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状況を整理しよう

 自室に入ると私は薄い布団が敷いてあるだけのベッドに横になる。仰向けに寝転がって見慣れた天井を見つめると、ようやく正しく息ができた感じがした。


「まずは状況を整理しよう」


 今まで生きてきたアイリスとしての記憶に、急に前世の涼子としての記憶が流れ込んできたのだ。その上、前世の娘との再会と、急な出来事ばかりで頭が混乱していた。


 やるべきことを考える前に、まずは冷静に現状を把握しなければ。


 まず今世の私、アイリスのこと。


 私は王都と川を隔てた場所にあるロジールという街で生まれ育った平民の娘だ。母は私が幼い時に病で亡くなったようで残念ながら記憶にも残っていない。父メイデンに16歳まで大切に育てられている。


 父はロジールの路地裏で飲食店を経営している。ロジールは崖を切り拓いて造られたような街で坂道が多い。私と父の自宅兼店舗は中央区の坂の頂上付近にある。


 うちは酒も出す大衆食堂で、細かいことは気にしない父が特に店名はつけていなかったが常連客が坂の上食堂と呼ぶようになり、いつの間にかその名が店名となっていた。


 私はその坂の上食堂で看板娘をやっている。日本で言う小学校のような教育を受けるために粗末な学舎には通ったが、10歳の時には卒業しそこから6年間は働いていることになる。


 アイリスとしての私は父に似て寡黙で人見知りだったので接客業は得意ではなかったが、酔った客には父が対処してくれたし、それなりに充実した毎日を過ごしていた。


 さて、次に思い出した前世の私、涼子についてだ。


 長谷川涼子、日本人の両親の元に生まれた日本人だ。アイリスの記憶を辿ってもこの世界に日本という国があるとは聞いたことがない。


 それにこのヴァルダーナ王国にスマホ等の電子機器はなく、所謂異世界転生、と見ていいのではないだろうか。異世界転生ものの漫画をアプリで読んだことがあるのでなんとなくイメージはつく。


 涼子であった私は30歳で結婚、31歳で娘の亜子を出産した。夫の石田彗とは職場で出会って結婚、順風満帆な人生に見えた。


 潮目が変わったのはいつからだっただろうか。


 出産前は少し細かい部分はあれどしっかりして穏やかな夫だな、と思っていたのに、出産後にその細かさが攻撃性を持って現れるようになった。


 夫は私が思っていたより"ちゃんとしたい人"で、離乳食は手作り、娘が風邪を引いている時でも自分に一汁三菜の食事を用意することは必須で、部屋が常に整っていることを求めた。


 娘が赤ちゃんの頃はまだ我慢ができた。娘がだんだんと自我ができ行動範囲が広がってくると、その"ちゃんとしたい"を娘にも求めた。


 1歳でも外食の時は静かにし、食事は完食しなければならない。外では必ず手を繋ぎ、周りの人の邪魔にならないように歩く。


 それらができないとひどく厳しく怒った。時に、手を上げる程に。


「こんな小さい子にそこまで求めるのは厳しすぎるよ!」


 そう私が身体を張って訴えても「お前がそんな風だから亜子がこんなにだらしなくなるんだ!」と、矛先が私に向くだけ。亜子に上げられていた手が私に上げられるようになるのにそう時間はかからなかった。


 それでも亜子は父親を愛し、求めていた。だから、私もかなり我慢はしたのだけれど、結局亜子が小学校に上がるタイミングで離婚をした。


 アイリスとして転生した今も、思い返すと苦々しい思い出だ。なぜ私は結婚前に夫の本性を見抜けなかったのだろう。私が見抜けなかったせいで、亜子に寂しい想いをさせてしまった。


 いや、夫のせいだけではない。私に結婚が向いていなかったのだ。


 夫の幸せを考えられなかった。日々の忙しさのせいにして自分と娘を守ることだけに必死になってしまっていた。


 私の器がもう少し大きければ。私に夫の分まで思い遣れる優しさがあれば。


 何度となく私はそう自分を呪った。しかし、亜子は私に後悔を忘れさせようとしているかのように真っ直ぐに育ってくれた。


 夫の希望に反して幼い頃から自我が強く負けず嫌いで、嫌なことは嫌!と言う自分の意志をちゃんと持っていた亜子。離婚した後も寂しい想いをしただろうに、笑顔ばかりが思い出される。


 私が仕事で疲れていると身を案じて優しい言葉をかけてくれた亜子。親子二人三脚で慎ましいながらも温かな暮らしを築けていたと思う。


 そして──


「ん?」


 それで私と亜子はどうなったんだったっけ? 私はいつどうやって死んで、今アイリスとして生きているんだろう?


 しばらく思い出そうと奮闘するも、どうしても思い出せない。まだ記憶を思い出したばかりで不完全なのだろうか。


 とりあえず涼子がどうやって死んだのかは置いておいて、今、これからすべきことを考えよう。


 亜子は超お金持ちであるご令嬢のリオナという少女に転生したようだ。根拠はないが、間違いない。


 ラインデル侯爵家は庶民の私には手の届かないくらいの存在で、到底お近づきにはなれない。それでも幸せかどうかだけは確認したい。


 私に使える武器はこの坂の上食堂だけだ。うちの食堂には様々なお客さんがやってくる。


 砦の管理者、街の役人、近所のお店の経営者、噂好きのおばさん。会話が苦手なアイリスは今までおしゃべりなお客さんの相手をするのが苦痛だった。


 常連さんなら空気を読んで話しかけないでいてくれることもあったけれど、私が内気と知っていてもズケズケと話しかけてくる人もいる。


 だけど、私は涼子だった自分の記憶を取り戻した。前世の私も幼い頃は人見知りだったけれど、社会に出て、一人で子育てをして人見知りのままではいられなかった。


 人の顔色を伺い、相手が私に望む対応をできるようになった。会話が途切れて気まずい思いをすることもないし、自分が有利になるように人を上手く使うこともできるようになった。


 今の私なら、そのコミュニケーション能力を思い出した私なら、この小さなお店にやってくるお客さんの中から自分の知りたい情報を得ることができる。


 父が案じたように、このヴァルダーナ王国では偉い人に目をつけられたら下手したら冤罪でも投獄されてしまう可能性がある。侯爵を調べるなら注意は必要だ。


 それでも諦められない。だって私は亜子の母だから。


 リオナの現状を知るためにお店のお客さんから情報を聞き出す。それが今の私にできることだ。


 時計を見ると開店の時間が近づいていた。


「よしっ!」


 私は勢いをつけてベッドから起き上がる。私の第二の人生の始まりだ。


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