3-1…事情説明会『幻想神秘とは』
その日に起こった全てが、守人にとっては未だに夢か何かのようだった。
突然オカルト研究部が発足し、嫌な予感から下見にいったら日本刀を突きつけられ、
次に謎の化け物が襲い掛かってきて、まぶしい光と共に空中へ打ち上げられたと思ったら、
空飛ぶ和服の綺麗なお姉さんに抱きかかえられ、有名なお宿の一番良い部屋に通されていた。
人に話すと精神疾患を疑われそうな事実はどこか実感がない。
和室の隅で女性が、刀の少女に包帯とお札の様な物を貼り付けているのが
先程までの非日常が現実であった唯一の証拠として守人を逃避から遠ざけていた。
女性に淹れられたお茶をチビチビと飲みながら考える。
守人が素人目に見ても彼女の肩口の怪我は酷いものだ。
更に殴られて人が吹っ飛ぶなんて映画や漫画でしか見たことが無い。
交通事故の方がもう少し控えめなダメージ表現ではないだろうか。
あれほど簡単に振るわれる圧倒的暴力、そしてその被害。
自分が味わったわけではないのに、守人はあの時、本気で死ぬかと思った。
「ふぅ、これで良いでしょう。
三日は痛むと思いますが安静にしてくださいね」
一通りの治療が済んだのか、女性がポンと軽く背を叩いて終わりを告げる。
処置中、終始無言でしかめっ面だった無愛想な少女が、ぷるぷると震えだした。
たったそれだけの衝撃、衝撃ともいえないスキンシップが傷に相当響いたようだ。
「~~ッ、こ、これぐらい全然平気ですよ。
アイツにも次は勝ちますし、ったくもう日雀様は心配性なんですから」
負けず嫌いな気質なのだろう。
悶えるように表情を千変万化させながら、
それでも泣き言を吐くものかと半分涙目で堪えている。
今の今まで俺口調な少女の攻撃的、高圧的な姿しか見ていなかった守人は、
目上らしい女性に敬語でへりくだる様のギャップに、変な物を見てしまった気になった。
……正直、ちょっと可愛い。
「こらっ、今回は運が良かっただけです。
その痛みに反省し、絶対無理をしないこと!
貴女に何かあったら、私は……、私はですね……」
「あーもう、傷に響きますんで説教は勘弁してください。
ほら、説明待ちで手持ち無沙汰が一名そこにいますよ。
私の方はもう良いですから、ね、そっちをお願いします」
大人かと思っていた女性も何故か半泣きになっている。
その掛け合いは互いの信頼や思いやりが伝わってきて、
まるで仲の良い家族のようで、守人にはちょっとばかり羨ましい。
ふと、サボ子の顔が見たいな、と思った。
そんな寸劇が終わり、
こほん、と一つ咳払いをして女性は姿勢を正した。
「自己紹介が遅れた事、大変失礼致しました。
私はしがない小鳥の霊、日雀鳴女と申します。
気安く日雀、と呼び捨てて頂いても構いません」
深々とお辞儀され、思わず守人もそれに返す。
どう見たところで人間にしか見えなかったのだが、
空を飛べる人間が普通にいるはずないので霊というのも納得する事にした。
そして、日雀はまだ痛みを堪えつつふるふる揺れている少女にも挨拶を促す。
「……俺は今津戌彦だ。
呼ぶ時は断固苗字にしろ、名前で呼んだら……殺すぜ」
戌彦は化け物との戦いと同じ剣の眼差しで守人を貫いた。
仲良くする気など微塵も見られない自己紹介である。
すぐさま日雀に視線で咎められたが、彼女はそのまま譲らなかった。
女の子なのに、戌彦と男のような名前。
守人はそれを不思議に思ったが、よくよく考えればあんな化け物と戦っている人達である。
忍者、風魔小太郎みたいに代々名前を継いだりとかありそうだな、と一人納得した。
ボーイッシュでは済まないくらいの彼女に妙に似合っているのもあって
呼ぶ時はうっかり名前で言いそうな気がする。いきなり禁止されたが。
それくらい、守人は戌彦という名前の響きにしっくりくるものを感じた。
うんうんと頷いていたら、テメェの番だ早くしろ、と戌彦に怒鳴られたので
