最終話 人生という四季の旅
人生という旅を振り返ると、四季の移り変わりのように感じます。春の期待感、夏の挑戦、秋の実り、そして冬の静けさ。それぞれの季節が、心に深く刻まれる瞬間をもたらしてくれます。
春の到来は、咲き誇る花や新芽を出す木々が、心に希望の種を植えてくれます。朝の空気は新たな目標に向かう勇気を与え、未来への期待感を呼び起こします。日常に新しい息吹を吹き込むこの温かな季節になると、「ああ、春が来た」と叫びたくなります。
柔らかな太陽が強い光に変わる季節の下で、忙しさや挑戦、疲労やストレスが、内なる強さを育む重要な一部となります。その過程に意味を見出し、成長していく自分に気づくのです。この季節、母はその暑さに耐え、私を産んでくれたのです。
灼熱の季節が過ぎると、自然は穏やかな色合いに包まれ、収穫の季節が訪れます。木々が紅葉し、落ち着いた風景の中で、これまでの努力や成果を振り返る時間がやってきます。その静けさの中で感じる感謝と安らぎは心に深く残り、共に過ごした人々への感謝の気持ちが深まり、大切な心の支えとなっています。
そして冬。自然は静けさに包まれ、暖炉を囲みながら過去を振り返り、新たな始まりに向けて心を整える季節です。その静けさの中で一息つき、希望に満ちた春を待ち望んでいます。
琴線半島は、長寿全国一位の地域として知られています。晃久も佐知も久志も優希も、それぞれ高齢者の大台に達し、見た目ではどちらが親で、どちらが娘なのか区別がつかないほどです。いずれも「おばあちゃん」や「おじいちゃん」のカテゴリーに入っています。
晃久と佐知は、横断歩道の前で立ち止まっていましたが、車がなかなか止まってくれず、渡ることができません。佐知は穏やかな目で晃久を見守り、その視線には長い年月を共に過ごしてきた安心感が漂っています。「15歳も年下の私、まだまだ若くてぴちぴちよね」と、晃久の老いた姿を見ながら、佐知は心の中で呟きました。「なんか言ったか?」心で思っただけなのに、恐るべし彼の地獄耳です。
そんな時、中学生がやってきて、「おじいちゃん、おばあちゃん、私が手を引いてあげます」と言い、横断歩道の前でしっかりと手を上げました。もう一人の中学生は手のひらを大きく広げて、車を止めてくれました。なんと可愛らしく、しかも賢い男の子たちなのでしょう。
優希は、久志に対して深い敬意を抱きながら、日々彼を気にかけています。優希の目には愛情と尊敬が溢れ、久志が少し歩くのが大変そうにしていると、優しく手を差し伸べて「足元に気をつけてね」と心配そうに声をかけます。
ある日、電車に乗ったときのことです。優希は「久志より15歳も年下、自分はまだ若くて元気なのよ」と思いながら、電車が揺れるたびに久志を支えていました。その様子を見ていた二人の女学生が、「おじいちゃん、おばあちゃん、どうぞお座りください」と、優しく微笑みながら席を譲ってくれました。優しい上に可愛らしい女学生たちでした。
そうなのです。若者から見れば、たとえ15歳の年の差があっても、どちらも同じく高齢者として見られるのです。まさに、50歩100歩の存在です。月日が過ぎるにつれて、年齢の差が徐々に縮まっていきます。そんな日々を共に支え合いながら、時間を過ごしているのです。
優希は年に一度のペースで女優として映画に出演しています。時には主演、時には脇役、また時には妄想の世界に飛び込むこともあります。その演技は人生に彩りを加え、優希の若さを保つ秘訣となっているようです。
彼女の女性としての魅力は依然として豊かで、高齢者だけでなく、中高年層や20代の若者たちからも熱心な応援を受けています。
