第二話『天使と罪と』(3)
牢屋、という物がある。
基本ここにはGAV内での規則違反者が収監されることになっているが、正直一見すると雑な作りだ。
セキュリティゲートはともかく、昔のファンタジー映画でも見ているかのような、鉄格子だけの牢屋なのだ。
もっとも、周囲は石造りではなくむき出しの鉄筋コンクリートだが。
更に言うなら、鉄骨には電流が常に走っている。セキュリティが解除されない限り、脱出が出来ないように仕組んであった。
赤城や警備兵と共に、アザゼルが収監されている牢屋に行く。
アザゼルの眼は、ハッキリしていた。目覚めたばかりとは、思えないほどだった。
しかし、いる場所は電気椅子の上だ。
しかも獣用の手錠を取り付けられ、脚もくくりつけられている。
あまり人道的ではない、と言われてしまうだろうが、天使に対してはどれだけ警戒しても、警戒しきらないことはないのだ。
かつて、何処かの支部が天使を捕虜にしたことがあったが、すぐさま手錠も外され、内部から徹底的に荒らされた果てに、その支部は全滅した。
そうした措置を執っているにもかかわらず、アザゼルは随分と大人しいと、美樹には思えた。
特に抵抗するのでもなく、ただ悠然と、電気椅子に座っている。
「あの麻酔撃たれて、もう覚醒するとはな。正直驚いたぞ。それも天使の改造結果か?」
「ああ、思い出したよ。お前か。俺に麻酔を打ったのは」
はぁと、アザゼルはため息を吐いた。
頭の輪っかは、相変わらずショートした蛍光灯のように黒いが、それ以外は人間と変わらないようにしか、美樹には見えなかった。天使だと言われても、初見だったらあまり信じられないだろう。
急に、アザゼルが自分に目を向けた。
「ああ、あの時の女か。戦場で怯えているようだと、お前死ぬぞ」
思わず、目を丸くした。
何を言っているんだ、この天使はと、思ってしまった。
だが、至極もっともだ。
この天使は、戦場をわかりきっている。慣れている、とも言えた。
何か精神構造が根本的に違う種類の存在なのだろうと、自覚するには十分だった。
「私は戦闘が専門じゃないからね。それに、人間はあなた達天使と違って、あっさり死んじゃうものよ。もっとも、天使を狩る教育されて、命なんて軽いって分かってるのに、今更震えるというのも、情けない話よね」
「そうか。そういうものか。俺の命も、昔から軽かったからな。しかし、そうか、そういう考えもあるのか」
ふむ、と、アザゼルが唸った。
なんというか、意外につかみ所のない性格をしていると、何処かで思った。
今までの天使とまるで違って、敵意がないから、なおのことそう思ってしまうのかも知れないと、美樹は感じる。
アザゼルが、今度は赤城に視線を向けた。
「で、俺を電気椅子に拘束していると言う事は、いつでも殺せる、ということか」
「そういうことだ。お前の真意が知りたいからな。それまではその体勢でいてくれ。良い気分は、しないだろうがな」
「いや、捕虜、特に俺達天使に対して、人間が取る対応はこんな物だろうと思っていたから、特に何も思わないな」
赤城の言葉に対しても、この状況に対しても、妙に淡々としている。端末に、アザゼルの脈のデータを取らせているが、ずっと変化がない。
脳波も同様、人間のそれとほぼ変わらない波長をしている。特段変な波があるわけでもない。
妙に達観している、というのがこの数分でアザゼルに対して美樹が抱いた印象だった。
「では、最初に聞くが、お前は何だ?」
「アザゼル。天使からはそう呼ばれている。気にくわなければ、お前達の好きに呼べば良い」
「いや、名前が変わると面倒だ。アザゼルのままでいこう」
そうか、としかアザゼルは言わなかった。
感情の起伏がなさすぎるのは、少し不気味に思えてならない。
赤城も恐らく、それは分かっているのだろう。だから淡々と質問する、ということに止めているように美樹には見えた。
「では、次の質問だ、アザゼル。何故、お前は天使を裏切った?」
その言葉の瞬間、ぴくりと、アザゼルの脈が反応した。
「俺の上司が、天界の、要するに天使達のいる場所のやり方に、疑問を思った。故に、天界を裏切る『堕天計画』という計画を立てた。それに対して、俺は付き従って、天使を裏切ることにし、上司や多数の同志と共に、人間界に味方することにしたんだ。人間に味方し、人間界から天界を正すために、俺達は天使ではなく堕天使となった」
少し、興奮の色が見て取れた。