慌てながら守人も自己紹介を始める。
「えっと、僕は竹内守人、雲仙高校の二年生です」
名前を言うと二人の顔色が変わったのが分かった。
戌彦は眉を顰め、日雀は喜ばしいものを見た時のような笑顔に。
その反応を訝しんでいたら日雀に漢字でどう書くのかと尋ねられたので、
守る人と書いて守人です、と答えるとますます戌彦の機嫌は悪くなり、日雀の笑顔は深くなる。
奇妙な沈黙が流れた。
何がどうしてそんな雰囲気になったのか守人には理解不能だ。
「ふふっ、素敵なお名前ですね、というだけの話です。
さて、そろそろ本題に移りたいと思いますがよろしいでしょうか」
そう言って微笑む日雀に押し切られ、変な空気になった理由は終ぞ守人には分からなかった。
******
初めに、何故あの場所に居たのかを尋ねられた守人は
行く事になった経緯、オカルト研究部誕生の件から説明した。
今まで善良な霊しか見た事がなかったので軽く考えていたのも併せて。
「なるほど、友達が心配で一人岩屋へ下見しに行った、と」
「見える僕が動かないと皆が危ないと思って……」
「ふむ、名は体を表すと云ったものですが、
守人の名に恥じぬ、優しい心をお持ちなんですね。
自分も危ない中、あの子を助けようとしてくれましたし」
優しい、と言われて守人は照れた。
ただ、普段の自分だったら一目散に逃げ出していたに違いない。
あの時は本当に気が動転していて、偶々あんな行動を取っただけなのだから。
「あら、そんなに謙遜なさらずとも。
本当に切羽詰った時に零れ出た行動こそが、その人の本性なのです」
命の危険を身を以って知りながらそれでも『手伝う』と決意した、
それは胸を張って誇れる優しさですよ、と日雀は言う。
追撃の褒め殺しに堪らなくなった守人は話題を変える事にした。
自分が出せる情報は全部出し切ったので、何で襲われたのかを聞きたかった。
「えっと、あの化け物は何なんですか。
僕や彼女が襲われたのも、あと『見つけた』って言ってたのも」
人に襲い掛かる明確な敵意。
あんなものが存在すると知ってしまった今、無知でいる事は守人にとって恐怖だった。
なまじ『見える』異能を宿すが故に、
見落としてきた影に奴等がいたかもしれないと思うと背筋が凍る思いだ。
何処かで一歩踏み違えていたら自分は死んでいたのかもしれないのだから。
「そうですね、少々長くなりますが
貴方が今抱えている不安を解消するために、
まずは彼らの存在について説明した方が良さそうですね」
襲われてしまった以上、貴方には知っておいてもらわないと。
日雀は言って、部屋の隅に置いてあった大仰な旅行鞄からノートパソコンを取り出し電源を入れた。
OSが立ち上がるまでの間、お茶を淹れなおしながら日雀は続ける。
「貴方は見える人ですから霊や妖怪、
八百万の神様の存在を多少なりとも『あるかもしれない』と考えていると思います」
それらの所謂、幻想や神秘は古来より人の世と共にあった。
自然の脅威への畏れ、恵みに対しての敬意。
未知に対する原始信仰は実際に力となり、神霊と呼ばれるモノを生んだ。
多くの命を喰らってきた者、尋常ならざる思いや恨みを抱えた者もまた同じく。
意思は世界を動かす力。
想いや祈りを束ねた強い魂が八百万の神を生んだのだ。
そうして崇められ奉られた神霊は、得た力で人々を見守った。
分かりやすい例で最たるものが天照大御神の加護を受ける天皇家だろう。
「え、人間が神さまを創ったんですか?」
「人間に限定はしませんが、人の影響はかなり大きいですね」
何故なら人間とは意思の発露に特化した生き物なのだから。
だからこそ、人々が不可思議へ強く畏敬を捧げていた古代で幻想神秘は隆盛。
神霊の加護に安定した人の生活は繁栄を導き、人は数を増やす。
「そして、妖怪の登場となります」
向けられたディスプレイには美術館に展示されていそうな妖怪絵巻物が映されている。