優希の存在は、時を超えたかのような感覚を与えてくれます。スクリーンに登場するたびに、彼女の演技は観客の心に深く響きます。彼女の表情には、静かでありながらも心に残る強い意志が宿っていて、その目は世界の奥深くを見つめているかのようで、その存在感は女優以上のものを感じさせています。
彼女の演技が織りなす物語には、人生の深い知恵と優しさが込められています。観客はその一瞬一瞬に感動し、自分自身に重ね合わせているのかもしれません。そんな女優としての優希の存在は、時代と人々の心に深く刻まれた永遠の光となっています。
朝の光が穏やかに差し込む茶の間で、佐知の淹れた珈琲を飲みながら、晃久はテレビから流れてくるニュースに耳を傾けていました。
「熟年離婚が増加しています。その原因としては、価値観の違い、会話不足、そして性格の不一致が挙げられます…」と、アナウンサーの声が響いています。
晃久はカップを置き、静かに溜め息をつきました。「長い年月を二人で支え合ってきたのに、これから二人で支え合っていかなくてはならない時なのに、これから残された人生を一緒に楽しむ時なのに…」と呟きながら、もう一口珈琲を飲みました。
コメンテーターは更に続けます。「熟年離婚に踏み切るのは、妻側が圧倒的に多いようです。夫の多くは、妻がそのように感じていることすら理解していない。それが大きな問題なのです。」
晃久はふと、キッチンにいる佐知に目を向けました。
「佐知、今、熟年離婚が多いんだってよ。私はそんなこと、一度も考えたことがないよ。頭の片隅にもない。佐知もそうだろう?」
と声をかけましたが、返事はありませんでした。無言でした。
「えっ、考えたことがあるのか? 佐知は」
「あるわよ。晃久は鈍感だから、気が付かなかったのよ」
「今だって思うことがあるのか?」
「そんなのしょっちゅうよ。浮かんでは消え、消えては浮かんでるわ。それが晃久の寝顔を見ていると、そんな気持ちがどこかに消えてしまうの」
「私は、いい夫だからだなあ」
「バカね。晃久ほどバカな夫はこの世にいないわ。ただ、いいも悪いも、それらを含めて人生の価値観が一緒だからかもしれないわ。こんなに長く連れ添っていられるのは」
とかく熟年夫婦は、以心伝心で通じ合っていると考えがちです。「いちいち言わなくても、相手はわかっているだろう。昨日今日知り合ったわけでもないし、細かいことまで言わなくても当然わかるはずだ」と思いがちなのです。
今日は古くからの友達と集まる女子会の日。久しぶりに顔を合わせた友人たちは、おしゃれなスイーツと共に、フレンチ料理の香りを楽しみながら会話に花を咲かせていました。華やかな店内には、笑顔と笑い声が満ち溢れ、話題は未来の夢や楽しい計画に向かって次々と展開されていきます。
色とりどりのデザートがテーブルに並べられると、その見た目の美しさに歓声が上がります。みんな、日常の喧騒から離れたこの特別な時間を楽しんでいました。
話題が進むにつれて、次第に本音が顔を出し始めます。仕事の悩みや家庭の問題、時には夫や子供への愚痴も飛び出します。
「やっぱり、ここでしか言えないこともあるわよね」と、誰かがぽつりと呟くと、皆がうなずいて共感の声を上げました。
気を許せる仲間たちとの時間は、ただ楽しいだけでなく、心の中に溜め込んだ思いを共有し、互いに支え合う大切な場でもあります。
佐知の古くからの友達がこぼしました。「あの頃の彼は口数が少なく、サラサラのロングヘアに長い足、ハンサムで落ち着いていて頼り甲斐があったわ。高学歴で大手の会社に勤めていて、プロじゃなかったけど、その澄んだ歌声にはいつも心を奪われて、彼と一緒にいれば幸せになれるって感じたものよ。それが…。彼を手に入れるには激しい競争があったのよ。彼と恋人になれたときには、天にも昇るような気持ちだったわ。友達から羨ましがられたし、両親も絶賛してくれて…。あの頃にはたくさんの夢があったけれど、今はその夢に失望している」
