ある少女の戦争記〜16歳のあの夏の思い出〜
おばあちゃんがしてくれた戦争の話を
少し長めの物語にさせていただきました。
良かったら見てね。
ただ残酷な描写があるのでご注意ください。
※本来の方言だと読みにくいかと思われるので変更しております。ご容赦ください。
──語り:原田 依子(96歳)
あの夏の午後の事は、今でもよう覚えとるんよ。
なんて事ない日常のはずやったけど、空気がちょっと、違っとった。
重いっていうか……息が詰まるような、そんな感じ。
昭和二十年、七月三日。
私は十六歳。女学校の三年生やった。
終戦まで、まだひと月以上あった──
けど、その時はもちろん誰も、そんな未来の事なんか知る訳ない。
その日は朝から蝉がよう鳴いとった。
日陰におるだけで汗が噴き出すような暑さで、台所では母が梅干しを干しながら、
「ほんまに今年の夏は暑いなあ」って、ぼやいとったわ。
学校はもうろくに授業もなくて、先生も「空襲の心配は東京や大阪ばっかりやけん、大丈夫や」と笑うだけ。
けど、近所の年寄りらは口を揃えて言うとったんよ。「最近、B29が見えとるらしいぞ」って。
それ聞いた時、私は何か、胸がザワッとした。
胸の奥を氷みたいな指で撫でられたような、嫌な感じやった。
午後になって、風も止んでしもうた。
蝉の声しかせん。町はいつもより静かでな……
あの静けさが、今思えばいちばん怖かったんよ。
まるで何かが「来る」前の、呼吸を止めたみたいな空やった。
午後四時二十三分。
ずっと遠い南の島、マリアナ諸島から、五百機以上のB29が飛び立った。
うちら高松を目指して飛んできよった百十六機が、その中に混じっとったらしいけど、
そんなん、誰も知る由もなかった。
うちらはただ、晩の支度をしとった。
「今夜も芋だけやな」なんて話してただけや。
家の裏の防空壕は、じいちゃんが毎日土を掘り返して深うしとった。
「焼夷弾がきたら、水じゃどうにもならんけんな」って。
でも私は、そんなもんほんまに使う日が来るんやろか、って、半分は疑っとった。
晩ごはんを食べ終えた頃、空は薄曇りになっとった。
母が「洗濯物、取り込もか」と言うて外に出た時、遠くの空に、音がしとった気がする。
けれどそれがなんなのか、私はよう分からんかった。
その夜、私は蚊帳の中に入って、畳の上で寝転びながら、父のいびきを聞いとった。
次の日もきっと暑いやろなぁ、って思いながら。
──まさか、その夜のうちに、うちの町が、地獄みたいに燃えるなんて。
──まさか、家族と、焼けた地面の上で、手を取り合って逃げまどうなんて。
私はまだ知らんかった。
「普通」の日々が、どれほど脆いかなんて。
ただ、あの静かな午後の空が、何かを黙って告げとった事だけは、忘れられへんのよ。
○○○○○
あの夜の事を話す度に、今でも耳がキーンとする気がするんよ。
まるで、あの時の空の音が、今も耳の奥にこびりついとるみたいや。
昭和二十年七月四日。
午前二時五十六分。
私は蚊帳の中で寝とった。
でも、眠れてはいなかった。
空気がぬるいのとも違う、何か、嫌なもんが肌にまとわりつく感じがしてね。
その時や。
「……ドォン……ドォン……」
耳を疑った。
雷でもない。地響きみたいな低い音が、どこからか伝わってくる。
父が跳ね起きた。母も、私も。
「依子!起きなさい!」
窓の外、空が一瞬光った。
──そして、空が割れた。
焼夷弾の雨やった。
それがほんまに「雨」みたいに、町じゅうに降ってきた。
音が鳴ったと思った瞬間、どこかの家が燃え出していた。
風に煽られて、火はすぐ隣にまで来る。
高松の空襲は、空襲警報が出た後、いったん解除されとった。
「大丈夫や」って布団に戻った人もおったらしい。
でもそれが、不意打ちやったんよ。
空からは、黒い大きな影が何機も何機も……B29。
その腹の下から焼夷弾がどんどん落ちてくる。
私の目には、まるで機械の神様が怒っとるみたいに見えた。
この日とは別の日の話だがB29は、巨大な影の中に、ちっちゃい窓が並んどるんやけどな、誰かが中からこっちを見て、笑っとった──って、そう言う子もおった。
