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無慈悲な伝道師  世界ヘビー級王者 ジョージ・フォアマン(1949-2025)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2025/12/15

モハメッド・アリは全盛期のマイク・タイソンをポイントアウトできた唯一のボクサーと言われるが、真っ向勝負で勝てる可能性があるとすれば、ジョージ・フォアマンをおいて他はないだろう。賛否両論あるかもしれないが、ダグラスやホリフィールドのパンチでも倒れるタイソンは、フォアマンのショートアッパーが一発でもクリーンヒットしたらそのまま一気に詰められると思う。逆にフォアマンは早いラウンドなら、タイソンのコンビネーション4~5発浴びたくらいでは、ダウンはしないだろう。

 くっきりとした二重瞼でボクサーにしては上品でやさしい顔立ちをしている。

 カムバックした頃はスキンヘッドで愛嬌のあるオヤジ然としていたが、第一次政権の頃のフォアマンはモハメド・アリと並ぶイケメンで、普段着姿の時はむしろ寡黙でナイーブな若者といった印象だった。

 ところが、ひとたび戦闘モードに入るや表情は一変し、無表情なライオンのように見えた。アリのように挑発的でもなくフレージャーのように威圧的でもなく、伏し目がちに相手の姿を眺めているだけのの横顔でさえも、これから相手の身に起こる悲劇を哀れんでいるかのように冷たく、さながら罪人を前にした中世の斬首人の趣きがあった。


 一九七三年一月二十二日、ジャマイカの首都キングストンが惨劇の舞台となった。

 東京オリンピックの金メダルを手土産にプロ入りして以来、エリート街道を驀進してきた世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレージャーは、一九六八年三月にニューヨーク州公認世界ヘビー級チャンピオンの座に就いたのを皮切りに、WBA、WBC王座も吸収し、まさに絶頂期にあった。

『スモーキン・ジョー』の綽名のとおり、機関車のような荒々しい突進力とブラックジャックを振り回しているかのような破壊的な左フックでライバルたちを粉砕してきたフレージャーには、あのアリですら歯が立たなかった。

 一八〇センチ九十七キロという体格はマイク・タイソンとほとんど変わらず、ヘビー級としては小柄だが、いわゆるゴリラ体型でリーチが長い。

 身体を小刻みに上下左右に振って相手のリードをかわしながら接近し、センサーが射程距離に入ったこと中枢神経に伝えるや、左右のフックが獲物に喰らいつくコブラのように急所に突き刺さるのだ。

 ヘビー級随一のパンチ力と、マングースのように素早いアリからナックダウンを奪う詰めの巧さを合わせもったフレージャーは、デビュー以来八年間負け知らずの二十九連勝(二十五KO)中で、当分の間王座は安泰と見られていた。


 挑戦者世界ランキング一位のフォアマンは、メキシコシティ・オリンピックヘビー級金メダリストからプロ入りし、三十七勝〇敗(三十四KO)で目下二十一連続KO勝ちという驚異的なレコードを誇っていたが、過去の対戦相手の質が低いため、賭け率は3・5対1でフレージャーが圧倒的に有利だった。

 少年時代のフォアマンは手の付けられない不良だったが、ナイーブさと凶暴性が同居していたせいか、更生のためにボクシングを始めてからも、プレッシャーがかかり過ぎると精神的なもろさを露呈してしまうところがあり、試合ムラが多かった。

 そこでマネージャーのディック・サドラーは格下の相手を次々にぶつけてフォアマンに自信を持たせることにした。

 過酷な試練を与え、それを乗り越えさせることで経験と自信を持たせるのも、連勝記録を伸ばして過大評価を受けることで自信を持たせるのも選手育成法としては理にかなっている。もちろん双方ともにリスクがあり、前者は選手に根性が無ければつぶれてしまうし、後者は天狗になって努力を怠ってしまう可能性が高い。

 弱肉強食の世界ゆえに、世界チャンピオンになるためにはある程度の試練を乗り越えるのが一般的だった時代に、サドラーはリスクの高い相手は徹底的に避け、勝利が確実なマッチメークにこだわり続けた。