彼女は、朝夕の食事に気を配り、仕事の疲れを少しでも癒してあげようと、妻として誠心誠意尽くしていました。
しかし、彼は退職後も態度を変えず、テレビの前から離れず、まるでうどの大木のようにゴロゴロしながら、「おい、お茶を」「おい、新聞を」「おい、チャンネルを変えろ」と命令口調で要求します。
「何も手伝ってくれないのね、あなた…」と彼女が言うと、「やってますよ。冬はコタツの温度調整、夏は電気代節約のためのリモコンの番をしている」と、馬鹿げたことを平然と返してきます。
今では、夫婦の会話もなく、それどころか目を合わせることさえありません。彼女が白髪染めをしても、風邪をひいても彼は気づきません。そんな生活が繰り返される中で、彼女は残された人生をこの夫と共に過ごすのかと思うと、不安を感じずにはいられませんでした。
佐知は、コミュニケーションが不足すると、理解し合えないことが増えてしまうと感じていました。長い間一緒に暮らしていても、言葉を交わさなければ、お互いの考えや感情に疎くなり、微妙なすれ違いが生じることに気づいたのです。一緒に過ごす時間を意識的に大切にしないと、無関心や怠慢、惰性が膨れ上がり、関係が冷めてしまうのではないかと不安を感じていました。
特に熟年夫婦にとって、コミュニケーションを意識的に取ることがますます重要だと彼女は考えています。年月が経つにつれて、互いに対する期待や習慣が固定化し、その結果として感情的な隔たりが生じることがあるのを、佐知は実感していました。だからこそ、意識的に対話し、お互いの変化や感情に敏感でいることが、関係を深める鍵になるのではないかと、佐知は思うようになったのです。
「よし、行くぞ」
「どこに?」
「稚内に」
「なんで?」
「こんな猛暑に耐えられないからさ」
「違うのよ。何で行くのと聞いているの」
「車だよ」
「車?それはもう運転しないからって売ったでしょ」
「じゃあレンタカーで」
晃久はいつもこの調子で、思い立ったが吉日とばかりに、突然の行動を決めるのです。
稚内まではロングドライブです。この旅では、目的地である稚内に到着するまでの道のりが大切で、稚内自体に強いこだわりがあったわけではありません。強いて言えば、この猛暑を少しでも回避できればそれでいいのです。
とはいえ、旅先でのトラブルは旅を台無しにしてしまう可能性があります。それを避けるためには、事前チェックが重要で、特に空気圧などの細かい部分も見逃さずに確認することが大切です。
張り切ってチェックをしていると、「安心してください。すべてチェックしています。どこも問題ありません。どうぞ楽しい旅を。」と、担当者はさわやかな笑顔と共に鍵を渡してくれました。
晃久は、運転における基本的な条件をしっかりと守っています。発車前には、まずシートベルトをきちんと締め、バックミラーで前方、後方、左右の安全を確認します。そして、ウインカーを点滅させて進行方向を示し、ハンドルを「10時10分」の位置でしっかりと握ります。「出発進行!」と自ら声をかけてアクセルを踏むと、車はスムーズに動き出しました。
車内には穏やかで落ち着いた雰囲気が漂っています。エンジンの静かな音とタイヤが道路を滑る音が心地よいリズムを作り、時折窓から新鮮な空気が流れ込んできます。外には緑豊かな山々が生き生きとその姿を変えながら流れ、車窓からの風景に目を奪われます。夏の陽射しが照りつける中、車内の冷気が心地よく、風に乗って漂ってくる夏草の香りが、どこか懐かしい気持ちを呼び起こしてくれます。
助手席の佐知は、窓の外を見ながら「右に曲がりますよ」と声をかけ、晃久はその指示に従い、右にウインカーを点滅させます。佐知はミラーで周囲の車両を確認し、「後ろから車が来ているから、安全に曲がってね」と優しく声をかけます。その言葉に従い、晃久は慎重に右折します。さらに、道路状況にも気を配りながら「この先、信号があるからね、注意してね」と事細かに指示を出します。
