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旭日の白兵戦

 夜明けに赤く染まる空を、こんなに忌々しく思ったことはない。岩肌のシルエットにうごめく影は、やがて顔を出す太陽を背にして、我々を有利に攻撃することができる。

 響き渡るエンジン音から、この敵の正体は大体分かっている。鋼鉄の砲身が現れ、砲塔と車体が徐々に露出していく・・・焼き尽くされた荒野を、キャタピラでかき回しながら。

「敵戦車6両!」

 焼け残りのねじ曲がった木々に覆われ、日本兵の潜む塹壕は隠されている。深さ1.7mの溝は弧を描いて岩肌の斜面へと連なり、いくつもの偽装された洞窟の横穴へ通じていた。

 伝令の声を聞き、洞窟から吸着地雷を抱えた兵士たちが這い出して来る。血気にはやる彼らを横目に、西山軍曹は絶えず上空を気にしていた。

 同じ待伏せが通用するほど、敵は馬鹿ではない・・・奴らは僅かに1歩進む前でも、決して火力を惜しむことはないのだ。

 海兵隊のM4シャーマン戦車は、何かを待つように停止する。赤みがかった空に浮かび上がる黒点の群れ・・・ひとつ、またひとつが、轟音とともに急降下をはじめた。

「敵機!空襲に備えよ!」

 やはり来た!海兵隊のF4Uコルセアは地上すれすれまで降下し、両翼のナパーム弾を容赦なくばら撒いた。56年後に廃止されるこの「非人道兵器」は、広範囲を千度の熱で燃焼させる。

 西山軍曹は無傷で飛び去る敵機を罵り、味方の損害を確認する。直撃を受けたいくつかの分隊は全滅し、苦痛に耐えきれない者は仲間の銃剣で刺殺された・・・塹壕を飛び出し、居場所を知られては困るからだ。

 アメリカ軍は、疑わしい所は徹底して砲撃し、焼き尽くして進む・・・この原則にのっとって、戦車は再び進み始める。

 この戦車はヨーロッパではともかく、日本軍相手の太平洋では無敵だ。破壊するには生身の兵士が肉薄し、爆破するのが最も効果的だ。

「最後の奴が通るまで動くな。後ろから飛び付いて排気管に仕掛けろ。地雷は安全弁を抜いて10秒で爆発する・・・退避する時間は十分にある」

 西山は名前も知らない兵士たちに命じた。日を追うごとに顔見知りの者は消え、新たな部下が加わったり、別の集団と合流したりする。

 シャーマン戦車は1列になり、慎重すぎるほどゆっくりと進む・・・75mm砲を装備するこの戦車には、火炎放射器を搭載する派生型がある・・・目の前の奴がそれだ。

 先頭を進む戦車の砲身から、炎が太い帯となって放たれた。砲塔がゆっくりと旋回し、周囲を根こそぎ焼き払っている。西山は黒炎に覆われた頭上を見上げた・・・押し寄せる熱波で大気が歪んでいる。轟音、地響き、キャタピラのきしむ音・・・西山の頭上を30トンの戦車が通過する・・・2両目、3両目と・・・。

 戦車は側面の岩肌に「ジャップの巣穴」らしき横穴を発見した。猟犬のように忍び寄り、砲身を穴へ突き刺すほどの距離から炎を注ぎ込んだ。まるで火山の噴火のようにあちこちの穴から火柱が吹き出し、火だるまになった兵士たちが次々と転がり出た。戦車の機関銃がとどめを刺し、着弾が無数の火の粉をまき散らした。

 しかし、敵は塹壕に潜む日本兵に気づかない。西山は通過する戦車を5両まで数えた・・・そして6両目!今だ!

 51名の兵士たちが一斉に地上へ躍り出た。舞い上がる黒煙が陽ざしに反射し、彼らは赤褐色の霧に包まれている・・・殺戮を前にする幽鬼のように。

 西山は戦車の後部から這い上がり、2人が後に続いた。合計3個の地雷が、エンジン上部から砲塔付け根にかけて固定される。安全弁を同時に抜き、3人は戦車から飛び降りた。

 爆発の衝撃が戦車の砲塔を吹き飛ばした。かろうじて生き残った操縦士がハッチから抜け出そうとする・・・西山が小銃で狙う前に、飛び乗った日本兵の銃剣が彼の首を貫いた。

 日本兵たちは決められた目標に向って肉薄する・・・全てが西山のようにうまく仕留めた訳ではない。ある者は戦車によじ登った途端、後続の戦車の機関銃弾に倒れた。それでも別の地雷がキャタピラを破壊し、ハッチから飛び出した戦車兵たちはピストル、手榴弾、ナイフから斧まで、あらゆる武器で応戦している・・・。

