る良いお湯が浴槽に満たされていた。
身体を洗い、湯船に浸かる。
柔らかに流れる温かなお湯が心をほぐした。
そうして、ゆっくりと天井を見上げながら湯気の中で日雀の説明を一人振り返る。
妖怪と呼ばれる者たちの存在。
彼らが狙っている、探している物。
難儀だ、と虚空に呟いた。
正直に言ってとばっちり以外の何物でもないのだ。
まぁ、狙われるのがほぼ『見える人』限定だと分かったので、
部長や井下さんは大丈夫だろう、と守人の当初の心配が解消できた事だけは幸いだ。
それ以上に自分が狙われているという大問題が圧し掛かってはいるのだが。
あの蛇の化け物『蛟』の襲撃に備える為に今夜は泊っていって欲しい。
そう言われたので守人はそれに従ってこの場に留まる事にした。
流石に命は惜しい。
あんな物に目を付けられたかもしれないと忠告されたら従わざるを得ない。
宿泊代まで出してくれるとなれば、断る理由もなかった。
家にサボ子を一人きりにしておくのが少々心苦しかったが致し方ない。
彼女等が蛟を退治するまでは頼らせてもらおう。
「……でも、なんだか信用しきれないんだよなぁ」
危険の伴う妖怪退治と探し物。
機密と言っていた部分に掛かるのだろうが、
ここに彼女が微妙に隠している部分がある。
それによって『どういう利益がでるのか』だ。
少しばかり暴力的だが戌彦は何だかんだで善い人に違いない。
あんなピンチでも見捨てる事なく拾っていってくれた。
まだ会って間もないが日雀も誠実な人だと思う。
ただで命も助けてもらった上にこれから守ってくれる約束もしてくれた。
けれど、彼女達の属するコミュニティがどうなのか分からない。
単純に考えて、彼女等が行なっている二つの仕事は善良に見えるが、
要するに『妖怪達に先んじて探し物を手に入れる』ことに他ならないからだ。
「……まぁ、深く考えないでも良いのか」
自分に関係があるのは、妖怪が退治されるのかどうか。
彼女達、あるいは上司の神が探し物をどうこうする事までは知らなくていい。
湯船に深く腰掛け、顔を浸ける。
それから水面にぶくぶくと泡を吐き出す。
肺から抜けていく空気と同じように頭から悩みが抜けていけば良いのに。
守人はそんな事を思いながら、普段の倍の時間、温泉を楽しんだ。
そして、のぼせた。