「そんなに言うなら、佐知が運転する?」と冗談めかして言う晃久に、佐知は軽く笑いながら返しました。
「何言ってるの。晃久が行くって言ったでしょ。それに、私はペーパードライバーよ。運転できるわけないでしょ。」と言いながらも、「あの車、親切に入れてくれたからサンキューハザードランプを点けないとね」と言うと、すぐにハザードランプが点灯します。
「私たちって、以心伝心なんてないわね。なんでもヘラヘラと話しているからね。」
「そうだな。でも、それでいいんじゃないか。お互い、言葉で伝え合うことも大事だからさ。」
その言葉に佐知は小さくうなずき、リラックスした雰囲気になりました。
二人の話題は過去の思い出や現在の出来事、将来の夢へと広がっていきます。会話が途切れることはなく、静かになるのは佐知がスヤスヤと夢心地に沈んでいる時だけです。
「あそこの道の駅で休憩しましょうか。」
「そうだな。トイレにも行きたいし。」
車を停め、新鮮な空気を吸い込みながら軽く散歩をすることでリフレッシュします。青空の下、自然の息吹を感じるひとときが、長時間のドライブの疲れを癒し、二人の旅をさらに豊かなものにしています。
北の大地を巡るドライブ旅行は、東北から北海道への長い道のりから始まった。初日の夜、佐知と晃久は、いわきの道の駅で車中泊をし、朝日が昇ると同時にエンジンをかけた。**石巻の美しい海岸線を走り抜け、澄んだ朝の空気が窓から心地よく流れ込む。**太陽の光が海面で煌めく様子が二人を魅了した。石巻を過ぎると、大船渡の温泉宿に到着し、旅の疲れを癒す温泉と新鮮な海の幸が二人を迎えた。
翌日、青空が広がる下、フェリーが静かに大間港を離れ、デッキに立つ二人の目の前に広がる海は無限に続くかのようだった。海を渡り、函館に到着すると、二人は日本海を左手に見ながら車を北へと走らせた。道中、島牧村の穏やかな田園風景が広がり、積丹町の神威岬では、荒々しい海と切り立つ断崖が見事に調和する光景に息を飲んだ。
小樽の歴史的な運河や、留萌市の豊かな自然が彩る旅は、徐々に最北端へと向かっていく。ノシャップ岬に立ち、最北端の冷たい風を受けると、稚内への道がさらに続いていた。そこから、フェリーに乗り、二つの美しい島々、礼文島と利尻島を訪れる。礼文島の澄んだ空気と雄大な自然が二人を包み込み、利尻島ではその堂々とした利尻富士が、彼らの心に深く刻まれた。
宗谷岬で日本最北端の碑を見上げ、佐知が「ここまで来たね」と感慨深くつぶやく。晃久は静かにうなずき、遠く北の空へと想いを馳せた。旅は続き、富良野では一面に広がるラベンダー畑が風に揺れ、紫の絨毯が壮麗な風景を創り上げていた。
やがて、二人は青森へと戻り、龍飛岬の荒々しい海と風に包まれる。ここには国道339号が延びており、車で走ることはできない階段国道として知られている。あじさいの花がその斜面に咲き誇り、壮観な景色の中、佐知と晃久は歩みを進めた。海風が花々を揺らし、紫と青の彩りが道の両脇に広がっていく。
旅も終盤に差しかかり、二人は男鹿半島の断崖絶壁を見下ろす道を走り抜けた。その先には、新潟の美しい海岸線が広がり、波音が遠くから耳に届いていた。約5,000キロに及ぶ一ヶ月の旅も、いよいよ終わろうとしていた。
佐知と晃久は顔を見合わせて微笑み、「無事に終わったね」と晃久がつぶやくと、佐知は「本当に、またこんな旅をしようね」と頷いた。二人が出会った美しい景色や、心に残る食事、そして温かい人々との思い出は、今も二人の心の中で静かに息づいている。