 それゆえに、ファンもフレージャーもフォアマンの戦績は『作られたレコード』と思い込んでいたのだ。

 ところが凄腕のディック・サドラーは、彼らより一枚上手だった。パワー依存型のフォアマンにテクニックを教えこむ点にも抜かりがなかった。コーチとして陣営に加わった元世界ライトヘビー級チャンピオンのアーチ・ムーアと元世界フェザー級チャンピオンのサンディ・サドラーは、それぞれの階級で最高のナックアウト・アーティストであり、相手を倒すコツに関してはボクシング史上の双璧と謳われていた。

 この二人が付きっきりで技術指導を行ったのだから、フォアマンが強くならないはずがない。

 事実、プロ入り二年目くらいまでのフォアマンは詰めの甘さがあり、動きもぎこちなかった。かのノーマン・メイラーも初めてフォアマンの試合を観た時には、格下相手にもたつく姿に失望し、その後何年間も試合を観戦することは控えていたというほどだ。

 生真面目なフォアマンは格下相手でも全力で戦い常にナックアウトを狙う。ムーアとサンディ・サドラーのコーチによって次第に倒すコツを会得していったが、ディック・サドラーはフォアマンがいかなる相手の前でも動じず、KOがルーティーンワークのように思考回路に刻み込まれるまで、じっくりと時間をかけて対戦相手選びに細心の注意を払った。

 同じくオリンピック金メダリストであるエリートボクサーのアリとフレージャーがともにプロ入り二十戦目で世界タイトルに挑戦しているのと比べ、フォアマンが三十八戦目と倍近いキャリアを踏んでいるのはそのためだ。近年のオリンピックメダリストでこれだけ場数を踏んでから世界挑戦という例はない。

 技術面での強化はまだしも精神面の強化には時間がかかるということなのだろう。これはフォアマンがウォーミングアップに入る時も同様で、アップにこれだけ時間をかけて戦闘モードを整えるボクサーも珍しい。

 フォアマンのトレーニングは、ポップミュージックから始まる。

 アップテンポの曲で身体を目覚めさせ、ミディアムテンポ、スローテンポと移ってゆく中で、筋肉をほぐしてゆくのだ。鈍重な足取りの軽いシャドーから、シャープで力強い動きになったところで音楽は止まる。

 ロッキー・マルシアノが試合前にもかかわらずウォーミングアップのために五ラウンドもシャドーをこなしていたのは有名だが、普段はナイスガイのロッキーが、リング上ではダーティファイトも辞さない獰猛なファイターへと変身するには、自己暗示にそれだけの時間を要していたからなのかもしれない。

 フォアマンもロッキーと同様に二十分ばかりかけて身体をほぐしながら、もう一人の自分へと変わってゆくのだった。


 スパーリングパートナーも最初は的の大きい大柄なボクサー、続いて小柄で動きの速いボクサーとタイプを変えてゆく。小柄でスピードのあるパートナーに対しては、最初は手を出さずじっくり動きを観察しながら距離だけを詰めてゆく。

 打たれようが動きに翻弄されようが動じることなく、相手の攻防パターンのデータをインプットしてゆくのだ。そこからトリッキーな動きにも冷静に対処し、巧妙にロープ際へと追い詰めてゆく術を学ばせるのが、サドラー式である。

 フォアマンは、高性能エンジンに超一流のメカニックによる念入りなチューンナップと十分な慣らし運転を施したレーシングカーだった。それも試走で幾度もコースレコードを叩き出し、トップスピード、耐久性ともに最高水準に仕上げられたモンスターマシンである。

 フレージャー陣営にとってフォアマンの実力は未知数でも、フォアマン陣営はフレージャーの戦闘能力を完全に解析したうえで、自分たちの総力を結集してチューンナップしたエンジン性能がフレージャーのそれを上回ると確信していた。だからこそ、アリを倒した男との対戦にゴーサインを出したのである。


