第3話
「それで、デートのことなんだけど」
「忘れてなかったのね……」
「忘れるわけ無いだろう」
「食べ終わったら話す。おかわり」
おかわりを要求して話を先延ばしにしようと企むが、そうは行かないようで。
「今話したいなあ」
そう言いながらも、カレーのおかわりを皿によそってくれる。量は少しだけ控えめで、逃げ道を塞ぐみたいに、きっちり中央に盛られていた。
「ほら。これ以上冷めると美味しくないぞ」
「……脅し方がずるいわね」
私は観念して、パンをちぎりながらため息をつく。香辛料の匂いが立ちのぼるたびに、思考がどうでもよくなっていくのも事実だった。
「で?」
短い一言。逃がさない、という意思表示。
「……で、って」
「明日だ。街に行く。昼から」
「断定形なのね」
「ルナが嫌ならやめる」
その言い方が、妙にずるかった。強制じゃない、と分かっているからこそ、断りにくい。
「……街って、どこまで?」
「市場。あと、川沿い。屋台も出てる」
「屋台……」
知らない言葉ではない。でも、魔王だった頃に縁のあるものでもない。祭り、商い、人混み。全部、人間の生活そのものだ。
「怖い?」
リオは、からかうでもなく、試すでもなく、ただそう聞いた。
「……少し」
正直に答えると、彼は小さく頷いた。
「なら、ちょうどいい」
「どうして?」
「怖いまま行くより、知ってから怖がった方がいい」
「理屈が乱暴よ」
「勇者だからな」
またそれだ。便利な言葉だと思う。
私はもう一口、カレーを食べる。さっきよりも、少し辛さが優しく感じられた。
「……私、変じゃない?」
「何が」
「街を歩いて。誰かに見られて。普通に」
「変だな」
即答だった。
「ほら」
「元魔王が看板娘やって、勇者とデートするんだぞ。変じゃないわけがない」
「……それ、慰めてる?」
「事実を言ってるだけだ」
でも、リオはとても楽しそうで、私は文句を言う気を失った。
「何を着て行けばいいの」
「いつもの」
「エプロン?」
「それはやめてくれ」
「じゃあ、どれ?」
「俺が見立てる」
「ちょっと待って」
嫌な予感が膨らむ。
「変なの選ばないでしょうね」
「多分」
「多分!?」
リオは肩をすくめただけで、答えなかった。
食事を終え、片付けをして、店の明かりを落とす。いつもの流れなのに、明日のことを考えると、足元が少し落ち着かない。
夜、部屋に戻ってからも、なかなか眠れなかった。
街を歩く自分を想像する。剣も、魔力も、威厳もない。ただの少女として。誰かにぶつかって、謝って、笑われて。
「……人間って、忙しいわね」
天井に向かって呟いて、目を閉じた。
*
翌朝。
「早い」
階下から聞こえた声に、慌てて身支度を整える。服は部屋の前においてあった。町娘がよく着るようなワンピース。
階段を降りると、リオはすでに外套を羽織っていた。
「寝不足か?」
「……少し」
「緊張してる顔だな」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺だろ」
あっさり認めるのが、また腹立たしい。
「似合ってるじゃないか。とても可愛らしい」
「な!?かわ!?」
「昨日もお同じ流れがあった気がするが」
「リオがそうさせてるんじゃない!?」
「その反応が可愛いからな」
「だから!」
「嫌か?」
リオが少し悲しそうで、やはり文句を言う気にはなれない。それに、ちょっと、本当にちょっとだけ嬉しかったし。
店を出ると、朝の空気はひんやりしていて、パン屋から甘い匂いが流れてくる。人の声、荷車の音、遠くの鐘。
街は、生きている。
「迷子になりそうだわ」
「手、離すな」
「……はえ?」
さらっと言われて、足が止まる。
「人多いからな」
そう言って、何の躊躇もなく差し出される手。
私は一瞬迷ってから、その手を取った。
「……責任、取りなさいよ」
「何のだ」
「全部よ」
リオは笑った。
「了解、元魔王様」
その呼び方に、少しだけ胸がくすぐった。
人混みの中へ踏み出す。知らない音、知らない匂い、知らない視線。でも、手の温度は確かで、私は一歩、また一歩と進んでいく。
今日もまた、私の知らない「普通」が、ひとつ増えていくのだと思った。




