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出陣

 レインさんから仕事の話を聞いてから十日程経った夜。私はレインさんに坂の上食堂へと迎えに来てもらい、共にニュリード邸に向けて歩いていた。


 隣を歩くレインさんはフードを目深に被って存在感を消して歩いている。隣にいるのに足音すら聞こえないほどだ。


 これも追っかけの女性対策で身についたものなのか、それとも兵士ならではなのだろうか。よく考えてみたら今世で男性と共に歩いたことは記憶の限り父としかなく、他と比べようもない。


 しばらく沈黙が続いたあと、レインさんが口を開いた。


「お父上は上手く説得できたのか……?」


 レインさんはフードの中で訝しげな顔をしている。きっと出る前の父の顔を思い出しているのだろう。


「あそこ以外で働いたことのない娘が心配なんでしょう。でも、子離れはいつかしないといけませんから」


 実際、父は私がニュリード邸の侍女になりたいと言うと渋い顔をした。どこから聞いたのか、リオナがニュリード家に嫁ぐと知っていたようだ。


 それでも父は、私が男性相手の接客が満足にできず、これ以上坂の上食堂では働けない、と説明すると、思い当たるところはあったようで結局は止めずに見送ってくれた。さすが父は娘の様子に気づいていたようだ。


「君は時々達観したようなことを言うな。俺よりも年下だと言うのに」

「あはは」


 ニュリード家の侍女に応募するに当たり、私は自分の年齢をレインさんに伝えた。その時にレインさんは私のニつ年上の十八歳で、ニュリード家のビクトル様は十九歳だと教えてもらった。


 私の年齢は十六歳だけれど、前世の私は少なくとも四十代前半までの記憶はある。レインさんは達観した、と言ってくれたけれど、おばさんっぽい思考が混じるようになったのは否めない。


 そんな今の私は、自分としては結構好きだった。何もないのに常に何かに怯えていた今までと比べ、人間というものを思い出した気分で、とても生きやすい。


 歳を取るごとに生きるのが楽になると聞いたことがあるが、それは本当だと思う。知識と経験があると、漠然とした恐怖がなくなっていくのだ。


 私達は今、ニュリード邸に向けて歩いている。石畳の坂道は夕陽を受けて赤く染まり、遠くから鐘の音が響いていた。


 坂の上食堂はロジールの街の中央やや北西寄りに位置しているのに対し、ニュリード邸はさらに北に位置する。


 坂ばかりの街で慣れてはいるが、延々と登っていかなければいけないので息が切れる。さながら登山だ。


 隣を歩くレインさんは兵士なこともあってか流石に体力がありそうで、息を切らさずに歩いている。


「レインさん、ビクトル様のことを聞いてもいいですか?」


 荒い息を吐きながら私は尋ねた。私はこの後、ニュリード邸にてビクトル様と、執事、侍女頭の三名との面接に臨む。事前に情報を得ておくに越したことはない。


 面接に受からなければ、せっかくのリオナに仕えるチャンスも台無しなのだ。これでも少し緊張している。こんなチャンスなど、もう二度とないだろうから。


「ビクトル様、か」


 レインさんは苦い顔をする。そういえば仕事の話をしてくれた時に、レインさんはビクトル様のことを"やつ"と呼んでいた。


「レインさんとビクトル様はあまり仲が良くないんですか?」

「そういうわけではなく……なんと言えばいいか」


 レインさんは困ったようにしばらく逡巡する。レインさんは話をする時とても慎重で、言葉を選んで伝わるように喋ってくれる。


「ビクトルは貴族っぽいやつではない。孤児の出だから、というのもあるだろうが、偉ぶったりしない。貴族でない俺と対等に接する程に」

「……なるほど」


 つまり「ビクトル様」と私が敬称で呼ぶことに違和感があった、ということなのだろう。


「ニュリード伯爵家は代々兵士の家系で、先代は騎士まで上り詰めたらしい」

「騎士、というと王城の警備を任される人達、でしたっけ?」

「そうだ」


 兵士が昇格した先が騎士と呼ばれる。広いヴァルダーナ王国の中でも一握りのエリートということだろう。


「ニュリード伯爵には娘が二人いるんだが、男児には恵まれなかったらしい。孤児院で最も体力があり、運動神経もよかったビクトルが養子に選ばれた。ビクトルは剣術も優れているからいずれは出世も、と見込まれているんだろうな」


 だから身分差のあるラインデル侯爵家からリオナが嫁いだということだろうか。貴族様の考えることはよくわからないけれど。


「現当主のニュリード卿は現在北方の国境の地で国境の警備の長をしている。本家に戻ってくるのは年に一度程のようだ」

「お父上も現役の兵士でいらっしゃるんですね」


 国境の警備とは兵士の中でもなかなかの緊迫感だろう。そこの取りまとめということはやはりニュリード伯爵家は兵士のエリート家系ということだ。


「ビクトル様は今回の侍女の採用でどのような人材を望んでいるかわかりますか?」

「人材、か」


 レインさんは少し驚いた顔をした。私はただ侍女を募集していると聞いて今日向かっているけれど、募集要項などは一切聞いていない。


 日本では求人に応募する時には当たり前に目にするそれがわからないので、こちらも対策の練りようがなかった。私はそれが不安なのだ。


「住み込みでリオナ様のお世話を、とのことでしたが、具体的には屋敷の掃除や炊事、洗濯などをすればいいのでしょうか?」

「俺も詳しくはわからないが、そういうことだろうな。あいつは俺よりも身の回りのことに無頓着で、食事も食べられればいい、寝る場所さえあればいい、といった具合だから、ビクトルのことは適当でいいだろう。リオナ嬢が快適に暮らせるようにしてやればいいんじゃないだろうか」


 それなら私にはぴったりの仕事だ。亜子のお世話は生まれた時からやってきたのだから。


 家事も前世の知識があるし、今世で父の調理するところを見てきたのでこちらの食材や調味料などもある程度わかる。私にできないことはなさそうだ。


 ビクトル様は割と無頓着な人であるとわかったので人柄採用になるだろうか。そうだとしたら、少しは希望がある。


 あとは執事と上司になるであろう侍女頭の心象はよくしておきたいところだ。


「着いたぞ」


 レインさんに言われて私は背筋を伸ばす。絶対に落ちられない面接へ、いざ!

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