それがほんまかどうかは、今となっては分からん。
けど、「遊び半分で撃ってきた」って、あの時言うてた男の子の声は、忘れられへんのよ。
そんな奴らが今度は遊び半分ではなく、私らを殺しに来たんだ。
私は母と手をつないで、父の後ろを走った。
背中から、何かが弾ける音が追いかけてくる。
目の端に、人影が倒れるのが見えた。
子供やった。白い浴衣に、赤い火が落ちた。
声が、出んかった。
「依子、こっちや!」
父が叫んで、家の裏の防空壕へ私らを押し込んだ。
中は蒸し風呂みたいで、息苦しい。
でも外に出る勇気なんて、ある訳がなかった。
外の音は、しばらく止まらんかった。
焼夷弾の破裂音。何かが倒れる音。誰かが泣く声。
けど、もっとも恐ろしかったのは──“音が消えた”瞬間やった。
シン、として。何も聞こえんようになった。
その時私は思ったんよ。
「町が、無くなったんかも知れん……」って。
夜が明け始める頃、父が「出よう」と言った。
私は母の手をぎゅっと握ったまま、震えながら地上へ出た。
──高松の町が、赤く染まっとった。
朝焼けの赤と、燃え残りの火の赤が混じって、
どこまでが空で、どこまでが地面か分からんかった。
瓦礫の向こうで、女の人が叫んでいた。
「子どもが! 子どもが焼けとる!」って。
その時の匂い、鼻から離れんのよ。
焦げた木と布と……人の皮膚の匂い。
それが、「空襲」ってもんやった。
──十六の私は、初めて本当の意味で「戦争」を見た夜やった。
○○○○○
空襲の夜、家を出てから、どれくらい走ったんやろ。
時間の感覚なんか、どっかに吹き飛んどった。
高松の町は、もう町やなかった。
地面が燃えとった。風が火を運んどった。
目の前で家が、まるで紙細工みたいに崩れていく。
炎の中で、泣きながら手を伸ばしてくる人。
真っ黒な影になって倒れてる人。
「水……水は……」
そう言いながら、服も焼けて素肌になった女の人が、道路を這うて進んどった。
皮膚が垂れ下がっとって、誰かも分からんかった。
父は私と母を連れて、栗林公園の方へ走った。
あそこなら木が多い。水もある。まだ助かるかもしれん、そう思ったんやろ。
けど、着いた時には──そこも、地獄やった。
栗林公園の外堀。
普段は鯉が泳いどる穏やかな水の場所や。
そこに、沢山の人が飛び込んどった。
火に追われて、火傷して、水に逃げたんや。
でも、水はぬるかった。
それどころか、熱を持って沸騰寸前やった。
やけどした皮膚のまま入った人は、逆に水の熱で……命を落としとった。
目の前で、男の人がうめきながら堀に飛び込んだ。
すぐに、水面が赤う染まった。
母が目を覆って、「見たらあかん!」と私を抱きしめたけど、私は見てしもうた。
水の中で、髪の長い女の人が──もう、動かんなった赤ん坊を抱いたまま、目を閉じとった。
「死体を……堀から上げてくれ!」
誰かが叫んどった。
でも、その声もすぐに別の悲鳴にかき消された。
火は、北から南へと町を焼いた。
まるで、誰かが火の筆で絵を塗りつぶすみたいに。
火のついた紙が風に乗って舞い、どこにいても、安心なんてできん。
その時、栗林公園の中のとある場所で、
焼け死んだ人たちの遺体をまとめてって話がある。
あまりにも、死体の数が多すぎて、誰が誰かも分からん。
それでも、衛生のため、苦渋の決断やったんやろ。
私はそれを直接は見てへん。
けど、後から聞いた。
「焼けた人を焼く」て、どんな気持ちなんやろうなって、
十六の私は、それを想像するだけで、震えが止まらんかった。
火の海の中、私は母の手を握っていた。
焼けて赤くなったその手が、今でも私の記憶の中で、いちばん強くて、あったかいんよ。
○○○○○
空襲の夜が明けて、空が白うなったころ。
私ら家族は、どうにか公園の近くの空き地に避難しとった。
母の足には火傷があって、父の手も真っ赤やったけど──生きとった。
それだけで十分や、って思うようにしとった。
けど、うちは焼けた。
うちだけやない。