「晃久、どうだった?ロングドライブは。しかし、そんな高齢になっても北海道まで行くなんて、本当に感心するよ。」電話の向こうからは、古くからの友人の驚きと喜びが入り混じった声が響いてきました。
晃久は電話を耳に当てながら、旅の思い出が鮮やかによみがえってくるのを感じました。広大な北の大地を駆け抜けた日々、果てしなく広がる海や山の景色、そして佐知と過ごした穏やかな時間が、心地よい波のように次々と押し寄せてきます。
「いやぁ、本当に楽しかったよ。どこを見ても美しい景色に囲まれて、何よりも食べ物が格別でね。疲れもあったけど、すべてが充実した旅だった。」晃久の声には、旅の余韻がまだ残っているかのように、満足感がにじみ出ていました。
「それは良かった。歳を取っても冒険心を忘れずにいるのは素晴らしいことだよな。」友人の声はどこか懐かしさを帯びており、共に過ごした青春時代を思い起こさせます。
「電話じゃあれだから、お盆にお前の家に行くよ。美味しいものを期待してるからな。それに、知ってると思うけど、家内は肉類が苦手だから、魚介類が好きなんだ。タコやイカなんかもね。」
かつては料理など全くできなかった晃久ですが、「中新田屋」をオープンしてからは、板前としての厳しい修行を乗り越え、多くの顧客に美味しい料理を提供してきました。その経験が今に生かされ、現在では佐知が朝食を、晃久が夕飯を作るのが日課となっています。
「今日の夕飯は何にしようか?」と佐知が問いかけることはあっても、晃久は事前に献立を考えることはありません。その都度、その日の安売り食材を見つけてからメニューを決めるのが彼のスタイルです。その日食べる分だけを買い、必要以上に無駄を出さないよう心がけています。
毎日買い物に出かける目的は他にもあります。太陽の光を浴び、健康的に歩数を稼ぐことができるので、一石二鳥です。歩きながら、佐知は独り言のように何かを喋り、時々「聞いてるの?」と問いかけます。「ああ、聞いてるよ」と晃久は答えながらも、時折その言葉を聞き流しているのです。
今日のスーパーは八尾公です。往復で3キロの道のりは、ちょうど良い散歩の距離。青空の下、二人は気持ちよく歩きながら目的地に向かっています。
「必要な分だけ買うんだからね」と言いつつ、スーパーに入ると状況は少し違ってきます。色とりどりの食材を前に、佐知は「このブロッコリー、新鮮そうね。きゅうり五本で280円は安いわ。ちょっと多めに買っておこう」と、次々とカゴに入れていきます。しかし、晃久が選んだ食材に対しては、「これ、ちょっと高いわね。あっちのスーパーで買った方が安いから。それにこれ、まだあるわよ。二段目の棚にあるの見えない?」と言って、さっと棚に戻してしまいます。最終的に、佐知が選んだものだけがカゴに残るのです。
この日常の一コマが、晃久と佐知の穏やかな生活を象徴しているかのようです。毎日の小さなやり取りが、二人の絆を深め、共に過ごす時間をより豊かにしています。
お盆の穏やかな午後、久しぶりに訪れた友人夫妻の笑い声が部屋に響きます。晃久が心を込めて準備した色とりどりの料理が座卓に並び、窓から差し込む柔らかな陽光がその彩りを一層引き立てています。会話が進むにつれて、部屋全体が和やかな空気に包まれ、心地よい温もりが広がっていきます。
「優希ちゃんは元気にしてるのかい?」
「今日来たがってたんですけどね。映画のロケが沖縄で、どうしても来られなくて。『よろしく伝えてね』って言ってましたよ。」
「優希ちゃんもたいしたもんだ。今や日本を代表する大女優だもんな。それに、高齢者だけじゃなく、若者にも感動を与えている。まるで大谷翔平みたいに、日本に希望と勇気を与えてくれてる。それは本当に素晴らしいことだよ。」
「そんなことないですよ。優希なんて大谷翔平の足元にも及びません。それに、優希も彼にゾッコンなんです。どのチームに移籍しても彼のことを応援してますし、『死ぬ前に一度でもいいから会いたい』なんて言ってますよ。」
