西方砦の入街管理官
昼営業が滞りなく終わり、数時間の休憩の後に夜営業が始まった。夜営業は酒を飲みにやってくる客がほとんどで、回転率は悪いが客単価は上がる。
仕事の観点で言えば夜は酔っ払いのおじさん率が上がるので、話しかけられることも多くなる。私はそれが嫌で、夜営業は憂鬱なのだった。
しかし、リオナの情報を聞き出したい今となってはチャンスだ。酒が入った客は口も軽くなるし、滞在時間に応じて会話時間も長くなる。
今日も客席は五割ほど埋まっていて、仕事帰りの男達で賑わっていた。
カウンター席の二人組は近くの肉屋と酒屋の店主、一人でしっぽり飲んでいるのは革職人。テーブル席には元漁師のおじいさん二人組だ。
夜営業にやってくるお客さんは頼まなくても仕事や住まいなどなんでも喋ってくれる人が多い。今夜のお客さんも馴染みの顔ぶればかりだった。
(リオナのこと、知ってる人はいなさそうだなあ)
貴族と関わりそうな仕事の人はいない。
お客さん相手にがっかりするのも失礼というものだが、どうしてもそんな風に思ってしまう。まだ一日目だ。焦るものでもないのだが。
その時、出入り口の扉が開く。
「いらっしゃいませ」
「アイリスちゃん、こんばんは」
入ってきたのはこれまた常連のおじさんだ。細身のおじさんは例に漏れず店員との会話を楽しむタイプだ。
「ふーっ、今日も疲れたよ。いつものね」
「かしこまりました」
私が父に注文を伝えることもなく、既に父はコップに酒を注いでいるところだった。このおじさん、コールさんは西方砦の入街管理官をしている。
ロジールの街は西方、北方、南方に砦があって、それぞれの砦に入街、入国管理官がいて身分の確認などを行ってから砦内の街に入ることができるのだ。西方は王都からの来訪者ばかりなので、一番揉め事が起きづらく、楽な仕事なんだと前に話してくれたことがある。
「お待たせしました」
いつものお酒とお通しをカウンターテーブルに置く。今日のお通しは揚げたじゃがいもにきのこを和えた一品だ。
「ありがとう」
コールさんはごくごくと一気にお酒を三分の二ほど飲み干す。私はお酒は飲めない歳だし前世でも弱かった。だけど、こう美味しそうにお客さんがお酒を飲んでいると羨ましいなとよく思う。
「同じのもう一杯とレモン餅を」
「かしこまりました」
注文を通すとコールさんが早速話しかけてきた。
「いやぁー、今日も疲れちゃったよ」
「お疲れさまです」
「ここに来て大将とアイリスちゃんの顔を見ると帰ってきた! って感じがするな」
コールさんの話を笑顔で聞きながら頭の中ではリオナに繋がることを考える。
ラインデル伯爵は王都で医局の管理官をしているため、王都に住んでいるはずだ。ただ、家族はこのロジールに住んでいるため、時々は帰ってきていると父が言っていた。
と、いうことはつまり、西方砦の行き来が頻繁にあるはずだ。コールさんは直接ラインデル伯爵を見かけている可能性が高い。
父の目もある。突然その話を聞くのは褒められたことではないと思うが──
「はぁ」
早くも一杯目のグラスを空けたコールさんは心なしか元気がないように見えた。いつもなら生まれたばかりの子どもの話や、職場の同僚の愚痴などおしゃべりが止まらないというのに。
情報を聞き出すにしてもまずは心を開くところからだ。そんな打算と共に私はコールさんに尋ねる。
「コールさん、今日はなんだか元気がないですね」
「……わかるかい?」
コールさんはその言葉を待ってましたとばかりにため息をつく。
「いや実はさ、最近うちのカミさんの様子がおかしいんだよ」
コールさんは二年前に結婚した妻と産まれたばかりの息子がいる。いつも愚痴ばかりこぼすけれど、家族の話をするコールさんからは幸せなオーラが漂っていたものだが。
「様子がおかしい、とは?」
「なんだか変なことを口走るんだよ。もうすぐ未曾有の災害が訪れる。俺や息子、自分でさえも逃れられない。だから今のうちに一生懸命祈らなければならない〜とかなんとか」
「……はあ」
たしかに雲行きが怪しくなってきた。
「その災害が訪れるっていうのは誰から聞いたんですか?」
「ヴァルダーナ王国を古くから守ってきた神と対話ができる神子がいて、その人が今危険を触れ回っているんだと。国王に訴えても国王は古き神の存在を信じないから国民にこの情報が出回ることはない、口伝で伝えていくしかないと」
「ああ……」
よく聞くような話だ。あくまで前世の私が、だけれども。
「もしかして、その難から逃れるには、神子のパワーが宿った何かを高いお金を出して買わなきゃいけないんじゃないですか? 例えば壺とか、アクセサリーとか」