 試合が始まった。自信満々のフレージャーはいつものようなクラウチングスタイルで長身の挑戦者に肉薄する。

 フォアマンのジャブは単発でガードも低いが、前に伸ばした両腕で大抵のパンチは払い除けてしまうためフレージャーもなかなか連打に持ち込めない。要注意なのはさほど速くはないワン・ツーで、左で押さえ込むように相手の動きを止めた瞬間、右のショートを打ち込んでくる。

 そうこうしているうちにフレージャーの弧を描くような左フックがフォアマンの左ガードをかいくぐるように顎を直撃したが、フォアマンは無表情のまま微動だにしない。

 やや浅く入ったとはいえ、スモーキン・ジョーの直撃弾を浴びてもケロリとした顔でたじろぎもせずに前に出てくるようなボクサーはフォアマンが初めてだった。本能的に警戒心が働いたのか、そこからのフレージャーの動きには戸惑いが見られるようになった。

 攻撃モードの時のフレージャーは、フェイントを含めてよく動き相手に的を絞らせないが、滅多に見せない防御モードになるとヘッドスリップもダッキングもぎこちない。中途半端なダッキングでパンチをかわそうとしたフレージャーを掬い上げるようなフォアマンのアッパーが襲うと、無敗の王者は竜巻でなぎ倒された巨木のように吹っ飛びキャンバスに這った。

 フレージャーはパンチが効いたというよりもびっくりしたような表情を浮かべて立ち上がった。フォアマンはアップライト気味の構えから無造作にパンチを繰り出すが、振り抜いているようには見えず、シャドーで軽く流しているかのようだ。それでいてパンチが当たるたびにフレージャーの身体が夢遊病者のようにリングをさまよった。

 第一ラウンドに三度、第二ラウンドにも三度のダウンを追加されたフレージャーは、驚異的なタフネスでテンカウントこそ逃れたが、六度目のダウンを喫したアッパーは命中した瞬間両足が宙に浮くほど凄まじい一撃で、これ以上戦わせるのは危険であるとレフェリーが判断したのも当然だった。

 過去のヘビー級の世界戦でも、挑戦者の一方的なKO勝利による王者交代劇はあった。その双璧とされるジャック・ジョンソンにせよジャック・デンプシーにせよ、対戦前から挑戦者である彼らの方が圧倒的に有利と言われていた。

 逆に絶対的に有利と目されていたチャンピオンが無惨に打ち据えられたのは、ボクシングの技術革命ともいえるサリヴァン対コーベット戦くらいなもので、この試合は、言うなれば時代遅れのサムライとガンマンの決闘である。

 技術ではなく力と力のぶつかり合いで、当分は無敵と思われていたチャンピオンがこれほど一方的に敗北を喫した例はない。ダウンを奪っても全く表情を変えず冷静なところがフォアマンの怖さで、不敵な面構えがトレードマークのフレージャーが、獲物を狙う捕食獣のような威圧感に耐え切れずに完全にびびりあがっていた。

 バスター・ダグラスから逆転KOでのされた時のタイソンも、これまでに見たことのないような情けない表情を浮かべてダグラスのパンチを浴びていたが、あくまでもこの時の敗因はガス欠であって、本来なら最初のダウンでダグラスがカウントアウトされてもおかしくないほど前半はタイソンが一方的に攻めていた。

 そのため、再戦すればタイソンのKO勝ちが明白であることがわかっていたダグラスは、タイソンを避けてクルーザー級あがりのホリフィールドと初防衛戦を行い、惨敗を喫している。

 ところが、フレージャーの場合は完全なる力負けで、両者の力量差は誰の目にも明らかだった。無敗のアリを撃退したフレージャーを苦もなくねじ伏せたフォアマンのパンチ力には世界中が震撼した。

