顔屋さん
あるところに、ひどく落ち込んだ男がいた。
男は自分の容姿をひどく嫌っていた。
子供の頃から容姿については褒められた試しがなかった。
異性や同級生だけでなく、親ですら男の目つきや顔つき、体つきを笑ったりバカにしたりした。
男はいつも笑ってごまかしていたが、本当はひどく悲しかった。
人間は中身だ、と誰もが言うけれど、それを実行できる人に男は会った事がなかったし、
不細工な男女を見るとホッとする自分もいた。
そのため働いて得た金のほとんどを整形手術の費用として貯めていたのだが、
手術費を預けていたネットバンクが破綻してしまったのだった。
男は、その日のうちにすっかり絶望して、24時ごろ地下鉄のホームから線路に飛び降りた。
しかし気がつくと、眼前に迫ってきていたはずの電車の中に男はいた。
「いらっしゃいませ。顔屋へようこそ」
なんだか耳に触るカン高い声が聞こえて振り向くと、スーツ姿の子どもがいた。
見た目は5歳くらいだろうか。いやにニコニコしている。
「顔屋?」
「本店は文字通り死ぬほど理想の容姿を追い求めた方だけが辿り着ける、特別な場所でございます」
「…」
「お客様のお眼鏡にかないそうなお顔を、いくつか見繕ってみました」
子どもはそう言うと、奥の優先席に男を案内した。
男はギョッとした。
座席の上に、生々しい「顔」が2つ並んでいたからだった。
ほれぼれするような美男。
人から恐れられるような威厳のあるいかつい顔。
「お代はお客様の今の容姿です。どのお顔も、1年つけ続ければあなたの本当のお顔になり、お代を頂戴します」
「… この顔になれるのか」
「はい」
「顔があなたの人生を決めるのですよ。人生は顔にあらわれると言うでしょう。逆もまたしかり」
男はもっともだと思った。
男は、まず、人からバカにされないようになりたかった。
だからいかつい顔を手に取った。
なんだか生温かかくて、柔らかい。顔にかぶせてみた。
最初だけピリッとした痛みが顔を襲った。
そして体の内側から何かひどく不快な…骨が動くような音がした。
痛みがなくなって車内の窓を見ると、男は仰天した。
変わったのは顔だけではない。身長が伸び、筋肉質になっている。
「うわっ…!」声も低く大きくなっている。
「忘れないでくださいね、1年ですよ。理想のお顔が決まったら、1年つけっぱなしにしてください。
1年経ったらお代を頂戴します」
そう言う声が聞こえたかと思うと、男は飛び降りたはずのホームにいた。
何事もなかったかのように。
男は一瞬夢かと思ったが、明らかに視界が今までと違う。
身長が変わったからだ。そして通勤カバンには「美しい顔」が入っていた。
街を歩くと、前まではぶつかっても謝られもしなかったのに
勝手に人が避けて歩くようになり、
会社に行けば罵倒するのが大好きだった上司は注意してこなくなった。
最も奇怪だったのは、顔屋にもらった顔は
元々の顔とは似ても似つかないのに、「誰も異変に気が付かないこと」だ。
過去に撮った写真ですら、「顔」をつけた瞬間に「その顔のその時代の顔」に変わる。
そしてそれに誰も気が付かない。
男はとても、すがすがしい気持ちだった。
自分の本当の姿でないことなんてわかっている。
それでもいい、それがいい、と心から思った。
自分の本当の姿のことが、自分は嫌いなのだから、
新しい姿を手に入れられてよかった、と心から満足していた。
でもしばらくすると、少しさびしくなった。
誰も男を侮蔑しない代わりに、誰も男を愛さなかったからだった。
かりそめの自尊心が満たされると、男は次に愛が欲しくなった。
そこで男は次に美男の顔を身につけた。
美男の顔を身につけると、身長や筋肉は程よい大きさになり、声はダミ声ではなく落ち着いたバリトンボイスになった。
それまでと同じ安物の服を着ていても、男が歩けばどこでもファッションショーのランウェイのようになった。
街を歩くと、羨望と嫉妬の視線を感じた。
カフェに行けば、店員の女の連絡先が紙カップの底に書いてあるなんて
ことも日常茶飯事になった。
男は、「いかつい男」より「美男」の方が楽しいと感じた。
自尊心も満たされるし、女も声をかけてくれる。
でも、実際に女と付き合ってみると、事態は急転した。
会話が続かない。
話すまでは頬を赤らめながら尊敬の眼差しで自分を見つめていた瞳が、
熱を失い、光を失っていくのを見るのが辛かった。
なんとか会話しなくても済むように
深夜のバーやクラブに出かけて、相手を探していそうな女を
酔わせて寝るまで漕ぎ着けてみても、朝には去っていく。
「あなたってルックスは最高なんだけど、話していてもつまらないし、
セックスは自分本位だし、なんていうかその…顔だけなのよね」
「私に興味がないことがすごく伝わってくるの」
男は憤慨した。
お前だって、お前だって、僕の顔しか見ていないくせに!