「なんでわかるんだ!? アイリスちゃんもその神子を知ってるのかい?」
「知りません。けど、きっとそういう手口だろうな、と」
まさか転生した、ファンタジーのような世界にも新興宗教みたいな詐欺が横行しているなんて。同じ人間なら考えることも同じなのだな、と思うと少し笑えてくる。
「コールさん、差し出がましいことを言うようですが、奥様とお話してみてはどうですか?」
「その神子は信頼できるやつなのか? ってのは既に聞いたよ……でももう頭っから信じてるみたいで、俺の話なんか聞きやしない。それどころか俺が平和ボケしてるだの、早く目覚めた方がいいだの怒ってきやがる」
「そういうお話じゃなくてですね」
興奮状態のコールさんに落ち着いてもらうように静かに続ける。
「たしか奥様は赤ちゃんを産んだばかりでしたよね?」
「そうだ、もうすぐ一歳になる」
「コールさんは育児に参加していますか?」
「息子のことはカミさんに任せてるよ。俺は仕事が忙しいし、子供を育てるのは女の役目だろ?」
「そうですか……」
コールさんは昭和の男みたいな発言をする。コールさんが特別横暴なわけではなく、このヴァルダーナ王国ではこれが普通なのだ。
前世では"イクメン"なんて言って育児に参加する男性を持て囃したりしたものだが、まだヴァルダーナ王国はその域にない。男が働き、女が家を守る。そういう価値観が一般的だ。
「それとこれと何の関係があるんだ? 俺は息子の話じゃなくて神子の話をきてるんだが」
コールさんが苛立ちを滲ませながら言う。私は言葉を選びながら続ける。
「奥様がなぜ神子のことを信じているのか、その神子は怪しいやつじゃないのか? ってことですよね? 奥様の精神状態が不安定だからじゃないかな、と私は話を聞いていて思ったんです」
「息子のせいだって言うのか?」
「この時期の女性って大変なんですよ。夜泣きや授乳で自分のペースで生活することはまずできないし、家にいる時間が多いのにやることも多いし、その上話ができる大人もコールさんくらいしかいないですよね? でもコールさんはお仕事が忙しい。赤ちゃんもどんどん大きくなりますが、そうすると不安や悩みは次々と襲ってきます。息抜きの時間もなかなか取れなくて煮詰まってくるんです」
私も亜子を産んだばかりのころは大変だったなあと懐かしく思い出す。過ぎ去ってしまえばあっという間なのだが、実際その時を過ごしていると長く苦しく感じられたあの時間。
仕事をしているからと夫は頼れず、眠い目をこすりながら授乳をしていた夜中の孤独。せっかく作った離乳食を一口を食べずにひっくり返された悲しさ。
家族は大切で子どもも可愛くて、優しくしたい、丁寧に接したいと思った数秒後に心折られて限界になり、雑で冷たく接してしまい自己嫌悪に陥る夜。幸せなはずなのに辛くてたまらないもどかしさ。
それを一人で耐え続けた日々を思い出すと胸が苦しくなる。
「そういう時に自分の話を聞いてくれる大人が現れたらどうでしょう? きっと嬉しくて救世主のように感じるはずです。その救世主は信頼できる人と認定されてしまいますから、普通なら怪しい話だな、と判断できるような話もすんなりと信じてしまうんです」
「な、なるほど……」
コールさんは目から鱗のような顔をしていた。思い当たる節がいくつかあったのだろう。
「じゃあどうしたら……」
「その神子の話を信じているうちはコールさんが怪しいんじゃないか? と否定的なことを言ってしまえばコールさんを敵認定してしまうだけです。いまは神子の話は一旦置いておいて、奥様の育児の愚痴や不安を聞いてみるのはどうでしょう? コールさんがお子さんと二人きりで出かけて奥様に息抜きの時間を作ってみるのもいいかもしれません。そうして奥様が冷静になったタイミングで神子の話を切り出すのはどうでしょう? 頭から否定するのではなく、例えばコールさんも神子に一緒に会いに行ってみるとか、それで感じた素直な感想を少しずつ伝えてみるんです。その方が奥様も受け入れやすいと思います」
「なるほど……」
私の話はコールさんにすんなり受け入れられているようで、殊勝に頷いている。
「産後の恨みは一生、なんて言います。コールさんのお仕事が忙しいのは十分にわかりますが、それ以外の時間を奥様に注ぎ込むのも素敵なことだと思います。これからも家族で仲良くやっていくためにも老後、奥様と穏やかな時間を過ごすためにも、今できることを一生懸命やるのがいいと思います」
私には訪れなかった夫婦の幸せな時間。コールさんと奥さんには信頼し合える夫婦関係が築けたらいいな、と思う。
前世の私の勝手なお節介だ。
「……ありがとう、アイリスちゃん」
コールさんはしばらく考え込んだ後でしっかりと頷いた。