 象をも倒すパンチ。以後、これがフォアマンの代名詞となった。


 初防衛戦は同年九月一日、東京武道館で行われた。もちろん日本で初めて開催された世界ヘビー級タイトルマッチである。

 世界中で引く手あまたのフォアマンを日本に連れて来ることが出来たのは、プロモーターの溝口宗男(元東洋J・ミドル級チャンピオン)がディック・サドラーの教え子だったことによるところが大きいが、初防衛戦の相手が世界ランキング下位のジョー・キング・ローマン(四十四勝七敗・二十二KO一引分)では高額なファイトマネーに見合った興行とは言えず、大物プロモーターたちからそっぽを向かれたからだという説もある。

 かつて力道山の依頼でリキジムのコーチを務めていたサドラーにとって、東京は馴れ親しんだ土地であり、アウェイという違和感はなかったのだろう。

 超大物の来日だけに興行も豪華版だった。リカルド・アルレドント対柏葉守人の世界J・ライト級タイトルマッチがセミファイナルで、前座にはキックの帝王沢村忠が登場した。ただし、主役であるフォアマン対ジョー・キング・ローマンの試合はわずか二分で終わってしまった。


 一九七四年三月二十六日、べネズエラの首都カラカスで行われた二度目の防衛戦の相手は、「アリの顎

を割った男」として目下売り出し中のケン・ノートンだった。アリとの再戦では僅差の判定で敗れたものの、素晴らしくビルドアップされた肉体とアリの顎を骨折させた強打はフォアマンにとっても脅威となるはずだった。

 世界中に衛星中継されたこの試合、ファンが目にしたノートンはいつものマッチョなノートンではなかった。

 フォアマンと正対した瞬間からノートンはまるで蛇に睨まれた蛙同然だった。ほとんど手を出すこともなく後退を続ける挑戦者に対し、王者はスパーリングで流しているかのように無造作にパンチを繰り出すだけだったが、ボディビルダー顔負けの筋肉男は右に左にぎこちないステップのダンスを披したあげくに、壊れた人形同然にキャンバスに崩れ落ちた。

 結果はフォアマンの二ラウンドKO勝ちだったが、その気になれば一ラウンドで決着がついていたかもしれないほど一方的な試合だった。

 試合直後、リングサイドで観戦していた次期対戦者のモハメド・アリが、「五ラウンドまでゆけば、ノ

ートンの勝ちだった。序盤さえしのげば、俺がぶっ倒してやる」と息巻いているのが負け犬の遠吠えのように聞こえるほど、フォアマンは強かった。

 ノートンは四年後にWBC王者に認定され、後の無敵王者ラリー・ホームズを散々苦しめたほどの好ファイターである。ボクサーとしてはまだピークパワーにあっただけに、それだけの強打者に「まともに殴り合ったら負ける」と本能的に感じさせるほど、フォアマンの殺気が凄まじかったのだろう。


 マイク・タイソンの全盛時にも当時のフォアマンに通ずる、相対しただけで相手をびびらせるほどの殺気があったが、タイソンは小柄だったため、大男の強打者のパンチをまともに浴びた時の耐久力には疑問が残っており(実際、想像以上に打たれ弱く、ダグラスやホリフィールド程度のパンチでKOされている)、ラッキーパンチで試合の流れが変わる可能性がないとは言い切れないところがあった。

 それに比べフォアマンは、フレージャー、ノートンといったヘビー級でも極めつけの強打者のクリーンヒットを浴びても全く表情が変わらないほどタフで、まさに難攻不落といった感じだった。

 タイソンの全盛時代に比較論が出た時には、パンチ力は拮抗しているにせよ、タイソンのスピードとコンビネーションを持ってすれば、フォアマンを倒せるという専門家の意見が過半数を超えていたが、クラウチングスタイルのタイソンには、同タイプのフレージャーをいとも簡単に沈めたフォアマンのアッパーを完封できれなければ勝機はないように思われる。