初めて、見て取れた感情だった。
しかし、こちらは急に言われた言葉に対応する方法をどうすればいいのか、呆然としている頭で考えなくてはならない。
少ししてから、赤城が咳ばらいを一つして、アザゼルを見た。
こちらも、再度観測データを見入ることにした。そうした方が、気が楽だった。
「上司、というのは?」
「天界のナンバー3に当たる方だ。俺はその直属だった。名はルシフェル。多分、お前達も聞いただろう、『時は来た』という声を。あの声の主が、ルシフェル殿だ」
なるほど、どうやらあの声は幻聴ではなかったらしい。死ぬ寸前だったから、何かの幻聴だと疑っていたが、まさか現実だったとは思いもしなかった。
しかし、そうした号令を発することが出来るのが、ルシフェルという天使の特色なのだろうと、美樹は感じることが出来た。
「で、そのルシフェルは一緒ではないようだが?」
「ルシフェル殿は俺より前に人間界に降下している。その際に、天使を数百体、自身の能力で消し飛ばしているはずだ。観測できていないか?」
その言葉を聞いて、赤城がこちらに目を向けた。
美樹は頷いて、あの写真を呼び出した。
思えば、あの写真の解析から、今日という日が始まったのだ。
だというのに、そのことが、ひどく前の事態であるように、美樹は錯覚してしまう。
あれからまだ数時間しか、現実の時計の針は動いていないのだ。
やたら物事が動く日とは、こういうことなのだろうと、そう思うには十分だった。
アザゼルに端末の画面を見せた。その写真が、映し出されている画面だ。
「ひょっとして、この写真の光を発しているのが、その天使か?」
その写真を、アザゼルは食い入るように見た。
そして、何回も頷いた。
「間違いない、ルシフェル殿だ。そしてこの羽のないことが、まさに堕天した証拠だ。元々ルシフェル様は、六枚も羽があったのだからな」
「さっきから言っているが、その堕天とは何だ?」
アザゼルの興奮の度合いが、少し落ち着いた。
じっと、こちらを見ている。また、淡々とした感情に戻っているように、美樹には見えた。
「堕天とは、天使が天使をやめることだ。天使をやめることは、天界に対する最大の罪とされている。それ故に天使の証であった翼がそげ落ちて、輪もこうして黒く染まる、というわけだ。同時に、天界には戻れなくなる。それが堕天だ。要するに、天界からの身分剥奪と追放と言う事だ」
「なるほどな。それだけの重罪となるというわけか。では、そんなことになるのに、お前は天使を裏切ることについて、何も思わなかったのか?」
「思わない。全てはルシフェル殿が決めたことだ。俺はそれに従う。そのためなら、俺は天使の血をどれだけだって浴びられる。その方のためなら、いくらでもな」
興奮の度合いが、再び上がった。
どうも見る限りで、アザゼルのルシフェルに対する考え方は上司と部下と言うよりも、信奉者に近い。
つまり、ルシフェルが人間界を裏切れと言えば、まず問答無用でアザゼルはこちらに牙をむく、とも言える。
主体性が全くアザゼルにはないのだ。
扱いを一歩間違えると厄介になる爆弾そのものだと、美樹には思えた。
赤城の秘書が駆け込んできたのは、その時だ。赤城に秘書が耳打ちすると、赤城が一つ頷いて、それで秘書は下がった。
「どうやら、お前の言ったことは本当らしいな。うちの複数の支部で同様の事象が起こった。ルシフェルという天使も、アメリカ第三支部が保護した。それに、お前さんの言っていることとだいたい同じ事を言ったそうだ」
「そうか。ルシフェル殿はアメリカか。確か、ここからはだいぶ遠いと聞くが」
「ざっと飛行機で半日だな」
「なるほど、だいぶ遠いな」
はぁと、アザゼルが一つため息を吐いた。
「聞いておきたいのは、こんなところか?」
「ああ。今のところはこんなものだ。お前の処遇については、今日中に話して結論を出す。少し待っていてくれ」
「分かった。良い方向になると期待している」
アザゼルがそう言うと、赤城は警備班を置いて牢屋を出ることにした。
美樹も、それに続く。
「ああ、そこの女。名前、聞いておかなかったな」
去り際に、アザゼルが言った。
相変わらず、淡々としていた。
「美樹。地生美樹よ」
振り向かずに、美樹は言った。
「美樹、か。そうか。覚えておこう」
何故、アザゼルはそんなことを聞いたのだろう。
それがよく、分からなかった。
何処か不思議な男だ。
そう思うには、十分だった。