第7話
第七話:人里の灯、怪物の逡巡
どれほど走り続けたろうか。 風を切り、大地を震わせて進んでいたアルティガの足が、緩やかに止まった。
「……アルティガさん?」
腕の中から解放されたライラが、不思議そうに彼を見上げる。 視線の先、なだらかな丘の麓に、いくつかの小さな家々が集まっているのが見えた。夕餉の支度だろうか、煙突からは細い煙が立ち上り、どこか懐かしく、穏やかな人々の営みがそこにあることを告げていた。
塔へと至る道の途中に、その村はあった。
「……避けていく。大きく迂回するぞ」
アルティガの声は、先ほどまでの力強さが嘘のように沈んでいた。 彼は深くフードを引き下げ、右腕を隠す外套の合わせ目を強く握りしめる。
「でも、ここを迂回したら塔まであと二日は余計にかかっちゃいますよ。……それに、アルティガさんの靴、もうボロボロじゃないですか。せめて新しい革靴か、丈夫な布だけでも手に入れないと……」
「……いや、いいんだ。俺のような者が近づけば、彼らは怯える。それだけで済めばいいが、もし俺の正体がバレて軍にでも通報されれば、村ごと巻き込むことになる」
アルティガの黄金の瞳に、深い苦悩が差した。 かつて、彼は守るべき人々のために剣を振るった。人々の笑顔こそが彼の力の源だった。だからこそ、今の自分が「人々に恐怖を与える存在」であるという事実に、心が悲鳴を上げていたのだ。 怪物の姿で、あの穏やかな日常に近づくことが、今の彼には何よりも恐ろしかった。
そんな彼の葛藤を見透かしたように、ライラがそっと彼の大きな手に自分の手を重ねた。
「アルティガさん。あなたは、世界を壊そうとしている怪物じゃありません。……私を救って、世界を救おうとしている、ただの不器用な旅人さんです」
「ライラ……」
「私がついています。もしあなたの心が暴れそうになったら、私がすぐに止めます。だから、自分をそんなに遠ざけないでください。……あなたも、一人の人間として、美味しいものを食べて、暖かい場所で休む権利があるんです」
ライラの紫の瞳が、まっすぐに彼を射抜く。 彼女は、アルティガが自分を「怪物」だと定義して閉じこもるのを許さなかった。彼が人間であることを諦めないよう、何度も何度も、こうして言葉の杭を打ち込んでくれる。
「……少しだけだ。食料と、予備の靴を手に入れたらすぐに出る」
アルティガは観念したように息を吐いた。
「はい! じゃあ、私の後ろについてきてくださいね。私が交渉しますから!」
ライラは明るく笑い、アルティガの手を引いて丘を下り始めた。 アルティガは、自分を導く少女の小さな背中を見つめながら、少しだけ呼吸を整えた。 龍の血がもたらす激しい拍動が、彼女の繋いだ手の温もりによって、今は驚くほど穏やかだった。
村の入り口が見えてくる。 そこにあるのは、英雄としての凱旋ではない。正体を隠し、息を潜めて歩む、人ならざる者の忍び足。 だが、その一歩は、アルティガが「自分自身」を取り戻すための、大切な一歩でもあった。