 タイソンのピーカブースタイルのディフェンスはストレートとフックには磐石だが、下から突き上げてくるアッパーとなると果たしてどうだろうか。

 ピーカブースタイルの先駆であるフロイド・パターソンがソニー・リストンのアッパーで粉砕されてい

るように、ロングもショートも凄まじい破壊力を持つフォアマンのアッパーはフレージャーに耐久力で劣るタイソンには脅威に違いない。仮に懐に入れたとしても、フレージャーの左フックに耐えたフォアマンを単発で沈めるのは難しい。

 タイソンがボーンクラッシャー・スミスとフルラウンド戦ってもほとんどクリーンヒットが奪えなかったのは、スミスが長いリーチを伸ばして相手を突き飛ばすようなガードポジションをとっていたからだが、フォアマンのガードもこれに近く、腕力もスミスの比ではないため、強引に踏み込むと、パンチをパーリーで弾かれてバランスを崩し、正確なコンビネーションブローを浴びせるのは難しいかもしれない。

 逆にショートの巧みなフォアマンは相打ちでもタイソンをグロッギーに陥れるだけのパワーがあるため、真っ向勝負で打ち合った場合、フォアマンの返しのショート一撃か相打ちでもタイソンが倒れそうな気がする。あくまでも個人的な意見ではあるが。


 一九七四年十月三十日、ザイールの首都キンシャサで、フォアマンは遂に伝説の男モハメド・アリと激突した。

 賭け率は五対二でフォアマンだったが、アリが人気者であるがゆえの期待値が含まれているため、実力差で見れば十対一以上離れているというのが一般的な見方だった。ファンの関心の大半はアリが何ラウンドまで持つかということであり、判定までもつれこめば奇跡、と言われていた。

 それもそのはず、チャンピオンのフォアマンはアリに完勝した二人のボクサーをワンサイドで沈めたモンスターだからだ。

 一ラウンド、アリはスピーディーなワン・ツーを繰り出しながら足を使ってフォアマンを揺さぶった。  

 さすがにアリのワン・ツーは速く、フォアマンのフットワークとアームブロックでは容易にさばけるも

のではなかったが、打ち合いを恐れるアリが手打ちで打っているため、さほどダメージはない。

 二ラウンドに入ると、フットワークだけではフォアマンのパンチをかわし切れないと悟ったのか、アリはロープを背にしてガードを固める戦法に切り替えた。かつては蝶のように舞い、蜂のように刺したアリもすでに三十二歳になり、リストンを翻弄したフットワークを再現することは叶わなかったのである。

 ところがアリが苦肉の策として編み出した『ロープ・ア・ドープ』はフォアマンには効果的だった。

 ジャブやコンビネーションをあまり用いず、機械的に繰り出す左右の強打だけで相手を沈めてきたフォアマンはアリを力任せでねじ伏せられると過信していたのか、ロープによりかかってガードを固めるアリに休みなく強打を叩きつけてきた。

 急所はガードしているものの、ボディや腕を襲う猛打はアリの骨が砕け、内臓が破裂するのではないかというほど迫力満点で、観客も衛星中継を視聴している世界中のファンも、もはやアリの勝利はありえないと感じたに違いない。

 しかし、見た目とは裏腹にアリのダメージは最小限に抑えられていた。アリの身体を襲ったパンチの衝撃は表面的なものに過ぎず、ロープの弾力によってかなり緩和されていたのだ。

 しかも、顔面を狙ったパンチはアリが大きく仰け反っているためほとんどが空振りだった。これはロープにもたれかかっているからこそ出来る技で、通常のファイティングポーズからこれほど急角度で仰け反れば後方にひっくり返ってしまうのがオチである。

 仮にバランスを崩さずに体操選手並の柔軟なスウェーが出来たとしても、この体勢から打ち返すことは不可能なため、踏み込まれて連打を浴びればひとたまりもない。

 その点アリのロープ・ア・ドープなら、アリの足がエプロンサイドにある以上、攻める側もそれ以上踏み込めないうえ、通常ではありえない三十度以上の角度で後方にスウェーされれば、パンチの射角からも外れてしまう。