町の八割が灰になっとったんやけん、燃えてへん家なんて、ほんのひと握り。
その日はどこも焼け焦げとるし、煙とすすで真っ黒。
誰かが倒れとっても、それが死んどるんか寝とるんか、分からんような有様やった。
数日して、疎開していた子供たちが町に戻ってきた。
田舎に預けられとった、近所の子や。
その中に、私の友たちの妹──由美ちゃんがおった。
まだ十歳にもならんくらいの、小さい子やったけど、しっかりした子でな。
由美ちゃんは、疎開から戻って自分の家を見に行ったんよ。
その時、家の中は黒こげやった。
でも風呂場だけが、なぜか焼け残っとった。
そこには──
──両親が、ふたり並んで倒れていたんや。
息を引き取っとった。
やけどで、身体のあちこちがただれていて、もう顔も分からんくらいやったらしい。
「風呂に……入ったんやろな」って、由美ちゃんは呟いとった。
あの暑さや、あの火の中で、火傷の痛みがあまりにも辛うて、
せめて水で冷やそうとって、風呂に入ったんやろな。
でもな、その後の話を聞いた時は、ほんまに胸が締めつけられたんや。
その家の、由美ちゃんのおじいちゃん。
生きとったんよ。年はとっとったけど、しっかりした人やった。
でな、その人がこう言うたらしいんや。
「風呂場が……臭い。汚い。もう見とれん。鳥小屋に捨ててくれ。」
風呂に倒れて亡くなった、息子夫婦の遺体を──鳥小屋へ運んだんやと。
あまりの臭気と腐敗で、耐えられんかったんやろ。
けどな……その話を聞いて、私はしばらく口がきけんようになった。
それは、戦争が「人の心」をどう壊していったかの、ほんまの姿やった。
命が軽うなった。
死が、どこにでも転がっとる毎日で、
人は生きとるだけで精一杯やった。
けど、それでも。
私は思ったんや。
“あの風呂場で、手を握って並んで死ねた事が、せめてもの救いやったんやないか”って。
例え誰にも見つけられんかったとしても、
誰にも看取られんかったとしても、
一緒におれたなら──。
そう信じたいんよ、私は。
○○○○○
戦争が終わった日、昭和二十年の八月十五日。
あの日、私はまだ十六歳やった。
街中は「終戦だ」と騒いどったけど、心のどこかで何かが終わってない気がしとった。
それから数日後の事や。
近所で、誰かが大声で叫びだしたんや。
「空襲だ! 空襲が来たぞ!」
その声を聞いて、みんな防空壕に飛び込んだ。
私も母と一緒に、暗い壕の中に隠れた。
外は昼間やったのに、みんな動揺しとって、パニックになっとった。
でも、そこに郵便屋さんがやって来た。
「何しとるんや? もう戦争は終わっとるぞ」って、優しい顔で言うたんよ。
でも、空襲だ!と叫んだ男は、どうやら戦争が終わった事を信じられんかったんや。
その男は、ずっと「まだ戦争は続いとる」と思い込んどった。
終わりの見えん戦争の恐怖と、心の傷が、彼を狂わせたんやろな。
私も、その男の事を見て思ったんや。
戦争は終わっても、心の中にはまだ戦争があって、
その影が人を追い詰めてしまう事があるって。
戦争は、人の身体だけじゃなく、心も深く壊す。
見た目は普通でも、中にはまだ爆弾が爆発しとるみたいに揺れとるんや。
私も、そういう気持ちを抱えながら、日々を過ごしとったんやと思う。
終わったはずの戦争が、まだ私たちのそばにあった。
○○○○○
空襲が終わって、焼け跡の町を歩くと、どこもかしこも瓦礫ばかりやった。
崩れた屋根、焼け焦げた柱、炭になった畳の匂い。
町の空気はまだ熱くて、胸の中まで焼けそうやった。
そんな中で、私は見つけたんよ。
小さな赤ん坊やった。
一人で、瓦礫の間に座っとった。
涙で顔がぐちゃぐちゃで、手も足も小さくて、でも目だけはしっかりこっちを見とった。
どこの子かは分からんかった。
母親も父親も、いなかった。
その子はまるで、町の中にぽつんと咲いた花みたいで、この絶望の中で、ただ一つの希望のように思えたんや。
私はそっとその子の手を握った。
「大丈夫やよ。ここから一緒に生きていこう」って、声にならん声で言うた。
でも、心の奥では、私も分からんかった。