滑稽であったり、おぞましい姿だったりと様々な妖怪達が並んでいた。
「安定した社会が形成されると、人は地位に振り回されます。
貴族を中心に血みどろの権力闘争が……などは歴史の常ですね」
この暗く湿った気配、心の陰、人間の闇を核にして妖怪が生まれたのだ。
「基本的に妖怪とは人間の悪性が生んだ想像が力を得てしまったものです」
故に彼らはある意味で『人の教訓』として
弱さや醜さから生じる畏れを糧にして存在する。
想いから生まれる点では神霊とも近しいが、概ね負の属性しか持たないのが特徴か。
無論、悪性を纏う神もいれば、善性の想像から生まれる妖怪もいないではないが。
「ところで、貴方の知り合いに
妖怪はいると思いますか、と質問したとして、
はたして一体どんな答えが返ってくるでしょうか。
きっと多くは『いるはずない』と否定されるか、
あるいは『いたら面白そう』くらいの否定を元にした存在許容でしょう」
守人は軽く想像して、頷いた。
霊などが見える自分ですら半信半疑なのに、
普通の人はそんな存在が居ることすら知らないのだから妖怪の存在否定は当然だろう。
思ってから、日雀がこの質問で何を伝えたいのかの意図が読めた。
想像から生まれているのであれば、想像が無くなれば発生できない。
「……もしかして、妖怪は否定されると消える?」
「ほぼ正解といったところですね」
カチリ、とマウスを操作して違う画面を映した。
衛星写真だろうか、日本そのものの精微な写真が表示されている。
「人間の好奇心は素晴らしいです。
あらゆる物を知恵と勇気をもって調べ上げていく。
そうして、未知が既知へ塗り潰されて、人は次第に幻想の存在を忘れ始めた」
地図を広げるようにして知識で満たされていった世界。
不思議を解き明かされ、畏れが和らいだ時代が神秘を駆逐していく。
信仰を失った神霊は力を失い消滅する事もある。
明かりに照らされた暗がりは妖怪の居場所を奪う。
日雀は淋しげに微笑んだ。
「そこで生き延びる為、力を失い消え去る前に神秘は
それぞれの土地に閉じられた幻想の世界を創ったんです。
耳馴染みはないでしょうが有名所では出雲神界、大和神領、遠野幻想郷などがあります」
この人間の領域と若干ズレた幻想の場所で神霊や妖怪は存在を保っている。
だから、今の世界で神や妖怪が跋扈したりはしていないのだと。
守人はそれを聞いて安心した。
あんなものがそこら中に居たら堪ったものではない。
もっとも、繋がりが完全に断たれたわけではなく、
世界形成の基点となる遺跡や神社などに異界への門が拵えてあったり、
神秘側からの神隠しや、人間側の迷い込みによって交流してしまうケースもある。
血気盛んな妖怪が閉じられた世界に飽きて、人の世に飛び出し暴れる事も時に起こる。
「じゃあ、今回僕が襲われたのは……」
「はい、幻想より這い出てきた者でしょう
九州にも小規模なコミュニティが幾つかあるので特定は出来なさそうですが」
一つ目の質問を答え終えて日雀はお茶を啜った。
長い説明に喉が渇いたのだろう。
守人も気が付くと湯呑みに手が伸びていた。
妖怪だ何だと自分の命が掛かっていた話なので緊張していたのかもしれない。
コーヒー党な守人だったが、このお茶はとても落ち着く味だった。
「そして、人寄りな神霊が私達のトップでしてね。
我々も九州に拠点を持つので、そういった者が大きな被害を及ぼすのを防いでるわけです」
「それだけってーわけでもねぇがな」
それまで沈黙を守っていた戌彦が呟いた。
お茶休憩で和らぎそうに空気がまたも張り詰める。
けれども、そこから言葉を続ける事はなく
ゆっくりと立ち上がり、便所、とだけ言って部屋を出ていった。
……それだけでは、ない?
何か大きな秘密が絡んでいるような気がする。
連続失踪とバラバラ死体、これらは偶発的な妖怪の暴走ではないのだろうか。
守人は日雀の一言一句にまで集中すべく緩んだ頭を切り替え直して言葉を待った。