 一方アリはフォアマンが手を休めればロープの反動を使って素早く返しのパンチをお見舞いすることが出来る。自身の身体能力だけではなく、ロープの反動まで試合のテクニックに取り入れるとは恐るべき狡猾さと言えよう。海千山千の二人のサドラーとムーアの頭脳を持ってしても、ここまでトリッキーな作戦は想定外だった。

 フォアマンは一方的にアリを押しているように見えて、実は著しくスタミナを消耗していた。パンチの衝撃はロープに吸収されるためあまり手応えがなく空振りも多いとあって、五ラウンドを過ぎた頃には、いつもは無表情なフォアマンの顔にも焦燥感が漂い始めた。

 六ラウンドですっかりスタミナを消耗してしまったフォアマンの手数が減ってゆくに伴い、体力を温存していたアリが攻勢に転じてきた。それを後押しするかのように六万人の大観衆が、「アリ、殺してし

まえ!」と叫び声をあげ始めた。

 もちろん観衆の大半はザイール人、つまり黒人だが、宗教的にはイスラム教徒である。したがって、同じ黒人でも敬虔なクリスチャンのフォアマンより、ムスリムのアリを応援するのは当然である。周囲の声援を味方につけたアリは、幾度となくフォアマンをののしり挑発した。

 運命の八ラウンド、疲労困憊のフォアマンはアリのコンビネーションを浴び棒立ちになったところを渾身の右ストレートでフィニッシュされた。前のめりにフロアにダイブしてゆくフォアマンを見守るアリも信じられないような表情を浮かべていたのが印象的だった。

 明らかにアリの作戦勝ちだったが、ディック・サドラーはフォアマンがセコンドの指示に従わなかったことを敗因に挙げていた。四十勝無敗(三十七KO)という完璧なレコードと、史上空前の五百万ドルのファイトマネー(当時のレートで十五億円)が忠誠心を蝕み、傲慢という病巣を心に植えつけたのかもしれない。

 

 アリ戦の敗北でカリスマ性を失ったフォアマンには、もはや対戦相手を戦慄させるほどの威圧感はなくなっていた。

 一九七六年一月二十四日のカムバック第一戦では、四ラウンド一分過ぎに囚人あがりの強打者ロン・ライルからダウンを奪いながらも詰めが甘く、ラウンドの残り四秒に浴びた右フックでダウンを奪い返されるという不手際を演じている。

 フレージャーやノートンですら最初のダウンを喰った後は完全に怯えていたものだが、ライルは違っていた。完全にグロッギーになりながらも抵抗を続け、最後まで起死回生の逆転KOを狙っていた。

 これはアリからKOされたことでフォアマンの怪物性が薄れたことによるものだろう。フォアマンもただの人間である以上、パンチで倒せるはずであることをライルは悟っていたのだ。

 この試合は、本気で怒り狂ったフォアマンの猛打を浴びたライルが五ラウンドでナックアウトされたが、試合としては見どころ十分で、『リング』誌による年間最高試合に選ばれている。

 その後もフレージャーとのリターンマッチを始め、全ての試合をKOで終わらせてきたフォアマンだったが、格下相手にもたつくことも多く、全盛期を知る者にとっては抜け殻同然だった。

 そして一九七七年三月十七日、ジミー・ヤングから最終ラウンドにダウンを奪われての判定負けという失態を演じ、リングを去った(これも年間最高試合に選出された)。

 ダウンを奪われた後、リング上で神の啓示を受けたというフォアマンは引退後、伝道師となったが、教会の建築に携わっていた時、信用して経理を任せていた人物から資産を騙し取られてしまい、建築費用捻出のため再びリングに帰ってきた。

 

 一九八七年三月九日、十年ぶりにリングに戻ったフォアマンはすでに三十八歳になっていた。スキンヘッドで腹も出ていてまるで道化師のようだったが、二線級のボクサー相手ならば十分に通用した。再起後、二年間で十九戦全勝(十七KO)というのは、ロートルボクサーにしては立派な数字だが、所詮は往年のスターによるドサ回り興行に過ぎず、ある程度まとまった金が稼げたら潔く引退するだろうと誰もが思っていた。