「でもさ、犬って本質を知ってるよな。どんなことがあっても、その人についていく。名声や富なんて気にしないし、どんな環境でも飼い主と一緒なら幸せなんだから。そんな夫婦になりたいもんだよな。」
「その通りだね。俺もそう思うよ。」
「ちょっとそこのお二人さん、そんなこと言うなら、彼みたいに富と名声を手にしてから言ってよね。」
「そりゃそうだな。俺たちにはそんな富も名声もなかった。でもだからこそ、いつも支えてくれてる妻たちには感謝しかないよね。」
「本当に、その通りだよ。」
「それでさ、北海道の旅はどうだったんだ?」
「素晴らしかったよ。でも本音を言えば、少し疲れたね。暑さに苦しんだり、狭い車中泊はきつかった。でも、それも含めていい経験だったよ。受け止め方次第で、感じ方って変わるもんだなって実感したよ。」
「なんか特別な出来事はなかったのか?どーんとしたやつとか。」
「どーんとしたやつ?」
「だってそうだろ、何日間も朝から晩まで二人で車内にいるんだ。喧嘩の一つや二つはあったんじゃないのか?カッコつけずに教えてくれよ。話が盛り上がるだろう。」
「うーん、あったかなー。」
「何言ってるのよ。いっぱいあったでしょ。ありすぎて忘れたけどね。」
「だろう。佐知ちゃんは正直だな。晃久はカッコつけすぎなんだよ。」
「そうか、カッコつけすぎたか。」
琴線半島の空が夕暮れに染まり、柔らかなオレンジ色の光が部屋の中に広がります。その光は、座卓の上の料理や集まった人々に温かい輝きを与え、笑顔を引き立て、楽しげな雰囲気を部屋全体に広げています。
晃久は、その穏やかな光景を眺めながら、「これが人生の縮図としての幸せなんだなあ」と感じていました。友人たちとの和やかな時間や、家の中に漂う安らぎの空気が、幸せを象徴しています。
こうした瞬間が、過去の努力や苦労の果てに得られたものであると、晃久は心から感じています。部屋に漂う安らぎの空気と、皆の幸せそうな表情が彼の心に深く刻まれ、これからも大切にしていきたいと思っていました。
歩んできた道を振り返れば
笑顔や涙が今も輝いて
刻まれた時のぬくもりが
胸の中にそっとよみがえる
風のささやきに耳を澄ませば
遠い日々の声が聞こえる
過去も未来もひとつに繋がり
今を生きる力をくれる
夕陽に染まるこの景色さえも
心の中でいつまでも輝く
友との別れも再会の日も
すべてが今の私を支えてる
風のささやきに耳を澄ませば
心の奥に響くメロディ
過ぎゆく季節の中で見つけた
生きる意味がここにある
時は流れても変わらぬものが
この胸の中に息づいている
新たな日々も迎えながら
心の音色を奏で続けよう
風のささやきに耳を澄ませば
今日という日にありがとう
過去も未来も愛おしみながら
共に歩んでいこう
風のささやきがいつまでも
私たちを導いてくれる
その響きに包まれて生きていこう
明日へと続くこの道を 明日へと続くこの道を
皆さま、
「レストラン・中新田屋」シリーズをここまでお読みいただき、心より感謝申し上げます。この物語が皆さまにとってどのような意味を持ったのか、どのように感じていただけたのかは、私にとって非常に大切なことです。
物語の中で、さまざまな人々がそれぞれの人生の意味を探し、成長し、そして希望を見出していく姿を描いてきました。皆さまがその一部に触れ、共感し、時には感動してくださったことが、私にとって何よりの喜びです。
この物語を支えてくださった皆さまの存在が、私の創作活動の大きな力となりました。これからも、心に残る物語を紡いでいけるよう、一層努力してまいりますので、どうぞ温かく見守っていただければと思います。
本当にありがとうございました。
心からの感謝を込めて。
はた幸