「アイリスちゃんは普段あまり話さない子だけど、こんなにしっかりとした考えを持った子だったんだね……感心したよ」
(そりゃ私は人生二度目ですからね)
決して口にはできないがそんなことを思って苦笑する。前世の私は今のコールさんより長く生きていたはずだし。
「今度はカミさんと息子を連れて坂の上食堂に来てもいいかな?」
「もちろんです! 外食するのも奥様のいい気晴らしになると思いますよ」
「そうかな」
コールさんは少し照れたように笑った。
「今日は本当にありがとうな」
コールさんは食事をささっと平らげてすぐにお会計をして席を立つ。お客さんも少なくなってきたので、私は店の外までコールさんを見送りに出た。
「坂の上食堂にはずいぶん通ったつもりだったけど、アイリスちゃんに教えられる日が来るとはね」
コールさんは照れくさそうに頭を掻く。
「同じ女だからわかることもあるんだねぇ」
勝手に解釈して勝手に納得しているコールさんを微笑みながら見る。
「もしアイリスちゃんに男のことで悩むことがあったらすぐ俺に言ってくれよ! 相談に乗るからな!」
「そうだ、コールさん。恋愛の悩み、というわけではないんですが、聞きたいことがあるんです」
「お、なんだい?」
私は素早く辺りを見回すが、人通りはない。
「コールさんはお仕事でラインデル侯爵に会ったことがありますか?」
「ラインデル侯爵? そりゃよく西方砦を通るからね」
やっぱりコールさんはラインデル侯爵を知っていた。掴んだリオナへの糸口にごくりと喉が鳴る。
コールさんは今までのニコニコ笑顔が消え、渋い顔になっていた。それだけで嫌な予感しかしない。
「ラインデル侯爵は……コールさんから見てどんな人ですか?」
「横暴な金持ちだな。権力も金もあるから俺たちみたいな人間をゴミか何かだと思ってるんだろう。いつも西方砦を通る時は『俺の顔を見ればわかるだろう! さっさと通せ!』なんて言ってこっちを急かしてくる。きちんとした手続きをしないと怒られるのはこっちなのに」
「……なるほど」
知らない金持ちならそういうやつもいるよな、と白い目で見るだけだけれど、リオナの父親ともなると嫌な気持ちが胸いっぱいに広がる。リオナにも横暴な態度を取っていないだろうな。
「なんで急にラインデル侯爵のことを?」
「この前、大通りでラインデル侯爵の次女のリオナ嬢をお見かけしたんです。とても美しい人だったので気になって」
「リオナ様、か……」
「知っていますか?」
「知ってはいる。見たことはねえが……」
コールさんは顎髭を触りながらしばし逡巡する。
「確かラインデル侯爵のところには息子が一人、娘が三人いて、長女は王都の重役の息子のところに嫁いだとか。三女が第二王子と年齢が近いもんで、第二王子の妃になれるよう熱心に教育してる、なんて噂も聞いたことがある。次女のリオナ様は……あまり話を聞かないから器量が悪いんだろうなんて噂があって、兄妹の中で一番放置されてるとか」
「そんな……とても美しい方でしたけど」
「あそこはラインデル侯爵の妻がえらい美女だからな。息子と娘達も見た目がいいのさ。その中で比べると……ってとこだろうな」
「え!? そんなはず……」
腹の底に燃えるような怒りが湧き上がってきた。あんなに可愛いリオナは大切にされてないというのか! それをコールさんに訴えてもただの八つ当たりにしかならないので拳を握って口に出すのを堪えた。
「あくまで噂だけどな。実際のところはわからない」
「ありがとうございます。助かりました」
ラインデル侯爵家の家族構成がわかったし、リオナの置かれている状況も少しでもわかった。先程までの何もわからない状態から見たら進歩だ。
そしてリオナが──亜子が、現在幸せでない可能性が高まった。
「ラインデル侯爵は出世欲のすごい人で、子ども達のことも自分の駒としか思っていない、という噂もある。それでも俺ら庶民にしたら金持ちというだけで羨ましいもんだがな」
「そうですね……。コールさん、引き留めてしまってすみませんでした」
「いや、このくらいお安い御用よ」
コールさんはニカっと笑って「また来るよ」と、片手を振りながら去っていった。
リオナが今、幸せでないとしたら私に何ができるのだろう? まさか攫って逃げる、なんてこともできないし。
アイリスに転生したことを恨みはしないけれど、この庶民の立場で何ができるだろうか。でも、諦めるという選択肢だけはない。
幼い頃の亜子の笑顔が頭に浮かぶ。「ママ」と、笑顔でくっついてきてくれたこと、幼稚園のお迎えで私を見つけると嬉しそうに笑ってくれたこと。
あの笑顔を守る。それが親としての役目だ。