 ところが一九九〇年に入り、ゲーリー・クーニー、アディルソン・ロドリゲスといった一流どころまで片付けてしまうと、話が変わってきた。周囲もフォアマンが本気で世界王座を狙っていることを認めざるをえなくなった。

 当時のフォアマンは全盛時代のようなスピードも迫力もないが、かつてはなかった狡猾さを身に付けていた。大好物のハンバーガーをたらふく食べ、減量など見向きもしなかったため、身体はかなり肥大していたが、再びコンビを組んだアーチ・ムーア直伝のクロスアームブロックで顎だけを防御し、ボディは勝手に打たせる戦法が功を奏した。

 筋肉の上を脂肪のクッションが覆ったフォアマンのボディは力士のように頑強で、並の強打者のパンチではびくともしなかった。しかも動きがスローなのをいいことに相手が不用意に接近してくると、死角からショートアッパーを突き上げてくるのだ。

 肥満して動作が緩慢なところに騙された相手は、予想外に速いショートの餌食となりマットに沈んでいった。

 世界ランキング上位に進出したフォアマンは、イベンダー・ホリフィールド、トミー・モリスンに判定で敗れタイトル奪還はならなかったが、一九九四年十一月五日、三度目の正直で挑戦したWBA・IBFヘビー級チャンピオン、マイケル・モーラーから逆転KOでタイトルを奪い、何と二十年ぶりに世界王座に返り咲いたのである。

 フィニッシュブローは必殺の右ショート。一発でモーラーが失神するほど強烈な一撃だった。

 四十五歳九ヶ月での世界戦勝利は、ボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の四十歳三ヶ月を大幅に更新する偉業だった。その後、バーナード・ホプキンズ(ライトヘビー級)が四十九歳三ヶ月という信じられない記録を作るが、そもそもライトヘビーというのは新設当初より不人気階級ということもあってヘビー級という無差別級と同列で比較するのは無理があるかもしれない。

 ホプキンズがスプリットで辛勝したベイブット・シュメノフ(カザフスタン)はWBA王座を5度防衛したスーパー王者だったが、対戦時の戦績は十四勝一敗(九KO)に過ぎない。これを見てもライトヘビー級の層の薄さは明らかである。

 これに対し、フォアマンがKOしたモーラーは、ライトヘビー級あがりとはいえ、一流王者ホリフィールドからタイトルを奪ったサウスポーのハードパンチャーで、三十五勝〇敗(三〇KO)というフォアマンが初の世界戦に挑んだ時と遜色のない素晴らしいレコードを引っさげての防衛戦だった。

 その強さが本物であることを証明し、一躍「中年の星」となったフォアマンには、マイク・タイソン戦など、さらなるビッグマッチが期待されたが、本人はあまり乗り気ではなく、ほとんど無名のアクセル・シュルツとの防衛戦を強行したため、WBA王座は剥奪されてしまった。そのうえ、パンチのないシュルツに散々てこずった末の判定勝ちと出来も悪く、商品価値も大幅に下落した。

 帰ってきたフォアマンは、モーラーをKOしたことでもうリングで証明することはなくなったと思ったのだろう。以後の試合は趣味でボクシングを楽しんでいるかのように見えた。 

フレージャーが逝き、アリが逝き、フォアマンまでが鬼籍に入るとは・・私は彼らの全盛期をリアルタイムでは観ていないが、みんないい年になってもカムバックして夢を追い続けていたので、あまり遠い昔のボクサーという印象はない。中年のフレージャーが二回りもごつくてマッチョなカミングスと真っ向から殴り合っているところや、スピードの衰えたアリが全盛期のホームズに必死に立ち向かっている姿はまだ良く覚えている。ついこの間まで老いてなお大観衆を熱狂させるパフォーマンスを見せていた異常に元気な中年男たちが、もう屍になっているとは、何と人生の短いことだろう。

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