こんな世界で、本当に未来はあるんやろうかって。
けど、その子を抱えて、私は前に進まなあかんかった。
焼け跡の中で、私たちは少しずつ生きる術を見つけていった。
戦争は沢山の物を奪うた。
でも、希望だけは、失わんとこな──と、私は強く思うたんよ。
○○○○○
焼け跡の町は、少しずつ動き始めた。
人々は瓦礫をかき分け、焼け焦げた家の中から、なんとか使えるものを探し出していた。
でも、町はまだ静かやった。以前のにぎやかさは、どこへ消えたんやろうか。
みんな、声を潜めて歩いとった。
笑う事を忘れた人も多かった。
私たちも、そんな大人たちの顔を見て、なんとなく居心地が悪かった。
戦争は目に見える傷だけじゃない。
心の奥に隠れた、深い影を残すんや。
怖いのは、誰もその影に気づかん事やった。
ある日、友たちの家に遊びに行った。
お母さんが、じっと窓の外を見つめとった。
「また空襲が来るんじゃないかって、怖くて……」って、震える声で言うた。
私は言葉がなかった。
もう終わったはずの戦争が、まだ人の心を縛っとる。
それがいちばん辛かったんよ。
私は、そういう「見えん傷」も、これからずっと背負っていくんやろなと思いながら、
毎日を過ごしとった。
○○○○○
焼け跡の町に、少しずつ新しい命が芽吹き始めた。
焦げた土の隙間から、小さな草が顔を出して、風に揺れていたんや。
お寺の境内では、住職さんが毎日祈りを続けていた。
「一日も早く、平和な日々が戻りますように」と。
その祈りは、私たちの心の支えやった。
子供たちも、笑顔を少しずつ取り戻し始めた。
けれど、大人たちの背中はまだ重くて、何かを背負い込んどった。
私も、そんな大人たちの中で、未来を信じて歩く事を覚えた。
小さな祈りが集まって、やがて大きな希望の光になると信じて。
あの戦争の痛みは、決して忘れてはいけない。
でも、それと同時に、私たちは再生の道も歩いていかなあかんのやと思う。
○○○○○
今、こうして九十六歳になった私が話すのは、ただ昔の出来事を思い出す為だけやないんよ。
若い人たちに伝えたい。
戦争は、どれだけ多くの命を奪い、どれだけ心を壊すかを。
私らの世代は、直接戦争を経験した最後の世代になっていく。
それでも、記憶を消してはいけない。
忘れたら、また同じ過ちを繰り返してしまう。
若い人たちが、平和を願い、尊ぶ気持ちを持ち続けてほしい。
そして、誰もが他人の痛みに寄り添える世の中になってほしい。
私の話が、ほんの少しでも何かの役に立つなら。
それが、私の生きてきた証なんやと思う。
戦争は過去の話じゃない。
今もどこかで苦しむ人がいる。
だからこそ、語り継ぐ事が必要や。
私はこれからも、声が続く限り、話し続けるつもりや。
誰かが耳を傾けてくれる限り。
○○○○○
今、こうして96年の歳月を経て、あの戦争の日々を振り返ると、胸の奥から熱いものが込み上げてきます。
あの頃の悲しみは消える事はないけれど、同じくらい強く、私は希望の灯火を見つめています。
戦争が奪ったものは、計り知れません。命も、夢も、未来も。
でも、それでも私たちは立ち上がり、傷ついた大地に新しい命を育みました。
痛みを背負いながらも、人は前を向く力を持っているのです。
若い世代の皆さん、どうかこの小さな灯火を絶やさないでください。
例えどんなに小さな光でも、それが集まれば、暗闇を照らす大きな光になります。
平和の灯は、私たち一人ひとりの心の中でともされ、未来へと受け継がれていくのです。
命の尊さを、愛する事の大切さを、戦争の悲劇を決して忘れず、
そして何よりも、優しい心を持ち続けてほしい。
私はこれからも、自分の体験を語り続けます。
どこかで誰かがその声に耳を傾け、心を動かし、未来の平和の為に歩みを進めてくれるなら、
それこそが私の人生の意味であり、戦争を乗り越えた者の願いです。
どうか皆さん、共に平和の灯をともしましょう。
その灯が、時代を越えて希望の道しるべとなりますように──。
ーー終ーー
いつまでもこの平和が続きますように……