第1話
第一話:最強の終焉、あるいは龍の産声
その日、魔境『絶界の森』の最深部は、神話の時代を彷彿とさせる光景に包まれていた。 視界を埋め尽くすのは、立ち枯れた巨木と、大気を震わせるほど濃密な魔力の奔流。その中心に、世界最強の冒険者パーティ『聖銀の轍』はいた。
「ハァ……ッ、このっ、しぶといわね……!」
支援魔術師のセレナ・アンドリーフが、愛用の杖を天に掲げる。彼女の放つ高位の支援魔術が、仲間の武器に神聖な輝きを付与し、その身体能力を限界まで引き上げていた。彼女の視線は、常にパーティの先頭で戦う男の背中を追っている。その瞳に宿るのは、信頼を超えた、焦がれるような恋慕の情だ。
「セレナ、落ち着け。前衛の守りは俺が維持する!」
重厚な鎧に身を包んだ盾役のケンリル・ナイムジーカが、巨大な盾を地面に叩きつけ、衝撃波で敵の動きを止める。 その隣では、回復術師のショウ・アイルメークが、冷静な手つきで治癒の陣を展開していた。
「無茶はしないでくださいよ。……レム、撹乱を!」 「わかってる。――行け、白虎!」
神獣使いのレム・ハイルドールクが指を鳴らすと、彼女が操る高貴な使い魔たちが、稲妻のような速さで戦場を駆け抜け、標的の死角を突く。
彼らが相対していたのは、伝説の古龍――ではなかった。 そこにいたのは、漆黒の鱗に覆われ、自我を失い暴走する「龍」の姿をした一人の少女だった。
「……ライラ」
パーティのリーダーであり、世界最強の魔剣士と謳われるアルティガ・ソウスレームは、剣を構えたまま苦渋の表情を浮かべた。 二十二歳という若さで、剣と魔法の両方において頂点に立った男。彼だけは気づいていた。目の前の怪物が、かつてど旅の道中、村に寄った際に魔物から救い、その後、「精神操作」という稀有な力を持っていたがために迫害された無辜の少女、ライラ・ヘンドブルームであることに。見るに、彼女は龍化の呪いを受けている。おおかた、神龍が現れ、気まぐれに死にかけの人間を助けようとかけた、と言った真相であろう。
「みんな、手を出すな。……彼女を殺さずに救う方法は、これしかない」
アルティガが静かに告げた。 彼は剣を鞘に収め、無防備に暴走する少女へと歩み寄る。
「アルティガ!? 何を考えてるの、危ないわ!」
セレナの悲鳴のような制止も、今の彼には届かない。 アルティガは、ライラが放つ猛烈な破壊の余波をその身に受けながら、彼女の額にそっと手を触れた。
「ライラ……苦しいのは、もう終わりだ。その呪い、俺が引き受ける」
禁忌の魔術。己の最強の魔力を媒介に、他者の因果を自身の肉体へと転移させる秘儀。 次の瞬間、絶叫したのはアルティガだった。
少女の体を蝕んでいた漆黒の呪いが、濁流となってアルティガの右腕から侵入する。 激痛。脳が焼け付くような衝撃。 アルティガの右腕が、瞬く間に硬質な鱗に覆われ、指先が鋭利な爪へと変貌していく。瞳は黄金に染まり、瞳孔は縦長に裂けた。
「があああああああああああああッ!!」
それは、人の喉から発せられる音ではなかった。 龍人。かつてこの世界を滅ぼしかけ、今なお最大の禁忌とされる存在。その力があまりに強大すぎるゆえに、最強の冒険者であったアルティガの肉体は、呪いとの適合を瞬時に果たしてしまった。
「……あ……」
呪いから解放されたライラが、人間の姿に戻り、地面に崩れ落ちる。 彼女が意識を取り戻した時、視界にあったのは、かつての英雄の面影を辛うじて残した、異形の怪物の後ろ姿だった。
「アルティガ……さん?」
ライラがおずおずと差し伸ばした手を、アルティガは激しく振り払った。 彼の脳内では今、猛烈な殺意と破壊衝動が渦巻いている。このままでは、愛すべき仲間たちまでその爪で引き裂いてしまう。
「……来るな。俺を探すな……ッ!」
背後でセレナたちが自分を呼ぶ声が聞こえる。ショウの戸惑い、ケンリルの怒号、レムの驚愕。 だが、アルティガは振り返らなかった。 彼は朦朧とするライラの体を抱き上げると、龍人の脚力で爆発的に地を蹴った。
最強の男が、最凶の怪物へと成り果てた瞬間。 霧の彼方へと消えていく彼の背中を最後に、世界最強のパーティ『聖銀の轍』は、その中心を失い崩壊した。