 先頭の火炎放射戦車は自ら巨大な炎に包まれている・・・日本兵を焼き殺した報いのように。火炎放射器用の液体燃料に引火し、猛火が車体を溶かし始めた。

 その後方で2両目と3両目の戦車がお互いを銃撃し合っている・・・まとわりつく日本兵を殺すために。重機関銃弾が日本兵たちの体を引き裂き、かろうじて生き残った者は抱えた地雷を起爆する・・・兵士もろとも2両の戦車が爆破された。

 白兵戦という原始的闘争本能の殺し合いは、両陣営何れか命尽きるまで続く・・・全てが終わった時、米軍戦車隊は全滅し、30名の戦車兵は彼らの信じる神に召された。その代償は日本兵46名の命にすぎない。

 犠牲に十分見合う戦果だった。孤立無援で徹底抗戦を誓った日本兵に「人命」という概念はない。その価値観の驚くべき双方の隔たりが、戦いの性質を残虐なものへと変えた。

 西山は幸運にも生き残った。誰だか知らない4人の兵士とともに・・・しかし勝利を称え合う暇などなかった。

「敵機!」

 復讐に燃える「コルセア」戦闘機の群れは「小癪なジャップども」を血眼になって探している。

 燃える残骸の間を走り抜け、西山たちは立ち止まった。洞窟陣地への入口はガソリンに引火した炎と黒煙でとても近付けない。

「向こうの防空壕まで走ろう!」

「軍曹、あそこは海軍の縄張りで・・・」

 ひとりが口を挟むと、もうひとりがその男の襟首をつかんだ。

「馬鹿野郎!海軍が何だというんだ。行きましょう!軍曹!」

 頭上を曳光弾がかすめた。戦闘機の機銃掃射だ・・・議論の余地はなくなった。

「走れ!」

 翼面6丁の機関銃弾が地上を引き裂き、彼らは土埃に紛れて走った。急降下の「コルセア」2機が後に続いている・・・西山たちは「海軍の穴」をひたすら目指した。

 全力疾走の5人を、戦闘機の光学照準器が捉えていた。僅か5人であろうと、米軍機は全火器を振舞って葬り去ろうとした。機銃掃射にロケット弾攻撃・・・最後に爆撃だ。

 500ポンド爆弾が炸裂した時、西山たちは地下深く滑り落ちていた。大量の土砂とともに・・・。


 そこは広い空洞で、天井にはケロシンランプが灯っている。体中の砂を払いながら西山は立ち上がった。

「全員無事か?」

「はい・・・しかし入口が崩れ落ちました」

 防空壕に人の気配はなかった。先へ進むと通路は狭くなり、二手に分かれていた。一方に進むと、数メートルのところで板に塞がれていた。その板をこじ開けた途端、全員が鼻を覆った。

 そこはかなり広い、暗闇の空間だった。西山はランプで周囲を照らした。悪臭の原因は、無造作に並べられた、50を超える遺体だった。

「海軍陸戦隊の屍ですな」

「ここは行き止まりだ。さっさとその蓋を閉めろ」

 5人は引き返してもう一方の通路へ向かった。今度はずっと狭い部屋で行き止まりになった。大量の小銃、弾薬、手榴弾がきれいに並べられている。

「海軍の遺品ですな。もったいない」

「おい、何か埋まっているぞ」

「砲弾じゃないのか?気をつけろ」

 慎重に掘り出されたのは2本の一升瓶だった。

「こりゃ本物の酒だ!」

「海軍の置きみやげだな。有難くもらっておこう」

 それが「海軍の穴」の全てだった。出口はどこにも見つからず、完全に閉じ込められた事を彼らは理解した。

 4人は疲れた顔で西山の顔をうかがった。誰もが分かりきっていたことだ・・・本土から1,200km離れた、この岩と砂の島が死に場所であることを。そして自決用の手榴弾を大事にとっておいたことを。