僕がお前の外っつらだけを見ることの何が悪いんだ!
男は、以前より深く孤独を感じるようになった。
愛を求めたせいだ。
愛なんて求めなければよかった。
そこで男は、「他人からの愛を求めることをやめる」ということを思いついた。
毎日「自分」とデートを重ねた。
自分好みの服を着て、
自分の好きな場所へ自分を連れて行き、
自分の好きなものを独り言を言いながら食べ、
自分好みのインテリアで満たした部屋で眠った。
最初は女や友人を連れていないことが恥ずかしかった。
が、三回目くらいから慣れて楽しくなってきた。
自分が何を好きなのか、わかってきた。
自分がどんなことに興味があるのか、わかってきた。
もっとやってみたい、という欲が出てくることがいくつかあった。
その中の一つが、登山だった。
人の目を気にしなくていいし、山の自然は癒されるし、
登頂した時の達成感は素晴らしい。
10回目くらいの登頂の時、ああ、なぜ自分が登山が好きなのかわかった、と男は思った。
ここでは、他人や社会と向き合わなくていい時間が長いのだ。
向き合うのは山と、自分自身だけ。その純度の高さが、雑念の入る余地のなさが心地いいのだ。
おかげで弁当を作るという趣味もできた。
登山に慣れてくると、より険しい山に登りたくなった。
男は「いかつい男」を身につけて、標高の高い山にも
登るようになった。
ある日、男は登山中に足をくじいた。
標高の高い山は安全のため2名以上で登るのが通例だが、
男は一人デートのために山に登っていたため一人だった。
救助が何日もこず、このまま死んでしまうかと思った頃、
おーい、大丈夫か、という声がした。
山岳救助隊だ。
不細工だし、ずいぶんチビな男どもだな、と男は思った。
が、「ああここだ、助けてくれ!」と声をかけた。
不細工どもはロープを投げてくれた。
男は必死にそれにしがみつき、不細工どもが崖下から体を引き上げようとしてくれた。
しかし「いかつい男」の体は大きく、不細工二人の筋力ではどうしようもなかった。
男は、ためらった。
ためらったが、背に腹は変えられないと思って、
「いかつい男」の顔をはぐとリュックに仕舞い込んだ。
が、「いかつい男」の顔は風に煽られて山の麓にひらひらと降りて行ってしまった。
「ああ」
男は悲しくなり、次に不安になった。
自分の素顔を見られるのは恥ずかしいし、怖いと感じた。
が、本来の姿に戻ったため男の体重は軽くなり、
不細工二人の手によって男は命を助けられた。
「あんた頑張った!頑張ったな!」
「本当に助かってよかった!」
不細工どもが声をかけてくれる。
男は、久しぶりに少し泣いた。
久々に、誰よりも醜い自分のありようが辛すぎて、泣いた。
男は、今では自分を救ってくれた山岳救助隊の隊員の仲間として、
山小屋で働きながら暮らしている。
本当は「いかつい顔」の方が登山向きなのでそっちにしたかったが、なんとなく…
あの時助けてくれた不細工どもにその顔を自分だと認識されたくなくて、
本当の顔のまま過ごしている。
最初の頃は「本当の顔」を知っている仲間がいない時に、
気分転換に美男の顔を身につけることもあった。
が、しばらくしてバカらしくなってやめた。
鳥や獣や木にハンサムな顔を見せつけて何になると言うのだろうか。
いかつくもない、美男でもない。
恐れられることも、羨望の眼差しを向けられることもない。
女もいない、立派な肩書きもない。
それでも、男の心は満たされている。
自分の好きなものが何かを知っていて、その近くにいる。