「その前に、こいつを空けてからだ」

 5人は酒の瓶を囲むように座った。飯ごうの蓋に注がれた酒で、彼らは乾いた喉を潤した。

「一緒に死ぬ貴様たちのことを俺はよく知らん。まずは自己紹介からだ」

 西山が促すと、口髭の濃い大柄の男が立ち上がった。

「木島上等兵であります!独立歩兵第311大隊・・・高知県出身の35歳。妻とせがれが3人、召集前は炭坑夫をやっていました。穴の中はもうこりごりであります」

 次の男は自尊心の塊のような若者だ。勢いよく立ち上がると、96式軽機関銃で捧げ銃の姿勢をとった。

「志村一等兵であります!愛知県出身、24歳・・・独り者です。帝大を出て帝国陸軍へ志願しました」

 次は97式狙撃銃を手にする、どこか冷めた顔の狙撃手だった。

「自分は山口一等兵であります。鹿児島県出身、25歳。妻と子供が二人います。召集前は郵便局員です」

 4人目は最年少の初年兵だった。

「田口二等兵であります!長野県出身、19歳・・・半年前の入隊であります」

 西山は全員の名を知って満足した。絶え間ない激戦を生き抜いた猛者たちは白兵戦に勝利し、ここで武運は尽きた・・・最後に酒を酌み交わす相手として申し分ない。

「では俺の番だ・・・西山啓介、30歳、福岡県出身だ。妻に先立たれ、4歳の息子がひとりいる」

 兵士たちはささやかな祝宴を楽しんだ。酒が回ってくると兵士たちの口は軽やかになる。

「1枚は俺の嫁、もう1枚は華北で知り合った恋人だ」

 木島の差出した写真を、田口はまじまじと眺めている。

「中国人は別嬪さんですね」

「そいつは特別だ。俺みたいな山賊のような面に惹かれる女は多い」

「自分もお守りの写真を持っています」

 そう言って田口は女学生の写真を木島に見せた。

「許嫁です。3度会っただけで、深い付き合いではないですが」

 志村と山口は言い争いを始めている。

「帝大出が軍人勅諭で説教か?お笑い草だ」

「貴様の精神は病んでいる。馬鹿げた戦争とは何事か!」

 木島がふたりの間に割り込み、「華北の美女」の写真をちらつかせた。

「これが一番癒される。精神の病んでる奴はどいつだ?」

 ふたりを黙らせると、木島は西山が手に取って眺める円形の石に気付いた。

「それは軍曹のお守りですか?」

 西山は文字の彫られた二寸ほどの二つの石を見せた。

「妻と息子の名だ。気に入った石に印刀で刻む・・・後は艶が出るまで磨くだけだ」

 木島は物珍しそうに見入った。単なる石ころが見事な装飾品に仕上がっている。

「達筆ですな・・・自分も欲しくなりました」

 西山は苦笑いで首を振った。

「大切な人の名前しか彫らない。思い入れが湧かないだろう?」

「図々しいお願いは申しません。欲しいと思ったのは、記念品としてこれ以上のものはないからです」

 木島は今思いついたばかりの持論を展開する。

「自分がこの写真を抱きかかえ、ここでくたばったところで・・・体と一緒に朽ち果てるだけです。永久に残る何かを残しておけば、いずれ誰かが見つけるでしょう」

「墓標のつもりで彫った訳じゃないぞ。この息子には長生きしてほしいんだ」

「人間はいずれ死ぬんです。だから生きた証を残したい・・・家族は俺がどこにいるかも知りません。我こそは元炭鉱夫の木島上等兵、結局穴の中で最期を遂げたぞ、てね」

「墓標と変わらんじゃないか」

 笑っていた兵士たちも、やがて黙り込んでいく・・・それぞれの人生を思い起こすかのように・・・。

 酒も底をつき、しばらくたって西山は沈黙を破った。

「もう十分か?」

 全員が決意の意思を示して立ち上がった。手榴弾を手にした彼らは全てに別れを告げる・・・祖国の方角を向いて一礼したとき、誇りと無念の気持ちが交錯する・・・。

 迷いを振り切る言葉で、彼らは儀式を締めくくった。

「天皇陛下万歳!」

「靖国で会おう!」


 ケロシンランプのほとんどが消えている。しかし何故かお互いの顔がはっきり見える・・・どこからともなく差し込んだ光のために。

 5人は眩しそうに目を細め、その方向を見つめた。光だけでなく微かな音まで漏れ聞こえてくる。聞きなれたラッパのメロディー・・・死んだ仲間たちが靖国から呼んでいるかのようだ・・・。

 もしそうなら、きっと再会を喜び合えるにちがいない。お互いやるべき事はやりきったと、称え合えるのだから。

 皇軍の5人の兵士たちは装具を身に着け、身なりを整えた。天皇陛下から預かった大切な銃は常に一緒だ。

 そして彼らは光の中へ消えていった・・・。


 1945年3月、堅固な洞窟陣地で要塞化された島は、両軍の死者であふれかえった。西山たちは総勢2万人におよぶ日本軍守備隊の一部にすぎなかった。

 西山たちが戦い抜いたように、島のいたるところで激戦が繰り広げられた。そして日本軍はついに全滅する・・・この岩と砂の小さな島、「硫黄島」で。


 月日は流れ、戦争は遠い過去の話となった・・・。


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